日替わりげしょ定食

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1998/7/1 195 めし食ったか。 (テーマ:ごはん)

わたしは朝食を食べないと朝からは活動できないたぐいの人間なのだが、その時食べるのはパンではなくてごはんでないといけない。以前にも書いたような気がするが、起き抜けは水分の少ないパンがなかなか食べられないのだ。もちろん納豆は必須だ。朝食を抜いてしまうと、用事のある先へ到達するのがやっとで、そのあと何もできなくなってしまう。健康な証拠であるとも言えるが、なんとも不便である。

パンより便利なのは、ごはんだけ食べてもそこそこおいしい、ということである。一人暮らしで金がないときなどは、一日ごはんだけを食べてしのいだこともあった。何kgもまとめて買うから米は割高のような気がしてしまうが、実はほかの食材と大きな差があるわけではない。パンはたしかに安いが、ごはんとくらべるとおなかにたまらず、パンだけだとあまり食べた気がしない。

わたしにとっては、こういう点でごはんが重要なのであるが、日本人一般にとってごはんはなくてはならない食べ物と思われている。長く海外に滞在していると、白いごはんが食べたい、と口にする場面をよく見る。まあ本当にこんなことをいう人がいるのかどうかは知らないが。とにかく白いごはんは日本の食事の象徴的存在になっている。誰もが白いごはんを食べられるようになったのは、昭和の、しかも戦後になってからなのだが。

ごはんとひとくちに言ってもいろいろある。いまは自主流通米を食べる人がほとんどだ。スーパーなどに行っても、そうそうたる銘柄の自主流通米が並んでいる。政府が流通させている米は、行政のいたらなさを物語る象徴として、マスメディアに利用されている。以前のタイ米騒ぎの時はせっかく輸入した米が捨てられてしまい、もったいないなあと思ったものだった。わが家では、輸入インディカ米でカレーやリゾットなどに挑戦してみたことを覚えている。

以前バイトをしていたところで、米屋に勤めていた人と知り合いになり、お米やごはんの話をいろいろ聞くことができ、それ以来さらにごはん食への愛着がわいてくるようになった。実家に戻ってから自分で食事を作ることもほとんどなくなってしまったが、自分の知識の範囲内でのご飯へのこだわりは捨てていないつもりだ。詳しい人から見るとまだまだかもしれないが、精進のしがいがあるテーマだけに今後もいろいろ勉強していきたいと思っている。



1998/7/2 196 手紙に使わないはがき (テーマ:絵はがき)

旅行に行くとなんとなく買ってしまうもの、それが絵はがきだ。まあこれは人によるかもしれないが、少なくともわたしにとってはそうだ。値段も安いし、なんといってもかさばらない。どこへ行っても同じなみやげ物を買うよりは、そこでしか買えない絵はがきを買った方がよっぽど思い出になる。その場で手紙を書いてだしてしまえば、おみやげを持って帰らなくてもあまり文句は来ない。

しかし最近は国内の長期旅行はしなくなってしまった。するとしても貧乏旅行ばかりで、みやげ屋すらよらない。写真すら撮らず、旅行して残るのは切符と記憶だけ、という感じなので、絵はがきも買わなくなってしまった。しかし、最近は他の分野で絵はがきをよく買うようになった。アート関連の輸入ポストカードブックである。

最初にその手の絵はがきを見かけたのは、大学に入ってすぐの頃で、大学の書籍部でのことだった。通りかかる人がみなのぞいて行くらしくぼろぼろになっていたのだが、エッシャーやガウディのもあったので、ほかで見つけたら買いたいな、と思っていた。ところがそのころは今ほどアートには興味がなく、本屋に行ってもマンガやイスラム関係の書籍しか見ていなかったので、この手の絵はがきは最近まで手に入れることはできなかった。今では美術館や展覧会にいくたびに絵はがきを買ったりしている。

この手の絵はがきは普通のはがきにくらべるとかなり高いのだが、自分の手元に絵画を置いておくにはもっとも安い手段でもある。絵はがきだけあってサイズは小さいし画質もいまひとつであるが、かさばるサイズではないのでしまう場所にも困らないし、壁にはっておくにしても邪魔にならない。人に手紙を出すときなどに使っても、なかなかしゃれていて良い。

まだ趣味といえるほどは集めてはいないが、今ブームなのかけっこういろいろ手にはいるようなので、これからもいろいろ探してみようかと思っている。



1998/7/4 197 夏の風物詩とはいえ… (テーマ:蚊)

わたしのいちばん嫌いな季節は夏である。その嫌いな季節がついにやってきてしまった。夏が嫌いな理由はいくつかある。まず暑いこと。寒いのは服を着ればなんとかなるが、暑いのはどうしようもない。暑いだけでなく蒸してしまうのも嫌いだ。あせがだらだら流れてうっとうしい。そしてなんといってもいやなのが、蚊の存在である。

奴は夏になるとどこからか大量にわいて出てくる。容赦なく人の家に忍び込んできて、人の血を吸って吸って吸いまくる。人の血を吸うだけならまだ許せるが、そのあとかゆいのが許せない。かゆいだけならまだいいが、かいてしまうとよけいにかゆくなってしまうのがまた許せない。マラリアを媒介しないだけましかもしれないが。なかなかしとめられないのも腹が立つ。

いちばん蚊が許せなくなるのが、夜寝ようとしているときであろう。奴はなぜか耳の近くにやってきて、羽音で存在感をアピールする。この羽音を聞いてしまうともう眠れない。そして、奴はなぜか耳のすぐ近くにいったん止まる。そこで耳をたたいてしまっては奴の思うつぼである。羽音の聞こえたところにはすでに奴はいない。しばらくすると体のほかの部分がかゆくなってくる。こうしてどんどんとストレスがたまってきてしまう。ただでさえ暑いのにたまらない。

こんな蚊であるが、いちおう好き嫌いらしきものがあるらしい。屋外に数人でいると、なぜかよくさされる人とまったくさされない人に分かれてしまう。わたしはたいてい蚊に好かれるほうだ。蚊よけの薬を塗っても、汗で流れてしまってあまり効果がない。血液型によって蚊に好かれるかどうか決まる、という説もあるが、本当なのかどうかはわからない。

これから数ヶ月は、蚊と格闘する日々でもある。最近は冬の暖房がきついところでも、奴が出てくるようになってきてしまっている。おそろしいことだが、根絶することができない以上しかたがない。蚊が絶滅したら、生態系には影響があるのだろうか。



1998/7/6 198 ほんとの風物詩 (テーマ:花火)

夏の風物詩としてきのうは蚊について書いたが、風物詩といって忘れてはいけないものがある。蚊取り線香のコマーシャルでも出てきた、そう、花火である。なぜ蚊取り線香のコマーシャルで花火が出てくるのかはよくわからない。

夏になぜ蚊取り線香や蚊よけスプレーを使ってまで外に出る必要があるかというと、それは花火をするため以外のなにものでもない。昼間に蚊よけを塗っても汗で流れるだけだ。つまり、あれは夜に外出するときのためのものなのである。なぜ夜に外に出るかと言えば、それは花火をするためなのだ。あとは盆踊りの縁日に行くくらいであろう。

まあ花火といってもピンからキリまである。地味な線香花火から手持ちの派手な花火、地面に置いて打ち上げる花火やロケット花火、変わったところではパラシュートやヘビ花火など、まあ挙げたらきりがないのでこのへんにしておこう。わたしの周りは物騒な知り合いも多いので、花火大会というとロケット花火での銃撃戦しかしない人(よいこはまねをしないように)などというのもいたりする。一時期は花火などまったく縁がなかったのだが、なぜか大学に入ってから何度か集まって花火をしている。

少人数で集まってやるのだけが花火ではない。でかい打ち上げ花火や仕掛け花火がぼんぼんあがる花火大会も、夏には欠かせない。テレビ中継をやっていたりする大会もあるが、やはり会場あるいはその近くに行って楽しむのがいちばんいい。問題は大きな大会ほど人が多いことだ。人が多いと仲間で集まるのも大変だし、見る場所の確保も一苦労である。ちなみに10月にやっている土浦の花火大会ははんぱではない。機会があれば一度見ておくことをお勧めする。

一度おもしろいものを見たことがある。小学6年生の時、富士山に登ったときのことなのだが、8合目の山小屋からふもとを見下ろすとなんと花火大会をやっている。打ち上げ花火を見下ろすなどめったにないことだ。ずっと下の方でやっているので、うちあがっている花火もとても小さく見えておもしろかった。同じものでも見る角度を変えると新しい発見がある、と初めて知ったできごとであった。



1998/7/7 199 セタ? (テーマ:七夕)

タイトルはあまり意味がない。七夕と字が似てるな、と思っただけである。

東京の七夕はたいていさみしいものだ。梅雨の末期なので、たいていは星空は見えない。晴れが続いている今年こそは星空が見えるかと思いきや、なぜか今夜に限って曇ってしまった。場所によっては夕立ちまで降ったらしい。まあいくらいっても天気には勝てない。七夕の晩に星空が見えないことは毎年のことなのであるし、あきらめるしかないのだ。

お話などでは七夕はたいてい星空なのに、なぜこう毎年曇りの七夕になってしまうのか。実はこたえは簡単である。そう、むかしは暦が違ったのだ。旧暦の七夕は1ヶ月ほど先である。仙台の七夕祭りは旧暦に従ってやっているし、そのほかの地域でも旧暦で七夕を祝うところはけっこう多いらしい。こういう地域で正月やひな祭りや端午の節句はいつやっているのか、気になるところだ。

ちなみにわたしはここ数年七夕を祝うことはなかった。実は7月8日がわたしの誕生日なのだが、その誕生日を祝わなくなるのと時期を同じくして、その前日の七夕も祝わなくなってしまった。なにせ毎年笹を買ってきてかざりつけをするのは、けっこうめんどうである。クリスマスツリーのように毎年使い回せるようなものがあればよいのだが、いかんせん七夕飾りにはそういったものがない。

これは仮説なのだが、七夕があまり盛大に祝われないのは、願い事だけで利益がないまま終わってしまうせいなのではないだろうか。ひな祭りはお祝いをしてごちそうを食べる。端午の節句も似たようなものだ。正月などはお年玉までもらえてしまう。これにくらべると、やはり願い事をするだけの七夕はイベントとしては一段落ちてしまう。

しかし実はことしの七夕はひと味違った。実は今日7日に人工衛星の無人ドッキング実験が行われ、見事成功したのである。この実験に使われた衛星の名前が、なんと「おりひめ」と「ひこぼし」である。最初から今日に実験をするつもりでこのネーミングなのだとしたら、これはすごい。今年は現実世界でも織り姫と彦星が出会えたのだ。きっといいことがあるにちがいない。



1998/7/8 200 誕生日のめでたい度 (テーマ:誕生日)

きょうのエッセイは近況と重なってしまいそうだ。誕生日ということでは今日の出来事になってしまう。昨日のエッセイにも書いたが、きょうがわたしの誕生日である。生まれた年は昭和49年。そう、今年わたしは年男なのだ。24にもなってまだ大学4年生である。年を気にしていないといっても、周りの同年代の人とくらべると、出遅れてしまった感は否めない。

まあ年の話は前も書いたし、今回はどうでもいい。誕生日というのは当事者、つまりその日が誕生日の人にとっては特別な日であるかもしれないが、関係のない人にとってはなんの変哲もない普通の日である。自分から周りに誕生日を主張しなければ、なにごともおこらない一日になってしまうこともある。さみしいことだが世間というのはそういうものだ。なにもいわなくても誕生日に気づいてくれる人がどれくらいいるか、というのでその人の人徳をはかれるかもしれない。

わたしは中学・高校時代は誕生日にかこつけてなにかする、ということはほとんどなかった。小学校中学年頃にやったのが最後だろうか。しかし大学にはいると、のんだり騒いだりする口実として誕生日を利用することも多く、自分や友人の誕生日に何度か飲み会をした。社会人になってからは、その人の身分や人間関係にもよって、誕生日になにかをするかどうかは分かれるだろう。

誕生日といえばプレゼントだ。小学校の時はおもちゃなど簡単なものだったが、大学ともなるとやはりプレゼントには趣向をこらす。逆にどうしようもないものを贈る場合もあるが。わたしは日本酒を一升瓶でもらったことがある。まあ役にはたったが、プレゼントとしてはかなりぶっ飛んだものであるように感じる。親や祖父は何をあげたら喜ぶかわからない、ということでいつ頃からか現金をくれるようになった。うれしいことはうれしいのだが、なんとも複雑な気分だ。

今年の誕生日はインターネットのいろいろな場所で宣伝をしたので、お祝いのあいさつをたくさんもらった。金さえ動かなければ、お祝いをいうのを面倒くさがる人はまずいない。宣伝もしてみるものである。誕生日ををめでたい日にできるかどうかは、自分自身にかかっているのだ。



1998/7/15 201 ジャズと私 (テーマ:ジャズ)

今までのエッセイでジャズに触れることはあったが、ジャズというずばりのテーマで書いたことはなかった。ジャズ愛好会(略してジャズ研)にいる以上はジャズについて語らないわけには行かない。ちょうどジャズ研の合宿に行ってきたところでもあるし、そろそろ1本書いてみようと思う。

わたしはジャズ研の合宿にはできるだけ参加するようにしている。合宿に行けば、間違いなくジャズ漬けになれる。練習もいろいろできるし、普段やらないような大人数編成の曲もやれる。自動車通学で飲み会になかなか参加できない身でも、いろいろ語り合う機会もできる。1年生と話をしたりして、新鮮な気持ちにもなれる。ちょっとした旅行気分も味わえる。とにかく合宿に参加するメリットは数え切れないほどある。

以前にも書いたが、大学でジャズ研に入ったのは、ウッドベースをやってみたいからだった。大学のサークルでもなければ、ただでこの手の楽器の練習をする機会などはなかなかない。けっしてジャズが好きで好きでしょうがないからジャズ研に入ってしまった、というわけではないのである。だからジャズ研に入ってからもジャズのCDやテープはあまり増えず、先輩や友人からジャズのCDを借りる、ということもあまりない。

今はだいぶジャズが好きになった。最近はフュージョンやヒップホップよりもジャズを聴いていることのほうが多いかもしれない。しかし、わたしはジャズのほかにもやりたいことがいっぱいあり、練習に打ち込んだりCDを買いまくることもなかなかできない。入ったばかりのときジャズのことなど全然わからなかった同級生が、いまではいろんなことを知っている。ベースがわたしよりうまくなった下級生もいる。

IRCのほうでも #めせにー というチャンネルを作って、内輪で音楽の話などをしているが、話についていけないことも多い。しかし、いろいろ焦ったこともあったが、もう開き直ることにした。練習に全身全霊を打ち込んだり、いろんな知識を仕入れてくるだけが、ジャズの楽しみ方ではない。いろんなCDを聞いていて、たくさんの知識を持っている人がジャズが好きなのは間違いないだろうが、「好き」のベクトルがそういう方面に向かわない場合もあるのだ。



1998/7/16 202 ウルトラだけではないですが (テーマ:クイズ)

日本のクイズ界において今年がどういう年か、知っている人も多いことだろう。そう、あのアメリカ横断ウルトラクイズが6年の歳月を経て復活するのだ。ウルトラクイズが突然中止になったのは、わたしが17才、つまりあと1年でウルトラクイズに出られる、という年であった。どうせ東京ドームで敗退するだろうし、浪人してもとりあえず応募くらいはしておこう、と思っていたので少なからずショックを受けた。そのウルトラクイズが今年ついに復活する。

ウルトラクイズにあこがれていたわたしであったが、高校生クイズ選手権のほうには縁がなかった。高校生クイズの関東予選と学校のテストが、日程的に非常に近かった記憶がある。わたしの学校もなんだかんだいってやはり受験校だ。テストをほっぽり出してまでクイズに出るような同志2人を、見つけることができなかったのである。ウルトラクイズなら1人でも出られる。しかしわたしが18になった時、ウルトラクイズは開催されなかったのであった。

テレビのクイズ番組というのは、昔はほとんど一般の人が応募して出演し、問題に答えるという形であった。ウルトラクイズはその中でも最高峰に位置していたといっても良いだろう。しかし現在では視聴者回答型のクイズは非常に少なくなってしまった。いまわたしが思いつくものでも、アタック25とTVチャンピオン(の一部)くらいしかない。ほかのクイズ番組は回答者が芸能人になってしまい、問題に答えることよりも、回答者や司会者のトークで視聴者をひきつけるようなものになってしまっている。

おそらくこうした流れの中で、大学などのクイズサークルも大きく様相が変わってしまったことだろう。昔のクイズサークルの様子は知らないので確かなことは言えないが、クイズ番組の変質にしたがってクイズサークルも変質していったことが予想できる。わたしは大学に入学したとき、クイズ研究会ものぞいてみようかとも思ったが、結局やめてしまった。ウルトラクイズのような巨大イベントがないからである。自分が参加できる番組がほとんどないので、ひごろの研鑽の成果をテレビという晴れの舞台で披露する、ということができなくなってしまったのである。

ウルトラクイズがなくなって6年、わたしのクイズに対する興味もすっかり冷めてしまった。復活した今年のウルトラクイズにも、結局応募はしなかった。いろいろ忙しいことも一つの理由だが、テレビのクイズ番組の潮流がすっかり変わってしまった今、ウルトラクイズはクイズ番組の最高峰ではなく、単なる突発的イベントになってしまったような気がしたのだ。昔のクイズは良かった、となつかしさを誘うような存在になってしまった、と思うのはわたしだけではないだろう。



1998/7/19 203 水を飲む (テーマ:水)

ひとくちに水といっても、その状態や場所により、さまざまな表情を見せる。コップの中の水も海水も雨水もみな同じといえば同じだ。雪や氷だって、同じといえる。どんな形にせよ、水は人間の生活に欠かせないものである。理由はあらためてここに書くまでもないだろう。

海外に旅行すると水のありがたみがわかる、という。日本では当たり前にあって当たり前に飲める水だが、日本以外だとそうはいかないところも多いのだ。しかしこれも、言葉で言われてもなかなか実感がわかないものである。実際に海外に旅行したときでさえ、実感するのは難しいかもしれない。

日本も最近は水不足になることが多くなってきている。しかも水の欲しい暑いときに限って水不足になる。雨が少ないから暑くなり、水が足りなくなるのだから当然といえば当然だが。特に関東では、ダムの水量情報が毎夏天気予報でながされる。節水の呼びかけなどもやっているが、ついつい聞き流してしまいがちだ。水不足になったら節水に協力しよう。

水が足りなくても困るが、多すぎるのも困りものだ。水不足で雨が降って欲しいなどと思っていると、ものすごい大雨が降って洪水が起きたりすることもある。こういうときはなぜかちょうどいい量が降ってくれないものだ。水対策でダムを作ったり治水工事をしたりしているが、工事が進むに従って水不足が増えているような気がする。水をコントロール使用して逆にしっぺ返しにあっている、そんな感じもする。



1998/7/20 204 すったもんだもありました (テーマ:ワールドカップ)

サッカーの祭典、ワールドカップフランス大会が終わってからもう1週間になる。決勝戦の日はジャズ研の合宿の最終日で、酔っぱらってよくわからない状況で途中まで見ていた。起きたらフランスが大勝していたのでびっくりしたものだ。予選や決勝トーナメントの最初のほうは見ていなかったので、当然競合のブラジルが優勝するものだと思ったが、勝負というのはわからないものである。

ワールドカップを観戦する人には何種類かいたようであった。まず、本当にサッカーが好きで、日本チームはもちろんひいきの他国チームも一生懸命応援していた人。日本に対する愛国心から、日本チームに勝って欲しいと一生懸命応援した人。そして、なんだかよくわからないけどみんなが騒いでいるので応援しよう、とお祭り騒ぎとしてワールドカップを楽しんだ人。だいたいこの3種類にわけることができるであろう。

人によって価値観が違うから、どの応援が良くてどれがダメ、と一概にいうことはできない。ただし、度をこしたばか騒ぎをするのはよくない。ワールドカップ前にフーリガンのまねだけをして暴れた人などもいたが、あんなのは論外だ。また、自分で陣形や作戦を考えるのは勝手だが、自分のいうとおりに戦わなかったから負けた、と監督を批判するのも筋違いだろう。監督の作戦で勝てなかったからといって、一素人の考えた作戦で勝てるとはとても思えない。

日本チームが予選敗退してワールドカップ熱が一段階冷め、さらに決勝が終わって熱が完全に冷め、いまではまるで2ヶ月間なにもなかったかのようだ。チケットが足りなくて大騒ぎになったり、メンバーからカズを外して大騒ぎになったことすら、もう忘れてしまった人もいることだろう。はたして次回の日本・韓国大会の時には、フランス大会で得たさまざまな教訓を生かすことができるのだろうか。



1998/7/29 205 お得なのは誰なのか (テーマ:電話勧誘)

この間、わが家にわたし宛の電話がかかってきた。名前を聞くと知らない人だ。知り合いはたいていまず携帯の方にかけてくるのでおかしいな、と思いながら電話にでたら、どうやらなにかの勧誘のお知らせのようであった。リゾートホテルや海外旅行、車やゲーム機まで安くあげられる、という奇妙きてれつなサービスを提供する、という。普通に考えれば、こんなうまい話があるわけがない。どういう説明をしてくれるのだろうと思って安くなるしくみを尋ねたら、とたんに電話は切れてしまった。

わたしは家の電話には出ないようにしているのであまりこういうことはないのだが、実はうちにもけっこう勧誘やセールスの電話もかかってきているらしい。聞いていて一番多いのは、マンションの購入などのセールスである。ところがわが家はバブル崩壊直後のいちばんまずい時期にマンションを買ってしまったので、そんな余裕はない。そう答えると、なにも言わずいきなり切られてしまうのだそうだ。

以前のこの手の電話がどうだったのかは知らないが、勧誘の話術も宣伝文句も稚拙なものである。脈がないと判断した瞬間電話を切る、というのも勧誘が下手な証拠だ。へたな鉄砲数撃ちゃあたる、という感覚でやっているのだろうが、まさにへたな鉄砲だ。もうすこしうまく勧誘しなければ、ひっかかる人もひっかからないだろう。それでも勧誘をしてくるということはそれなりの成果がある、ということなのだろう。電話代よりも人件費を節約するほうを選んだにちがいない。

こうした電話をかけてくるところがいったいどこから個人情報を仕入れているのか、気になるがまったく謎である。どういう判断基準で電話をかけてきているのかもよくわからない。わたしを社会人だと勘違いして、宝石のセールスをしてきた電話もあった。子供がいないのに子供向けの勧誘が来つづけた、という夫婦の話も聞いたことがある。間抜けといえば間抜けだが、気味悪くもある。自分の知らないところで個人情報がつつぬけになっている、ということだけはたしかだ。

忘れてはいけないのは、かける方が得をするからこそ、このような勧誘電話がかかってくるのである。こちらが一方的に得をするような情報をわざわざ教えてくれるお人好しもいないだろう。相手の儲けのために勧誘に引っかかる、などというのもつまらない話だ。儲け話は自分で見つけよう。



1998/7/30 206 責任取れ! (テーマ:マスメディア)

誰が行ったのかは忘れたが、最近の政治記者は質が落ちたのだそうだ。政治家が返答に困るような質問をしない。もし偶然そういう質問をしてしまっても、つっこんでこないらしい。まあ伝聞だけで批判してしまっては向こうと同じになってしまうので、ほどほどにしておこう。

参議院選挙、自民党の総裁選と大きな政治的動きが続く中で、テレビや新聞などのマスメディアはほんとうに元気である。しかも世の中の風潮に押されて、与党や内閣に対して言いたい放題である。新聞やテレビが政治や政党を批判するのは今に始まったわけではないし、むしろしなければならないこととも言えるが、どうも最近のマスコミの政治批判のやりかたは気に入らない。

批判したらしっぱなしで、後で何のフォローもないのである。まとはずれな批判をしてしまったり、反論の余地のあることを言ってしまうのは、まあしょうがない。問題はその後だ。何の前触れや謝罪もなく論調をひっくり返したり、反論に対して十分な反駁ができなかったり、ということが多いような気がする。もしかしたらわたしの調べが足りないだけかもしれないが、その場合はきちんと謝罪しよう。

あと、一つだけどうにかしてほしいことがある。殺人事件などで逮捕された「被告」を頭から「犯人」と決めつけるような報道だ。逮捕された人も、裁判で有罪が確定するまではただの人だ。実際にえん罪事件なども発生している。仮にえん罪だったとしても、「犯人」として報道された記憶は人々からは消えない。いい加減な捜査をした警察や検察が批判されることが多いが、本来なら「犯人」として報道してしまったマスメディア側も謝罪すべきなのではないか。それができないなら匿名報道にすべきだ。

そういえば松本サリン事件の時に犯人扱いされたおじさんがいたが、あの人に対する謝罪などはしたのだろうか。政治家にはさんざん責任取ってくれといいながら、自分の報道や取り上げ方に責任が持たない、というのはなんだか不公平だ。今度のカレー騒動はかなり慎重に報道しているようだが、犯人の疑いが強い人が逮捕されたらどうなるか見ものである。



1998/7/31 207 あなたは田舎者ですか? (テーマ:田舎)

現在わたしが住んでいるのは、千葉県の船橋である。ここが田舎なのか都会なのか、これは人によって意見が分かれるところであろう。生まれてこの方東京や大阪などにしか住んだことのない人には、田舎に見えるにちがいない。ゆうべチャットで話した人は、千葉というと都会な感じがする、と言っていた。千葉というのは非常に微妙な場所にあるので、このように評価が分かれてしまうのだ。

わたしが田舎と都会、という枠組みを意識しはじめたのはいつ頃のことだったろうか。小さい頃は自分の周りの世界が狭かったので、まだ田舎だ都会だといったことは考えもしなかった。読んでいたマンガなどには田舎も都会も出てきたが、実感としてはわからなかった。少なくとも小学校を卒業するくらいまでは、そんなだったような気がする。そう、田舎だ都会だという区分は、物心ついて自分の周りの世界がはっきりと見えるようになって、初めてついてくるのである。

このようにして田舎と都会の区別が生まれるので、評価基準はとうぜん人によって違ってくるわけだ。たいていの場合、その基準は自分の住んでいる場所になる。近くの大都市、あるいは知っているいちばん大きな都市が基準になる場合もある。そして、言われた地域に対するイメージとその基準をもとにして、そこが田舎か都会かを判断するのだ。実際はほかにもいろんな判断要素があると思うが、おもいっきり単純化するとこのようになると言えるだろう。

自分の住んでいるところが都会か田舎か、と聞かれると、たいていの人は田舎だと答えるような気がする。まあこれはサンプルにも問題があるかもしれない。東京23区内に住んでいる人100人などがサンプルであれば、また結果は違ってくるだろう。しかし、身近なものというのは悪いところばかりが気になってしまうものだ。そして、自分の住んでいるところについてひとと話すときの話題になるものも、近所の田舎っぽい要素であったりする。もっと田舎なところはたくさんあるのに、である。

まあこういうことを考えること自体、わたしが田舎者である証拠なのだろう。小さいときから首都圏に住んでいるのに不思議なことだ。もしかすると、その人が住んでいる地域が田舎かどうかと、田舎者になるかどうかとはまた異なるのかもしれない。しかしよく考えたら都会者というのも聞いたことがない。もしかすると、日本人というのは1億2000万総田舎者なのだろうか。



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