日替わりげしょ定食

バックナンバー

[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]


1998/3/1 120 電気に頼ると… (テーマ:暖房)

今日の南関東はひどい雪と風だったが、こういう日には10年ほど前、住んでいた家の近所にある送電線の鉄塔が倒れ、電気が使えなくてどうにもならなくなったときのことを思い出す。あのときほど暖房を電気に頼ってはいけないと思ったことはなかった。

暖房に石油ファンヒーターを使っている人は多いと思う。これは燃料に灯油を使っていて、電気ストーブやエアコンよりもよく暖まるが、あれは制御部はやはり電気なので、ブレーカーが落ちただけで動かなくなってしまう。ガスのファンヒーターにしてもしかりである。ふつうのエアコンはすべて電気で動いているので、もちろん電気が来ないと動かない。こたつやホットカーペットもあるが、まあこれらは石油を使ったら逆にあぶないので別にしよう。

というわけでわが家では、暖房は主に開放式の石油ストーブに頼っている。上で物を焼いたり、やかんでお湯をわかしたりできるあれである。これなら使用するのに電気はまったく必要ない。10年前の鉄塔が倒れたときは、このストーブのおかげで凍え死なずにすんだ。電気暖房と違って空気が乾ききってしまうこともない。本当に寒いときはエアコンの送風機能や扇風機を利用すれば、空気がちゃんと流れて部屋を早く暖めることもできる。

高校の時の物理の先生は、もっと徹底していた。電気熱器具を一切使用しないのである。石油ストーブはもちろん、湯沸かし器や炊飯器もガスという徹底ぶりである。これはわが家とはまったく違う理由で、石油を燃やした熱で発電して、その電気から熱を取り出して使う、というのがあまりに効率が悪すぎるから、ということであった。物理の先生だけにどのへんにエネルギーの無駄があるのかよくわかるらしいのだが、ここまでやる人もめずらしいだろう。



1998/3/2 121 特技:方向感覚 (テーマ:方向感覚)

就職活動関係の資料が続々と届く今日この頃だが、特技の欄にこういうことを書かない方がいい、ということを最近初めて知った。バイトの面接の時になぜか苦笑されるので、どうしてだかわからなかったが、そういうことだったのである。なんでも県大会レベルの実力が目安だとか。役に立つ物よりもはくをつける方が優先とは、おそれいったものである。

まあそういうわけで、方向感覚にはちょっとした自信がある。土地カンについても同様である。一度行って帰ってきた道はだいたい忘れない。夜にたまに間違えることがあるが、まあ誤差の範囲内である。そもそも道の間違いに気づいて、ちゃんと戻ることができるのは、方向感覚のなせる技である。もちろん教習所の卒業検定での自主経路もなにも問題はなかった。

なぜかわたしの周りには方向音痴の人が多いのだが、いろいろ話してみると、どうも方向音痴の人とは道を歩いているときに見ているものが違うらしい。わたしは場所が確認できるような目印を無意識にチェックしているらしいのだが、方向音痴の人はそれができないそうなのである。なにも見ずにうろついていれば、迷って当然である。あとはカンが働くかどうかだが、これはどうやっても改善できないような気もする。

方向感覚がいいのにも、実は困った問題がある。ロールプレイングゲームでダンジョンをうろついていると、意識していないのに最短経路を通ってしまうのである。この手のゲームでは、たいていは間違った道のどん詰まりにけっこうおいしいアイテムがあったりするのだが、ひろわないうちにボスのところまでたどり着いてしまい、それが原因で全滅してしまうことなどもあった。

ただ最近はややカンが鈍っているようで、たまに道を間違えてしまうことがある。地下道などはまったくだめになってしまった。土地カンも年とともにおとろえていくものなのだろうか。



1998/3/3 122 信者同士の戦い (テーマ:Win vs Mac)

気がつくとそういう構図になっていた。Windowsが実用にたえるようになってきた頃からだろうか。Macintoshのユーザーが使いにくい、ぱくりだといってWindowsを目のかたきにしはじめたのである。本当に気づくとそういう状態で、わたしの周りのMacintoshユーザーがあまりにWindowsをバカにするので、ついついWindowsマシンを買ってしまったくらいである。

Macintoshは本当にいいマシンであるとは思う。あのなんともいえない雰囲気もきらいではない。熱心に支持する人が出てくるのもわかる。ほとんど信者に近い状態である。そして、いつの間にかMicrosoft信者のような人もあらわれはじめ、まさに泥試合状態である。

ハード的にもソフト的にも、WindowsマシンとMacintoshにはあまり差がなくなっていると感じる。どっちを購入するかは、もはや好みの問題でしかなくなっている。せいぜいグラフィックや音楽をやるのにMacintoshが有利で、オフィス関連ツールではWindowsが強い、といった程度の差しかないと思われる。

WindowsはMacのぱくりだ、と言う人もいるが、MacだってもとはなにかほかのOSからアイディアを盗んでいる、と聞いた。だいたい、なにがどれのぱくりだ、という話をしたらきりがない。ぱくられるほど優れたシステムであることを胸をはって自慢すればいいわけである。

まあ、最近はさすがにこの争いも下火になってきたようで、あからさまな攻撃はあまり見なくなった。どちらにも一長一短ある、ということがようやっとわかってきたらしい。今度はWindowsとMacintoshがまとめてUNIXユーザーにバカにされる時代がやってきているようだ。



1998/3/4 123 必要性からのこだわり (テーマ:文房具)

文房具もこりだすときりがないものの1つである。コンビニなどでもノートやペンは簡単に買えるが、ああいったものは安っぽい上にやはり使いにくい。いろいろとものを書くようになると、そこそこ高くても使いやすい物がほしくなる。わたしの文房具へのこだわりはその程度のものであるが、おしゃれとして文房具にこっている人も多い。文房具をステーショナリーなどと呼ぶ人は、たいがいそのタイプであろう。

わたしが文房具にこりはじめたのは、やはり浪人時代のことであった。それまでは、それこそコンビニで買えるようなものしか使っていなかった。いま考えてみると、浪人時代にはいろいろ興味の方向が変わったり、新しいものに手を出したりすることが多かったような気がする。そういう意味では、浪人時代は現在のわたしを語るうえで欠かせない時期ではある。ただし、この時期についての価値判断はまた別の話である。これについては以前このエッセイで書いた。

話を戻そう。わたしの通っていた予備校の売店には、いろいろな文房具が置いてあって、空き時間などにはそれらを見て楽しんだりしたものだった。おしゃれなものもけっこう置いてあって、なるほど文房具はおしゃれの道具にもなるのか、と感心したものであった。蛍光ペンやボールペンにもたくさんの色があり、やがて視覚的にすぐれたノートを作るうえで欠かせないものになった。また、わたしは筆圧が高く、書いていて手がつかれやすいので、シャーペンもこのころから多少重めの使うようになった。また、芯の粉が飛んで手が汚れてしまうので、芯は0.3ミリでHのものを使うようになった。

その浪人時代にほしくても手に入らなかったものもあった。A4のノート類である。スペースが広くなるので1ページに大量の情報を書き込めるし、暗記用にはよいと思ったのだ。しかし、予備校の机はあまり広いものではなく、A4のノートは机を占領してしまうので人気がなかったのだろう、売店にもA4のルーズリーフは置いていなかった。とにかくデータ量重視なのでB罫がほしかったのだが、わたしの行動範囲内ではA4のものはA罫しかなかった。

結局A4のノートに完全に移行したのは、大学に入ってからであった。ほかの大学はどうだか知らないが、わたしの大学の書籍部ではいろいろな種類の(もちろん予備校より多い)文房具を扱っていて、そのおかげでA4B罫のノートやルーズリーフが手に入ったのである。大学ではA4の書類も多く、それらの整理もしやすいので愛用している。ただ今度は0.3mmのシャーペンや芯があまり充実しておらず、苦労している。



1998/3/10 124 お守りか、武器か (テーマ:ナイフ)

ここのところ、中学生によるナイフを使った殺傷事件が続発している。この手の事件は1度発生すると連鎖的に起こってしまうようである。自殺などにしてもそうであろう。新聞やテレビの報道により、事件を起こした人と似たような状況にある人の心が揺り動かされてしまうのだろう。この年代の人とは交流のないわたしは、事件が次々と起こるのをただ見ているしかない。

しかし、中学生くらいの人がナイフを持ちたがり、また実際に持ち歩くというのは、いまに始まった話ではないだろう。マンガやドラマなどの乱闘シーンでナイフを持ち出す人間が出てくる、という場面は、ずっと前からあった。もっとも、マンガやドラマではナイフを持った方が必ず負けてしまうのであるが。まあフィクションの世界はともかくとして、わたしが中学生の頃も、周りにナイフを持っている人はいたような記憶がある。

ナイフを持つ動機は容易に想像がつく。格好つけである。身を守るためなどともっともらしいことを言う人もいるが、本当にあぶなくなったら逃げるのが一番安全であるということくらいは、ちょっと考えればわかるだろう。実際のところは、ナイフを持ったかっこいい自分に陶酔しているだけなのではないか。だからこそ、ナイフを持っているとなんとなく安心する、という意見も出てくるのである。

なぜ、このようにお守り的な使い方が主であるナイフを、ひとを傷つける武器として使ってしまうのか。まあその辺は専門家に任せることにしよう。本当のところは、当事者に話を聞いてみないとわからない。

最近わたしもナイフがほしいと思うことがある。数日間つくばに滞在していると、ものを切らないといけない(人ではない。断じてない)のに道具がなかったりして、困ることがたびたびある。こういうことがあるとなんとなくナイフを買いにくくなってしまうのは、考えすぎであろうか。数年前につくばで鉄アレイを買おうと思ったときもそうだったのだが。



1998/3/11 125 海に求めるもの (テーマ:海)

そういえば、ここ数年ずっと海に行っていない。いや、海に行くことは行っている。この間の年越しも犬吠崎だった。去年の秋もとある海岸まで行った。海には行っても、海水浴というものをまったくしていないのである。そういえば夏に海水浴に行った記憶があまりない。たぶん本当に行っていないのだろう。

もしかしたら、わたしは夏の海があまり好きではないのかもしれない。そもそも夏という季節自体あまり好きではないし、泳ぐのも特別好きというわけではない。強烈な乗り物酔い体質も、海にあまり近寄らない一因かもしれない。また、リゾート地の人ごみというのも苦手だったりする。これでは夏に海に出かける理由がない。

かといって海がきらいであるというわけでもない。海岸に打ち寄せる波はえんえんと見ていても飽きないし、海沿いの町の雰囲気も風情があってなかなか良い。やはりわたしは、じっとものを観察しているほうが性に合っているらしい。こういうタイプは、まわりからは気持ち悪がられているにちがいない。

また、海沿いの食堂で食べる魚料理はたまらない。やはり海産物の料理は新鮮さが命だ。どんなものでも新鮮であればおいしく感じられる。残念ながらわたしは釣りは趣味ではないので、釣った魚をその場で料理して食べる、ということはしない。

これからは、こういう楽しみ方もだんだんとできなくなっていくのかもしれない。海岸はどんどんと埋め立てられたり護岸工事されたりして風情がなくなる。残った海岸もリゾート用に整備されてしまって風情がなくなる。風情のある旅館や料理屋はいつまで残るかわからない。日本中でそうなるとも思われないが、風情のある海を楽しめるところは確実に減っていくだろう。これも時代の流れというやつだ。



1998/3/12 126 反省のない報道 (テーマ:戦争)

戦争といってもわたしは戦争を体験しているわけではない。いろいろな戦争報道や資料、学校の授業などで戦争がどんなものであるかを聞いただけである。しかし、こういったもので伝えられる戦争は、いさましい話か悲劇的な話かの両極端なので、あまり好きではない。しかも、戦争の悲惨さを訴える場合、主人公はいつも自分の国である。

おとといの東京大空襲にしてもそうだ。東京が爆撃されて人々がひどい目にあったから、戦争は悲惨で悪いものである。これはあんまりな理屈だ。沖縄線にしても原爆にしても、日本人が悲劇的な目にあったからこそ、平和のシンボルとして使われてきたのだ。自分がひどい目にあったということだけでは、戦争反対の理由として説得力にとぼしい。アジア大陸で日本軍がしたことは、戦争の悲惨さを訴える材料として使われたためしがない。

これは日本だけでなく、アメリカでもやはり同じであったりする。原爆は正義のためといって正当化される一方で、ベトナム戦争の負傷兵は悲劇の英雄扱いである。自分の国にとって都合の悪いことは、主張には使われない。わたしの見る限りでは、まともに戦争について伝えているのはドイツだけである。こんな状態で戦争をなくすことができるとは、とても思われない。

戦争に対する反省なくして、戦争の根絶などできるわけがない。日本は平和憲法を隠れ蓑に軍事力をどんどん増強しているし、アメリカやロシアはできるだけ軍縮協定の影響を受けずにすまないかと画策を続けている。中東ではいつ戦争が終わるのかだれにもわからない状態である。わたしが自分の体験として戦争を語れるようになる日も、来るのが近いような気がしてならない。



1998/3/13 127 雨に歌えば (テーマ:雨と傘)

もう天気はすっかり春である。雨が降ったりやんだりとあわただしいのは、春が来た証拠であろう。1月に雪が降りまくったときは、今年はどうなってしまうのかと心配になったが、極端な異常気象にはならなくてすみそうな感じである。それでも今の時期は天気が非常に変わりやすい。これはもうどうしようもない。今年は天気予報がわりとよく当たるので、予想外の雨にうろたえてしまう、という目にはあまりあっていないので助かっている。天気予報にしたがって傘を持っていけば、だいたい間違いはないようだ。

しかし、これだけ降ったりやんだりが続くと、逆に傘を持ち歩くのがうっとうしくなってくる。傘を持っていても、少々の雨ならささないですませてしまったりもする。この判定基準はわたしはかなりいい加減なので、気がついたらずぶぬれ、ということもたまにある。とくに自転車に乗っているときなどはかなり我慢してしまうので、うっかりカバンの中身までぬらしてしまったりもする。傘をさすタイミングというのは実に難しい。

ちなみに、わたしは折りたたみ傘をお守りとして使ったりもする。なぜか、わたしが傘を持っていくと、雨の予報が出ていてもふられずに住む、ということが多いのである。逆に傘を持っていかないと、降るか降らないか微妙な予報の時は、だいたい降られてしまう。普段から傘を持ち歩いていればなんの問題もないのだが、なにかのはずみで傘を忘れたりすると、きまって降られてしまうのである。世の中そういうものだとはわかってはいるのだが、やはり頭に来る。

最近は電車や車などで移動することが多くなったので、わたしにとって傘の重要度は下がりつつある。以前使っていた傘はこわれたりなくしたりしてしまったので、現在は自分用の傘というものを持っていない。外出するときは、家にたくさんある折りたたみ傘の内の1本を使うか、共用のビニール傘を使うか、使わないかのどれかである。雨の国日本では珍しい存在かもしれない。



1998/3/14 128 甘い物は苦手なのだが… (テーマ:チョコレート)

わたしは甘い物が苦手であるということは、かなり前にこのエッセイで書いた。そのときにもチョコレートはむしろ好物であることは書いたのだが、それでも「甘い物がきらい」というイメージができあがっているらしく、わたしがチョコレート好きであると言うと驚かれることが多い。そもそもわたしは甘い物が苦手なだけであって、忌み嫌っているわけではない。

まあよい。そういうわけで、わたしはチョコレートが好きなのでである。とくに、下手な小細工のない板チョコが好きだ。前はクランキーチョコみたいなやつも好きであったのだが、最近はあまり食べなくなった。アーモンドやウェハースが入っていたり、変な加工の入っているチョコはめったに食べない。シンプル・イズ・ベストというやつである。

チョコレートが、わたその苦手なほかの甘いものとちがうのは、カカオの苦みがあることである。ただ甘ったるいだけのものは、2〜3口食べただけでもうごちそうさま状態になってしまう。だから、カカオの入っていないホワイトチョコやイチゴチョコなどはあまり好きではない。ちなみにココアもけっこう好きだったりする。一人暮らしの時はバンホーテンのココアの缶を常備していた。

チョコレートといえばバレンタインだが、幸か不幸かいままでのところ縁がない。チョコをくれる人がいないので、ホワイトデーもお返しをせずにすむ。なんでもホワイトデーの相場はもらった額の10倍らしい。前には倍返しと聞いていたのだが、数年前に聞いたときは5倍になっていて、ついには10倍になってしまった。だいたいもっと前はホワイトデー自体がなかった。マスコミの力おそるべし、である。



1998/3/15 129 絵はおまけ? (テーマ:ジグソーパズル)

同じ絵や写真でも、なぜかポスターよりもジグソーパズルのほうがよく売れるらしい。ぺらぺらの紙よりも、箱で売られているもののほうが買いやすいことは買いやすい。また、そもそもポスターは店ではあまり売られていない。売られていたとしてもちょっと高い。まあ、これはわたしの行動範囲内での話なので、安く売られているところもあるのかもしれない。

ジグソーパズルは、買ってすぐの状態では絵を楽しむことができない。がんばって完成させたとしても、ジグソーパズルの絵は、ポスターにくらべるとずっと見ばえのよくないものになってしまう。仕上げをしないとすぐバラバラになってしまうし、額縁がないと壁に飾ることもできない。それでもよく売れるというのは、やはりジグソーパズル自体がおもしろいからであろう。

穴にピースがぴったりとはまったときの快感は、なにものにも代えがたいものがある。たとえ知っている絵や写真でも、それを自分で完成させた、という達成感が味わえる。好きなあの絵、写真が、みずからの手によって組み立てられるのである。ものづくりへの欲求を手軽に満たすことができるのだ。むしろ、パズルの絵はおまけのようなものなのかもしれない。また、巨大なジグソーを完成させれば、飾っておくだけで自慢にもなる。

わたしの母はジグソーが好きで、家にもジグソーの完成品がいくつもある。ほかの家族がジグソーを買ってきても、たいてい完成させるのは母である。というよりも、放っておくと勝手に組まれてしまう。わたしは半分くらいやったらもう飽きてしまうので、ちょうどいいといえばちょうといいのだが。



1998/3/16 130 日本の中の外国 (テーマ:沖縄)

日本の中にも外国の雰囲気が色濃い町はたくさんある。有名なところだと横浜や神戸、長崎、横須賀などなど、挙げればきりがない。なかには後でとってつけたような、いや、本当に後でとってつけた異国情緒を持つところ(どことはいわないが)もあるが、まあ今回のエッセイでは関係ない話である。とにかく、日本国内の外国っぽい場所のなかでもとびきりの存在が、日本の最南端の県、沖縄である。

なにせ沖縄は、もとは琉球という名前の、本物の外国だったのである。それがいろいろな事件を通じて日本の一部となり、戦争に負けてまた外国となり、その後また戻ってきたりと、いそがしい運命をたどっている。その運命のせいで外国の軍事基地まである。沖縄にはほかでは絶対に見かけないような姓も多く、名字を見ればだいたい沖縄出身者は一発でわかる。沖縄弁と日本の共通語は、おそらくスペイン語とポルトガル語くらいの違いはあるだろう。もしかすると、もっと違うかもしれない。

地理的に離れていることもあって、本州から沖縄に行くにはべらぼうに金がかかるらしい。ハワイやグァム、香港よりも高くつくと聞いた。しかも物価レベルはやはり日本である上に、観光地というのはとても金がかかるように作られている。ひとが沖縄旅行に行った話を聞くと、自分にはちょっと手が出ない、という印象を受けてしまう。

しかし、わたしにとっては沖縄は一度は行ってみたい場所ではある。なにせ、沖縄といえば民俗学、文化人類学で注目され続けている地域である。ユタとかニライカナイといった言葉を聞いたことのある人も、少なくないはずである。日本のなかでも日本ぽくないところだけに、研究者の興味が集まってしまうのである。卒論で沖縄研究をする人は、文献の山と格闘する覚悟を決めないといけないといわれていた。文化人類学者を目指す身としては、沖縄はやはり一度は巡礼しておかねばならない聖地の一つであるといえよう。

海外志向もけっこうだが、日本国内にも行っておもしろいところはたくさんある。その最たるところが沖縄であろう。しかし沖縄は半分外国のようなところで、旅費もかなりの額を覚悟しなければならない。そう考えると、やはり沖縄は日本国内で一番行きにくいところであると言わざるをえない。だがそれだけに、実際に旅行できたときの感動は、ひとしおであるにちがいない。



1998/3/17 131 北の国から (テーマ:北海道)

南のはじっこの次は北の端である。安易な発想であるが許してほしい。やはり北海道も一度旅してみたいところの一つなのである。

沖縄にしても北海道にしても、本州の人からのあこがれが強い土地である。同じ国なのに風土がまったく異なり、どんなところなのかは行ってみないとわからない、というところにひかれてしまうのだろうか。つまるところは日本国内にある外国風の場所、ということになってしまうのだが、外国風のかたちは沖縄と北海道ではまるで違う。

北海道といえば、やはりあのテレビドラマだろう。といっても、実はわたしはあのドラマを一度も見たことがない。番組宣伝のほかは、バラエティ番組やマンガなどで、パロディっぽいものをいくつか見ただけである。わたしにはどちらかというと競走馬や力士を生み出した地、という印象が強い。あとは某動物王国や、やはり動物を扱った某獣医学部のマンガなどもある。とにかく自然が豊かな土地、というイメージが強い。

また、北海道も昔は外国だったわけであるが、沖縄よりもずっと植民地植民地している、という印象がある。高校の日本史の時に出てきた北海道開拓使という単語が、なんとなくそのような印象を与えているのかもしれない。また、琉球に元々住んでいた人々がそのまま残ったのに対し、アイヌの人々は滅びの一途をたどっている。あまりに植民がうまくいってしまったので、日本でも外国でもないような、不思議なイメージをかもしだしている。

実際に北海道に住んでいる人も、本州とはだいぶ違う、という印象を持っているらしい。彼らはこちらのことを「内地」と呼ぶ。つまり自分たちが住んでいるところが「外地」である、という自覚があるわけだ。やはりこちらにでてくるのは一仕事であるらしい。帰省するときも「帰国」と冗談めかして言っている。冗談には違いないのだが、実際に遠さを感じるからそういう冗談が出てくるのだ。津軽海峡は大きな溝になっている、ということは間違いないようである。

まああまり責めるのはよそう。北海道はわたしの行きたいところの一つなのだ。北海道はすごくいいところです。たぶん。



1998/3/18 132 千葉の国から (テーマ:千葉)

まず結論から言おう。千葉は田舎である。これは千葉県内に約10年住んできたわたしの実体験にもとづく結論であり、決して誹謗中傷などではなく単なる冗談である。

第一に、ひとびとの千葉に対するイメージが田舎である。神奈川や埼玉と同じように東京都に隣接している県であるのに、その地位は一段低く見られる。千葉といってひとびとが思い浮かべるものというのは、近未来的なベイエリアよりも先に、九十九里やマザー牧場なのである。千葉というのでは印象が田舎っぽすぎる、ということで、せっかく千葉県内にできたディズニーランドも「東京ディズニーランド」になってしまった。幕張に至っては東京都でもないのに「新都心」を自称している。イメージ戦略的には、「千葉」という言葉は切り捨てられるべきものなのである。

で、このイメージに対して実状はどうなのかというと、やっぱり田舎である。千葉市から東(千葉市を含む)は田舎、というのは千葉県民の一致した見解で、田園風景やら森やら林やらが広がり、地元のひとびとは東北弁に似た方言をお使いになる。こういった地域にある新興住宅地や空港にしても、田舎のまん中に突然降ってわいたようなたたずまいを見せている。電車は1時間に1本しかないところもある。

東京に近いほうの地区も、雰囲気がどことなく田舎っぽい。例外の浦安、市川の一部などは、むしろ東京都の一部と認識されることが多い。走っている電車にしても、総武線、常磐線、京成線と、聞くからに田舎っぽい路線が目白押しである。いくら他県に似た住宅地やビル街があっても、なぜかあかぬけないのである。ベイエリアと呼ばれる地区も、都内や神奈川側にくらべるとどことなく寂しい。

さらに、千葉は特産物が田舎っぽい。神奈川にも大根やかまぼこがあったりするが、決して県を代表する特産物ではない。それが千葉の場合はどうだ。代表的な特産物として挙げられるのが、なんとピーナツである。日本語にすると落花生。どっちにしてもなんとも田舎くさい名前である。さらにマザー牧場の牛乳や乳製品、木更津の海苔やアサリ、太平洋岸の海産物など、おおよそ首都圏のイメージとはかけ離れたものばかりである。

そんな千葉が生み出した一人の超有名人物がいる。ミスタージャイアンツ、長島茂雄である。このひとがほかの巨人の選手にくらべてどことなく泥臭く感じるのは、千葉出身であるせいである。ああいうわけのわからない天然ボケぶりを発揮しているのも、おそらく千葉出身であるせいである。また、巨人がほかの首都圏の球団にくらべて田舎っぽいイメージがでてしまうのは、このひとが千葉出身であるせいである。そう考えると、千葉というのはとてつもなく恐ろしいところなのかもしれない。わたしも気をつけねばなるまい。



1998/3/19 133 広島じゃけん (テーマ:広島)

じつはわたしにとって広島はなじみの深いところである。父方のいなかが広島県の福山にあるためである。ちなみにわたしの本籍は、生まれてこのかた一度も住んだことのない福山市になっていたりする。IRCで#広島県にいたりするのは、そういう理由からである。ちなみに隣の岡山には数度、島根や山口には一度もいったことがない。やはり人間的つながりというのは、ひとの移動範囲に大きな影響を与えるようである。

なにせ広島方面には物心つく前から行っていたので、原爆で有名などというイメージより前に、おじいちゃん家のあるとこ、という感覚のほうが強い。盆や正月のたびに福山に行って、鞆の浦に遊びに行ったり、福山市街に出かけたりしていればまあ当然であろう。広島市は福山からけっこう遠く、広島市内には数回しか行ったことがなかったりもする。

中学高校と、勉強が忙しくなり、家族で広島のほうに行くことも減ったのだが、高校の修学旅行の行き先がなんと広島。なんとも奇妙な縁があったものである。しかし、修学旅行という枠内で広島を訪れたので、外から見た広島のイメージというものがなんとなくわかった。やはり広島といえば原爆なのだ。なにせ広島についてからまず行ったのが、平和記念公園である。次の日は各自が選択したコースで京都まで移動であったので、宮島など広島のほかの有名なところにはまったく行く機会のなかった人も多かった。

家族に広島人がいるので、プロ野球の球団も広島カープがいちばんなじみがある。家で野球中継を見るときも、カープの試合が最優先される。球場に試合を見に行くときも、たいていは広島戦である。一度だけ西武対日本ハムの試合を見に行ったことがあったが、これは例外中の例外である。そういうわけで、わたしも広島が活躍するとちょっとうれしい気分になる。

広島の人たちのカープに対する思い入れは、かなりのものであるという。これは関西人のタイガースに対するものの比ではないらしい。カープが初の日本一を達成したとき、広島中でとんでもない騒ぎになった、と本で読んだ。戦争により廃墟になった後、まさに広島と共に歩んできた球団なのである。こんな話を聞くと、自分が広島ファン(というほどのことでもないが)などをやっていて良いものかと思ってしまう。

高校を卒業してからは、福山には2,3回行っただけである。広島市内のほうには、修学旅行以来行っていない。また遊びに行きたいとは思うのだが、お金も暇もないのでどうしようもない。そもそも次に旅行できるのはいつになることやら。



1998/3/20 134 初心者からマニアまで (テーマ:秋葉原)

秋葉原について書こうと思って初めて気づいた。ここのところずっと秋葉原に行っていない。1月にちょっとだけ寄ったことがあったが、1時間程度の滞在では、行ったたうちに入らない。秋葉原とはそういうところである。

総武線の黄色い電車に乗って、お茶の水駅から千葉方面にでて鉄橋を越えると、そこにはどぎつい色の広告やらネオンサインやらが無秩序にあふれている、というほかでは許されない光景が広がっている。黄色い電車が次に止まる駅の名前でもわかるように、そここそが東京最大、いや日本最大、もしかしたら東洋最大?の電気街、秋葉原なのである。

秋葉原という町自体は、決して広いところではない。電気街と呼ばれる地区も、駅の北西部にごちゃっと固まっているに過ぎない。が、そこにある店の密集度が半端ではない。え、こんなところに、と思うような場所にまで店があったりして、経営成り立つんだろうかと余計な心配までしてしまう。まあ、経費節約のためにへんぴなところに店をかまえることになってしまったのだろうが。

しかし、秋葉原もその外見は大きく変わってしまったものである。わたしが小学生の頃は、ほんとうに「電気街」であった。主力はテレビやオーディオなどの家電製品で、パソコンショップなどもそれほどなかった。それがいまでは、石を投げたらパソコン関連ショップに当たってしまいそうな状況である。しかし、実はその本質はほとんど変わっていない。秋葉原はずっと昔から、最先端家電製品とアウトロー電子技術のための店が同居する街だったのである。パソコンはたまたまその両方の要素を兼ね備えてきたので、秋葉原も現在のような状況になったのであろう。

それにしても、おかげであの街も探索がしやすくなったものである。以前は商品の値段はすべて自分の足で調べないといけなかったし、そもそもどこになにの店があるのかも、自分で探索しなければならなかった。それがパソコンブームのおかげでいろいろな本もでており、インターネット上にもいろいろな情報がころがっている。もしかしたら秋葉原に実際に足を運ばなくなったのは、そのせいなのかもしれないが。



1998/3/21 135 なんでもかんでも世界一 (テーマ:アメリカ)

本当かうそか知らないが、大きくなったらなにになりたいか聞かれて「アメリカ人」と答えた子供がいるそうである。日本という国にとって、もっとも身近である国の一つが、アメリカ合衆国である。ほかにも身近な国は中国や韓国などたくさんあるが、現時点ではアメリカがいろんな意味で日本にとって特別な国である。

この子供に限らず、とかく日本ではアメリカをあこがれの対象にする人が多い。鎖国状態にあった日本を開国させ、しかも戦争をして負けた相手なので、無条件に上に見てしまうのもある程度はしょうがないのかもしれない。なにかの議論をするときも、「アメリカでは〜だから」と、〜の中身が本当にいいものなのか判断せずに言ってしまう人もいる。

しかし、これは日本人側だけに原因があるわけではない。アメリカ側のほうも、自分の国は様々な面において諸外国より勝っている、という自負を持っている。このことがよくわかるのが、アメリカの外交である。なにかというと外国に「制裁」をくわえ、アメリカの都合のいいように外国の内政をねじ曲げる。スポーツでアメリカが勝ちやすいようにルールを曲げる。国連の常任理事国のくせに負担金を払わない、などなど。ガキ大将じゃあるまいし、とあきれてしまう。

まあ、アメリカが持っている文化については、すごいと認めざるを得ない。現在ある音楽のジャンルの多くが、アメリカで生まれたものである。ジャズをやっている身としては、ジャズを生み出したというだけでアメリカはすごいと認めなくてはならない気もする。しかしジャズは抑圧された黒人たちのシンボルでもあるし、文化的に優れているからといってほかのマイナスが帳消しになるわけではない。

わたしが行ってみたい国はいろいろあるが、実はアメリカ合衆国はその中には入っていない。わたしにとっては中東のアラブ諸国よりも魅力がない。治安は悪いし、ドラッグなどは手に入れたい放題というのもこわい。まあどうせ、そのうち行きたくなくても行くはめになるにちがいないのだが。



1998/3/22 136 近いがゆえにわからない (テーマ:東京)

前にエッセイで書いたとおり、わたしはかなりの回数引っ越しをしているのだが、なぜか箱根から西には住んだことがない。それもほとんど東京近辺ばかりである。父親の会社の本社が東京にあるせいもあるだろうが、何回か西のほうに住む機会もなかったわけではない。まあ、めぐりあわせ、というやつである。

そういうわけなので、東京という街はなじみは決してうすくないのだが、実際によく都内にでるかというと、そうでもなかった。現在はバイトのために頻繁にでてきているが、働いたあとにあちこちうろつくような元気はない。本当に東京によく行くようになったのは、大学に入ってから、つまり東京が遠くなってからであった。中途半端に近いと、逆にあまり行かなくなってしまうのである。用もなく出かけることもないので、都内の観光地のようなところにもほとんどいったことがない。京都の人が寺や神社にあまり行ってないのと同じである。

最近チャットで外国の人と話をすることがたまにあるのだが、東京にいるというと、coolだとかniceだとかいわれる。東京に一度行ってみたい、という人も多い。あるいは、マスメディアに伝えられる東京像を全面的に信じていないのだろう。東京とは実際にどういうところなのか、と聞いてくる人もいる。しかし、わたしは観光客の視点は持ち合わせていないので、こういう質問にはどう説明していいか悩んでしまう。物価は高いし人はうそみたいに多いので、住むにはあまり快適ではない、とでも答えるしかない。

外国の人と話をしていて気づいたのだが、わたしはたぶん地方の人が東京に対して持つ感情もわからない。わたしの大学には地方出身の人が多いのだが、東京に対する認識の大きな差を感じることがたまにある。一つの例を挙げると、彼らには「東京に来る」といういいかたは通常ありえない。逆に、わたしの方言に対するあこがれというのは、わかりにくいものかもしれない。認識の地方差とはそういうものなのだろう。



1998/3/23 137 涙の別れ? (テーマ:卒業式)

卒業式シーズンももう終盤。とくに今日は、多くの国公立大学で卒業式が行われたようである。わたしの大学も例外ではなく、それなりに盛大な卒業式が行われ、しかもその様子はインターネットで中継までされた、らしい。らしい、というのは、わたしは薄情にも中野坂上でアルバイトをしていたので、卒業式の様子はまったく知らなかったからである。まあ、大学の卒業式だし、下級生がわざわざ駆けつける必要もあるまい。

卒業。それはあるひとつの課程をきちんと修了した証となるものである。卒業証書も賞状みたいな紙であるが、いちおうあれもれっきとした証明書である。卒業をした人は、人生の次のステップに進むことになる。就職、進学、あるいはそのどちらもせずにアルバイトを続ける、あるいは結婚など、どんなステップかは人によって違うが、とにかく社会的地位と周りの状況は大きく変化することになる。

世話になった人、逆に世話をした人とも別れなければならない。仲のよかった友達とも離ればなれになる。なかには恋人と別れなければいけない、という人もいるだろう。逆につのる思いを卒業式に乗じてぶつける人もいる。いまでも制服の第2ボタンのやりとりなどをしている人はいるのだろうか。どちらにしても、とにかく卒業式は必然的にドラマチックになる。

しかし、わたしはこのドラマチックな場面には、まったくなじめない人間であるらしい。小学校の時は引っ越し前で忙しかったせいか、あまりよく覚えていないが、中学や高校の卒業式の時は、周りで泣いたり感激したりする人があまりに目に付いたので、逆にしらけ気味だったのを覚えている。わたしは何度も引っ越しを体験しているので、別れの場面になれっこになってしまっているのかもしれない。また、わたしの場合は卒業の感慨にふけるよりも、きたるべき新生活をいろいろ想像してみてしまう。また会おうと思えば会える別れへの未練よりも、新しい出会いへの期待のほうが大きいのである。

今年はネット上の知り合いにも、学校を卒業する人が多かった。とくに大学の学内IRCのほうは、主要メンバーがごっそりと卒業してしまう。卒業式には行けなかったが、卒業を祝福する気持ちは大いにある。ここをどれだけの人が読んでくれているかはわからないが、この場で卒業おめでとうということにしよう。



1998/3/24 138 まずは知る (テーマ:差別)

差別という問題は実に難しい。差別されているがわが差別されていると主張しないと、問題として取り上げられない。最近は人権団体なるものがいて、差別的に見えるものを次々と問題として取り上げているが、まあ大きなお世話である。差別されている側が人権意識に目覚め、差別されていると意識することができる、という点ではいいのかもしれないが。

とかく差別というのは制度化されていればいるほど、それと気づきにくいものである。民主革命期のイギリスやフランスでも、参政権を手に入れられたのはごく一部だけで、貧乏な人たちの境遇は変わらなかったという。1950年代までのアメリカでは、黒人が当たり前のように差別されていた。民主制のモデルとされる古代ギリシャに至っては、奴隷制度すら存在したのである。平等やら自由やらいう概念もけっこういいかげんなものである。

日本でも人権やら平等やらの意識がほどよく入ってきているので、差別などにはそれなりにうるさい。最近のトレンド(?)は障害者だろうか。女性差別の問題は、むしろセクハラのほうで盛り上がっているような感がある。まあそれでも女性差別は根深いようで、就職活動でかなりの苦労を強いられている女の人も多いようである。わたしは就職活動はしていないが、女性だというだけで門前払いするような企業には、あまり入りたくない。

差別問題の最大の問題点は、差別している側にその意識がうすいことであろう。差別はたいてい先入観から来ているので、気づかずに差別してしまうのである。わたしはできるだけ差別をしないようにしているつもりだが、どこで気づかずに差別的な言動をしているかは、自分ではわかりにくい。自分では当たり前だと思っているので、ひとに指摘されても腹が立つだけである。

とにかく差別問題はそれと自覚しなければ話は始まらない。始まった後も先入観を取り除かなければいけない。難儀なことだ。



1998/3/25 139 桜の魔力 (テーマ:桜)

今日の東京は寒かった。きのうも寒かった。おとといはちょっと暖かかった。まあ三寒四温は春の証拠なのでしかたがないのだが、とても桜が咲きそうな気配は感じられない。なんでこんな状態で桜のエッセイを書かなければいけないのかはわからない。やはり桜が咲いてからにしたほうがよかったのかもしれないが、墓穴を掘ったのはわたしである。

春といえば桜。桜といえば花見である。桜が咲いてきただけでわくわくしてしまう人も多いようで、じっとしてられずに酒のビンをもって飛び出してしまうひとが毎年続出する。以前は桜は所詮飲んで騒ぐ口実、と思っていたのだが、最近はどうも違うような気がしてきた。やはりあの桜色にはなにかがある。屋外であれだけらんちき騒ぎができるというのは、たんにみんながやっているから、という理由だけでは説明できないような気がするのだ。

わたし自身は、飲み会としての花見は1度しか参加したことがない。あの異様な盛り上がりになじめないから、というのが理由であることはいうまでもない。どちらかというと、桜並木の中をのんびり歩き回るほうが好きである。平日の昼間などは花見客もいないので、のんびりと散策ができてよい。ただし、桜が散り始める時期になると、会社できている花見軍団がいることもあるので、気をつけなければならない。

それにしても、桜という植物は、よく見るとそれほどきれいなものでもなかったりする。遠くから見るとピンク色できれいだが、近くにいってみると、その花が幹から直接咲いている部分もあったりして、なかなかに気持ち悪い。木の幹の皮も、うろこみたいでぼそぼそしている。こういうところばかり気になるようになってしまと、もはや桜はグロテスクな植物にしか見えなくなる。

で、花見の季節はまだいいとして、問題はその後である。とくに5月下旬から6月にかけてがひどい。そう、毛虫である。大学の宿舎のわたしが住んでいた棟の入り口には、桜の木が生えていた。入居の時はちょうど満開が過ぎた頃で、あーきれいだな、といっていれば良かったのだが、5月に入って完全な葉桜になった頃には、本当に毛虫に悩まされた。出かけるときは必ず毛虫の洗礼を受けなければいけない、というのはあまりにつらかった。毛虫があれだけたくさんついてしまうというのは、やはりこれも桜の魔力なのだろうか。



1998/3/26 140 納豆論争 (テーマ:納豆)

寿司、天ぷらと並んで日本を代表する食べ物、それこそが納豆である。寿司や天ぷらと違って、どちらかというとゲテモノ的な性格が強いが、代表的であることには変わりはない。日本を旅行したことのある外国人と話をすることがあると、つい納豆を食べたことがあるか聞いてしまう。納豆を食べたことのある外国人は、チャレンジャーと認定するようにしている。

これほど代表的である納豆だが、日本国内でも賛否両論を呼んでいる。納豆を食べ物とすら認めない人もいると思えば、納豆なしでは食生活が成り立たないと言う人までいる。反対派は関西地方に多く、賛成派は関東地方に多い。納豆の本場、水戸では、一人あたりの納豆の年間消費量が1トンを超えるらしい(未確認情報)。

ちなみにわたしは関東地方で育っただけに、納豆はよく食べる。ご飯にみそ汁、納豆というのがわたしの朝食の基本である。これは一人暮らしの時でも変わらなかった。いくら準備が面倒くさくても、わたしの一日はパンではなくご飯でないと始まらないのである。

一方反対側の意見。豆を腐らせて食うなど人間のやることではない。糸をひく食べ物は気持ち悪い。あのにおいがどうもいただけない。しごくもっともである。わたしもぶどうの腐った飲み物であるワインはあまり得意ではない。糸を引き異臭を発するくさやも好きではない。通常考えたら納豆など食べられるものではない。

それなのにこれだけ納豆を食べる人が多い。やはりこれは小さいときから慣らされている結果であろう。親や家族が納豆を食べていれば、それほど抵抗感は感じないですむ。一度食べるようになれば、なんとなく習慣的に食べてしまう。そうして納豆を食べる伝統は続いていくのだ。



1998/3/27 141 広いラテンの広い音楽 (テーマ:ラテン)

ひとくちにラテン音楽といっても、その中はさまざまな種類に分かれている。サンバ、マンボ、タンゴ、サルサ、ルンバ、チャチャ、フォルクローレ、メレンゲ、などなど。日本人が聞くと、その音楽だけでなくジャンル名まで全部同じに聞こえるが、しっかりと別々に分かれた音楽であるらしい。ラテンアメリカの人に「ラテン音楽が好きだ」といっても、理解してもらえないことすらある。少なくとも音楽に詳しい人には馬鹿にされる。

それでもわたしはラテンの音楽が好きだ、としか言いようがない。これらのラテン系の音楽はみな好きなのである。まだまだ聞いていないジャンルもあるだろうが、ラテン系の音楽ならどの音楽にもあると思われる独特のリズム感がたまらなく好きなので、ラテン系音楽は大体好みといってもかまわないのではないかと思っている。ちがうという人はいろいろ聞かせてほしい。

実はわたしは大学に入るまではラテン系の音楽をやりたいと思っていた。しかしわたしの入った大学にはラテン系音楽のサークルは存在しなかったので、一番ラテン系音楽に近く、またウッドベースを弾くことができるジャズ研に入ったのだった。一時期友人とラテン研究会を作ろうとがんばったが、みな忙しいので自然消滅してしまった。いまでは、ジャズ研でたまにラテンテイストのジャズをやるだけである。

もともとベースをやりたいと思い始めたのもラテン系の音楽を聴いているころだった。まあラテン系といっても、オルケスタデラルスだとか、JIMSAKUや松岡直也など、日本人のアーティストばかりであったのだが。今でも海外のアーティストを聞くといってもジャズ系の人に限られているので、知識はまだまだ狭い。もっといろいろ聞いてみたいが金がない。わたしの趣味はこんなのばっかりである。



1998/3/30 142 道中ひとっとび (テーマ:飛行機)

どういうわけかわたしは飛行機というものに縁がない。関東圏にすんでいると、どこに行くにも電車か車になってしまうし、そもそも飛行機に乗らないといけないほど遠いところまで行こう、という気にはなれないのである。わたしは旅行は道中を楽しむほう(なにせ新幹線すら避けるくらいだ)なので、わたし的には飛行機だと旅行の楽しみが半減してしまう、と思ってしまうのである。

飛行機に縁がないので、空港にもほとんど行ったことがない。知り合いが飛行機でどこかに出かける、というときも、見送りは行っても駅までである。小さい頃に一回だけ羽田空港に飛行機を見に行ったことがあったはずなのだが、覚えていない。本当に全く興味がなかったのだろう。それ以降空港に行かなかったことがその証拠である。父がアメリカに出張に行くときに、一度成田空港で見送ったきりである。

そんなわたしも一昨年ついに飛行機に乗ることになった。生まれて初めて海外にでることになったのである。さすがにエジプトまでは車や電車では行くことができない。そこで初めて成田空港の搭乗口側に行ったのだが、あまりの広さと人の多さに驚いたものであった。わけがわからないながらもなんとか他の人と合流して、飛行機の搭乗口まで向かう。期待よりも不安のほうが大きかった。なにせわたしは乗り物酔いがひどい。これから酔ってしまったら、十数時間耐えないといけないと思うと憂鬱であった。

そして飛行機に乗るときがついにやってきた。入ってみるとけっこうせまい。まあ、エコノミーだから当然だろう。離陸が近くなると緊張感が高まる。すると突然機内のテレビのモニターに青空が表示され、コーランの一節が流れ出した。とてもたまげたが、よく考えると乗っているのはイスラム国のパキスタン航空の飛行機である。コーランくらい流れても不思議ではない。

パキスタン航空だけにちょっとこわい思いをしたが、まあ飛行機酔いもしなかったし、快適なことは快適であった。だが飛行機に乗っている間は外はほとんど見えないし、ずっと同じ姿勢なのも疲れる。機内食もまずくはなかったが、駅弁などに比べるとなんだか風情がない。乗るのも手続きやらなにやらでなにかと面倒くさい。というわけでわたしの旅の感覚には飛行機は合わないのだった。



1998/3/31 143 初心運転期間終了を目前にして思う (テーマ:車)

車の話は以前にも書いたのだが、そのころとは車に対する考え方が多少違ってきているような気がするのでもう1度書いてみることにした。車を運転するようになって、道を歩いていてみるところはもちろん、人から聞く話の聞き方まで変わってしまった。前は車の話など聞き流すだけだった。やはり自分で使うようになると変わるものである。

車をただ運転するだけというのと、車の維持もするということの差も最近よく感じる。面倒くさがってメンテナンスをおこたると、しっかりと車の調子に反映される。この間ガソリンスタンドでエンジンルームを見てもらったら、知らないうちにラジエーターのリザーブタンクが空になっていて、しかもタンクのキャップも劣化していてだめになっていた。オイルも汚れて減っていたらしい。情けないことだが、知識もテクニックもなく、ただ乗っているだけの初心者であるのがよくわかる。

その一方で車がほしいとも強く思うようになった。車は週1〜2回しか使わないのに、ないと困ると思うようになってしまった。本当はなくてもなんとかなるのだが、やはりあったほうがはるかに便利なのだ。家に車庫の余裕があったら1台買ってしまっていたかもしれない。わたしに自動車購入をあきらめさせてくれる、わが家の周辺の駐車場事情に感謝するばかりだ。

それでも車がほしいと思う理由がひとつあったりする。まだまだ運転の初心者であるわたしにとっては、現在親に借りて乗っている車はちょっと大きい。もう少し小さい車だったらもっと扱いやすいのに、と思うこともしばしばである。排気量も1800ccもある。一人の人間とちょっとの荷物を移動させるだけのために、こんなでかいものを使うのはエネルギーの無駄である。というわけでもうちょっと小さくて扱いやすい車がほしかったりするのだが、まあ絵に描いた餅の話はこのくらいにしておこう。



[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]

Powered by Akiary v.0.42