日替わりげしょ定食

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1998/2/1 100 さぼりの結果 (テーマ:楽譜)

よく書けている楽譜というのは、それだけで芸術品のような気品を漂わせるものである。いくらよく書けていても、機械の設計図や建物の間取り、劇の台本やプログラムなどは、あまりシャツやハンカチや包装紙などの柄にはなったりしない。譜面の持つあの独特の雰囲気は、それ自体をおしゃれなものに仕立て上げてしまうのである。

なぜ譜面がそういう形で受け入れられているのか。こたえは簡単で、譜面をまともに読める人が少ないからである。いくらカラオケやバンドが流行ろうとも、譜面を読めない人は読めないのである。そもそもカラオケなどは楽譜が読めなくても歌えるようになっている。耳で聞いて覚えたとおりに歌えばよいのである。そして、日本ではわけのわからないおしゃれな雰囲気、というのがうける傾向がある。

しかし、普通の人は小学校で楽譜の読み方を習っているはずなのである。それ以来譜面を読む機会がなくて、その結果楽譜が読めなくなってしまう、という人が多いのだろう。しょせんは歴史上のできごとや数学の公式と同じレベルの知識なのである。使わなければ忘れて当然だ。

かくいうわたしも、最近楽譜が読めなくなってきてしまっている。ジャズ研でベースを始めて2年半になるが、ベースが上達するのと楽譜が読めなくなる度合いが反比例しているかのようである。最初はベースラインもあらかじめ考えたものしか弾けず、楽譜のお世話になっていた。しかし、やがてコードを見ただけでラインが弾けるようになると、五線上のおたまじゃくしを追う作業をしなくなってしまったのである。

最初にそのことに気づいたのは、ある日ベースでメロディを弾いてやろうと、譜面を見てみたときだった。ヘ音記号の譜面はかろうじて読めるのだが、ト音記号のものはぱっと見てもメロディが思いうかばない。まあいいやと思っていたら、今度はヘ音記号の譜面まで読めなくなってしまった。

ベースラインやソロの研究をおこたった結果であり、反省することはしているのだが、まじめにこのあたりの練習をしようと思ったら、今度は楽譜をまともに読むところから始めないといけない。さぼってしまったわたしが悪いのだが、めんどうなことになってしまったものである。



1998/2/3 101 祝100号 (テーマ:100号)

今日のエッセイのテーマが決まらずいろいろ考えていて、そういえばいままでエッセイをどのくらい書いたんだろう、と数えてみたところ、なんと2月1日のエッセイで100号を迎えていたことが判明した。そろそろなのではないか、と思ったら案の定だったのである。合宿や正月休みなどがあり休んでしまった時期もあったが、100号までは予定外の休載なしでやってこられたのである。その直後風邪で休載になってしまった、というのも皮肉な話であるが。

このエッセイを書き始めたのが去年の10月。当初は「読む人がいなくても文章の練習のために書き続ける」という姿勢だったのが、いつの間にか読んでくれる人たちを意識して書くようになってしまっていた。定期的に読んでくれる人が、思っていたよりはるかに多かったのである。もちろんこれはわたし自身が宣伝したためであるので、それほど偉いことではない。読んでくれる人の期待というのは、うれしさとプレッシャーの両面性があり、なかなかに複雑である。

自分の文章がまだまだであると感じることも多かった。そのとき自分が読んでいる本の文章に、もろに影響されてしまうのである。外国の和訳物の本を読んでいた時は、和訳文のような文章になっていた。小説を読んでいると、それに似た文体になった。現在はあるエッセイ集の文体に影響されまくっている。これが書いている最中にわかってしまうのだが、直そうとしても変な文章になっていくばかりでよろしくない。これが現在の課題といったところか。

4カ月も続けると、エッセイを書くのもほとんど習慣化・義務化してしまってきている。よく考えたらエッセイを100本書く間にURLが2度も変わってしまっているのだが、それにもかかわらずよく続いているものだ。わたしはいつこれに飽きるんだろうか。飽きても惰性で続いてしまうような気もするが。



1998/2/4 102 大きなお世話か? (テーマ:おせっかい)

傍目八目という言葉がある。将棋や麻雀、ゲームなどをやっていると、脇で見ている人のほうがよくわかる、というやつである。ここまでは誰でも同じで、ここでなにもいわずに黙っている人が普通の人。にやにや笑っているだけの人は、単なるいじわるである。そして、あれこれ口を出してしまうのが、おせっかいな人である。

ちなみにわたしはおせっかいな人の部類に入る。さすがにゲームでは口出しはしないが。ゆうべも早く寝なければいけなかったのに、IRCの某チャンネルで早朝5時までおせっかいを働きつづけてしまった。おかげで平和な状態を取り戻すことができたのは良いのだが、今日の仕事は寝不足であまりはかどらなかった。いや、まったくはかどらなかった。これは誰のせいでもなく、なりゆき上そうなってしまったのだから誰にも文句は言えない。

IRC上だけでなく、実生活でもわたしはおせっかいを働きまくっている。パソコンを買ったと友人がいえば、頼まれなくてもとりあえず学校の回線につなぐ設定をしにいく。いいCDや漫画を入手したら、とりあえず趣味の似た友人に聞かせたり読ませたりする。近所に遊びにきた知り合いがいれば、いろいろ世話したり運転手をしたり、オフ会の手配をしたりしてしまう。相手の事情などはあまり考えずに、やってあげようと勝手にひきうけてしまうのである。

こういう具合なので、ありがたがる人もいるだろうが、多くの人は要らぬおせっかいとけむたがってくれる。わたしは断られても仕方ないと思っているので、わりとすぐにこのような引き受け方をするのだが、客観的に見れば大きなお世話と思われて当然であろう。悪いと思う人もいるだろう。

ただ一つ理解して欲しいのは、変な下心などは持っていない、ということである。本当におせっかいだけなので、大きなお世話と思われるのはしかたがないが、そっちのほうで疑われるのは少し心外だったりする。まあ、少しおせっかいの度を弱くすればすむだけのことなのだが。



1998/2/5 103 読めない? (テーマ:アラビア語)

外国語が読める読めないのはなしになると、かならずアラビア語がやり玉にあげられてしまう。それほどにこの言語は日本人にはなじみがない。いや、触れる機会はあるのである。都内の電話ボックスなどには、だいたいアラビア語の注意書きが書かれている。しかしこれを読める日本人というのがまことに少ない。読めないのでよけいにあやしい言葉の代名詞として使われてしまうのである。複雑な文字体系と文法を持つ日本語を操っているくせに、失礼な話だ。

まあ、あやしいイメージが持たれてしまうのも、しかたがない面もある。まずいけないのが、あの文字である。どこで切ればいいのかわからない。そのためどこからどう読んでいいのかわからない。こんな得体の知れない文字を使うとはなんてあやしい言葉なんだ、となってしまう。さらに当然ながら、アラビア語をしゃべっていてもなにをいっているのかわからない。単語にもなじみのないものが多いせいである。

で、わたしはこのえたいのしれない言葉を勉強している。厳密にいうと、いまは勉強していない。12月までは東大のアラビア語の講義にもぐったりしていたのである。しかし、予習と復習に時間を割けず、習うそばから頭から抜けていくので、まったく身につかない。これは単にわたしの勉強する姿勢が悪いだけで、アラビア語がとくに難しいから、ということではないと思われる。曲がりなりながらアラビア語を勉強してきた身としては、そう感じた。

アラビア語は、日本語や英語などよりずっと習いやすい言語であると思う。なにも知らないと読む手がかりさえつかめないあの文字であるが、じつはアラビア文字というのは28種類しかない。この28種類の読み方さえ習ってしまえばこっちのもんである。文法も言うほど難しくはない。セム系の言語なのでなじみが薄いだけだ。

主要言語として使われている国が20国、国連公用語にもなっているアラビア語だが、日本では「イスラム教のあやしい言語」という認識しかない。このあたりからも中東に対する一般的な先入観、というものもある程度推察される。イスラム世界が日本にとって身近になる日は来るのだろうか。



1998/2/6 104 日本のシンボル (テーマ:富士山)

やはり日本といえば富士山である。日本のシンボルとして考えられるものはいくつもあるが、この山だけはシンボルとしてどこからも文句が出ない。とにかく1000年以上前からなにかと話題にのぼる山でありつづけたのは間違いない。

まず富士山は高い。日本一高い。日本にある他の山は、どうやっても富士山を抜くことができない。さらに富士山はその形が非常に美しい。少なくとも日本においては類を見ないフォルムである。とにかく有無をいわさない風格がある。だからこそ、日本全国から見えるわけでもないのに、日本の代表的なものとして認められているのだろう。もしかすると徳川との関連性もあるのかもしれない。

いまの季節、空気が澄んでいる日は東京や千葉からでも富士山が見える。わたしのバイト先のオフィスからは、富士山のむこうに沈んでいく夕日が見えて、非常にきれいである。最近は空気が澄んでいる日が少なく、なかなか見られないのだが。

わたしは富士山に登ったことも、一度だけではあるが、ある。いまをさかのぼること12年前、小学校6年生の時であった。父親の職場の同僚の人、およびその子どもでパーティ(というほど大げさなものでもないが)で登ったのである。いきなり5合目まで車で登り、そこから歩いて登るという強行軍だった。わたしはあっさり高山病にかかってしまい、ちゃんと自力で頂上まで登って降りてきたはずなのに、あまり覚えていない。もう一度くらいは登ってみたいものだ。



1998/2/7 105 人間は4種類? (テーマ:血液型)

誰が思いついたのか知らないが、世の中には血液型による人間の分類方法が存在している。血液型によってその人の性格や行動傾向を判断したり、運勢や他の人との相性を占ったりしているのである。ひとと話をしていても、「わたしはなに型だから…」という話の進め方をしたり、突然こちらの血液型をきかれたりすることがある。単に「〜型」といって、血液型のことだとわかるくらいの浸透ぶりである。

しかしこれも実に乱暴な分類方法である。ABO方式の分類だと、人間の血液型というのはAO、AA、BO、BB、AB、Oの6種類しか存在しない。しかも、一般的にはAOとAA、BOとBBは同一視される。なんと、何十億人もいる人間をたったの4種類に分けてしまうのである。しかも、生まれや育ちや生活環境などは、この場合まったく無視される。これはやはりどう考えても無理がある。

この乱暴な分類の結果どうなったか。それは血液型による性格分析の文章などを読めばわかる。これ以上ないくらいにあたりさわりのない内容になっているのだ。誰にでも当てはまる、しかもある程度傾向の差があらわれるような内容を考えて、筆者が悩んでいる姿が目に浮かぶようである。

しかし、これではその血液型の記述に当てはまらない人間、というのがどうしても出てくる。ところがこの現象に対する一般的な対応というのは、非常に驚くべきものである。なんと、その人の実際の性格よりも、血液型占いの内容のほうが優先されてしまうのである。話をしているその場では本人の性格が優先されてくるかもしれないが、その後その人の血液型を覚えていたりすると、その血液型に対する先入観のほうが先に出てしまう場合が多々ある。

これほどまでに人々の生活にいろいろな影響を与えている血液型であるが、その実体は単なる医学的な分類にすぎない。血液型が人間の性格に影響を与える、という話も聞いたことがない。そして、そのことがわかっているはずの人ですら、血液型の話をする。こういう人は単なる話のタネと割りきっているのだろうが、真剣に信じている人と無理なく話ができてしまうというのもすごい。

さて、このようなことを考えるわたしは、どの血液型が一番ふさわしいのだろうか。



1998/2/8 106 毎日見るものですから (テーマ:カレンダー)

去年の暮れに、高校時代の友人にひさしぶりに会った。ネット上で偶然発見されたのであるが、そのあと実際に会ったのである。彼はわたしの父の会社のカレンダーを非常に気に入っていて、以前カレンダーをあげたことがあったので、今年の分もいるかときいてみたら、数日後にわたしの家まで飛んできたのであった。カレンダーには人それぞれこだわりがあったりしておもしろい。

わたしはいつ頃からカレンダーに気を使うようになったのだろうか。はっきりしたことは覚えていないのでわからない。おそらく不定期な予定がいろいろと入るようになってから、すなわち高校を卒業してからだと思われる。というより、それ以前カレンダーをどうしていたのかさっぱり記憶にないのである。おそらく親がどこからかもらってきたものを部屋にはっていたのだろう。

浪人時代に買った3カ月カレンダーが、たぶんわたしが初めて買ったカレンダーである。これは3カ月分が一度に見られて予定も書き込めるという、模試やら入試やらがバラバラと入る受験生には、とてもありがたいしろものであった。このタイプのものは大学に入るまで使っていた。大学に入ってからは、宿舎の部屋の壁がでこぼこで予定が書き込みにくく、非常に使いづらくなってしまった。予定も手帳に書きこんだ方が早いことに気づいた。

次の年のカレンダーはどうしようかと思っていた矢先、そのころ流行っていたのか、前から普通だったのかは知らないが、本屋のカレンダーコーナーで売っている輸入カレンダーに目が止まったのであった。ちょうどそのころ大学の授業で近代絵画などの話をしていて、こういうのをカレンダーではっておいてもいいな、と一度思ってしまったらもうだめである。その場でエッシャーのカレンダーを購入して、1年間エッシャーの版画を見つづけることとなったのであった。

今年はわたしの趣味とはあまり関係なく、ドガのカレンダーにした。年の本当に末になるまでカレンダーを買いに行くことができず、ろくなカレンダーがなかったせいもあるのだが、世界各国の祝日が書いてあったところが気に入ったのである。イスラム暦までフォローしてるところが実にこころにくい。きっと1年間飽きないでつきあって行けるだろう。



1998/2/9 107 やっぱり邪魔者? (テーマ:雪)

ついに関東平野にも雪の季節がやってきた。と書きたいところなのだが、今年はなぜか1月から大雪が降りまくってしまった。例年なら1月はほとんど雨も雪も降らないはずである。おかげでつくばに行けなかったり、オフ会がさんざんなことになったりと、大変な目にあった。余談になるが、同じ時期に沖縄では真夏日が続いたらしい。まったくもって異常気象だ。

それにしても、東京圏の雪に対する弱さはひどいものである。このあいだは、大雪のおかげで首都圏は文字通り麻痺してしまった。それなりの雪は毎年降っているのにたいした対策はなく、毎年同じように交通が麻痺してしまうのである。富山の豪雪地帯出身の友人があきれていたが、まあ無理もない。雪対策が万全の地域とくらべるのも、ナンセンスな話ではあるのだが。

このように人々をうんざりさせる雪であるが、小さい頃は雪が降るたびに喜んでいたものであった。わたしは雪があるのが当たり前な東北地方で幼少時代を過ごしたはずなのだが、そんなこととは関係なく、雪が積もるたびに遊び回っていたものだった。学校が休みになったりするのも、うれしい理由の一つであった。そう、雪国の人は信じられないだろうが、東京では大雪が降ると学校が休みになるのだ。まあ、結局学校まで出かけていって遊んだりしていたのだが。

わたしが最初に雪をうっとうしく感じたのは、小学校5年生のときだったか、ものすごい横風を伴ったべた雪が降り、家の近くにある送電線の鉄塔が倒れてしまったときである。当然ながら周りの送電はすべてストップしてしまい、暖をとったり料理をするのにも苦労するありさまであった。かんじんの雪は遊ぶ前に溶けてしまうし、あのときの雪は本当にじゃまなだけだった。

今ではわたしにとって雪は完全に邪魔者である。つくばに住んでいた頃、東京に出かけなければいけないのに高速バスが出ていなくて、バスと電車を乗り継いで行ったのでえらく時間がかかってしまった、ということもあった。車に乗るようになったら、もはや雪が降っていいことはなにもない。スキーもあまり好きではないので、わたしが雪を見て喜ぶ理由はなにもない。

子供時代はただ遊んでいればよかったので、雪が降れば犬のように外をかけまわっていればよかった。しかし、年をとるにつれて、だんだんと雪がうっとうしいものに思えるようになってくる。前もって予定をたてて動くようになると、雪はそのじゃまをするものになってしまうのである。よく考えたら雪国でも雪は排除する対象である。結局はどこの地域でも扱いは同じなのだ。



1998/2/10 108 ハンバーグだからハンバーガー (テーマ:ハンバーガー)

ハンバーガー。戦後かなりたってから日本に導入され、爆発的に広まってしまった食べ物である。わたしが小学校にはいるころには、すでに一般的な食べ物として認知されていた。最初は1種類だけだったハンバーガー店も次第に増え、いつのまにか「ファストフード」なる用語までできてしまっている。

ハンバーガー業界のうそのような発展の陰で、さまざまな噂も流れた。一番有名なのは、某M社のチェーン店で、ハンバーガーのハンバーグにミミズが混じっている、というやつであろう。見つけたら金までもらえる、など各地域でいろいろおもしろい尾ひれやら背びれやら胸びれやらも加わったらしい。この噂も各地のものを集めて分析したらおもしろそうだ。

それにしても、このハンバーガー、特にM社のものも、小さいときは本当においしいと思ったものだった。それなのになぜだろう。いまM店へ行ってハンバーガーを食べても、正直言ってとてもおいしいとは思えない。考えてみると、「ファストフード」という名称が一般的になってから、味が落ちてきたように思われる。手軽さを前面に出すだけで売れるようになってしまったからであろう。

もはや、みずから進んでハンバーガーを食べる気には、あまりならない。どうしても食べるものが他に思いつかない、というときに利用するだけである。唯一の例外が、MはMでも、外資系でない方のMバーガーである。注文をしてからハンバーガーを作り出すので、その分の差が如実に味にあらわれる。わたしはMバーガーはファストフードではなく、ハンバーガーを出すレストランだと思っている。ほかにこのタイプのチェーンがないのが惜しまれるところだ。



1998/2/11 109 失礼なやつです (テーマ:あいさつ)

友人や知人とすれ違ったとき、普通はあいさつをする。文化圏によっては、目があっただけであいさつをする、などということもあるらしい。ひとくちにあいさつといっても、いろいろな形態がある。声をかける、おじぎをする、手をあげる、クラクションを鳴らす、抱き合ってキスをする、などなど。最後のは例外としても、普通はかんたんな言葉や動作ですんでしまうものである。

ところが、わたしはどうもこのかんたんな言葉や動作がうまくできない。物理的に手が動かないとか、声が出せないとか、そういうことではない。あいさつをしたくないとか、きらいだとか、そのように思っているわけでも決してない。それをする勇気がない、というのが一番合っているだろうか。道でひととすれ違ったりしても、目を合わせないようにして気づかないふりをしてしまう。文字通り「失礼」なのだが、特に不自然とも思われないようなので、そうさせてもらっている。

あいさつができないというのは、コミュニケーション能力が欠如している、といわれてもしかたがないほど、困った問題である。卒業後は進学しようと考えているが、それはこのことが大きな問題となって、就職してもうまくやっていけないかと思ったのも理由の一つであったりする。しかしよく考えたらわたしの希望専攻は、文化人類学寄りの地域研究である。この研究にはコミュニケーション能力が欠かせない。こんなやつが果たしてオリジナルな研究などできるのであろうか。

あいさつをしないというのは、自分のスタイルや主義主張の問題ですまされることではない。すこしずつ直そうとは思っているのだが、しみついてしまったくせというのは、なかなか抜けるものではない。とりあえず、これを読んでくれた人は、わたしに出会ったら積極的にあいさつしてくれるとうれしいかもしれない。



1998/2/12 110 音響だったわたし (テーマ:効果音)

高校時代わたしは演劇部に入っていたが、主にやっていたのは音響であった。なにせ、高校の文化ホールの音響設備にひかれて、演劇部に入ったくらいである。何度か役者をやったこともあったが、心はいつも音響さんであった。思えばあの頃は、かなり高級なオーディオ機器で音楽を聴いたりしていたものだ。

しかし、音響といっても効果音の方にあまり力を入れていたわけではなかった。なにせ入部当初はゲームミュージックのアレンジ版ばかり聞いていた人間である。最初は効果音楽の方しか興味がなく、音楽の方は作曲までしたこともあったが、役者や演出にお願いされて効果音をいれる、というていたらくであった。しかもその効果音も、ちまたの効果音CDをそのまま使ったりしていた。よく文句が来なかったものである。

効果音を自作しよう、という試みは、2年生になった時にやったことがある。図書館に行って効果音の作り方の本を読んだりして研究したのだが、効果音を作るためのものを買うほうが高くつく、ということがわかっただけだった。さらに、音を作っても録音する環境がない、ということにも気付いた。高校の文化ホールはまったくの欠陥建築で、雨漏りはするわ音は漏れるわで、どこで録音しても雑音が入ってしまうのである。結局パソコンのシンセで作ったのが、唯一の自作効果音であった。

時は流れて昨年の12月。映画「ラヂオの時間」を見たのだが、その中でとっさに効果音を作成する場面が出てきて、思わず見入ってしまった。道具などないから、その場にあるもので効果音を作ってしまうのである。詳しいことは内容にふれてしまうので省くが、まがりなりにも音響をやっていた身としては、本当に感心してしまった。こういうことができるのならまた音響をやってみたいとも思うが、また劇の世界に戻るには生活に余裕がなさすぎる。血が騒ぐのもほどほどにしておかねば。



1998/2/13 111 159cm (テーマ:身長)

わたしの身長を世界中に発信してもしょうがないのだが、いちおうわたしの身長はタイトルのようになっている。周りからはもっと高いように見えるらしく、この数字をいうとたいてい驚かれる。実際の身長より低くみられたことは、まだ一度もないかもしれない。高くみられた最高は、なんと178cmである。まあ、これは写真だけ見てもらったときのことなのだが。

小さい頃から一貫して背が低かった。体育や集会で並ぶときは、たいていは一番前であった。たしか、背の順の最高順位は前から4番目である。背の高い順に並ぶときなど、後ろになれたときはなんとなくうれしいものだった。行列に並ぶのがそれほど嫌いではないのは、このせいかもしれない。

背が低いことで劣等感を感じた、ということはあまりない。高いところにある物を取るときなどは、背が高かったら便利だな、と思うことはあるし、満員電車で背の高い人に囲まれるとつらいのも確かだが、それはそれ、これはこれである。かもいにおでこをぶつけるなど、あまりに背が高いと不便なことだってあるだろう。

とりあえずわたしは、これ以上の身長は特に望んではいない。運動神経がないので、あまり背があっても持てあますだけだ。はかり方によっては160を越えることもあるのだが、ひとには159cmだと言っているのも、せっかくだからこの身長で印象付けをしようと思っているからである。冗談で背が欲しいなどと言うこともあるが、あくまで冗談である。彼氏にする男性の条件に身長を挙げるような女性なら、最初から恋愛対象にならない。身長などで人間の価値を決められてはたまらない。



1998/2/14 112 不治の病 (テーマ:遅刻)

実はわたしは生まれつきで、しかも一生治らないと思われる病気で苦しんでいる。そう、遅刻病である。時間・用事を問わず、自分でもいやになるくらい遅刻が多い。それも、幼稚園に入って、規則的な生活をしなければならなくなったときからずっとそうなのである。これを病気と言わずしてなんと言おう。

むかしは朝起きることがまず苦手だった。目覚まし時計を使っても、ベルが鳴ってから10分後に起きてくるありさまであった。ひどいときは、8時30分の学校が始まる時間に起きてくる、ということすらあった。通学路途中の横断歩道にいたみどりのおばさんにも、遅刻常習犯としてしっかり顔を覚えられていた。転校してからは集団登校が行われていたのだが、その集団と一緒に登校することはまれだった。

中学、高校、予備校、大学と進むにつれ、朝寝坊をすることはだんだんと少なくなっていったのだが、遅刻の数はいっこうに減らなかった。学校だけでなくアルバイトなどでも遅刻をしてしまい、なんとかしなくてはいけないとは思っていた。しかし、この時間に起きればまにあうだろう、という時間に起きても、なぜか出発は遅刻するかしないか、あるいは遅刻が確実な時間になってしまうのである。当時はこうなってしまう原因が分からず、どうやったら遅刻を減らせるのか深刻になやんだものであった。

いまは、原因はだいたい分かっている。まにあいそうな時間だと、安心して一息ついてしまったりするせいである。そして気づいたらもうぎりぎりの時間になってしまっているのだ。寝坊してしまったときと同じ緊張感さえ保つことができれば、こんなことにはならなくてすむ。というわけで、現在は朝早く起きられたときには、いつもの緊張感を失わないように努力している。まあ、決してうまくいっているとは言えないのだが。わたしが不治の病と言っているゆえんである。

時間にうるさい人の中には、遅刻する人が絶対に許せない、という人もいることだろう。遅刻をしてしまって謝っているのを見ても、平気な顔をしているように見えてしまうこともあるだろう。しかし、ひとを待たせてしまって申し訳ないとまったく思わない人はいないだろう。いつも遅刻をする彼らは一種の病人なのだ。許してやれとはとても言えないが、少しは情状酌量の余地を与えてほしい。



1998/2/15 113 人生山折り谷折り (人生)

「人生」という言葉を、自分のものとしてちゃんと考え始めたのは、いつ頃のことだろう。高校の頃までは、それほど真剣に考えたことがなかったような気がする。進路調査などもやったが、大学に進む以外のことは考えられなかったので、自分の手で自分の生活を築きあげていく、ということについてはあまり意識していなかったような気がする。

高校を卒業するまでは、ただ前に進むことを考えていればよかった。しかし予備校通いの生活になり、講師のいろいろな苦労話などを聞いているうちに、将来何十年も続くと思われる自分の人生というものをぼんやりと意識するようになってきた。大学に入ってからは、飲み会などで友人たちと人生についての話をするようになったり、また接する人の年齢層も上昇したため、人生について考える機会が多くなった。

考えてみればいままで生きてきたのだって人生である。わたしの人格形成には、生まれてから現在まで経験したすべての出来事が影響しているはずなのである。覚えているかどうかは関係ない。なにもせずぼーっとしていても、そのことが何らかの影響をわたしに与えているのだ。といっても、わたしは環境決定論者ではない。生まれついての性格というのも、人格形成には無視できない。

人生80年の世の中である。わたしはまだ23歳。先はまだまだ長いし、人生を語るにはまだ若すぎるだろう。まあ80歳まで生きていられるという保証はないのだが。もしかしたら、明日あたりに事故かなにかで死んでしまうことだってあり得るのだ。世界情勢をみていると、いつ戦争に巻き込まれてもおかしくないような気もする。これからの課題は、いつ死ぬことになっても困らないような人生を送ることかもしれない。



1998/2/23 114 輪になってお祭り (テーマ:オリンピック)

ついに昨日で長野オリンピックが終了してしまった。あっという間の2週間であった。わたしは家で学校でバイト先で、いろいろな場所でオリンピックをみてしまった。ついに日本にやってきたオリンピックだが、日本人だけでなくさまざまな国の選手が実力を発揮できたのが良かったのではないかと思う。

わたしはオリンピックは夏より冬の大会の方が好きである。真剣にやっている選手方にはもうしわけないが、なんだか冬の競技の方が間抜けに見えて楽しいのである。今回話題を呼んだモーグルなども、スキーをやったことがない人が見ると、のろのろしていて結構間抜けである。カーリングにしてもあのブラシでこするのが間抜けである。リュージュに至っては、あお向けになった人間がコースをすっ飛んでいくようにしか見えない。ほかの競技でもどこかしら間抜けな部分がある。

昔はオリンピックはかなりさめた目で見ていた。4年に1回しかない競技会になんでこんなにこだわるのか、それが不思議でしょうがなかった。応援もナショナリズムまるだしでなんだか気持ち悪かった。各選手はたしかにすごいのだが、4年に一度しかやらないのに世界一を決めようという意図が分からなかったのである。

しかし、受験中だったので一生懸命見てしまった前回のリレハンメル、さらに今回の長野と見て、ようやっとオリンピックの本質のようなものがわかってきたような気がした。昔から「スポーツの祭典」といわれるが、オリンピックはやはりお祭りなのである。本物の世界一はワールドカップなり世界陸上なりで決めればよいのである。とにかくスポーツを楽しむ。それこそがオリンピックの基本であり最終目的なのであろう。

そう考えることができたので、今回のオリンピックは純粋に楽しめた。いままでと違い、日本の選手やチームもしっかり応援した。もちろんすごいことをやってのけた選手に対しても、素直にえらいと賞賛できた。このオリンピックの成功も、たくさんの人の支えがあったからこそ成功したのである。その人たちに対しても拍手を送らねばならない。



1998/2/24 115 年齢≠見た目≠人生経験 (テーマ:年齢)

こうみえてもわたしは23歳である。今年は年男だ。ところが学年にすると、まだ学部の3年生である。知識も学問的なレベルも人間的にも、23歳というより大学3年生に相当するものしか持っていない。たしかに浪人中にもいろいろな経験はしたが、普通に生活を送ってきた23歳よりも人生経験はとぼしいと言わざるをえない。同じ大学3年生という視点で見ても、わたしより年下でも人間的にわたしよりずっとできている人はいくらでもいる。

途中のブレーキなしに進学を重ねてきた人なら、すでに社会人1年生な年である。実際、高校時代の友達の多くはすでに就職、あるいは進学してしまっている。ことし就職が決まって今度卒業、というひとも少なくない、中には結婚してしまった人までいる。古い知り合いの中には、高卒で就職した人もいる。こういう人にはどうやっても人生経験では勝てない。

先日参加したオフでは、わたしと同い年の人が3人もいた。ところが、3人並んでみると、見た目ではまったく同い年に見えなかった。もうちょっと上に見られる人が一人、年齢不詳の人が一人、わたしはそのときは年相応に見られたらしい。おそらく格好が学生にしかみえないようなものであったからだろう。

高校の時などは逆に社会人に見られたこともあったものだった。バイトの昼休みにご飯を食べにいった途中で、宝石店の店員に声をかけられてしまうくらいである。ひやかしに立ち止まってみたら、「おつとめの方ですか?」と聞かれたので、「まだ高校生です」と答えるとかなり驚かれた。現在でも見られる年齢は幅広く、19歳くらいから30過ぎまで見られたこともある。最近は学生学生した格好をしているので、年相応に見られることも多くなってきた。

こういう認識でいるので、わたし自身はひとの年齢を気にすることはあまりない。初めて会う人と話をするときも、こっちから年齢の話にもっていくことはほとんどない。たまに自分の年を間違えてしまうことすらある。ただひとつ便利なのは、大学の飲み会で酒を強要されたときに、年長者の強権発動をして断ることができる、ということである。



1998/2/25 116 見るため?貯めるため? (テーマ:ビデオ)

わが家にビデオデッキがやってきて、すでに10年近くが経過しているはずである。たしか中学、遅くても高1の時にはすでにあったから、そういう計算になる。ほかの家庭にくらべたら、遅いほうであろう。しかしそのとき買ったデッキはBSチューナー内臓のS-VHS機で、同時にBS受信用の設備一式もそろえており、こちらに関してはむしろ進んでいたほうであるといえよう。

実は、わが家でビデオデッキの導入に積極的だった人はいなかった。わが家には大量の本があり、ビデオなどを買ったらテープが増えてしまって置き場所に困る、という事態は簡単に推測できた。そもそも見たいのに見られない番組を録画して見る、という発想がなく、本当に必要だとは思えなかったのである。実際、最初のうちは衛星放送を見るためだけにビデオデッキを使っていた。

そのうちに録画機能も使ってみよう、ということになり、だんだんと番組の録画をするようになってきた。わたし以外は機械を扱うのに苦手意識を持っていたので、自然と録画をする回数もわたしが一番多くなっていった。当時友人たちの間で流行っていたBSのお絵描き番組やフジテレビの深夜番組などが、おもな録画対象であった。このころは話題のタネとして録画していたし、また録画した絶対数も少なかったし時間もあったので、録画をしたものはちゃんと見ていた。

つくばで一人暮らしをしていた頃は、ビデオは持っていなかった。あまり録画したいものもなく、必要なら友人の家でデッキを使わせてもらえばよかったのである。BSでやっていたインディカーのレースを実家で録画してもらったりもしていたが、まあその程度である。このころはテレビ自体あまり見ていなかった。ついているだけ、というやつである。たしかこれについては前に書いたような気がする。

実家に戻ってきてからは、いくつかBSでとっておきたい番組があり、録画もしたのだが、まったく見る時間がなくて困っている。よく考えたら、その番組を見る時間がないから録画をしても、それを見る時間がないのだから、録画をしてもしょうがないのである。それでも、そのうち見るだろうと思って録画をまたしてしまう。わが家のテープの本数も、つい最近まで10本もなかったのに、徐々にではあるが増えてきている。貯めておくために録画してしまうほど不毛なことはないのだが、ついやってしまう。まったくビデオデッキというものは恐ろしい機械だ。



1998/2/26 117 やっぱり健康第一 (テーマ:不健康)

自分の不健康さ、あるいは不健康な生活を自慢する。誰もが一度はやったことのあることだろう。睡眠時間の少なさや手術の跡、タバコの本数など、冷静に考えたらしょうもないことを自慢してしまうのだ。やったことがないという人は、おそらく本当に健康な人だ。わたしには信じられない話だが、不健康というのをまったく体験したことのない人間というのもいるのである。この話でもエッセイが1本書けそうだが、とりあえず今回は不健康な方の話である。

どうして人は自分の不健康を自慢したくなるのか。それはおそらく犯罪や交通事故、酒でつぶれた話などを武勇伝として語る心境と似たものなのであろう。しかし、はた目から見るとこれらのことはまったく偉くない。むしろ恥じるべきですらあるとも考えられる。それでも人はこれらのことを自慢しないではいられない。それは、こういったことが自分の勇気、あるいは自分はほかの人と違う、という証明になるからであろう。武勇伝とはそういうものだ。

しかし不健康が犯罪や交通事故と違うのは、その一般性である。ちまたの人々をみると、なにかしら健康に問題を抱えている人がほとんどである。睡眠不足や肩こりはあたりまえ、弱視や腰痛、肝臓や腎臓が悪いなど、果ては糖尿やがんまで、その種類・程度も多岐にわたるが、だいたいの人はこれらを等しく自慢のタネにしてしまう。病状が深刻な人ですらそうである。いや、むしろ無理をして病状を悪化させた人などが、嬉々として自分の病状を語るということもある。まるで不健康なのがステータスシンボルであるかのようだ。近年の健康ブームにしても、不健康であるのが前提条件であり、そういう意味では一種の不健康自慢である。

日本は働き過ぎの社会だから、などというありきたりな話にはもっていくつもりはない。むしろ人々は不健康になるためにあれだけ働いているのかもしれない。学生時代にいろいろ無茶をした人は多いと思うが、人間というのはある程度無茶なことをせずにはいられない生き物なのである。大人になるとなかなか無茶はできなくなる。そんな中お手軽な無茶とは、体に無理をさせることしかない。そう、不健康になる、というのは大冒険のできなくなった大人の、ささやかな冒険なのである。



1998/2/27 118 反省は生かされず (テーマ:試験)

わたしの大学はなぜか3学期制をとっていて、3月の第1週まで試験がある。学校どんな学期制をとっても勝手ではあるが、ほかの大学の知り合いとまったく予定が合わないのは、ちょっと困りものである。そんなわけで、わが大学は現在試験の真っ最中である。車も自転車も人も、普段の授業の日よりやや多い。そういえばいまは受験シーズンの佳境でもある。

試験にどう挑むかのタイプは、はっきり2つにわかれる。早いうちから準備をして試験にのぞむ者、そして前日までなにもせず、一夜漬けで済ませてしまう者である。これはなぜか両極端にわかれてしまっているような気がする。わたしは準備万端抜かりのない人に見られがちだが、じつは後者の方である。これは大変な誤解で、いつも肝心の所でなにか重大なミスをしてしまうのがわたしなのである。まあ、その話は別の機会にとっておこう。

とかく、一夜漬けタイプの人は、どうやっても早い時期から準備をしていく、という作業ができないものである。「次からはちゃんと前もって準備をしておこう」と心に決めても、なぜか気がつくと試験の前日で、なにもしていない状態になってしまうのである。どうあがいても結果は同じなので、わたしはもう無駄なあがきをするのはあきらめて、一夜漬けに徹している。

そういうわけなので、受験参考書などに書いてある「早い時期から準備しよう」というアドバイスはあまり役に立たない。早く始められる人は誰にも言われなくても早く始められるし、それができないひとは、いくら言っても無駄である。むしろ、スタートが遅れた場合にどうやって取り戻せばいいか、そういったノウハウをアドバイスの中に盛り込むべきだろう。遅刻病と同じで、一夜漬け病は不治の病なのである。



1998/2/28 119 自発性が大事 (テーマ:感動)

長野オリンピックが終わって1週間がたとうとしている。オリンピックと一緒に行われるパラリンピックの聖火リレーも始まったそうである。しかし、テレビや新聞では相変わらずオリンピック関係の報道は続けられており、開会式の時から変わらず「感動」の2文字が画面や紙面を飛び交っている。オリンピック自体はわたしは楽しめたのだが、この言葉だけがいやに気になってしまった。

どうやらテレビ局は、自分たちが意図したとおりに視聴者が感動してくれないと気がすまないらしい。実況のアナウンサーや解説の人が興奮して絶叫してしまうのは、まあ仕方がないだろう。ニュースなどのコメンテーターが「感動しました」と私的な感想を述べるのも勝手である。しかし、なにかといちいち「感動の〜」という枕詞をつけるのには閉口してしまった。

長野オリンピックの記録映画を撮影する監督の話をちらっとテレビで見たのだが、その演出方針は余計な言葉は極力排除する、というものであった。映像を見ればわかる状況まで解説をつけるのは、見る人を馬鹿にしている、というのがその理由であった。競技の状況ですらこれであるから、感動という言葉については言うに及ばずであろう。

金メダルや新記録にある程度の感動が伴うのは自明のことであるし、そもそも感動というのは内からわき起こる感情である。感動する場所まで指示されるのではたまったものではない。わざわざこんな言葉を追加されると、本当は感動するものでもないのに感動しなければいけないからこういう言葉をつけたのではないか、というような疑問までおきてしまう。あまり感動感動とうるさいので、なんだか「感動」という言葉の価値までが下がってしまったような気もする。ズバリその言葉を使ってしまうのは、演出側の怠慢である。



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