日替わりげしょ定食

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1998/1/5 73 夢談義 (テーマ:夢)

今年も初夢を見たらしいのだが、どんな夢だったかはあまりよくおぼえていない。今年の正月はとにかく寝まくっていたので、どの時点で見た夢を初夢とするのか、というのも難しい問題なのであるが、そもそも見た夢の内容をことごとく忘れているのでどうしようもない。昔から夢の内容を忘れてしまうたちなのである。

夢を見ているのは確かなのである。しかし覚えているのは夢を見たということと、断片的な場面だけである。夢を見なかったと思われる晩も、もしかしたら実は夢を見ていたのかもしれない、と考えてしまうくらいである。わりと奇想天外な夢を見ることもあるのは確かで、目が覚めたときに夢の続きが見たくてまた寝ようとする、ということもたまにある。しかし、目が覚めてしばらくすると、内容をまったく忘れてしまうのである。

こまかい内容は覚えていないが、夢の中の登場人物や場所がめちゃくちゃである、ということはなんとなく覚えている。どういうわけか、小学校時代の友人と大学の友人がわたしの中学校にいたりするのである。気づくと場面が全然違う場所に行ってしまっている、ということもよくあるような気がする。こんなめちゃくちゃな設定や展開は、頭で考えて思いつくものではない。

現在目の前で起こっているシーンが、過去に夢で見たのと同じものではないかと感じることがときどきある。根拠は何もないのだが、絶対に過去にそういうビジョンを見ていると確信してしまうのである。これがいわゆるデジャヴなのかはわからない。夢の内容を覚えていないのにそう思ってしまう、というのがとにかく不思議でしょうがない。

見た夢の内容をはっきりと覚えている人もいるらしいが、覚え方を教えてほしいものである。夢で見たことを覚えてさえいれば、奇想天外な話を思い出して楽しむこともできるし、前に夢で見たのではないか、と思った場面も、本当に見たのかどうか、というのがはっきりする。まあ夢の内容を覚えている人も、覚え方を知っていて覚えているわけではないのだろうから、しょうがないのだが。悪い夢を覚えていないですむだけまし、と考えるしかないだろう。



1998/1/6 74 謎の食物 (テーマ:カロリーメイト)

ふつうの生活を送っているとなかなか食べるチャンスはないだろうが、忙しい生活、あるいは貧乏な生活を送った経験がある人なら、カロリーメイトに一度はお世話になったことがあるだろう。とくに浪人生活を送った人などは、カロリーメイトをかじりながら受験勉強をしていた人も多いかもしれない。しかし良く考えてみると、カロリーメイトも謎の多い食べ物である。

まずなぜあんなに粉っぽいのか。わたしは唾液の分泌が少ない体質なので、飲み物なしで1箱4本を食べきるのはまず不可能である。食べきったとしても、あの粉っぽいのが口の中に残って気持ちの悪い思いをすることだろう。もしかすると、ポカリスエットなどの他の大塚製薬製品を買わせるための計略なのかもしれない。

そして黄色い箱の裏の成分表示。たしかにたくさんの栄養分、あるいは栄養になるのかどうかわからないような成分の名前がつらつらと書かれている。しかし、実際に必要とされる栄養素がどのくらいなのか、カロリーメイト1箱でそのうちどのくらいが摂取できるのかなどは、具体的には書かれていない。これらの成分がどのくらいの効率で体に吸収されるのかもわからない。わたしが知らないのが不勉強なだけなのかもしれないが。

さらにあの味である。とてもおいしいとは言えない。あれだけ栄養分を盛り込む技術があるのなら、もうちょっと味の改善ができるのではないだろうか。カロリーメイト1箱であの妙な満腹感が得られなかったら、あの味である。わたしもそうは依存しなかっただろう。ひょっとすると、あの味のおかげであの納得の行かない満腹感が得られるのかもしれないが。チーズ味、フルーツ味などある程度のバリエーションはあるが、程度に大きな差はない。味付けの違いで栄養吸収効率に差が出てきはしないかと、余計な心配もしてしまう。

わたしが考えただけでもたくさんの謎が浮かび上がるカロリーメイト。それにもかかわらずそこそこの人気は保っているようである。この人気の根拠はTVCFだけではないだろう。この手の栄養食品のパイオニアとしての実績、小売店の努力でそれなりに安くなった価格、製薬会社が作っているという安心感など、いろいろなファクターが考えられる。

わたしも浪人時代や一人暮らしの頃にかなりお世話になっていたので、なんとなく愛着のようなものがある。それにしても、「食事をカロリーメイトで済ませる」というと大変な生活を送っていると思ってしまうというのは、たいした食品である。



1998/1/7 75 あしたはあしたの風邪をひく (テーマ:風邪)

風邪という病気は、現代の医療技術でも治せない病気である、と何かの本で読んだ覚えがある。風邪に対しては、症状を押さえる薬を飲むなどの対処療法しかできない、というのである。もし特効薬を開発できたら、ノーベル賞ものらしい。そう考えると、人間の自然治癒力というのはすばらしいものなのである。

わたしはわりと体に無理をさせてしまうほうなので、軽い風邪をひくことがけっこうある。くしゃみやせき、微熱と頭痛などの症状が出たりするのだが、だいたい一晩休めばなおってしまう。ほんとに熱を出してぶっ倒れるくらいまでになることも、年1回くらいある。しかし、なぜかこの年1回が、今だけはひいてはいけない、という時にやってきてしまうことが多い。大学受験の直前に風邪で倒れたときは、本当にあせりまくってしまった。

風邪のなおし方は人によってさまざまであろう。医者に行く人、風薬を飲む人、酒を飲んで寝ている人、などなど。わたしは基本的には医者や薬には頼らない。熱が出てどうしようもないときに、熱さましをのむくらいであろうか。まず消化のよさそうなものを無理矢理食べる。本当に消化のいいものかどうかは知ったことではない。ブランデーやウイスキーがあればそれを飲んで、なければ風呂につかって体をリラックスさせる。そしてあとはひたすら寝る。目が覚めたらまた寝る。これでなおるのだから不思議なものである。医者に行ってなおす病気でも、寝ているだけでなおるものはそうはない。

風邪をひくといつも馬鹿がどうのこうの、という話になる。馬鹿は風邪をひかないということわざはあまりにも有名である。経験からすると、風邪と馬鹿の相関関係はまったくないように思える。むしろ、馬鹿な人のほうが馬鹿なことをするので、風邪をひいてしまう可能性が高いのではないだろうか。わたし自身、薄着で外へ出たり湯冷めをしたりと馬鹿なことばかりしているので、風邪をよくひいてしまうのである。このことわざは、もともとは馬鹿は風邪をひいたことに気づかないという意味であったと記憶しているが、いくら馬鹿でも高熱が出れば動けない。最終的に風邪をひく確率はあまり変わらないのではないだろうか。

とりあえずいまは風邪が大はやりである。こじらせないように気をつけなければいけない。



1998/1/8 76 みかん中毒 (テーマ:みかん)

冬といえばこたつ、こたつといえばみかんである。こたつに入ってみかんを食べながらテレビを見る、というのが日本人の正しい冬の過ごし方である、といえるだろう。カウチポテトなどというものは邪道である。こたつでポテトチップ、というのも中途半端でいけない。だいたい、ポテトチップのかけらがこたつ布団に落ちるので、あとで難儀してしまう。

前置きが長くなってしまった。とにかくわたしは小さい頃からみかんが大の好物なのである。家でみかんを袋で買ってきても、わたしがそのほとんどを食べてしまったりしている。しかも、みかんをかごに入れてこたつに置いておくとすぐに全部なくなってしまう、というほどのペースである。もちろん、わたしの座っている前には、みかんの皮の山が築かれているわけである。

みかんに含まれている色素は人体に沈着してしまうたぐいのものらしい。みかんを食べ過ぎてからだが黄色くなる、というのはよく聞く話であろう。普通の人の場合は春になればみかんを食べなくなるので、黄色くなってもすぐにひいていく。しかし、わたしの場合はみかんを食べている量が尋常ではないので、黄色の色素が抜けない状態になっている。足の裏などは黄疸が出ているのではないかと思われるほどに黄色い。

みかんも最近は甘いものが好まれているようで、売られているみかんはとにかく甘い。しかし、わたしに言わせれば、あんなものはみかんであってみかんではない。みかんというのはある程度の酸味がきいていてこそおいしいものなのである。スーパーなどに行くと、ただ甘いだけのみかんしか売られていなくて困ってしまう。一人暮らしの時などは金もないので、しかたなくそういったみかんを買って食べていた。愛媛出身の友人が実家からみかんを送ってもらって食べていたりしていて、うらやましく思ったものであった。いまは親が買ってきたり、お歳暮で送られてくるものなのであまり文句は言えない。

実はこのエッセイもみかんを食べながら書いている。書き始めてからここまでですでに3個を消費した。これから4個目に突入するところである。こたつに入った状態であるのは言うまでもない。まさに中毒状態である。みかんの季節ももうすぐ終わる。まあ、結局はいよかんやはっさくで間に合わせてしまうのだが。



1998/1/9 77 無方言人間 (テーマ:方言)

わたしの話し言葉には方言がまったく入らない。何回も引っ越しをしているのではあるが、その地域は東日本に限られている上、今までほとんどの期間は首都圏で過ごしたので、あまり方言に触れる機会がなかったのである。

首都圏を中心に住んでいるのはよく会う親戚の中ではうちだけで、他は関西や広島など西日本にいる。もちろん地元の言葉をばりばりしゃべる。小さい頃は広島にある父方の実家に毎年のように帰省していて、そのたび関西弁と広島弁のシャワーを浴びてきたものだったが、もちろんわたしに移ることは全くなかった。

方言をしゃべる人々がうらやましいと、小さい頃からなんとなく思っていた。いとこが関西弁をしゃべるのをまねしたりもしていたものだった。もちろんとてもへたくそなもので、何回まねしても「ちがう」と言われてしまう。しかも向こうは標準語もちゃんとしゃべれたりして、非常に悔しい思いをした。

なぜ方言にあこがれてしまうのかは、自分でもよくわからない。自分ではどうしても身につけられないものであるので、うらやましいのかもしれない。方言は人に習って身につけられるものでもないだろうし、そもそもその地方出身でないのに方言が使えても、あまり意味がないような気がする。方言は、それが使われている地方に長いこと住んでいた証である、と言えるだろう。その証明ができない、ということがあこがれの原因なのかもしれない。

今後一つの地方に長くとどまる、というのはあまり考えられないし、言葉というのは成長してからだとなかなか身につかないものである。ありうるとしたら、アラビア語の方言を習って覚える、ということだろうか。どっちにしても方言をそれ本来の役目で使うことはできない。まあ、標準語しか使えないというのは、首都圏にずっと住んでいたことの証明とも言えるのだが。



1998/1/10 78 ジャムセッション (テーマ:セッション)

何回もこのエッセイでは書いているが、わたしの所属サークルはジャズ愛好会である。略称はなぜか「ジャズ研」である、というのはサークル内では有名な謎である。余談はともかくとして、わがジャズ研では、毎週金曜の夕方にジャムセッションが行われている。

セッションの参加者は、大抵はジャズ研のメンバーだけである。ジャズ研のホームページを見てセッションに参加したいと思った、という人も一度だけ来たことがあった。そして集まったメンツで交代で演奏していく。セッションでやる曲というのもだいたい決まっていて、ブルースという決まったコード進行の曲や、枯葉などの有名なスタンダードなどが中心である。演奏者がたまたま上級生ばかりになった時などは、難しめの曲をやることもある。

わたしはこのセッションにできるだけ参加するようにしている。なにせ大学には週の半分も行っていない。木曜日は授業などで忙しく、用事が終わる頃にはジャズ研の部屋ではすでにバンド練習が始まっている。つまり、ウッドベースをさわれるのがセッションの時間しかないのである。自分のサイレントベースでは、やはり弾いている感覚がウッドベースとは異なっていて、サイレントベースでいくら練習しても、いざウッドベースを弾いてみると全然弾けなかったりしてしまうのである。

また、一人で練習しているよりも、みんなで曲をやったほうが楽しいものである。わたしの場合、セッションをストレス解消の場として利用しているところもあって、参加できなかった週はあまり調子があがらなかったりすることもある。セッションなので、間違いもある程度しょうがないとして大目に見てもらえるし、うまく演奏ができたときなどは本当にすかっとする。

セッションにしか参加しないわたしは、やはりベースの演奏もあまりうまくはない。サークルのみんなには下手なベースで迷惑をかけているかもしれない。楽しく演奏している雰囲気をぶちこわしにしている、ということだけはないようで、それだけがわたしにとって唯一の救いである。



1998/1/11 79 うちの近所の大仏様 (テーマ:鎌ヶ谷大仏)

上野駅から常磐線に乗って20分、松戸駅に着いたら私鉄に乗り換えてさらに20分。わたしの現在住んでいる家はそんな場所にある。最寄り駅からは歩いて10分かからない。で、その駅の名前がまたすごいのである。「鎌ヶ谷大仏」というのがその名前である。

駅名に大仏という単語が入るのは、珍しいがなんだか間抜けでもある。ちなみに肝心の大仏は、駅から出てすぐの通り沿い、なぜか墓地の真ん中にに鎮座している。となりはタカラブネというケーキ屋、そのとなりはモスバーガーというロケーションもすごいものがあるが、なんといってもその目立たなさがたまらない。大仏といってもせいぜい高さ2メートルといったところであるし、完全に風景の中にとけ込んでしまっているので、通りかかっても気づかない人もいるのである。

おそらく結構昔からあるのだろう。大仏はその周りでちょっとしたシンボルのようなものになっている。まず近くの駅からして大仏という名前が付いている。さらに、その周りの店などにも、大仏という名前が付いているものが多い。中には、大仏という名前で一気にあやしくなってしまうような名前のものもある。

まず、大仏のほぼ正面に「大仏内科クリニック」という医院がある。なんだか大仏の内科まで診てくれそうでこわい。しかしこれはまだ序の口である。駅から少し行ったところには、「大仏整形外科」というのがある。わたしはまだ行ったことがないのだが、どんなものに整形されてしまうのか非常に気になってしまうような名前の病院である。きわめつけは、わが家の裏手にある理髪店「ヘアーサロン大仏」だろう。ここまでくると、失礼かもしれないが名前を付けた人のセンスまで疑ってしまう。もっとも、これもごく普通の床屋で、わたしも何度かお世話になっている。店員のお兄ちゃんはなかなかいい人である。

こんな大仏ではあるが、いちおう名所扱いはされているようで、ときどき大仏の前で記念撮影をしている人も見かける。とおっている電車でも一応紹介はされているが、大仏の周りには大したものは何もない。まあ、大仏自体とそれを取り巻く環境自体がかなりおもしろいものではあるのだが。



1998/1/12 80 おしゃれ関係 (テーマ:おしゃれ)

わたしは服にはあまり金をかけていない。枚数も種類もあまり持っていないので、毎日同じ格好をしているようにも見えるかもしれない。とくに今の季節はいつも同じ上着を着て、何枚かしかないセーターを着まわしていたりするので、本当に同じ格好になってしまっている。必要最低限の量すら確保していないのがまるわかりであるのがちょっと悔しい。

これを言うと皆に驚かれるのだが、わたしはスーツを持っていない。着たことも2度しかない。それも劇に出演するときに着たのが1回、知人の葬式に出席したときが1回、という具合である。ひとに借りて着たのは言うまでもない。大学の入学式はカジュアルで出席した。成人式は行かなかった(行けなかった)。塾の講師や販売員などのバイトもしたことがないし、スーツが必要な店などにも行ったことはない。これからいつまでスーツを着ないでやっていけるか、見ものである。最初の関門は卒業式だろうか。

コートもいまだに持っていない。寒い冬はウインドブレーカーと、この間購入したダウンジャケットで乗り切るつもりである。両方とも格安ものであることは言うまでもない。そもそも上着ばかり持っていても、家に置き場所がなかったりするのだが。ダウンジャケットも、買ってみるまでこんなにかさばるものとは知らず、置き場所に困っている状態である。

それでも最近はだんだんと服にかける金額が上昇しているような気がする。わたしもさすがに服を買う店などが変わってきて、主婦向けの安い店ではなく、紳士服の店(それでも安売り系なのだが)などに行くようになった。あまりなデザインのものも買わなくなった。これいいな、と思うような服はやはり高かったりして、すこしはものを見る目ができてきたのかな、とも思う今日このごろである。今度暇があったらフリーマーケットにでも行ってみようか。



1998/1/13 81 わからないからおもしろい (テーマ:人の心)

人間が生きていく上で、他人と関わらないでいることはまずできない。そんな生活の中で、他人の心の中が分かったらどんなに助かるか、と思うことは良くあることだろう。無駄な行き違いもなくなるし、喧嘩もしなくてすむ。人間関係の悩みもだいぶ減ることだろう。

しかし、人の考えていることが完全に分かる、などということは、超能力でもない限りは不可能なことである。その手段がない以上はあきらめるしかないが、まあ他人の考えていることが何もかも分かってしまったら、それはそれでこわい。プライバシーなどというものはなにもなくなってしまうし、知らなくてもいいことまで知ることができてしまうのは困りものである。

実は、人間が考えていることをある程度伝達する手段はいくつもある。まずひとつは言葉。言葉を使えば、完全にではないにしても考えていることを伝えたり知ったりすることができる。その便利な言葉も、使い方をまちがえると大変なことになるのだが。前にエッセイで書いたネット上の喧嘩などは、そのいい例である。言葉によって生まれた誤解は、言葉で解かなければいけない。これがまた難しいということはみな経験上知っているだろう。

言葉以外でも人の考えは分かることがある。目の動きや身振り、態度などである。「目は口ほどにものを言う」ということわざがあることでもわかるように、場合によっては言葉よりも雄弁に考えを語っていることもある。もちろんこれにも誤解が伴うこともある。言葉や身振りが考えそのものではなくて媒体に過ぎない以上、仕方がないことであるのだが。

人の考えていることを完全に分かることはできない。しかし、これらの手段である程度の疎通を図ることができる。ところがこれも完全ではない。とんでもない誤解を生んでしまうこともある。しかしそれはそれで仕方がないのではないかとも思う。人の考えが完全には分からないからこそ、人と接することを続けていく気になるのであろう。失望もあれば希望もある。だから人生はおもしろい。



1998/1/14 82 投票しようよ (テーマ:選挙)

あしたは成人式の日である。わたしは成人式はセンター試験のため出席できなかったのだが、まあそれはどうでもいい。成人になると、いろいろな権利や義務が生じる。20歳になったら学生でも年金を払わないといけないというのは納得が行かないが、それもまあ今回のテーマとは関係ない。酒やタバコなどは、どうせきちんと区切ってやっている人はいないだろうからこの際無視する。

20歳になって得ることができる最高かつ最重要の権利は、参政権であろう。それまでなんの権利もなかったのに、20歳になったとたんに国の政治に参加できるようになるのだ。しかし、新聞によると、若年層は政治離れが進んでいて、選挙の投票率も非常に低いということである。たった1票とはいえ政治に参画できるのだから、この権利を行使しないのは非常にもったいないような気がする。

ちなみにわたしの初選挙は、3年前の夏にあった参院選であった。その年の4月にも地元で選挙があったのだが、つくばに引っ越したばかりで忙しく、残念ながら投票に行くことはできなかったのである。当時は非常に舞い上がっていたので、すでにどの候補とどの党に投票したかも忘れてしまった。一生懸命選挙関連の資料に目を通したが、どうしてもこの人、この党に投票したい、というのがなかったのだけは覚えている。

それにしても政界の勢力が選挙とは関係ないところで決まってしまう、という最近の傾向には納得がいかないものがある。この間の新進党の分裂にしても、総選挙の結果とは直接の関係はない。そもそも新進党ができたときもそうであった。ところが投票するだけの我々有権者には、いまのところこれを止めることはできない。しかしこの状況を変えるにしても、選挙によってでないと行えないのである。

誰もが多かれ少なかれ、今の社会に不満を抱いていることだろう。しかし、ただ口で言うだけではほとんど何も変わらない。自分自身でなにかを主張しているつもりでも、それを行動に出せなければ何も意味がないし、その内容も新聞やテレビの言説とまったく変わらないようでは問題がある。とにかく我々にできるのは投票しかないのだ。だから、いくら魅力的な政党がなかろうと、どの候補者もいまいちだと思おうと、投票の行為自体だけはやめない方がいいと思っている。



1998/1/15 83 健忘症の可能性あり (テーマ:忘れる)

どうもわたしはもの覚えが悪い。昔はそうでもなかったはずなのだが。特に最近またその傾向が一段とひどくなっているような気がする。ど忘れなども、よくしてしまうようになってきた。

どこかに出かけるとき、必ずなにか一つは忘れ物をする。よく忘れるのがCDや本などである。教科書などを忘れてしまうと痛い。筆記用具を持たずにつくばに行ってしまったときは困ったものだった。忘れ物がないときも、ひげを剃るのを忘れたり、ひどいときは歯を磨くのを忘れて出かけてしまったりする。

忘れるのはものだけではない。通勤・通学中に思いついた話のネタなども、思いついた瞬間はこれ面白い、と思うのだが、目的地に到着する頃には、きれいさっぱり忘れてしまっている。エッセイのテーマも、移動中はメモできないので、思いついたものをちゃんと記録できているのは半分以下である。

これで暗記はそれほど苦手でないから不思議なものである。暗記はできるのだが、気にとめておく、という程度の物覚えが非常に苦手なのだ。また、ひとの顔を覚えるのは得意だが、ひとの名前を覚えるのは非常に苦手である。どうもこれは記憶力が良い悪い、という単純な問題ではなさそうである。覚えようとするときの頭の使い方が、どこか異なっているのかもしれない。

まあ、昔に比べてこちらに流れてくる情報量が段違いに上がってしまった、ということは確かである。特にチャットをしていると毎日初対面の人に出会ったりして、なかなか覚えきれないで困ってしまう。こんなことでこれからの情報化社会を乗り切ることができるのだろうか。



1998/1/16 84 写るより写す (テーマ:写真)

最近はどんどん写真が手軽になってきている。「写るんです」などのレンズ付きフィルムで、カメラを持っていなくても写真を撮ることができるようになった。また、デジタルカメラやプリクラにより、自分の写真を簡単に作ったりばらまいたりすることができるようになった。しかしわたしはこういったものはあまり好きではない。

なんだか手軽すぎて、撮ったものに価値がないように思えてしまうのである。もう少し本格的なもののほうが、「写真を撮った」という気分になれる。といってもわたしが一眼レフなどを使えるわけではない。家にあるオートフォーカスカメラを使う程度なので、すこし写真をやる人に言わせれば、わたしもぬるいほうであろう。

風景などを撮るのはわりと好きである。みんなで旅行などに行っても、わたしがカメラを持っていた場合は、記念写真より風景写真のほうがずっと多い。ひとを写すのはあまり得意ではない。自分が写るのも苦手なほうで、オフ会などで他の人が写真を撮っても、わたしが写っているものは少ない。やはり写るよりも写すほうに回ることが多いような気がする。

ところが、アルコールが入るとなぜか積極的に写真に写るようになってしまう。最近の写真を見ると、酔っぱらって写っているものが圧倒的に多い。もともと写りたがりだったのが、アルコールでたががはずれてそうなったのか、それとも酔って何も考えなくなっているだけなのか、本当のところは不明である。

ちなみに酔っても本当に写らないのがプリクラである。いままで2回しか撮ったことがない。それも周りのノリで仕方なく、というやつで、いやいや写っている、ということがまるわかりの写真になっている。大学の後輩が学生控え室でプリクラを見せあっているのを見ると、こんなことをして何が楽しいんだろう、と思ってしまう。これを読んだ人は、わたしをプリクラに写るように誘うのは控えるようお願いしたい。



1998/1/17 85 できる範囲で、というが… (テーマ:ボランティア)

神戸方面の人は思い出したくないだろう、阪神・淡路大震災の日から、きょうでちょうど3年がたった。当時は日本中が大騒ぎになったが、いまや今日がなんの日か覚えていない人すらでている。まあ当事者でなかった人は仕方がないとも言えるが、ひとの記憶というのは、まことにいい加減なものである。

わたしにとって1995年1月17日は、センター試験が終わってひといきついた、受験生生活も終盤の普通の平日であるはずだった。ところが朝起きてみると、センターどころではない大騒ぎになっていた。母親のわたしを起こす声は、「神戸が大地震で壊滅状態だ」というものだった。まさか本当だとも思わず居間に行ってテレビを見てみると、あのテレビでいやというほど見た惨状が広がっていたのであった。

テレビでは盛んにボランティアの救援を呼びかけていた。わたしも自力で行ける場所での大災害にいてもたってもいられなくなったが、なにも考えず一人で飛び込んでいってもできることは少ないだろうと考え、とりあえずは目の前の受験勉強に集中することにした。救援物資も何が必要かは見当がつかなかったので、とりあえずお金を送ることにした。それ以上のことはしても無駄だと考えた。

あとできくと、案の定来ても何もできなかったボランティアの人がいたり、使えなかったり整理されていないな救援物資がたくさん届いたりと、ありがた迷惑なボランティアも相当数あったという。いくらできる範囲といっても、被災者の要求にこたえられない救援は、無駄以外のなにものでもない。

3月には受験のために大阪の親戚の家に泊めてもらったのだが、現場の苦労の他にそういう話も聞くことができた。時間に余裕があったら神戸を見に行こうとも思っていたのだが、単なる野次馬になってしまうような気がして、千葉にそのまま帰った。130キロで走る新幹線の窓から青いビニールシートの屋根を見ながら、なんとも複雑な気分をかかえての帰路であった。



1998/1/18 86 朝の必需品 (テーマ:目覚まし時計)

わたしは非常に物持ちが悪い。普通の人なら、昔からからずっと持っているものがいくつもあるだろうが、わたしの場合は何度も引っ越しをしているせいもあり、そういったものはほとんどない。現在使っているコンポも相当古いが、わたしのものになったのは高校に入ってからである。本当に昔からわたしが使っているものとしては、目の前にある黄色い目覚まし時計が、ほぼ唯一とであるいって間違いない。

オレンジがかった黄色もだいぶあせていて、ステッカーなどを貼ったりはがしたりした後もたくさん残っている。とくに上側はほこりが沈着していて見るからにきたない。温度計や湿度計もついているがあまり役に立っておらず、時計が無駄に大きくなってしまう、という効果しかない。今時ほとんど使われない単二電池で動き、とりえはやたらと威勢のいいベルの音だけである。

この目覚まし時計は、小学校に入ってすぐの頃、学校に遅刻することがあまりに多いので買ってもらったものである。この手のものは買ってもらうのは初めてで、うれしくて毎日枕元に置いて寝ていたのを覚えている。枕元に置かなければ役には立たないものではあるが。もっとも、遅刻の減少にはこの時計はあまり役には立たなかった。最後にはみどりのおばさんにも顔を覚えられてしまい、あまり早く家を出ると逆に驚かれたものだった。

小学校も高学年になると、小さい頃からの時計を使い続けるのもなんとなく恥ずかしいと思い、新しい目覚まし時計を買ったのだが、なんとなく落ち着かず、結局時計を変えるのはあきらめた。その時計は現在父が単身赴任先で使っているはずである。慣れた音で起きた方が、寝覚めもいいような気がしたのである。

その後もなんとなくこの時計を使い続け、大学に入学して一人暮らしを始めるときもこの時計を持っていった。友人に時計を見て驚かれたりもしたが、すでにこの時計でないと気持ちよく起きられない体となっていたのである。どんなに夜更かししても1限目にはしっかりでられたのも、ほとんどこの時計のおかげである。

もっとも欠点もある。電池が減ってくると、目覚ましのベルの音が貧弱になってくるのである。最近のベル型目覚ましや電子式のものなら、こういうことはあまりないだろう。こうなると、疲れているときなどは起きられなくなってしまう。目覚ましを消して再び寝る、というありがちなことをしてしまうのである。しかし、現在はこの時計にも愛着のようなものを感じつつある。おそらく完全に壊れるまで使い続けるだろう。



1998/1/19 87 アンチ日記派 (テーマ:このエッセイ)

今日はこのエッセイを始めようと思った経緯について書こうと思う。

最初の回でも書いたが、このエッセイの第一の目的は文章の練習である。高校時代に変な文章を書くことに燃えていた、ということは前に書いた。受験生時代などは予備校の小論文の授業でけっこう鍛えられたりした。大学も1年生の時はレポートもたくさんあり、なぜか国語の授業もあったので文章を書く機会はいくらでもあった。ところが現在は、アルバイトで技術文書の翻訳をするほかには文章を書く機会もほとんどなく、そもそも本を読む時間にすら事欠く有様である。アルバイトの時間中に唐突に時間が空いてしまうので、それを利用して文章を書いてみよう、と思ったのである。

日替わり、などという無謀なことを考えたのは、定期的に更新することを宣言しておかないと、そのうち飽きて更新しなくなってしまうのが目に見えているからである。そうするとせっかく覚えかけたHTMLも忘れてしまう。まあ、毎日としたのはちょっときつすぎたと後悔していないこともないが、せっかく始めたのだからいつまで続くか試してみるのも一興だろう。

毎日書くならWeb日記でよいではないか、という人もいるだろう。しかしあいにくわたしはWeb日記というものはあまり好きではない。まず自分で日記を書くのは、自分のなさけない生活をWebで全世界にさらしてしまうような気がして恥ずかしい。ひとの日記を読むのは、なんだかのぞき見をしているような気がしてしまう。あったことをただ書くだけでは、文章の練習としてはあまり適していない。

こうしてちょっとへそ曲がりとも言える経緯から始まった、この日替わりエッセイ。意外にもアクセス数はけっこう伸びていて、うれしい限りである。調子に乗ってtableタグを使ったメニューなども作ってしまった。読まなければいけない本もたまっていて、やらなければいけないこともたくさんあるのだが、なぜかエッセイが最優先の生活になっている。日替わりとはいわないまでも、定期的にエッセイを書く同志を探す暇もない。困ったものである。



1998/1/20 88 雑に学んだ人 (テーマ:雑学)

雑学、という方向性でいろいろなことにやたらと詳しい人、というのは身のまわりに必ずいるものである。どうしてこんなことを知っているのだろう、と思ってしまうくらい雑学に詳しい人がわたしの知り合いにもいる。その人と一緒にごはんを食べにいったりすると、その人の話をずっと聞いているだけになってしまうことも多い。わたしも雑学関係ではいろいろ知っているつもりだが、その人にはとてもかなわない。

よく物忘れをしてしまう、ということは少し前に書いたが、これはすなわち記憶力が悪い、ということでもないようである。そのジャンルや入手方法などによって、記憶力にはかなりの差があるようなのである。わたしの場合、すべきことや持ち物はよく忘れるが、雑学的知識については覚えがよいのである。道筋などを覚えるのも得意なのだが、それはまた別の機会に書くことにする。

本や漫画、テレビ番組などの好みも、雑学にそこそこ詳しいひとつの理由になっているのかもしれない。本や漫画は例にしにくいから置いておくとして、テレビ番組はお笑いやドラマよりも教養系バラエティやクイズ番組を好んで見てきた。とりたてて重要でもないことを詳しく聞いて、へぇ、と感心するというのがわりと好きなのは確かである。好きだからこそ覚えもいいのだろう。

これはわたしにとってはたしかに楽しいのだが、実生活にはあまり役に立たない。せいぜいものを食べたり酒を飲んだりするときの話の種になる程度である。大学の同級生などには、いろいろなことを詳しく知っていると感心してくれるが、それ以上のことはなにもない。自分でもこんなことを知っていてどうするんだ、と思うような知識である。話を聞いた相手が覚えてくれるとはとても思えない。

コミュニケーションの役には立つが、わたしのやりたいイスラム研究には、まったくとはいわないまでもほとんどプラスにならない。それなのに、アラビア語やイスラム関係の知識はまったく頭に入らないのだから世話はない。わたしの「雑学」というのは、いろんなことを「雑に学んできた」証拠なのである。



1998/1/21 89 国民的献立 (テーマ:カレー)

幼稚園から小学生くらいまでの頃に好きだった料理はなにか、とたずねたら、10人のうち6〜7人はカレーライス、と答えるだろう。残りの3〜4人はハンバーグ、1人はきんぴらやしるかけご飯などなにか他の食べ物を答えに挙げるであろう。さらに、初めて作った料理がカレーである、という人もかなりの数になると思われる。そしてほとんどの食堂ではカレーライスがメニューに載っている。これほどまでにポピュラーである料理はあまり多くないであろう。

ポピュラーであるために、その味もピンからキリまである。学食などの場合、カレーは大抵最安値帯でかなりの量が食べられるようになっているが、その味はかなりすさまじいものである、という例が多いであろう。少なくともわたしがいた学校ではそうであった。昼食でなにを食べるか考えるのが面倒くさくなったとき、なぜかカレーを買ってしまうのである。そして必ず食べ始めてから後悔する。まずくてもこうして売れてしまうので、学食のカレーの味というのは決して向上しないのである。

一方でホテルなどの高級なレストランでも、カレーを頼んで出てこないことはほとんどないであろう。まあ、わたし自身あまり高級なホテルには行ったことがないので、はっきりしたことは言えないのであるが。それはともかく、こうした店ではなぜかカレーとご飯は別々に出される。カレーの器なども妙に上品で、なにか間違ったような高級感をかもし出してくれる。食べてみるとそのへんの食堂とは別の食べ物なのではないか、と思うような味である。それなのに食べ終わっってみると、もっとよいものをたのめばよかった、と後悔してしまうのである。

さて、カレーは単に食べるだけではなく作るほうでも非常にポピュラーな料理である。料理の方法もやはりピンキリで、レトルトですませる方法から自分でスパイスをブレンドするところから始める方法までさまざまである。わたしの場合はルーを買ってきて作るという、もっとも一般的な料理方法をとることがほとんどである。実はルーから作ってうまくいった試しはなかったりするが、ルーを使わないインドカレーなどを作ったこともある。基本的に辛党なのでとうぜん出来てくるものも辛い。

こうしたカレーも、なぜここまでポピュラーになったのか、わたしにはそれがとても不思議である。すべての予備知識をとっぱらってカレーを見てみると、これほど見た目がよろしくない料理もあまりない。味や口当たりも、慣れないうちはつらいのではないか。やはり「インド人もびっくり」のあの有名なコマーシャルのたまものなのだろうか。そういえばカレーがいつ頃から一般的になったのかもわたしは知らない。こうしていろいろ考えてみるとカレーも奥が深い。



1998/1/22 90 よい時代になりました (テーマ:お絵かき)

もしかしたら、インターネットの普及で一番得をしているのは、パソコンで絵を描く人々かもしれない。作ったCGをそのままwebに載せれば、簡単に不特定多数に自分の絵を見てもらえる(かもしれない)のである。少なくとも同人誌即売会に絵を持っていったり、出版社に持ち込んだりするよりは、ひとに見てもらえる可能性がはるかに高い。インターネットで気軽に情報公開するメリットの、いい例であろう。

CGの場合は、出来がよければしっかりアクセス数に反映されるようである。見てすぐわかる、というのはやはり有利である。文章の場合は、ちゃんと読まなければ評価できない。文字の羅列だけだと、「とりあえず読んでみよう」という気には、なかなかなりにくい。単純なデータ量にしてみれば文章の方がずっと少ないのだが、見る気にさせるという点で文章は不利である。

ちなみにわたしには絵心は全くない。小さい頃から絵を描くのは苦手で、定規を使ってビルや電車などの直線だけでかける絵ばかりをかいていたものだった。テーブルトークでよく遊んでいた頃はキャラクターの顔の絵を自分でかかなければならず、やたらと苦労したものだった。しかしそれもそのうち飽きてしまい、小学校の頃になると図画の時間以外はほとんど絵を描くことはなかった。

絵を描くのが苦手なので、CG制作には手を出そうとも考えたことがない。絵を描くのとCGを描くのとではぜんぜん違う、という人もいるが、わたしの周りにいるCG描きの人は、手書きで絵を描いてもうまい人ばかりである。得意な部門が異なるのはしかたがないとおもうのだが、インターネットで公開した場合のメリットが全く異なってきてしまうのはなんとなく悔しい。それでもインターネットで公開できるようになっただけまし、と考えるべきか。



1998/1/23 91 いずれは… (テーマ:就職)

わたしは3年生ももうすぐ終わりである。卒業後の進路について、とっくに考えていてよい時期である。就職関連のセミナーはすでに去年の春頃から開かれている。授業に人が少ないと思ったら、みんな就職説明会に行っていた、などということも最近は珍しくない。企業からもはがきやら封筒やらがどんどん送られて来ている。うわさによると、すでに面接が行われているところもあるらしい。

いちおうわたしは大学院に進学を希望している。しかし進学に向けていつどのように動き出せばいいかが、いまいちよくわからない。うちの大学の院生に聞いてみればいいのだろうが、つながりが全然ないのでどうコンタクトをとればいいのかいまいちわからない。そもそも学内進学と学外進学とではまた違うはずである。IRCなどのチャットの知り合いは理系の人がほとんどなので、話を聞いてもあまり参考にならない。こんな状況だと就職の話も気にせざるを得ない。一番のネックは暇な時間があまりないことなのだが。

就職関連のダイレクトメールは、止めてもらうのも面倒くさいので来るにまかせている。このダイレクトメールの傾向も、それぞれの業界の景気を反映しているようでおもしろい。ちなみに、うちにきたダイレクトメールが一番多かった業界は金融と証券で、次が建設業界。まさにせっぱ詰まっている分野である。ちなみに人気のジャーナリズム系は1通も来ていない。

今から活動を始めるのはちょっと遅すぎると思われるが、どっちにしても就職活動そのものはあまりやりたくない。就職活動をするには、活動そのものとは関係ないところでいろいろ準備が必要である。なんといっても、スーツを着なければいけないのがつらい。スーツを着ずにどこまでやって行けるかの実験が、早くも挫折してしまうことになってしまう。それに自己分析をしてみると、どう考えても向いているのは研究職なのである。

それでも、いつまでも収入なしでやっていくわけにはいかない。どのような形にしても、最終的には就職をしなければいけないのだ。いまは、せめてイスラムか中東に関係がある職業、もしくは会社に就職したいと思っている。アラビア語能力などを身につけておけば、おそらく就職口には困らないと思うのだが。



1998/1/24 92 冬空を見上げて (テーマ:空)

どうも、今年の冬の東京の空事情はあまりよろしくないようである。例年ならこんなに雲が多く出たりはせず、きれいな空が毎日広がっているはずなのであるが。きょうなどは積雲が発生しているのを見てとても驚いた。異常気象も本格化、といったところである。このぶんだと、梅雨の時期には青い空が連日広がるにちがいない。まあすでにその傾向は見えているのだが。

わたしは冬の空がかなり好きである。理由はきれいだからの一言につきる。わたしはずっと首都圏に住んでいるので一般的なことはいえないが、少なくとも東京の空は、冬が一番見られると思っている。とにかく冬の空は色があざやかで深く、遠くまで見わたせる。東京から富士山が一番良く見えるのは、間違いなくこの時期である。いまのバイト先はビルの28階にあるのだが、空気の澄んでいる日は富士山がよく見える。夕日をバックにしたシルエットなどはもう絶景である。

また冬の夜は、星や月が本当にきれいに見える。見える星の数自体は少ないが、その数少ない星の見え方がすばらしい。夏の夜空の星は単に「光っている」だけに見えるが、冬の星は「輝いて」見える。空の色も深い群青のような色で、ずっと見ていると吸い込まれそうになる。寒い中でも外に出て眺める価値のあるものであろう。

しかしなんといっても冬空で一番きれいなのは、日没の瞬間であろう。東の空と天頂のほうはきれいな夜空になっていて、西のほうはあざやかなオレンジ色が残っているのだが、日が落ちる瞬間に青のような赤のような緑のような、なんとも形容しがたい色の光を発するのである。この夕暮れの空が、つくばのわたしの大学からだと本当にきれいに見える。これは田舎のほうでないと、障害物が多すぎてなかなか見えない。この夕空を見るときが、つくばに来てよかったと思える数少ない瞬間である。

空を落ちついて見ることができるようになったのは最近になってからのことなので、いろいろなところの空を見くらべる、ということはまだほとんどしていない。エジプトに行ったときに空をしっかりと見てこなかったのは、ちょっと不覚であった。東京の空だけを見てあれこれ書くのだけでは、まだまだ世界が狭いと言わざるをえまい。



1998/1/25 93 無視しているはずなのに (テーマ:流行)

わたしは流行を追っていろいろなものに手を出す、ということはまったくしていないつもりである。そのときどきで興味が出たものについては、いろいろ見たりはしているが、「○○が流行っているらしいからやってみよう」というアプローチはしていない。

しかし、今までの趣味の傾向などを見てみると、なぜか世間の流行とシンクロしているものも多い。ファミコンなどのテレビゲームはまあしかたがないとしよう。小学生のときにラジコンで遊んでいたのは、やはりブームになった時期であった。中学のころファンタジー小説を読み始めたのも、ロードス島戦記などが注目を浴び始めたころである。競馬を見はじめたのも、やはりブームになったころで、インターネットもちょうど流行りはじめたころに始めている。

最近こんなことに興味がある、というようなことを言うと、そういえば今流行っているね、などというこたえがよく返ってきて、驚いてしまう。流行などを意識したことはまるでないのだ。その話を聞いて雑誌などを見てみると、確かにブームとして取り上げられていたりするのだ。

無意識にブームに乗ってしまうというのも、実はある程度納得ができることである。テレビや雑誌などでとりあげられることが多ければ、それだけ情報がたくさん入ってきて、興味を持つ可能性もあがる。親しい友人が手を出していても同様である。マスメディアが今ほど影響を持っていなかったころは、流行というのはそうして形成されていたものだったのだろう。

しかしわからないのは、なにかの趣味を始めたときとブームが始まるのとがほぼ同時だった場合である。わたしの場合相撲がそうであった。IRCも、わたしが始めて少ししてから突然利用者が増加しはじめた。もしかして自分は流行の最先端を行っているのではないか、などと思ってしまう。まあそんなはずはないのだが。



1998/1/26 94 B級オーディオ (テーマ:オーディオ)

世の中にはとんでもなく金のかかる趣味、というのがいくつも存在する。オーディオはまさにその一つであるといえる。「オーディオが趣味である」と胸を張って言うには、最低7桁は投資をしていないと恥ずかしいという気がする。もしくはオーディオ機器を自作してしまうかでもしないと、とても人前でオーディオの話などできない。

といっても、わたしがオーディオにとんでもない金額をかけていたり、機器を自作したりしているわけではない。自分の技術力および経済力が許す最大限の範囲で音に凝っているだけである。で、どこに落ち着いたかというと、中の上というべきか上の下というべきか、要するにそういうレベルである。

現在わたしの部屋にあるのは、パイオニアの20年くらい前に親が買った、かろうじて生き残っているコンポである。すでにアンプも死にかかっていて、ときどき左チャンネルの音がやたらと小さくなってしまう。テープデッキは妙に回転が遅く、ノイズリダクションもドルビーBすらついていない。なぜかタイプIIIのテープに対応しているのが、すごいと言えばすごいのだが、使わない機能はあまり自慢にならない。ちなみにCDプレーヤはDENONの安物を追加してある。

ヘッドホンステレオはウォークマンのDX-100という機械を使っている。ウォークマン・プロフェッショナルの最下位機種である。しかしこれも音はそこそこよいのだが、走行系のどこかが弱ってるらしく、安定して回ってくれないことがある。イヤホンもそこそこ良いものを使っている。下手なデジタルオーディオには負けない自信はある。

これだけ語ってみても、とても自慢できる品揃えではないことに変わりはない。しかし、現在オーディオにさらに金をかけられるほどリッチであるわけではない。デッキもアンプもスピーカも欲しいと言えば欲しいが、現在いちばんほしいものはディスクマン。MDにはあまり魅力を感じない。いまだにメインのメディアはテープだし、まさにB級オーディオというにふさわしい状態なのであった。



1998/1/27 95 客観的には下手 (テーマ:かたづけ)

だれが言いだしたのか知らないが、A型の人はきちょうめんできれい好きであるという。ところがこれはわが家についてはまったく当てはまらない。わたしとわたしの母がA型なのだが、2人そろって散らかし屋なのである。ちなみに父と妹はB型で、ものはきちんと整理する方である。まあ血液型の話は今回はどうでもいい。

とにかくわたしはもののかたづけというのが下手なのである。もちろんかたづけをまったくしないわけではなく、本当に足の踏み場もないような状態になるのは、作業のときや風邪をひいたときくらいである。読んだ本や聞いたCDをしばらく置きっぱなしにすることも確かにあるが、気が付いたときに適当な場所にしまっている。

問題はそのかたづけのやり方で、収納する場所にかたっぱしからものをどんどん詰め込んでいってしまうのである。わたしが小学生の頃、勉強机の引き出しをゴミ箱とかんちがいされた、ということすらあったほどである。かたづけはやっているかもしれないが、整理整頓とはとてもいえないようなレベルなのだ。

かたづけが苦手でしかも下手である、ということもあるが、ものをきちんとかたづける、ということが大事だとはあまり思っていないということが大きい。大事なのは、なにをどこに置いたかをきちんと把握している、ということなのだ。きちんと把握してさえいれば、見た目がどんなにごちゃごちゃでも困ることは少ない。

もちろんこれはプライベートな部分にしか通用しない話である。学校や会社などで整理整頓が奨励されるのは当然で、複数の人がものの配置を把握できないと、たいへんなことになってしまう。どこもかしこもカオス状態であってよいわけがない。

ちなみに現在わたしの部屋はとんでもなく散らかっている。寝っころがるスペースくらいはあるが、ものが無造作にぼんぼんと置かれていたりする。これは単純に、ものの量が部屋のキャパシティを超えているだけである。すこし整理をしないといけないのだが、これは本当にわたしの苦手とするところで、あまり気がすすまない。



1998/1/28 96 7桁で大変だ (テーマ:7桁郵便番号)

来月から本格的に郵便番号の7桁化がスタートする。正確には7桁かは去年からスタートしていて、来月からは従来の番号が使用できなくなる、ということらしい。郵便番号が変わると言うことで、わたしも今年はいつもより多く年賀状を出した。返礼は全然来なかったが、新郵便番号伝達の役には立ったことだろう。

それはいいが、郵便番号簿を見てみると、郵便番号の書き方についてけっこう細かく書いてある。これは気づかなかった人も多いかもしれないが、読んでみると、これはちゃんと守らないといろいろ面倒なのではないか、ということが多い。

ワープロなどで宛名ラベルを作成する際、番号の頭に郵便マークをつけると読みとり失敗の原因になるらしい。さらに、番号を半角文字で詰めて印刷したりすると、これも読みとり不良の原因になるという。いままでの書式だと機会が読みとってくれない、という可能性も高いようである。

これはなんともお粗末な話である。郵便番号の7桁化はコスト削減のために行っているはずなのに、機械の郵便番号読みとり不良が増えて逆に人手がかかる、などということになったら本末転倒である。国の情報のデータ化を進めて管理を強めるためなのではないか、といわれても文句は言えないだろう。

このことはすでに問題になっているらしいが、どういう形で実際の業務に影響が出るかはまだわからない。2月に7桁への移行が完了したあと、どのくらいの混乱が起きるか見ものである。こういうかんじんの所が抜けているあたりが、官僚らしいという気もする。



1998/1/29 97 どれをとっても同じらしい (テーマ:新聞)

一人暮らしをしていた頃、休日にたまった洗濯物の処理をしていると必ず中年のおじさんがやってきて、洗剤やビール券を片手に新聞の勧誘をしはじめたものだった。うっとおしくてしかたがないのだが、退屈な時などは雑談の相手になってもらうこともある。小一時間ほど話してから購読を断った時の顔はなかなか見ものである。

それにしても不思議なのは、新聞を何紙とっていても勧誘が来る、ということである。新聞をとっていないところをあらかじめ調べておいて狙い撃ちをした方が、効率があがると思うのだが。勧誘員が半額にしてくれるというので契約したら、しっかり全額取られそうになったこともある。新聞勧誘に関するトラブルはやはり多いらしい。

勧誘員が言うせりふは大体決まっている。「どの新聞をとっても同じ」というのが、その代表的なものである。同じなら勧誘された新聞をあえてとる必要もない。というわけで新購読契約をすると、必ずおまけがついてくる。どうやら新聞6ヶ月分には洗剤4個分くらいの価値しかないらしい。そこまで自分が売り込んでいる新聞に自信がないのなら、勧誘員やめればいいのに、とも思う。

それにしても最近の新聞のもっともらしい正義面はひどい。某宗教団体のだれがどう見ても反社会的である行為や、政界のいろいろなスキャンダル続いたおかげで、誰が読んでも正論と取れるような記事がいくらでも書ける状況が続いているのである。しかも、新聞が書いていることをまともに批判できるメディア、というのが今のところ存在しない。テレビは新聞と同グループなのであてにならない。

いまや新聞にたちうちできるメディアはインターネットしかない。インターネットはまさに自由な言論活動の場を提供している。いまのところまじめに言論活動を行っているサイトは少ないようだが、今後インターネットが発展していけば、どうなるか分からない。インターネットでマスコミ界にくさびを打ち込むことができたら、痛快で良いと思うのだが。



1998/1/30 98 飲まず食わずは日中だけ (テーマ:断食)

実はきょうはイスラーム暦でラマダーン月の最後の日にあたるらしい。ご存じない方のために説明すると、ラマダーンの1ヶ月はイスラームの世界では断食の時期なのである。ちなみに、イスラーム暦というのは太陰暦で1ヶ月は30日と決まっており、しかも閏の調整をしないので、1年に数日ずつ太陽暦とずれていくそうである。季節と暦の整合性が重要な農耕民族には、とても信じられない話である。

で、この断食の方法というのがまた変わっている。断食しなければいけないときはものを食べるのはもちろん、なにかを飲んだり、たばこを吸うのも禁止される。つばを飲むのもいけない、という説もある。ところが断食をしなければいけないのは太陽がでている間だけであり、夜の間はいくら飲み食いしてもかまわない。このときにみんな力の限り食べるので、ラマダーン月の食料消費量は年間最大になるらしい。

去年、突然思い立ってラマダーン月に断食をしてみることにした。いまはラマダーンは冬の時期なので、日が短くて楽であったりする。わたしはムスリムではないので、礼拝まではせず、とりあえず日中に食べたり飲んだりしないだけにした。この断食がどのくらいつらいのか、試してみたかったのである。

しかし実際にやってみると、それほどつらくはなかった。若いので体力的にもつらいということはなく、もろに大学生らしい生活をしていて日中の半分くらいしか活動していなかったからである。断食をしているというと友人に驚かれたりもしたが、日中だけでいいというと、自分でもできるんじゃないか、と言われたりもした。

ところがこれは実際そのとおりであったりする。そうでなければ、ムスリムの人だって毎年断食を実行できるはずがない。イスラームでは、戒律で無茶なことを強制したりはしていない。妊娠中の人などは断食を免除されたりもするのである。誰でもできるからこそ戒律として存在している。

それよりも一度体験してみたいのが、ラマダーン明けの祭りである。聞くところによると、ラマダーンの最終日の晩から3日間は、食えや歌えの大騒ぎになるそうである。イスラームなので酒が入ることはないのだが、一度は体験してみたい。そのうち現地で体験できることを楽しみにしている。



1998/1/31 99 あけましておめでとうございます (テーマ:正月)

突然この時期にこんなことを言われると、驚く人もいるかもしれない。知っている人は知っている、旧正月なのであった。この日に香港などでは爆竹や花火を使った馬鹿騒ぎが行われるらしい。ひな祭りと七夕とお盆とハロウィンとクリスマスを祝うような国民性を持つ日本であるが、旧正月はあまりメジャーではない。直後の節分にくらべると、やはり派手さに欠けるのだろう。

わたしももちろん旧正月を祝ったことはない。なにせ、このテーマを取り上げるのが2日遅れたくらいである。ちなみに、新暦の正月のほうもあまりしっかりと祝っているわけではない。もっとも、寝正月というのは現代における正月の正しいすごし方なのかもしれないが。

今年は珍しく銚子まで出かけたりしたが、普段の年は本当に家でごろごろしているだけである。おせちを食べる。テレビを見る。本を読む。寝る。これのくり返しである。ゲームも昔はやっていた。だいたい正月にやっているテレビ番組はだいたい冗長でつまらない。正月に人々はテレビを見ている、という傾向におぶさっているだけとしか思えない。

そういえば、恥ずかしい話だがわたしは数え24(つまり、今年の年男である)にもなって、いまだに親からお年玉をもらっている。学生のうちは親には頼れるだけ頼っておけ、とも言われたのだが、やはり20を過ぎてまでもらう、というのはなんとなく悪いような気がする。しかも一人暮らしをしていた頃は、仕送りを毎月おくってもらっていたにもかかわらず、正月には数万のお年玉をもらっていたのである。申し訳ないったらありゃしない。

太陽暦・太陰暦ともに正月を迎え、名実ともに1998年が始まったかに見えるが、じつはまだ新年でない暦もあったりする。イスラム暦がそれで、次の正月(?)は5月頃のはずである。そのからくりはこの下の文章を読むとわかるかもしれない。いやはや、世界は広い。



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