憬文堂
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  朱の環礁  
LITTLE ANCHOR

仲秋 憬






 エリュシオンがいよいよケープムーンへ向けて出発する時になっても、フェンネルの

容態は意識不明のまま変わらなかった。

 しかし、悪い方へ進行しなくて良かったと藍澄は考える。

 そうでも思わないと、どこへも行けなくなるからだ。

 出発前のミーティングで、メインクルーにフェンネルの事故と病状、任務への不参加

を伝えるとさすがにSG部隊には緊張が走った。

「戦争中でもパイロット三人で乗り切ったくらいだ。うちのSG部隊は全員エース級だ

から、スーパーエースがしばらく休んだところで支障はないだろ」

 操舵士のアルヴァは、ことさら何でもないように言ったが、実際、パイロットの数は

常にギリギリで、たった3人で何とかなっていたあの頃は本当に異常だったのだ。

 では和平が成立し、パイロットも増えた現在なら楽勝かと言えば、そう単純にはいか

ない。

 今回の任務は、EUGとICSEOのトップ二人の間で定期的に行われる会談のため

に、ICSEOのディックハウト総統をケープムーンへ迎えに行き、EUGのマッキン

レー大統領の待つ地球のヘルシンキへ連れてくるというものだから、万が一にも間違い

は許されない。戦争が終わったからと言って、現状の和平条約反対派や過激なテロ組織

が全て消滅したわけではないのだ。ディックハウト総統が周到に守られている総統府か

ら出る場合、命を狙われる危険性は常にある。

 専用シャトルではなくエリュシオンという戦艦で移動する意味は、そこにあるのだ。

 EUGとICSEOに和平条約が締結された後、月や各コロニーを行き来する民間機

は、ずっと増えたが、同時に民間機目当ての宇宙海賊の犯罪行為も増えていった。

 従って航路の安全確保のためにも、戦争時より穏やかとはいえ、すぐさま軍備が縮小

していくことはあり得ない。

 そしてICSEOやEUG、それぞれに所属する国での局地的な反体制派によるテロ

活動が皆無になったわけでもない。和平のために一切の兵器を放棄することなど、最早、

人類に不可能な理想だ。

 宇宙資源管理機構の存在意義はEUGとICSEOのどちらからも等間隔に置かれた

第三者組織として確かな意味を持ちつつあった。

 その象徴としての戦艦である新生エリュシオンが実際に護衛艦として働く機会は、

思いの外、多かったのである。



 ミーティングが終わり、ブリーフィングルームを出る折に、ICSEO軍からフェン

ネルと共に出向してきているSGパイロットのラルフが、藍澄に声をかけた。

「艦長、自分もフェンネルさんのお見舞いに……行きたかったっす」

「うん……ごめんなさい。突然の事故だったし、集中治療室で面会謝絶だったから、

みんなに声をかけるわけにいかなくて……早く意識が戻るといいんだけど」

「大丈夫っすよ。前の行方不明の時も……ちゃんと戻ってきたじゃないっすか!」 

「……だよね。お休みの間、SG部隊は大変だと思うけど、フェンネルさんの分まで、

頼みますね。ラルフさん」

「任せてくださいっ! 今回の任務、フェンネルさんも久しぶりにディックハウト総統

にお会いしたかったと思うんで、それは残念だったっすけど……」

「でもほら、私たちが総統をヘルシンキに連れてくるわけだから、それまでにフェンネ

ルさんの様態も回復に向かって会えるかもしれないしね」

「ああ、確かに! その時、フェンネルさんに胸はって報告できるよう俺も頑張ります」

「頼りにしてます」

「艦長、フェンネルさんは絶対良くなりますって。あの人が、いつまでも艦長をひとり

にしておけるわけないっすよ」

「え?」

「おふたりを見てると俺も早くかわいい彼女ほしいなと思っちゃうくらいで……フェン

ネルさん、艦長にベタ惚れでしょ」

「あ……そ、そうかな」

「そうですよ!」

 フェンネルに傾倒し崇拝しているラルフの言い様は藍澄を赤面させた。

 実際、フェンネルが藍澄に常にちょっかいを出しているのはエリュシオンに関わる皆

が見聞きしてわかりきっていることなので、藍澄も否定はできない。

 わがままなエースパイロットは、それでいて不思議と憎めないところがあって、仲間

たちは誰もが彼の回復を願っていた。





 ケープムーンに向かう間のじりじりした時間を、藍澄はできる限り艦長としての仕事

に没頭することで過ごした。



 フェンネルの病状は、雪乃が受信する病院からメールで定時に知らされてはいるが、

特に異変がないという事実を聞けるだけだ。

 仮に異変があったところで、すでに宇宙で任務についてる藍澄も雪乃も、地球へ戻る

ことなどできないのだが、確認せずにはいられない。フェンネルの治療のための人探し

が必要なくなったという知らせが来ないことを祈る時間が刻一刻と過ぎていく。

 エリュシオンでの藍澄のタイムスケジュールには、雪乃からの定時報告のような、

その一言を聞いてから自室へ戻るという日課が自然に組み込まれた。

「凪人の容態は変わらないそうです」

「そうですか。教えてくださって、ありがとうございます。雪乃さん」

「……艦長、ゆっくり休んでください」

 雪乃の報告は、任務の報告と同様、感情を抑えた簡潔なものだった。

 その平時と変わらない態度を冷たいとは思わない。むしろ救われるような気がするの

は、藍澄にもエリュシオン艦長としての心の落ち着きが培われた証かもしれなかった。

 フェンネルの容態を知ることができるだけでもいい。生死もわからず行方不明の彼を

待っていた、あの時よりずっとましだ。何度も自分にそう言い聞かせる。

 雪乃もきっと同じように考えているだろうことが藍澄の支えになった。



 要人が乗艦していないエリュシオンの航行は至って順調で任務に関しての不安はない。

 それだけに往路で唯一の補給機会の設定が艦長藍澄の大きな心掛かりだ。

 補給地をL1コロニーのフロンティアにしたことを咎められる要素はないが、その

フロンティア滞在時に藍澄が私的に動く時間がどれほど取れるかは微妙だ。

 かつてEUG軍の秘密計画に関わっておそらく追放された人物を探し出すような時間

があるだろうか。その人物の人となりもほとんどわからない、この状態で。

 無謀とも言える探索予定を知っているのが藍澄と雪乃とクロイツァーだけでは遂行が

難しいと思われたので、雪乃に相談した上で、藍澄はブリッジのアルヴァにだけは事情

を詳しく話すことにした。

 休憩交代の折に艦長室で雪乃同席でアルヴァに説明すると、彼は実にあっさりとその

計画を受け入れた。

「なるほどね……そういうことなら協力するぜ」

「ありがとうございます! アルヴァさん」

「そんなかしこまって頭下げなくていいよ、藍澄。艦長と副艦長がそろって瀕死のエー

スパイロットを心配するまでもない。仲間の生死が、かかってるんだ。誰だって出来る

だけのことはするさ」

「助かります」

 顔色こそ変らないがメガネのフレームに手をかけ一息つく雪乃にも安堵の色がにじむ。

「雪乃も心労が絶えないな」

「いえ……」

 めずらしく歯切れの悪い雪乃を前に、アルヴァはふっと小さく鼻を鳴らしてから、

おもむろに表情を引き締めて言った。

「こんなに急じゃコロニーに着いても探すあてなんかないんだろ。表からフロンティア

の役所に行ったところで指名手配でもない民間人の人探しで引き出せるものは知れてる。

使えるとすれば俺がマッキンレー押しの和平改革派で仕掛けてた時のツテか……あとは

軍の情報部だな」

「情報部!」

 藍澄が思わず声を上げると、アルヴァはにやりと笑って言った。

「ああ。EUG軍がらみだから、EUGの情報部の方から移民データにダイレクトでア

クセスできりゃ、目当ての人物を見つけるのも早いぞ。そもそもSS計画の仇花で強制

移民なら情報部は今も居場所を監視リストから外してない可能性が高い。S級A級じゃ

なくてもB級注意人物には残ってるだろ。現住所と生活環境の把握、生存確認は間違い

なく継続してるはずだ」

「確かに……では、あとは我々が今頃なぜその人物を探しているかという正当な理由が

あれば」

「理由なんざ表に出さなくても艦長クラスの命令で問題なく情報部のデータベースから

引き出せると思うが……ただ、藍澄の立場は、ちょい特殊だし、一応今はEUG軍じゃ

なくて宇宙資源管理機構に出向中だから、場合によっちゃ引っかかるかもしれんな」

「L1コロニーの情報部の拠点がフロンティアにありましたか」

「中立だから大っぴらな施設はないが定期連絡してる情報員はいるはずだ」

「そうですね。調べてみます」

 雪乃がすぐさま立ち上がる。

「フロンティアまで、あと20時間ちょいってとこか。補給の留守番はしててやるから、

二人で行ってしっかり探してくるんだな。藍澄はそれなりに有名人だし、一人じゃ動き

にくい」

「……すみません。助かります」

「なぁに、我がエリュシオンの艦長さんは戦争中だって中立地帯なら恐れもなく出かけ

てたくらいじゃないか。今さらだろ」

 アルヴァはそう言って、きれいにウインクをしてみせた。


 




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