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 白珪ノ行方 

仲秋 憬




 列車での長い移動中も、はるはどうにかして雅を帝都へ帰そうというのか色々な提案

をしてきたが、雅はすべてを却下し聞き流した。

 京都に到着すると、まず四条河原町へ出て、茶店で軽く食事をしてから数少ない洋品

店で出来合いの上着を買った。雅に合わせ採寸して作らせたものでないだけに、寸法に

ゆるみがあって着心地がいいとは言えないが妥協するしかない。はるには適当な呉服屋

でこれも出来合いの羽織を買ってやろうとしたら、おそろしい勢いで止められた。

「それよりも雅様、どうか電話か、このあたりでそれが無理なら電報でご連絡だけでも

……」

 後ろを着いてくるはるに譲歩することなく、雅は道を急いだ。

「そんなことしたら台無しだよ。ここまで来た意味ないじゃないか。放っておいても

本気でまずいと思えば、すぐ追いかけてくるんだから」

「でも皆様にご心配をかけては……」

「書置きしてきたから理由は伝わってるはずだし平気」

 勇は怒り狂ってるだろうけど。

 しかし雅は勇の怒りも嫉妬も特に恐れるものではない。それよりも今こうして、彼を

出し抜いていることが愉快でならなかった。

「あの置手紙は私の事情しか書いてありません。雅様までどうしていなくなったのか、

きっと心配されます」

「誘拐されたわけじゃなし、それくらい僕の意志だって連中も察するでしょ」

「ご一緒している私にはわかりませんが」

「そりゃお前はね。僕は別にお前が本条院や茶会で恥をかこうがどうしようが、一向に

構わないんだけどさ。ここまで来たんだから退屈しのぎくらいにはなってくれないと」

「では……あの、京都まで来たのですから千代子様には……」

 雅はぴたりと歩みを止めて後ろのはるを振り返った。

「伊村になんか死んでも行かないよ」

 いつだって自信なさげで逃げ腰の母のおどおどとした態度を思い出すだけでも、雅は

気分が悪くなる。

「そんな……たった一人のお母様ではありませんか」

 いっそ他人なら、ここまで腹も立たないだろうと雅は思う。そういう心の機微を誰か

にわかってもらおうとは思わないが、はるが切々と訴えてくるのは面倒だった。他の誰

に言われたって聞かずに無視できるのだが、はるの言葉はいちいち耳に入り記憶に残る

のだ。

「変な奴」

「はい?」

「お前のことだよ。どうしてそんなに他人のことで、いちいち必死になるのさ。何でも

かんでも首突っ込んで振り回されたあげくに怪我したり損したり、馬鹿じゃないの」

「私は、ただよかれと思って、したいようにしてるだけなんですけど……」

「本気で言ってる?」

「はい。そう見えませんか」

 確かに損得や計算があっての行動ではないだろう。はるは元気で前向きな笑顔のこと

が多く、真摯で懸命で、嘘がない。欺瞞もない。そういう相手に負の感情を向け続ける

のは雅でも難しいのだ。

「とにかく目的を果たさないと意味ないから。当分は自分のこと一番に考えろって、勇

だって言ってるじゃないか」

「ありがとうございます」

「なんでそこでありがたがるのさ! だからヘンだって言うんだよ」

「だって私を気遣ってくださってのお言葉ですから」

 満面の笑みを浮かべて話すはるに、雅はどうしても動かし難いものを見つけてしまう

のだ。

「もう……いいから、ほら、来て!」

 雅ははるの手首をつかんで歩き出した。

「……やっぱりお前だと平気だ」

「何がですか?」

「さわっても、さわられても平気。謎なんだけど」

 できればずっとこのままでいられればいいと思う。

 しかし、彼女はもうすぐじきに──



 あまり考えたくない事実を打ち消すように都大路を歩いて、雅は並でない作りの門の

前で立ち止まった。

「立派な門ですね。お寺や神社でもないようですが、どこのお屋敷ですか?」

「知らないの?」

「存じません」

「本条院千家の宗家だよ。閑記庵とかいう家元しか使わない茶室があるとこ」

「ご宗家! ではトキ様のご実家ですね」

「そうなるね」

「どうしてここに……お約束もないのに」

「去年は行かなかったけど、ここには毎年の秋の茶会で宮ノ杜の連中も来てるから。僕

は初めてだけど」

「…………」

 はるの不安そうな表情は今ここで頼るものが雅しかいないと訴えているようで、どこ

かこそばゆい。

「どうせ遠からず勇だってお前を連れてくるつもりだったろうし」

「いえ、ですからどうして雅様は今こちらへ?」

「決まってるじゃない。お前が修行するなら、ここしかないでしょ。勇のとこの流派の

総本山なんだから」

「ええぇーっ?」

「何も知らない若かった父様だって習えたくらいだから平気じゃないの」

「玄一郎様と私じゃ全然違うじゃないですか!!」

「同じだよ。お茶の作法なんかろくに知らない素人だってところは」

「そういう問題ではっ」

「結界もないし、敷石に水も打ってあるし、入っても構わないはずだから」

 雅は断言して門の中へ入り、家屋へと続いている緑の中の石畳を先へ行く。

「茶会の時は向こうの庭も使うんだろうな。本条院はやけに野点が好きだよね。うちで

の春の茶会も晴れていれば野点の立礼席だしさ。誰の趣味だか知らないけど妙にあけっ

ぴろげでお前には入りやすいんじゃないの」

「いえ、お茶はそんな簡単に身につけられませんよ。……形ばかりなぞっても心が足り

ないようで」

「偉そうに。勇の受け売り?」

「いえ、トキ様が」

「あー、やかましいよね。あのおばさん」

「……雅様」

「ごめん、誰かいる?」

 とがめるはるをよそに雅はたどりついた玄関の引き戸を開け、奥から出てきた男に

平然と声をかけた。

「急で悪いけど宗主に目通りしたい。宮ノ杜家新当主の勇のことで火急の用件なんだ

けど」

「これはこれは……遠いところから、ようおこしやす」

 家元の弟子らしい男性は雅を見覚えていたようだ。

「火急の用事で直々に弟はんが……?」

「宮ノ杜で体が空いてるのが僕だけだったから」

「ただ今、宗主は稽古中ですが、どないしましょう」

「だったらここにいるんだ。運が良かった。無礼を承知で押しかけてきたんだから

待つよ」

「そら、あきまへんなぁ」

「そう? 勇が当主になったから、本条院と繋がりが濃くなったと思ったのに。ここ

で宮ノ杜を追い返すの」

「いえ失礼があってはあきまへん、ということですわ。鉄斎宗匠に確認させていただか

んと……そんなら、ちょいとお時間ちょうだいします」

 待合の小間らしき座敷で煎茶を出され、雅とはるは並んで座っているしかなかった。

「立派なお屋敷ですね」

「まぁ古めかしいけど見苦しくはないね」

「雅様は西洋風がお好きなんですものね」

「西洋のものだから好きってわけじゃない。優れているものに価値があるってだけ」

「私には難しいお話ですけど、雅様のご判断は筋が通っているのだろうなあって思い

ます」

「……別にお前に評価してもらわなくたって、いいんだけど」

 とは言え、まんざらでもなく、雅ははると二人で待たされるのも苦にならずにいた。


 ほどなくして、身のこなしに隙のない、それでいて刺々しさはまるでない好々爺と

いった風情の和装の男が現われた。

「長々と待たせて、かんにんな。宮ノ杜の坊ちゃんと……近く勇と祝言上げる……」

「はじめまして。突然お邪魔してご迷惑をおかけいたします。浅木はると申します」

 はるは畳に頭をすり付けんばかりにお辞儀をした。

「それで火急のご用件とは」

「ああ、この勇の嫁になるはるが、今年の宮ノ杜の春茶会でお披露目がてら亭主として

薄茶席を持つんだけど」

 雅がよどみなく話し始めたのを聞いて、はるが顔を上げ目を丸くする。

 そんな顔をしたらあからさま過ぎてばれるじゃないかと思ったが、それならそれで

構わないと雅は達観していた。

「帝都で宮ノ杜の茶会となれば本条院千家なのは明らかだし、道具組でこれぞ本条院っ

てものをひとつ取り合わせるべきだと考えたんだ。で、よければご協力いただきたい」

「……ほう。それはまた急な話や。トキは何と?」

「あの人には内緒で驚かせたいってのが勇の意向。宮ノ杜家新当主として主催する茶会

だからね。いつも頼るばかりでは茶人としても成長がないってさ。こうして宗家にお願

いしたら変わらない気もするけど、今回は嫁のお披露目亭主だから、いつもと違う趣向

で進めてるわけ。で、会にふさわしい茶杓を探しているんだけど」

「茶杓なら宮ノ杜でも色々お持ちとちゃいますか」

「そこはそれ、祝いの席にふさわしいものを本条院から拝領したっていう流れが重要で

しょ。関東の経済界、社交筋には確実に印象付けられる。茶の湯も今後は家元制度に何

らかの経済活動が伴わないと将来はないし……もともと本条院が新興の宮ノ杜に娘を嫁

に出したのも、その効果を期待してだと思うけど。京都は、まだ帝都から遠いよね」

「宮ノ杜の坊は目端がきかはりますなあ。勇とは、えらい違うた弟はんや」

「褒め言葉と受け取っておくよ。……で、どう?」

「そう急かさんと。関東の人はせっかちでかなわんわ。急いてはことを仕損じる、言い

ますやろ」

「文化活動ならのんびりやるのもいいだろうけど、こっちは評価が墓に入ってからじゃ

遅いんだよね」

「勇と祝言上げる……はる、言うたか。茶はトキに習ってるんやったか」

「はい……私もそう器用な方ではございませんのでトキ様にご指導いただいて私なりに

懸命に取り組んでおりますが、まだ至らないことばかりで」

「そら、そんな簡単に行くもんちゃいます。せやな、ほな一服点てておくれやす」

「え!? 今ですか?」

「知らん水屋で支度せいとは言わへんよ。亭主するなら、その稽古と思えばよろしいわ」



 宗主は上機嫌で、二人を別棟の茶室に案内した。

 はるは見るからに緊張して、雅の袖を引き、小さく震えていた。

 しかしここまで来れば度胸を決めて開き直るしかないのだ。雅は何気なく小声でつぶ

やいた。

「別にいつも通りにすればいいだろ」

「いつも通り……」

「家元だとか考えないで勇のじいさんに茶を出すだけだと思えば楽なもんじゃないの?」

「おじいさまにおもてなし……ですね。そうですよね。うん、茶の湯の心構えですよね。

ありがとうございます。雅様」

 実際、稽古に付き合っていた雅は、濃茶はともかく薄茶はそこそこ行けるだろうと

踏んでいた。玄一郎を面白がり娘をくれてやって宮ノ杜を利用しようとした本条院なら、

この状況ではるを邪険にするはずはない。

 そして、はるには勇の嫁になることを差し引いても、手を出し構いたくなる何かが

あると雅は思うのだ。

 鉄斎は恐縮気味のはるの様子には構わず稽古さながらに、ぽんぽんと指示を出す。

「運びの平点前より棚を使ったらええ。ほんまに茶会やろう思うたら平点前がいっとう

難儀するもんや」

「はい……私など、まだまだお道具をうまく据えられなくて」

「せやろ? 最初に置く位置が肝心や。そこさえびしっと決まると、後は、すーっと

うまくいく」

「なるほど! こうでしょうか」

「位置は体で覚えるんや。点前座に来て畳の目を数えてるようではあかんよ。帛紗さばき

は、どこでも練習できるけど、畳に道具据えるんばっかりは、そないにいかへん」

「はい」

「でもあんた姿は悪ないわ。背が丸まったり、ひじはったりせんと、自然なのがええ」

「ありがとうございます。こんな未熟者がお稽古つけていただけるなんて……一生の励み

にいたします」

「普段からトキや勇がしこんでたら、変わらんはずやろ」

「はっ」

「なんや、おもろいやっちゃなあ」

 やはり、はるにはある種の人間の関心を妙に引くものがある。

 雅は自分の読みが当たることに何故か内心穏やかでない物を感じずにはいられなかった。

 はるは、用意された茶室で無心で薄茶を点てた。即席の稽古は小一時間ほど続き、多忙

なはずの鉄斎はごく基本の点前を丁寧に動作を実践しながらはるに教え込んだ。それは隣

で客として見ている雅にも、共に有意義な稽古になっていて、彼は内心舌を巻いていた。



 稽古に付き合い雅が客としてはるの点てた薄茶を二服飲んだところで、鉄斎がおもむろ

に雅の方を見て言った。

「あんさん先代の若い頃に似てはるわ」

「先代って……父に?」

「勇も面差しだけは似てるとこあるんやけど性分はかすりもせえへんのになあ。なんぼ兄

弟言うたかて腹違いやし、母親の血が濃く出るんやろか」

「…………」

「旦那様……玄一郎様のお若い頃って雅様みたいだったんですか?」

 終い茶碗で茶筅通しを終えたはるが、意外そうに口をはさむ。

「いやぁ、玄一郎と初めて会うたんは酒の席やったし、まだ十代の坊と比べるんはどうか

と思うんやけど、けったいな理屈をひょいひょい並べるその物言い、自信たっぷりで黙っ

てても目がいく人相なんぞ、そっくりや。雅はんのが若い分まだおぼこい尾っぽも出ては

るけどな」

「あいにく酒の席には、まだ縁遠くて否定できないんだけど」

 いわく言い難い心境に、雅はそう返すしかなかった。鉄斎は高らかに笑い出す。

「せやったか。けど勇も軍を退役するわけやなし、遠からずあんさんが裏当主ちゅうこと

もあるんやないか。宮ノ杜は安泰やなあ。うちも、せいぜいあやからんと」

 使った道具が順々に清められ棗の拝見を願おうとしたところで、水屋に控えていた弟子

の方から、稽古中の茶室にそっと声がかけられた。

「宮ノ杜雅様、帝都の宮ノ杜ご当主からお電話が」

「……そうら来はったで」

「ま、雅さま……」

 面白そうに笑う鉄斎とうろたえるはるを前に雅は平然と立ち上がった。

「案外、早かったね。まぁ軍の任務を放って直接こっちに乗り込んで来ないだけマシ?」

 堂々と呼び出しに出ていった雅は玄関に近い事務方の小間にすえられた電話機まで案内

されて、受話器に耳を当てるなり荒れ狂う勇の怒鳴り声に見舞われた。

『雅っ! この大馬鹿者めが!! 何を考えてこんな真似をした!? 誘拐罪で逮捕され

たいかッ!』

「身内と行動してて、なんで誘拐罪? 馬鹿はそっちでしょ」

『貴様……今度という今度は、そのねじ曲がった性根をたたき切ってやらばならぬようだ

な。勝手千万な振舞い、宮ノ杜家当主として許さんぞ!!』

「勇が怒るのは当主としてじゃなくて、はるの良人としてじゃないの?」

 雅はどこ吹く風で勇の怒りを受け流し、しゃあしゃあと言ってのける。

『ええい! お前ではらちがあかぬわ。はるを出せ! はるを!』

「今、本条院の鉄斎宗匠と稽古してるけど」

『宗匠と稽古だと? 貴様、無礼な真似をして、あやつに恥をかかせたのではなかろうな』

「大体さあ、今度の茶会ではるのお披露目しようって言うなら本条院にはるを連れてくる

のは本来、勇の役目でしょ? なのにのろのろしてるから名代として代わりに僕が連れて

きたんじゃないか」

『おのれ、名品の拝領茶杓を手折っておきながら、なんたる言い草か』

「折ったのは、僕がはるの稽古に付き合った時だし。だから連帯責任で一緒に来たんだよ。

むしろ忙しい新当主様の手間を減らしてやったんだから感謝してほしいくらいだね」

『ごたくを並べてごまかすな! 今すぐ帝都に戻れ! でないと誘拐捜査の警官として進

を行かせるぞ』

「帝都の交通課の進がなんで京都に誘拐捜査で来られると思うのさ。勇も当主になったな

ら、もう少し頭使わないと」

『この大事に所属部署ごときで煩わされる宮ノ杜ではないわ』

「よくそれで陸軍大佐やってられるね……周りの部下と上司に同情するよ。どうしても人

を寄越したいなら、まずは喜助か、暇が作れる茂あたりじゃないの? 適材適所の采配が

できないなら当主なんかやめた方が身のためだよ」

『おのれ雅……もうよい! そのまま本条院にいろ。今すぐ俺が行って叩き切ってやろう』

「勇様! 申し訳ございません! 私です! はるです!!」

 いつの間にか来て背後から雅の持つ受話器に向かって叫ぶはるの勢いに雅は耳を押さえ、

そのまま受話器を彼女にゆずってやった。

『はるっ! 無事か? なぜ俺を待たずに出かけたのだ!』

「すみません、私……お道具を守れなくて、それで夢中で……いえ、知らずに来て、びっ

くりしました。…………はい、直々にお教えいただきまして………………はい。……えっ、

まさか! ……いいえ、そんなことないですよ…………本当です! 雅様がよくしてくだ

さって……勇様……はい………………はい……ええ、大丈夫です。…………はい……」

 見えもしない受話器の向こうの勇にぺこぺこと頭を下げながら話すはるは、それでも目

に見えて安心したのがその声や表情に表れていた。

「退屈しのぎもおしまい……か」

 雅は小さくつぶやいて、はるをその場へ残し、先に茶室へときびすを返す。

「……わ、わかりましたっ。ええ、お声が聞けて安心しました…………ありがとうござい

ます、勇様!」

 はるの嬉しそうに弾んだ声を背に、雅はとんぼ返りの帰都の予定を頭に描いた。





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