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罪 作 り
仲秋 憬 




 「ねえ、詩紋くん、私、思うんだけど」


  あらかた食べ終えた夕餉の膳を前に向かい合っていたあかねが、それまでの他愛の

 ないおしゃべりよりも少し声をひそめて、詩紋に話しかけてきた

  ひとりで食事をしたくないと言うあかねの夕食につき合うのは、たいてい詩紋だ。

  京の貴族は家族の生活の場はそれぞれ別で、食事の団らんなど持たない。まして、

 他人の男女が顔を付き合わせて食事など考えられないことらしいが、龍神の神子とし

 て異世界から召還されたあかねと、一緒に京へやって来て、神子を守る八葉に選ばれ

 た詩紋は、もともと京の人間でないもの同士。また、詩紋は八葉の中でも、あかねよ

 り年下のまだ元服前の童として左大臣家の人々に認識されていることもあって、あか

 ねと膳を並べて食事をすることも、とがめられずにいた。

  これには、左大臣家の姫で、龍神の神子に仕える星の一族である藤姫の配慮もあっ

 たのだろう。藤姫は齢十歳の幼さながらも、あかねが少しでも快く過ごせるように気

 を配ってくれていて、あかねも詩紋も感謝していた。


 「藤姫ちゃんは、友雅さんが好きだよねぇ」

 「ええっ?!」

  突然、振られた話題に詩紋は手を止めて、まじまじとあかねを見た。ごくごく真面

 目な表情だ。どんな返答をしたものかと内心、困惑する詩紋に構わず、あかねは話を

 続ける。

 「最初はね、お父さんとか、お兄さんみたいな感じで好きなのかなと思ってたんだけ

 ど……。友雅さん大人だし、からかったりもするけど優しいし、頼りになるでしょ。

 だけど、それもちょっと違う気がするの。だって藤姫が、私への態度でムキになって

 怒ったりするのは、友雅さんにだけだもの。友雅さんの話をする時が、一番、生き生

 きして表情が変わるしね。とっても可愛くなるんだよ」

  常日頃、あれこれと龍神の神子としての自覚を促され、あかねに対して事細かく注

 意する過保護の姉か母親のように振舞う藤姫に、年相応のかわいらしさを見つけたこ

 とが、よほど楽しいのか、あかねは、ふふっと小さく思い出し笑いをした。

 「よく見てるね、あかねちゃん」

 「そりゃあね、毎日、顔を見てお話して、もうひと月以上たつんだもの」

  あかねは少し得意げに右手の人差し指を立ててポーズを取りながら言う。完全に気

 分はお姉さんのようだ。

 「友雅さんもね、私が来て八葉になる前から、藤姫のことは知っていて、たまに会い

 に来ることもあったみたいだし。そしたらすごく年は離れてるけど、京では年の差な

 んてあまり関係ないらしいから、将来、恋人になったり、結婚したりって有りなのか

 なぁって……」

 「それは、いくらなんでも早過ぎない? 藤姫が友雅さんに憧れてて慕ってるってい

 うのはあると、ボクも思うけどさ。藤姫まだほんとに小さいし……」

 「詩紋くん、わかってないなぁ。女の子が恋をするのに子供も大人もないって!」

 「あかねちゃん、わかるの?」

 「女の勘ね!」


  その勘が確かなら、詩紋は、あかねにこそ、それを問いただしたかった。他人の気

 持ちは、そんなによくわかるのに、どうして自分に向けられている想いになると、途

 端に鈍くなるのだろう。男だって恋をすれば大変なのだ。色々と。

  しかし、あかねの近くで、気易く打ち明け話の相手になるという特権を、みすみす

 手放すような危険を冒す詩紋ではなかった。あかねの、こんな風に、自分そっちのけ

 で他人のことに一所懸命になってしまうところにも、どうしようもなく惹かれている

 自覚が詩紋にはある。これが惚れた弱みというものか。


 「それにほら! 『源氏物語』だって紫の上が子供の頃に引き取られるじゃない?」

 「ああ、そうだったね……」

 (でも確か、光源氏と紫の上の年齢差は十歳くらいだったと思うけど。三十一の友雅

 さんと十六のあかねちゃんより離れてないよ)

  そう思い当たっても、もちろん詩紋は、そんな危ないことは口にしない。


 「うーん、女房さんの話とか聞いてるとさ、京って、身分がつり合うかどうかが大事

 みたいだよ。藤姫は左大臣家のお姫様で、友雅さんは左近衛府少将の貴族だから、確

 かにお似合いなのかもしれないね。藤姫が大人になったら、だけど」

 「やっぱり? じゃあ藤姫ちゃんのためには、八葉の仕事を友雅さんにお願いした方

 がいいのかな。それとも呼ばない方がいいのかな。どっちだと思う?」

 「……あかねちゃんは、それでいいの?」

 「え? 私のことじゃないよ。藤姫ちゃんと友雅さんだよ」

 「いや、だから……」


  あかねの気持ちを確認しようとして、詩紋は考え直す。

  本心はどうであれ、藤姫が友雅を引きつけておいてくれるなら好都合だ。恋敵は少

 ない方が良いに決まっている。まして誰もが認める魅力的な大人の男など、あかねの

 側にいない方が絶対にいい。何と言っても恋愛経験の場数が段違いだ。

  友雅が評判通りの華やかな行きずりの恋を楽しむだけの男だとしても、藤姫が心配

 しているように、あかねをもて遊ぶことはないだろうと詩紋は思うが、何かの拍子に

 本気になられたら目も当てられない。

  あかねが友雅を何とも思っていないなら、不用意に刺激して意識などさせてはいけ

 ないのだ。

  何より友雅は京の人間で、詩紋やあかねとは文字通り住む世界が違う。鬼との戦い

 が終われば、いずれ別れることになるのだし。


 「……あぁ、うん、物忌みに呼んだら来てくれるけど、あかねちゃんとずっと一緒に

 いることになるから、逆効果かもしれないね。外出の時、ついて来てもらうのも、む

 しろお願いしない方が、あかねちゃんが出かけた後、ここに残って藤姫とお話する可

 能性が高いし。友雅さんはボクらの中じゃ一番年上で身分もあるから、八葉の代表み

 たいなところもあるものね」

 「そうか……そうだね。だったら……」



 「面白そうな話をしているねえ」

  ふいに頭上から低く艶やかな大人の男の声がして、額をつき合わせるようにして、

 内緒話に夢中になっていたあかねと詩紋を驚愕させた。

 「ととととととと友雅さんっ?!」

 「……な、ななな何で、ここに……っ」

  いつものようにゆったりと着付けた袍に、豊かな髪をなびかせた、くだけているの

 に優雅な姿の橘友雅が、思いがけない突然の本人の登場に半ばパニック状態の二人を、

 にっこりと見下ろしていた。

  夕食の給仕の世話をしてくれた後、下ろした御簾の側に控えていた女房は、いった

 いどこへ行ってしまったのだろう。誰か人が来れば先に声をかけて教えてくれるはず

 なのに、なぜこの場に、いきなり友雅が現れるのか。しかもすっかり日も暮れた夜に。


 「一緒に食事とは仲が良いのだね、君たちは。……ところで、藤姫と私が何だって?」

 「あ〜あの、ええっと、例えばの話なんですけどっ」

  あかねが焦るあまりに早口で話し出す。

 「藤姫みたいな京の本物のお姫様だったら、どんな男性がお似合いなのかなぁ〜なん

 て……あはは」

 「それはまた気の早い話だねぇ」

  友雅は特に気を悪くした風もなく、微笑みを浮かべてゆったりと答えると、当たり

 前のように、あかねと詩紋が向かい合わせて据えていた膳の横に、腰を下ろした。

  ちょうど三人で膳を囲む形になる、ごく近い位置だ。

 「私達が心配しなくても、姫が年頃になれば、父君の左大臣様がこれと見込んで定め

 た男が通うことになるさ。藤姫は星の一族の血を残すのが宿命だろうから、帝のお后

 として女御入内ということにもならないだろうしね」

 「それって……自分で恋人を選べないってことですか?」

  あかねが目を丸くして尋ねる。

 「女人が選ぶ? 一歩も外へ出ずに屋敷の奥で守られていて、どうやって男と知り合

 うのかな。姫君の場合なら、尚更あり得ないよ。まずは男から文を送るものだし、そ

 の文が姫の元へ届くのは大抵、親が許した相手だよ」

 「そういう世界なんだ……」

  自分たちとの大きな隔たりを思い、詩紋は、しみじみと感じ入る。

  一緒に少ししんみりしたあかねが、急に何かを思いついたように声を上げた。

 「あ、でも、藤姫は八葉の人たちとは交流があるじゃないですか! だったら、無事

 に京が助かって私が帰った後、藤姫と八葉の誰かが……」

 「帰るのかい?」

 「え?」


  あかねが大きくまばたきをして、友雅を見る。その時、友雅の瞳に見たことのない

 鋭い光がよぎり、詩紋は息を呑んだ。

  しかし、それはほんの一瞬で、気がつけば、友雅はいつもの柔らかい雰囲気で話を

 続けていた。


 「そうだね……ただ八葉と言っても、公に位を頂いているわけでは無し。元々臣下の

 頼久や、生きる世界の違うイノリは問題外だね。永泉様が出家されていなければ、身

 分も年まわりも、藤姫にとってこの上ないお相手かもしれないが、親王であられるお

 方は星の一族としてはどうだろうね」

 「はぁ……」

  何やら難しそうな話に、あかねがため息まじりの相づちを打つ。

 「高名な陰陽師である安倍晴明殿の愛弟子である泰明殿では、出自と身分が今ひとつ

 姫とはつり合わないしねえ。陰陽師では出世も限られることだろうし。やはりどうし

 ても使われる立場であるから、星の一族の血を守るというのは難しいように思うね」

 「うーん……」

 「ああ、鷹通など悪くない相手だよ。今でこそ、まだ殿上を許されない一介の官吏だ

 が、八葉としての働きと左大臣様の引き立てで位などいくらも上がるだろうし、婿と

 してうまくやりそうじゃないか。落ち着いて見えるけれど、年まわりも悪くないし、

 真面目同士でお似合いだ。家柄の格から言っても姫は間違いなく北の方として重い扱

 いになろうし、鷹通もそれくらいの甲斐性が欲しいね」

 「た、鷹通さんですか……。あの、あの……、じゃあ……友雅さん……は……?」

 「私? 私は夫には不向きな男だよ。……まあ、あと六、七年もたって、姫が退屈し

 のぎの火遊びの相手にと望まれるなら考えなくもないけれどねぇ」


  くすくすと口元を扇で隠して笑う友雅に、あかねと詩紋は呆然とする。

 「こんな年寄りと、今だ固いつぼみの幼い姫君をめあわせて、どうしようと言うの? 

 一族の血をつなぐためにも、問題があるのではないかな。私は自分の娘と言ってもい

 い年頃の人を好みに育てて、どうこうしようなどという趣味も、情熱もないし、妻の

 実家の引き立てをあてにしての出世にも興味がないしね。私がそれを望むなら、藤姫

 が生まれるより前の若い頃、とうの昔にしているよ」

 「で……でも……あの……違うの……。向いてないとか、一族がどうとかじゃなくて

 ……、心が……ね、お互いに好きあってたら……」

 「好きあう? 誰と誰が?」


  思いの他、強い口調で尋ねる友雅に、あかねは言葉を失っていた。

  友雅はひたとあかねを見つめていて、あかねはその友雅のするどい視線に射抜かれ

 たようになって固まっていた。

  それをすぐ脇で見ていた詩紋は、あかねの代わりに、恐る恐る震える唇で返事をし

 ようとした。


 「……ふ……藤……姫……と…………」

 「藤姫と?」

 「ともま……」

 「私は、かの幼い姫が花開くほど先まで、生き長らえたりはしないだろうよ」 

 「友雅さんっ!!」

  はじかれたようにあかねが叫んだ。

  友雅は、今日初めて、あかねから目をそらし、うつむいた。


 「人生とは淡雪のようなもので、生も死も大して変わりはないさ。私には取り立てて

 したいこともなければ、行先を見届けたいものも、守りたいものもないし……ね。か

 と言って、出家をして来世のために功徳を積む気にもなれない。命をつなぐための情

 熱などないのだからね。このままゆるゆると朽ちていくのだろうと思うよ」

 「だめ! だめです、そんなの!!」

  あかねが真剣に否を唱えるが、友雅は取りあわない。

 「どうして神子殿が、私の行く末など構うのかな。君が気にすることなどないのに」

 「だって……、友雅さん、自分で自分を見限って、あきらめちゃっているんだもの! 

 それだけ何でもできて、女の人にもてて、帝にだって一目置かれていて、私みたいな

 突然神子にされたわけのわからない異世界の子にまで優しくて、不真面目なふりして、

 本当は八葉のお勤めだって内裏のお仕事だって決めるときは決めるスゴイ人なのに! 

 そんな友雅さんを好きな人は、たくさんいるのに、どうしてそんなに悲しいこと考え

 てるんですか? そんなの、だめですよ!」

  うつむいていた顔を上げ、あかねが興奮して頬を紅潮させて説くのを、じっと見つ

 めていた友雅が口を開いた。

 「たまたま人より恵まれた容姿と、面倒が無いように立ち回る器用さがあるから、好

 かれているように見えるだけさ。私が頼んで好いてもらうわけじゃなし。……今まで、

 どうしてもこの人に好かれたいと思ったこともないからねえ。その時その時が楽しく

 過ごせて気が紛れれば、それで充分だ。人は皆、自分の見たいように他人を見るもの

 でね。私のような者を本当に最後まで必要とする人などいないよ」

 「そんなことありません! だって……だって…………っ」

 「神子殿だって、いずれ帰るのだろう」

 「……え?」

 「いや、帰るまでもなく、その前に、八葉としての私ですら頼ってはいただけないよ

 うじゃないか。物忌みにも外出のお供にも呼んでくださらないのだろう? やはり甲

 斐のない命だよ」

 「そんなこと……っ。そんなことないです! 私、友雅さんに力を貸して欲しいって

 思ってます! わがままでないなら頼りにだってしたいです! 次の物忌みについて

 てくださいってお願いのお文を書きますから!!」

 「無理をしなくていいのだよ」

 「無理なんかしてません!!」

 「本当に?」

 「本当です!」

  きっぱりと言うあかねは、真剣そのものだった。

 「あ……あかねちゃん…………」

  詩紋は二の句が継げない。


 「そう……よかった。嬉しいよ。私のような男でも、神子殿のお力になれるのだね」

  友雅は、あかねから視線を外さず、それはそれは艶麗に微笑んで、まるであかねだ

 けにささやくようにつぶやいた。こんな必殺技をかけられて、平気でいられるわけが

 ない。あかねは、もう、目の前の友雅でいっぱいになってしまい、他の何もかもが吹

 き飛んでしまっているようだった。

 「では、約束だ。次の物忌みは、必ず私を呼んで下さるね。……詩紋、君が証人だ」

 「は……い……」

  うなずく以外、詩紋に何ができただろう。



  御簾の向こうで衣擦れの音がして、こほんとひとつ女の咳払いが聞こえた。

 「おや、もう戻ってきてしまったか。本当に八葉の務めなくして神子殿のお側に上が

 るのは至難の業だな。血を分けた母君や姉妹より怖いお目付役や、命がけの番犬が付

 きっきりなのだからねえ。身内扱いの君がうらやましいよ、詩紋」

 「そんな……こと……」

  つまりそれは詩紋はあかねにとって危険度ゼロだと認識されているのではないか。

  人畜無害な対象とされるのは、果たして良いことなのか。悪いことなのか。

  詩紋は頭を抱えたくなった。

 「しかし、そこをあえて忍んで来させる押さえがたい熱を、この私に与えてくださる

 のだから不思議な人だね、君は。ねえ、神子殿」

 「ええっ?! 友雅さん? ……あ……あれ?」

  あかねは狐に摘まれたような顔をしている。

 「ふふっ。続きは今度また……邪魔が入らない時にね」

  この目には誰も逆らえない。


 「少将様、もう頼久が庭先へ参ります。……詩紋様も、お食事がお済みでしたら膳を

 お下げしますので……」

  女房が御簾をさらりと上げて、今度は声をかけてきた。

 「ああ、ごめんなさい。ごちそうさま。ボク自分で下げますから」

 「では行こうか、詩紋。……おやすみ、神子殿。よい夢路をね」

 「……あ、はい……おやすみなさい、友雅さん、詩紋くん」

  まだ夢から覚めきらないような、ぼうっとした表情のあかねの見送りを受けて、詩

 紋はどこか割り切れない気持ちを味わっていた。



  女房はあかねの膳を持って下がり、自分の膳を持った詩紋と、友雅が後に続いた。

  火の入った釣灯籠が下がる簀子(すのこ)に出たところで、詩紋は気まずい沈黙に

 耐えきれず、思い切って友雅に声をかけた。

 「あの……友雅さん、もしかして怒ってます?」

 「私が? 怒る? なぜそう思うんだい」

 「いえ……あの、なんとなくです。……ごめんなさい」

 「謝ることはないよ。勘のいい君に敬意を表して、ひとつ教えようか。何と引き換え

 にしても手に入れたいものの前に、どうしても戦いたくない敵がいたら、どうする?」

 「はい? ええ……っと」

 「簡単なことだ。敵を味方にしてしまえばいいのだよ」

  友雅は鮮やかに微笑む。

 「こんなことをさせるのだから、神子殿も罪作りだとは思わないかい? しかし、恋

 のあわれゆえの行いは、罪に問われることもあるまい。私もこんな思いは今まで知ら

 なかったのだよ。私には必要がないと……ずっと思っていたのだけれどね……」


  男と女と、どちらがより罪深いのか。恋に落ちれば、それはどちらも同じこと。


 「──八百よろづ神もあはれと思ふらむ犯せる罪のそれとなければ──」


  誰に聞かせるでもない歌を低くつぶやき、渡殿の真ん中に詩紋を置き去りにして、

 彼は帰って行く。悠然とあかねのいる部屋を後にする友雅の、その広い背中が完全に

 見えなくなるまで、詩紋は自分の片づけも忘れ、長いこと凍りついた柱のように、そ

 の場に立ち尽くしたのだった。




                  【 終 】





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