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常夏の月
仲秋 憬 



                   < 二 >


  夏の日もようやく落ちて、庭には篝火がたかれ、透渡殿(すきわたどの)の釣燈籠に

 も火が入り、風情ある夕べを彩っていた。

  あかねが常に寝起きしている部屋の正面、南向きの庭に面した廂(ひさし)の間には、

 友雅をのぞく八葉たちが、次々とやってきて、それぞれに贅をつくした馳走ののった四

 脚の膳の置かれた席に案内された。

  こういった席にまったく縁のなかった天の朱雀のイノリや地の青龍の天真はかなり面

 食らっており、あたりをきょろきょろと見回していた。本来、この左大臣家に仕える身

 分の武士である天の青龍の頼久なども、相当に居心地が悪そうで、できることなら今す

 ぐ庭先へ出て控えていたそうな表情を見せている。ゆったりとにこやかにかまえている

 のは天の玄武たる永泉で、地の白虎である友雅の対にあたる天の白虎の鷹通は、物固い

 面差しで席に着く。そして普段と何も変わることなく、無表情で落ち着きはらっていた

 のは地の玄武である泰明であった。

  詩紋は昼からの準備で、あちこち駆けずり回っていたのだが、その甲斐あって、めで

 たく一人も欠けることなく八葉が集まったのは、あかねのために嬉しいことだと思って

 いた。

  廂の間には、この宴席で給仕をするため美しく着飾った女房たちが脇に幾人も控えて

 おり、大殿油(おおとなぶら)の明かしの中、うち群れている様子は、まさに王朝の雅

 を体現した風情であった。

  藤姫は女性であるから、本来、露顕(ところあらわし)の席に同席はしないのだが、

 これは特別なあかねのための宴で、また、直接この露顕を取り仕切れる者がいないこと

 もあったので、御簾の奥にて同座するという変則的な位置についていた。


 「いったい何するんだよ。いきなり、あかねのために大事な宴があるから集まれとか言

 われてもさ。なんで俺らが集まって友雅の野郎を待たなけりゃならねえのか説明してく

 れよ」

 「天真、お前、知らなかったのか……」

  隣にいた頼久が、疑問を口にした天真を、まじまじと見て言った。

 「知らねえから聞いてるんだろ! 何だよ、おまえ真の友だっていうなら、さっさと教

 えとけって言うんだ」

 「……天真…………」

  頼久の半ば哀れむようなまなざしに、天真は憤慨している。

 「三日夜の餅、ですか……。では、友雅殿は……」

  永泉がためらいがちにつぶやくと、鷹通が答えた。

 「そろそろ来られるでしょう。あの方のことですから、おそらく本日は抜かりなく……」

 「だから、何でだよっ?!」

  天真がたまらず声を張り上げた時、すぐ先の渡殿から人がやってくる気配があった。

 その場にいた者たちに、さっと緊張が走る。

  それはもちろん、この日の主役である橘友雅の到来を告げるものであった。



  夜風にのって届いた、えもいわれぬ香を先導にして姿を現した男は、その場を圧倒し

 た。あかあかと灯された明かりに照らされた美しい男の立ち姿を見て、誰もが一瞬、言

 葉を失い、陶然とながめる。

  いつも華やかな友雅にしては、その夜は押さえたつつましやかな色調の直衣を一分の

 隙もないほどにきちんと身につけていた。他の者が身にまとえば地味にもなってしまう

 かもしれない出で立ちは、しかし彼の場合、夜の光の中でみると色合いがいっそう美し

 く趣ふかく見えるのだ。

  そして何よりも、その自信に満ちたどこか誇らしげで熱のこもった表情が、友雅を輝

 かしく彩っていたのであった。

  こんな友雅を誰も見たことがなかった。かつての彼は、周囲をどんなに熱くしても、

 友雅自身は、いつも醒めていて、その美しさは、ゆったりとたゆたい爛熟していながら、

 なお滅びに向かっていくような退廃した空気をただよわせていたものだ。

  だのに、どうだろう。ここにいるのは、まるで別人と言ってもいいほど、命の輝きに

 満ちたあでやかな男だった。


 「これはこれは、皆そろって迎えてくださるとは光栄の至りだね」

  友雅がするすると用意された座につくと、つい聞き惚れずにはいられない、なめらか

 で心地よい声音が響いた。

  友雅の声に最初に我に返ったのは永泉だった。

 「めでたき日にこうしてお迎えできること、大変喜ばしく思います。友雅殿と神子との

 御縁も、まさに龍神様と御仏のお導きとも申せましょう。どうぞ末永く常磐の松の契り

 となりますように」

 「ありがとうございます。永泉様」

 「主上からも、この露顕の儀に御祝いを預かってまいりました」

 「もったいないことでございます。過分なご配慮、心より御礼申し上げます。永泉様か

 らも、どうぞよしなにお伝え下さい」

  友雅が深々と礼をする。

  まるで宮廷儀礼をそのまま実践しているような二人を目の前にして、残りの者たちは、

 ただもう、ぼうっとそのやりとりを見守っていた。


  御簾の奥から藤姫がはっとして、声を上げた。

 「友雅殿、よくいらしてくださいました。ここにあなたを迎える八葉は、みな神子様の

 肉親と思し召して、どうぞ杯をお取り下さいな」

 「お心入れ痛み入ります。あかねや私の姉とも妹とも思えるあなたに、こうしてお迎え

 いただけるとはね、藤姫」


 「おい! ちょっと待てよ。何だよ、これ!!」

  この宴の様子が、ただならぬものであることに気がついた天真が大声で、友雅と藤姫

 のやりとりに割って入った。

 「天真先輩!」

 「天真!」

  天真の両脇から詩紋と頼久が押さえにかかる。

 「天真先輩、落ち着いてよ。……露顕ってのは、つまりボクらの世界で言えば結婚披露

 宴なんだって」

 「何だと?! おい、詩紋、おまえ知ってて!」

 「ボクも今日聞いたんだよ。それで一日準備を手伝って……」

 「披露宴? こいつとあかねのか?!」

  天真が無遠慮に友雅を指さした。

 「そうだよ。わかっていたことじゃない? いつか、こうなるのはさ……」

  詩紋のつぶやきは友雅をのぞく八葉全員のつぶやきでもあった。彼らはいわば等しく

 友雅に出し抜かれた恋の敗者とも言えたが、何より、あかねが望んで、友雅のもとに残

 ることを選んだのは、わかりきっていたので、あとはただ彼女の幸せだけを祈っていた。

 「………じゃあ、何だ、これはあかねとこいつの結婚式ってわけか? こいつと酒飲ん

 で、これから親戚ですね、よろしくって集まりなのか? 藤姫!」

  御簾の向こうにいる藤姫に向かって天真が尋ねる。

 「ええ……、天真殿、その通りですわ。神子様のためにも正式に調えて、この京で誰は

 ばかることなくお幸せになっていただきたくて、わたくし……」

  天真はきゅっと下唇をかみしめて、それからおもむろに顔を上げた。不機嫌そうな、

 でも決意に満ちた少年の顔だった。

 「……じゃあ、あかねを出せよ」

 「天真先輩!!」

 「冗談じゃねえ。このまま、友雅の野郎に祝いを言って酒のんでおしまいだなんて、俺

 は認めない。ここのしきたりなんか知らねえよ。あかねは京に残ったけど、あいつがあ

 きらめた物は、一つや二つじゃないんだぞ? あいつの向こうの肉親代わりとしてだっ

 てダメだ!! 結婚式だっていうなら、あかねをここへ出せよ。こっちのやり方だけで

 俺らを納得させようたって、そうはいかないぜ。おい、友雅!!」

 「なんだい?」

 「俺たちのあかねをかっさらおうって言うんだ。てめえは俺たちに誓う義務がある。あ

 いつを不幸にしてみろ。地の果てまでだって追いかけて、俺はおまえを殺してやる」

 「……一時ね、君がうらやましくてたまらなかった頃があったよ、天真」

 「あぁ?」

 「いや、君に言われるまでもない。神子殿が私のせいで不幸になるようなことがあれば、

 私は生きながらえるつもりなどない。私の一切は神子殿のものだ。誓うよ」

  自分の問いに本気で返す友雅を初めて目の前で見た天真は、納得せざるを得なかった。

 「決めるのはあかねだ……俺たちじゃないからな」

  その場を見守る八葉たちの総意であった。

 「…………神子殿は?」

  友雅がやわらかい笑みを浮かべ、御簾の奥にいる藤姫に向かって尋ねた。

 「あ……奥の……御帳台に…………」

  笑顔に呑まれて藤姫が答えると、友雅が立ち上がろうとした。それを止めたのは天真

 だった。

 「てめえはそこにいろ。ここへ連れてくるのは身内だ。俺……じゃ、みんな承知しねえ

 だろうから、じゃあ詩紋、おまえ行け!」

 「ボ、ボク?」

 「おまえが適任だろ?」

 「あ……、はい」

  詩紋がそそくさと席を立ち、藤姫が指示した女房の先導でその場を離れると、周囲は、

 しんと静まり返った。

  沈黙に耐えきれず、イノリがつぶやいた。

 「オレ、貴族の集まりなんか、いけすかないって思ってたけど……あかねが幸せになる

 のを見られるなら、こういうのも悪くねえよな」

 「そうですね、イノリ」

  鷹通が静かに頷いた。



  待ちきれずに焦れるほどもかからぬ内に、御簾の奥で衣擦れの音がした。長く衣の裾

 を引き、詩紋につきそわれて、この宴席に真の主役がやってきたのだ。

  ゆらゆらとゆれる灯りに照らされて表れたのは、それまで知ることのなかった美しい

 という言葉で言い切るのもためらう少女の艶姿だった。

  表は紅のあでやかな細長で、下に重ねた袿は蘇芳(すおう)、淡蘇芳、紅梅と、濃き

 薄きを重ねた中にのぞく白き単衣のめでたきまぶしさ。夏に映える撫子の襲(かさね)

 は、あかねのほっそりと可憐な様を際だたせていた。

  まだやっと肩につくほどの尼そぎよりも短い髪では、そのような衣をまとう姿は哀れ

 に見えそうなものなのに、あかねにかかると、かえって、この世ならぬ希有な身を表す

 かのように似つかわしく、愛らしかった。

  そして何よりも、この二晩で、彼女は明らかに面変わりしてしまっていた。幼げで、

 無心で、どうかすると十歳の藤姫よりも子供子供して見えることもあった異界の少女は、

 一足飛びに、大人になってしまったようだ。

  足下を気にしてか、うつむきかげんの少しやつれた面が、ふっと前を見て上げられた

 拍子に、例えようもなく甘い芳気が波紋のように辺りへ広がっていく。

  それは八葉たちが今まで感じてきていた龍神の神子の神気とも明らかに違う、もっと

 なまめかしく、心を騒がせる類のものであった。

  さなぎが蝶に生まれ出づる瞬間を見守るのにも似た陶酔感が、その場を満たし、ため

 息のような感嘆の吐息の音ばかりが響いていた。

  緊張をみなぎらせた詩紋が、あかねを上座にしつらえられた席にいる友雅の隣へと導

 くのを誰もが黙って見つめていた。

 「友雅……さん……」

  あかねの輝く瞳にも、ゆれる明かりの火が映り、きらめいている。その輝く視線の先

 に、友雅のまるで溶けてしまいそうな笑顔を見た時、誰もが二人の幸せな恋の成就を認

 めざるを得なかった。

 「結婚式だってな。お前と友雅の。認めたくねえけど、でも、お前がいいって言うなら
 
しかたねえよな」

  憎まれ口のように天真が言った。

 「天真くん…………みんなも…………あ……」

  あかねは周囲を見回して、京へ召還されてから、ずっと共に困難に立ち向かい、支え

 合ってきた仲間の視線を受け止めた。

 「神子殿、おめでとうございます」

 「神子……!」

 「神子様」

 「あかねっ」

 「神子殿」

 「……神子」

 「あかねちゃん」

  口々に呼ばれて、あかねは、どうしたらいいのかわからない風情で、立ち尽くす。

  あらゆることが胸にせまって言葉にならないのだと、その表情が語っていた。

  ここに来てほしいと望まれた場所に立つことを恐れるように、彼女は立ち止まったま

 まだ。

  あかねの目から、ゆらめく炎に光る涙が、はらはらっとこぼれ落ちた。

  彼女のこれまでを、その場にいるすべての者が思った。


 「──思ひ知る人に見せばや夜もすがらわがとこなつにおきゐたる露──」

  静かに詠った友雅が、とまどうあかねに右手をさしのべて、呼ぶ。

 「神子殿…………あかね」

  あかねの小さく震える白い手が友雅の手の指先にふれると同時に、友雅はしっかりと

 あかねの手を取った。

  その手に引かれて、友雅の隣に彼女がおさまると、そこが彼女のたどりつくべきとこ

 ろだと疑うべくもなかった。

 「お雛様みたいだ……あかねちゃんと友雅さん」

  並んだ二人を見た詩紋の素直な言葉に周囲は微笑みを深くした。



  ただでさえ異例の形になった露顕に、宴の進行役はとまどった。

 「神子様のお国では、どうなさいますの?」

  あかねが御簾の外に出たのに続いて、自分も御簾の外に付き従い、あかねの側につい

 ていた藤姫が、正面から直接天真に向かって尋ねる。

 「結婚式ったって、いろいろやり方あるんだよ。えーと、指輪の交換とか誓いの……っ

 と、それは教会だから違うな。神前式ってことなら、三三九度だっけか? 詩紋、お前、

 知ってるか?」

 「従兄弟の結婚式に出たことあるよ。神社で上げたんだ。そう、三三九度って、本当は

 三献の儀って言うんだよね。三つの杯で三杯ずつ交互に飲むんだったと思う」

 「なるほど、三日夜の餅でなく、固めの杯を男女で交わすというわけなのですね」

  永泉が興味深そうに言った。

 「こっちは餅なのか? いいぜ、両方やれ、両方!」

  天真が安請け合いする。

 「では、こちらの堤子(ひさげ)を」

  酒の入った堤子を詩紋が受け取り、友雅とあかねの前に進み出た。詩紋にしても、一

 度見ただけの三三九度のやり方など詳しく覚えているわけはないが、彼は器用に、それ

 らしく振る舞った。

  土器(かわらけ)の杯を三つ、二人の前に用意すると、まず一つ目を友雅に持たせて、

 まずは、しるしばかり酒をつぐ。

 「最初の二回は口をつけるだけで、三回目で飲むんです」

  友雅が言う通りにして飲み干すと、その杯をあかねにまわす。酒がつがれ、あかねは

 友雅のしたのと同じようにする。周囲は神妙に、その様子を見守った。

  ひとつの杯で交互に三回。友雅、あかね、友雅と飲むと、次は杯を変えて、あかね、

 友雅、あかねと重ね、最後の杯は、友雅で終わった。

  一回の酒量は、ほんの一口でも、これだけ回数を重ねれば、酒など日頃ほとんど口に

 しないあかねには充分すぎる量だろう、あかねの頬は燈台の火の照り返しにもあざやか

 に紅く染まる。それは実に美しい紅で、見守る者たちを陶酔させた。

 「神子殿……?」

 「あ、だ……大丈夫です」

  友雅があかねの顔をのぞきこむと、あかねはふるふると首を横に振った。

  夜の闇にゆれる明かりの紅、衣の紅、あかねの白い頬を染め上げる紅と、常夏の濃き

 薄きは、その夜の客の何よりの肴となる。


  脇に控えていた女房たちが、次々に酒肴をすすめ出すと、祝いを口にし、杯を空ける

 者が友雅とあかねを取り巻いて盛り上がる。


  ──嘉辰令月歓無極(かしんれいげつかんぶきょく) 

              万歳千秋楽未央(ばんぜいせんしゅうらくびおう)──


  鷹通が祝いの朗詠を吟じ、あかねは目を丸くして聞いていた。

  あかねが思わず拍手してねぎらうと、鷹通は少し照れてか、神子殿の祝いの席ですか

 らと控えめに言って、下がろうとする。

 「すごーい! 鷹通さんが歌うのを初めて聞きました」

 「ああいうきちっとした朗詠だと鷹通は見事にこなすね」

 「……友雅さん?」

 「催馬楽(さいばら)などは苦手のようだけれどねえ」

  あかねの横でまだまだ、という具合に首を振ってみせる友雅に、あかねはきょとんと

 している。

 「友雅、あかねがほめたからって妬くなっての!」

  イノリが言い当てて、また座がどっとわいた。

  どうにも照れくさいような、それでいて微笑ましい空気が広がり、あたりを包んだ。


  くり返される祝杯、歌を歌う者、笛を吹く者と、祝いの華やぎが頂点に達していたと

 ころで、おもむろに友雅が口を開いた。

 「さぁ、では、これで──、私たちは、あとは奥でね」

  友雅は、もう充分という風に一方的に宣言して立ち上がったかと思うと、周りが止め

 る間もなく隣に座っていたあかねを軽々と抱き上げた。

 「な、何をなさいます!」

 「友雅さんっ?!」

  呆気に取られる面々を前に、うろたえるあかねを離さず、友雅は告げた。

 「神子殿の国風の儀式もつつがなく済んだのだろう? ……ああ、本当はまだ何かある

 ようだったかな。指輪の交換に、誓いの……何? この場で、できないことだろうか」

 「聞いてたんですか?」

  あかねは驚いて尋ねた。友雅が天真のちょっとした言いかけの言葉まで聞き逃さずに

 いたとは思いもしなかったのだろう。

 「私の白雪のことなら、どんなささいなことでも知りたいと常に思っているからね」

  側に控えていた女房たちから、一斉にため息がもれた。こんな友雅を見て、平静でい

 られる女は、そうはいない。

 「誓いの……何だろう。皆の前で誓うこと…………そうだね、私たち二人が、これから

 決して離れず一緒に楽しく優しい時を重ねていく、と」

 「あ……、はい」

  もう二人はお互いしか見ていなかった。

  友雅は抱き上げているあかねに顔を寄せたかと思うと、あっという間に唇を奪った。

 「んっ……」

  周囲がこの信じられないようなあまりの出来事に、すっかり毒気を抜かれて呆然とし

 ている中、友雅は、あかねの力が抜けてしまうまで、思う様甘い唇を味わった。

  ようやく唇が離れた時は、あかねはもちろん、その場は大恐慌だ。

 「と、と、と……友雅さんっ!!」

  あかねは袖で口元を押さえて真っ赤になって絶句した。この京で衆目を浴びての誓い

 の口づけなどまったく覚悟がなかったのは当然で、しかも結婚式の誓いの口づけにして

 は、それはずいぶんと濃厚過ぎた。

  詩紋やイノリは口もきけずに赤面しているし、鷹通や永泉といった良識派は目の前で

 見せつけられたことが現のこととも思えないのか、呆気に取られて、見守るばかり。藤

 姫と頼久は主従で赤面しつつも、わなわなと震えており、取りあえず、表面上は冷静に

 まじまじと見ていたのは泰明だけという有様だった。

 「友雅ぁ! てめえ、知ってやがったな?」

  我に返った天真が今にも友雅につかみかかりそうな勢いで詰め寄ったが、すでにあか

 ねを手にした友雅は、どこ吹く風だ。

 「いや、まさか。しかし、どうやら当たったようだね。間違っていなかった?」

 「あんなのは……あんなのはな〜っ!」

  天真は、ほとんど切れかかっている。

 「神子殿の、この紅梅の唇に誓っただけだよ。未来永劫、決して違えることはないから

 安心したまえ」

 「できるかっ!!」

 「友雅さん!」

  抱き上げられているあかねが、友雅の直衣の袖を引っ張りつつ、何とかこの恥ずかし

 さから逃れたいとでもいう風に訴える。友雅は、そんなあかねをさらに抱き込んで微笑

 んだ。

 「なに? まだ足りなかった?」

 「ちがっ……!」

  もう誰も止められるものでもない。

 「では、もういいね。あとの仕上げはこちら風でね」

 「あ……っ」

  周囲が息を呑んだ。

 「おい、どこ行くんだよ」

 「野暮なことを聞くものじゃないよ」

  天真が引き止めようとしても、当然のように聞く耳を持たない友雅は、あかねを抱き

 上げたまま、さっさと御簾の向こうへ歩きだそうとしていた。

 「三日夜の餅は枕上でいただくものだからね。夏の夜は短い。私たちは、ここまでだ。

 あとは皆で、よろしくしておくれ」

 「三日夜の餅って……ここで食べるんじゃねえのか?」

 「ええ、寝所の枕上で、三日目の夜に男女でいただくものなのです。男君が三日続けて

 通い、お餅をいただいて正式なご結婚ということに……」

  天真の疑問に藤姫がためらいつつ説明する。それはまるで、不本意だけれど仕方ない

 といった風情である。

 「そういうわけだから水入らずに頼むよ。こちらの儀式も両方やれと言ったのは天真だ

 ろう?」

  天真はぐっと言葉に詰まる。

 「と、友雅さん……私、自分で歩けます!」

 「慣れない御酒を召し上がって足元もあやうい私の月の姫を守らせてはくれないつもり

 かい? だめだよ、姫君」

 「〜〜〜〜っ!!」

  その場にいる者全員が、もう勘弁してくれと叫び出す前に、友雅は悠々とあかねを連

 れて御簾の奥に入ってしまった。



 「だぁーっ、やってらんねぇよ。これが飲まずにいられるかってんだ! 頼久、お前も

 飲めよ!」

  友雅とあかねが御簾の奥に去り、その枕上に三日夜の餅を差し入れるべく女房と共に

 藤姫が下がった後は、残された八葉たちが、ヤケになって杯を重ね始めた。

 「天真先輩!」

 「止めるなよ、詩紋。こっちじゃ未成年じゃないんだから、かまうことねーって!」

 「話がわかるなぁ、天真!」

 「おう、イノリも行け行け!」

 「問題ない」

 「泰明、てめーも飲めるのかぁ?」

  すでに天真のろれつは、かなり怪しい。しかし、もう誰も止めなかった。

  せめてもの救いは、あかねが幸せそうだったということだけだ。

 「別に、これを限りに神子に会えなくなるというわけではないからな」

  泰明のつぶやきをまともに聞いている者は、すでにいないようだった。






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