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常夏の月
仲秋 憬 



                   <一>


  その日、土御門殿の西の対の一郭は、昼間から異様な興奮に包まれていた。

  最たる理由は、この対を仕切っている気合いの入った幼い姫君の命による宴の準備で

 ある。いつもなら、屋敷の片隅とは言え、権勢を誇る左大臣家としては、仕える人の数

 が驚くほど少ない一郭なのだが、きょうは多くの者が、朝から、そこここで忙しく動き

 まわっていた。

  音頭をとっている小さな主は、広く開け放された廂(ひさし)の間で指示を出しつつ、

 用意されていく子細の目配りに余念がなかった。


 「わたくし、いよいよ三日夜を迎える今となっても、本当は、とても納得がいきません。

 でも、神子様がつらい思いをされるのだけは、いやですから」

 「藤姫……」

  龍神の神子に仕える星の一族の最後の一人が、左大臣家の末娘でもある、この藤姫で

 ある。幼いながら使命にひたむきな姫は、龍神の神子である元宮あかねを、ことのほか

 慕っている。



  正午も近くなろうという時分だが、あかねは、まだ寝所から出てこない。正確には

 『出てこられない』のである。


  あかねの状態を思うにつけ不満が募るのか、藤姫は神子を守る使命を帯びた八葉の内

 で一番年若の、つまり藤姫と一番歳の近いこともあってか、多少なりとも本音で事情を

 吐露することができる相手である地の朱雀、流山詩紋を前に現状を訴えていた。


  詩紋はあかねと同郷の後輩で、あかねと共に京へと召還されて八葉となった金髪碧眼

 の少年だ。こまめでよく気がつき、記録などをさせてもそつのない詩紋は、この左大臣

 家で内向きの家司見習いのような仕事を手伝いつつ、今も、あかねの周囲を守る日々を

 送っているのだ。


 「あ、あのね、藤姫、ボク、まだ、わかってないんだけど……」

 「何をでございますか?」

 「これ、何の準備なの? あかねちゃんのお祝いなんだよね? 昨日から急に、どうし

 て……」

 「まぁ! 詩紋殿は、お気付きになりませんでしたか。そうですわね。殿方は家人に気

 付かれぬよう通い、こちらも、わかっていても知らぬ風を装うのが作法ですから無理は

 ございません。実は一昨日の夜から、友雅殿が神子様に通われているんです。……それ

 もこちらに一切黙って突然に、ですのよ。ひどいとは思われませんか?」

 「い、いや、どうなのかなぁ……」

 「神子様のお立場を軽んじられてのことなら許せませんわ。いったい、こちらを何だと

 思っておられるのでしょう! ……とはいえ後朝(きぬぎぬ)のお文も早々に送っては

 こられますし、ご自分でお餅の催促までなされるのですから、あのふらふらと実(じつ)

 のなかった友雅殿としては、驚くべきことなのかもしれませんわ。今朝方、神子様に後

 朝に送って寄越したお歌が、またふるっておりました。

  ──みじか夜の残りすくなく更けゆけばかねてもの憂き有明の月──

 と、こうですのよ! あの方にしては、ずいぶんと工夫も何もないまっすぐなお歌ぶり

 ですわね。……でも、神子様はお優しくて、すっかり許しておしまいなのですもの。わ

 たくしが口を挟むわけにもまいりませんし。でなければ、誰が好きこのんで、むざむざ

 友雅殿の思惑通りに動いたりするものですか!」

 「そ、そう」

 「考えてもみてくださいまし。こんなに急では、父に伝えて、すべてを龍神の神子様に

 ふさわしく取りはからうこともできませんでしたし、神子様のお支度だって、今まで通

 りのままなんですのよ。……まぁ、友雅殿がこのひと月あまりの間、毎日のように何や

 かやと送りつけてきていた品々は、神子様が持て余されるほどありはするものの、それ

 だって、今思えば、あの方のたくらみだったのかと思われるじゃありませんか!」

 「……え? えーと……」

 「きょうは、いよいよ三日目の晩ですから、露顕(ところあらわし)になるんです。神

 子様の京でのお家はここです。そして家族といえば、わたくしたち。そうでしょう? 

 詩紋殿」

 「あ……うん」

 「僭越ながら、八葉の皆様をお身内として、こちらで宴席を設けるという形にさせてい

 ただきますわ。神子様のお望みにかなうようにしたいんです。友雅殿に謀られたと思う

 と、しゃくですけれど、いたしかたございません。それで、八葉の皆様にも久々に一同

 にお集まりいただくことになりますから、詩紋殿には、その手配をお願いできますか? 

 天真殿は今日は、どちらにおられるのでしょう? 頼久は、どうしたかしら。もう昨日

 から何やらふぬけのようで頼みにならないこと。夕刻には集まってお迎えしなければな

 らないのに……」

 「八葉が集まるの? あかねちゃんの家族として? 友雅さんが来るって、友雅さんは、

 もうずっと、ほとんど毎日あかねちゃんに会いに来ていたじゃない。一昨日からって、

 どういうこと?」

  藤姫は、この息せき切ったような矢つぎ早の詩紋の質問に、驚いて目を丸くした。

 「あ……ですから、最前から申し上げている通り、友雅殿は神子様と」

 「あかねちゃんと?」

  詩紋の本当に何もわかっていない様子に、藤姫は顔を赤くした。異世界から来た詩紋

 には、藤姫の言っていることが、ほとんど理解できていなかったのだ。普段なら勘の良

 い詩紋にしては珍しいことだった。

 「あの、今宵は友雅殿が夜に神子様のもとへ通われて三日目で……、その、実は特別な

 夜なのです」

 「うん、それは、わかったけど。宴をやるんでしょう」

 「ええ、ですから、友雅殿が正式に神子様の婿君として、新たに女人の親族と対面し、

 固めの杯を交わす大事な宴で」

 「えええええええーっ?! 友雅さんが婿って、ああああああかねちゃんの? だって

 あかねちゃん、まだ十六で、もう、け、結婚しちゃうってこと?」

 「別に、とりたててお早いとは思いませんが……」

 「あ、そうか、こちらでは別に早くないんだよね。でも驚いた。いや、そうなるってわ

 かってたけど、そんな結婚式みたいなことは、ずっと先かなって……。じゃあ、通うっ

 ていうのは、つまり、えっと……」

  詩紋は、友雅とあかねの夜の事情に思い当たって赤面した。どこまでわかって話して

 いたのかは不明だが、それはさすがに藤姫も直接には言いにくかったことだろう。

  あかねが起きてこられないのは、正に友雅のせいだったのだ。

 「ですから、詩紋殿……わたくし、神子様には絶対にお幸せになっていただきたいんで

 す。お手伝いしてくださいますでしょう?」

 「うん、もちろんだよ。……ボクもあかねちゃんの喜ぶ顔が一番見たいもの」

  詩紋は力強く頷いた。





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