友雅さんは恋の手練れの大人ですが、案外、あかねちゃんに自分が本気になっている
ことを自覚しないまま、恋に落ちているんじゃないか。だからあかねちゃんに鷹通さん
を追いかけさせたりできるんだ……くり返しゲームをしていて、そんな考え方もありだ
なと、ふと思いました。
それともうひとつ、藤姫が雷を怖がる影響かどうかわかりませんが、あかねちゃんも
雷を怖がって……という解釈のもとに書かれているお話を、この夏に、ずいぶんあちこ
ちで拝見しました。
でも、私はあかねちゃんが藤姫と違って、雷を怖がらない子だから、友雅さんが本気
になるのだと感じます。友雅さんが、当たり前に雷におびえる女性をいじらしく思い、
恋することができる人なら、彼は、もうとっくにどこかの姫にまめに通って、ごく普通
に何人もの妻を持っていたでしょう。藤姫くらいの娘が二、三人はいて当たり前の年齢
です。
でも、友雅さんは、あかねちゃんにしか本気にならなかった。
だから雷を怖がらないことが彼女の魅力につながるような、そんな話を書きたいと、
ずっと思っていました。
厭世的で、生きるのも死ぬのも大して違いはないというような友雅さんが、恋を自覚
する瞬間というのは、実に興味深いじゃないですか。それこそ雷に打たれたような衝撃
ではないかと思います。そういう話を書きたかった。
しかし私の未熟さのせいで、今ひとつ、あかねちゃんの魅力が伝え切れてないのが心
残りです。あかねちゃんを、ただ気が強い女の子のようにしたくなかったのですが……
どうも、まだ表現したい半分も描ききれなかった気がします。少女独特の張りつめたあ
やうい感じを書きたかったのですけれど難しいですね。
あまり甘さのない話のせいか、私の書いてきた話の中でも『祝う日』と並んで反応を
いただけなかった部類の創作で、力不足を痛感しています。
私自身は、かなり思い入れのある好きな話なんですが、書き手の情熱が空回りしてし
まったようです。もう少し冷静に書くべきだったかなと反省しきり。
まだまだ精進しないと!
話の出だしで披露されるエピソードは、この話のタイトルからピンと来た方もいるか
もしれませんが、歌舞伎十八番の『鳴神─鳴神不動北山桜─』の物語です。
私は平安オタクですが、何を隠そう歌舞伎オタクでもありまして、ちょうど、ぴった
りの芝居なものですから、つい出来心で、昔語りとして入れてみました。
もちろん平安時代に歌舞伎はありませんよ。能が形になってくるのも、まだまだ先で、
猿楽や、田楽が庶民の芸能の頃です。だから、これは本当に私のお遊びです。
友雅さんが話す菅原道真の怨霊のお話は有名な話で、事実として記録が残っています。
北野天満宮の立派さを見れば、どんなにすごい祟りだったか、当時の人々がどれほど怨
霊を恐れたか、わかるような気がします。
そうそう、友雅さんがさぼって(?)しまった内裏の雷鳴(かみなり)の陣も、本当
にあったお役目です。雷鳴が激しいとき、宮中に臨時に儲けられた警護の陣で、近衛の
大・中・少将は弓矢を持って帝の住まう清涼殿の孫廂に伺候して弦を打ち鳴らすという
ことをします。いいんですかねえ、さぼっちゃって。神子の方が大事だから、いいこと
にしておいてください(笑)。
友雅さんが詠んだ和歌ですが、これは古今和歌集にある読人知らずの歌です。
──天の原ふみとどろかし鳴る神も思ふ仲をば裂くるものかは──
(空を踏みとどろかし鳴っている雷神でも、我々二人が思い合っている間を、引き離す
ことができるものか)
訳するまでもないような、そのままの歌ですね。
友雅さんの本気って、実は誰より激しいのじゃないかと私は思っているようです。
鷹通さんに関しては、この話では本当に割を食っちゃってごめんなさい。
あかねちゃんをはさんで微妙なライバル関係にある天地の白虎の会話は、書いていて
刺激的で興味あるところなのですが、どうしても友雅さんが上手だろうと思うので、鷹
通さんは結局発展途上で引いてしまう形になってしまって!
鷹通さんはよくも悪くも、あの真面目で融通のきかないところが味かなと思うのです
が、まだ掘り下げが足りなかったかもしれません。
いずれ再挑戦してみたい三角関係ではありますね。
それにしても、友雅×あかねをいくら書いても飽きないのが不思議です。
この話でも書こうとした友雅さんの大人の狡猾さと、それゆえに純粋なあかねちゃん
に本気になる、という一面は、私にとって、友あかの大きな魅力のひとつなので、また
きっと何度も形を変えて、挑戦してしまう主題だろうと思っています。
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