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君ならずして
仲秋 憬 


                   < 弐 >


  藤姫と詩紋があかねの裳着の準備で手一杯になっていた頃、当のあかねはといえば、

 どうやら時間を持て余して、少しばかり退屈しているようだった。

  いつもなら藤姫か詩紋のどちらかが、常に相手をして勉強やら遊び事をして、時には

 天真や頼久に付き合ってもらって出かけたり、他の八葉の訪問を受けたり、という日々

 を送っていたのである。そうした日々、誰よりも彼女が心待ちにしているのが友雅の訪

 問であることは想像に難くない。

  だから、友雅がふいにやってきて、ちょっと気晴らしにでかけないかとあかねを誘っ

 た時は、ぱっと喜びに瞳を輝かせた表情を友雅に見せて、彼の気分を明るくした。

 「大豊神社の早咲きの椿が美しいよ。神子殿とともに愛でたいと思うのだけれどね」

 「友雅さん、誘ってくれてうれしいです! ……あ、でも、藤姫も詩紋くんも私のため

 に忙しくしているみたいなのに、当の私が何もしないで外出しちゃったら、申し訳ない

 かな……」

  あかねならではの気の使い方に、友雅は笑って安心させてやる。

 「だからといって神子殿がここで手伝えることは、今のところ何もないだろう? むし

 ろ、その間、君は君でつつがなく過ごしているなら、藤姫たちも君の相手の心配をせず、

 準備ができて、好都合じゃないか。君には私がついているのだから、一人で暇つぶしに

 抜け出されれるよりも、ずっと安心だろう」

  藤姫が聞いたら「友雅殿がご一緒だから心配なのです!」とでも言いそうなところだ

 が、その辺りは抜け目無く隠してしまう友雅だ。

  あかねは、それもそうかと、素直に判断したのか、手早く身支度をすませると、友雅

 と連れだって、久しぶりに土御門殿を出た。あかね付きの女房たちが、特にそれをとが

 め立てもせず見送ったのは、友雅の器量であっただろう。



  大豊神社の椿は、冬にもつやつやとしたあおい葉の中で、つぼみをいっぱいにつけ、

 うち半分ほどは濃き紅に咲きそめて、可憐だった。

 「なんてきれい……。花の少ないこの季節に、こうやってきれいに咲く花を見ることが

 できるって、うれしいことですね」

  あかねは何のてらいもない様子で、そう言った。

  友雅は椿よりも、あかねを見ていた。

 「──見るたびに飽かぬ色かなあしびきの片山椿今か咲くらん──」

 「え?」

  とつぜん友雅の口から紡がれた歌に、あかねが不思議そうな顔をした。

 「咲きそむる椿の花は、まるで今の神子殿のようだね」

 「わ、私ですか? 私は、そんな花みたいな姫君じゃないですよ。友雅さんってば、い

 つもそんなこと言って、からかうんだから……」

  友雅の言葉に、頬を染めるあかねを、いったい、どうしてあげようかと友雅は思う。

 「からかうなんて、そんなつもりはないというのに、疑り深い姫だね。君のこの頬の色

 の美しさときたら、どんなに見ても見飽きぬ花の色だよ」

  友雅があかねの頬にふわりと右手を差しのべると、あかねはますます紅に染まり、恥

 じらった。

 「と、友雅さんっ! な、な、何をっ……」

 「色づくつぼみが花開くのをただ待つのも、なかなかに辛いものなのだけれど、それも

 あとわずかと思っていいのかな。ねえ、神子殿?」

  それが友雅の本音の告白であることが、あかねには、すぐに伝わったようだ。友雅の

 本気をにじませた言葉の響きと真剣な眼差しを、照れつつも真摯に受け止めようとする

 愛しい恋人は、この世のどんなものとでも引き替えにできない。

  あかねは、美しく上気した頬を友雅に触れさせたまま、まっすぐに彼を見返した。


 「友雅さん、ありがとう」

 「なんだい、急に?」

 「あのね、この京では、こんな風に好きな人とデート、じゃなかった。えっと、一緒に

 お出かけすることってないんですよね。姫君って呼ばれる女の人は、一歩も外へ出ない

 のが普通なんでしょう? 少なくとも友雅さんの恋人になるような女の人で、そんなこ

 とする人って、いなかったですよね? 本当だったら、たくさん文のやりとりをして、

 それで女房さんを間において、奥ゆかしくお話したりして……、そういうのがおつきあ

 いなんですもんね」

 「神子殿……」

 「私の育ったところでは、好きな人ができたら、一緒にいろんなところに出かけたり、

 一緒にお食事したりしてね。それで、たくさんお話したり、遊んだりするのが、男女の

 おつきあいだったんです。だから、友雅さんが、こうしてどこかに誘ってくれて、二人

 で出かけたりすることが、とっても嬉しいの。友雅さんが、私に合わせてくれているで

 しょう? だから、ありがとう」

 「そんなことで君からお礼をいただけるのなら、私は毎日だって君を連れ歩いてしまう

 よ。いいかい? 私がしたくてやってるんだよ。なのに、そんなことを言われたら、私

 は、君が、もういやだといっても、あちこち引っ張りまわしてしまうかもしれないから、

 うかつなことを言ってはいけない」

  明るく返す友雅に、あかねは、真実を見通す力のある瞳を向ける。吸い込まれそうな

 瞳だ。

 「覚えているかい? あの鬼との戦いの間だって、私は毎日のように君を誘いに行った

 だろう。別に八葉としての勤めに使命を感じて、迎えにいっていたわけじゃない。ただ

 君と一緒にいたかったからだよ。思えばあの頃は内裏の勤めより、八葉の勤めを第一に

 することができて、何より幸せだったね」

 「ええーっ?」

 「おや、そんな驚いた顔をしないで」

 「だって、友雅さん……」

 「そう、一緒に食事ね。残念ながら、それはしたことがなかったねえ」

 「い、いいんですよ。そんな、もう充分なくらい色々してもらって……」

 「充分? それはまさか、神子殿は、もう私とつきあいたくない、というわけではない

 だろうね。私は、まだまだ全然足りないよ。ずっと一緒に二人で楽しく生きようという

 誓いを忘れたわけではあるまいね?」

 「それとこれとは!」

 「同じ事だよ。まったく君はもう少しわがままになってくれたらいいのにね。君のため

 なら何でもしたい私に、何かおねだりしてくれないのかな。そう、それじゃあ、まだ早

 い時間だし、これから私の屋敷に行くというのは、どう?」

 「友雅さんのお屋敷に?」

 「夕餉の時間には、まだ早いけれど……そうだね、この美しい椿を愛でたところで、今

 度は、うちで椿餅(つばいもち)などいただくのは、いやかい?」

  甘い唐菓子(からくだもの)は、女性にとって魅力的なものだと友雅は知っている。

 あかねもしかり。当然ながら、彼女はこの魅力的な誘いを断ったりはしない。

 「突然、お邪魔したりしたら、迷惑じゃないですか?」

 「迷惑なわけないだろう? 屋敷の主人の私が来て欲しいから誘っているんだよ。大丈

 夫。暗くなる前にはちゃんと土御門にお送りするよ」

 「…………」

 「一緒に食べるのが椿餅では、だめかな?」

 「いいえっ、そんな! それってデートでお茶するってことですもん。うれしいです!

 とっても!!」

 「なるほど。こういうのが『でーとで、お茶する』という神子殿の国風のおつきあいと

 いうわけなんだね。覚えておこう」

  友雅の言葉に、あかねが我に返ると、友雅はにっこり微笑んで、先を促した。

 「では、まいりましょう。姫君。デートでお茶する、おつきあいにね」




  友雅の二条の屋敷は、あかねが暮らす京で一、二を争う大邸宅の土御門殿に比べれば

 こじんまりとした、ささやかな住まいであったが、あかねは目を丸くして、神妙な様子

 で、友雅のあとについてきた。

  友雅は、よく手入れされた庭の見える東の対の一郭に座を用意させて、あかねをもて

 なした。友雅の指示で、引き出された高坏には、今できたばかりのような椿餅がいくつ

 も盛られ、小さな椀には温められたこさけ(甘酒)がつがれて、あかねの前に並べられ

 る。この歓待を喜ばない娘がいるわけがなかった。

 「うわぁ、おいしいです。甘いんだ……ふふ、うれしい」

  あかねの喜ぶ顔をみて、友雅の表情も自然と甘くなる。このような主の顔を見たこと

 がないと、仕える女房達の間で、後日、かなりの騒ぎになったほどの柔和で暖かい笑顔

 だ。御簾も几帳も取り払い、隔てを置かず、昼日中から男女でともに甘い軽食を楽しむ

 などということは、彼の身分で考えられないようなことなのだが、友雅はまったく気に

 していなかった。


 「それにしても、裳着の式は、いろいろと忙しくもあろうが、楽しみだね。私も待ち遠

 しいよ。神子殿の麗しいお姿も拝見できるだろうしね」

 「なんだか、ずいぶん立派にしていただくようで、いいのかなぁって思うんですけど」

 「女性の裳着は、大人になられる大事な式だよ。神子殿は、まだ大人にはなりたくない

 の?」

 「え……?」

 「よく、私は子供じゃありません、って言っていたけれどね、君は」

 「だって、友雅さん、大人なんだもの……。いつまでたっても追いつけなくて」

 「ふふ、それはそうだ。……ああ、この半年あまりで、ずいぶん長くおなりだね。美し

 い髪だ」

  友雅は、春を間近にして、ようやく肩より長くなったあかねの髪に触れた。あかねは

 少し驚いた顔をしたが、伸ばされた手を振り払うような真似はせず、友雅のしたいよう

 にさせてくれた。

  さらさらと軽く友雅の手のひらで流れる細い髪は、友雅が今までに知る重く巻きつい

 てきた息のつまるほど豊かな長い黒髪とは、まったく違っている。

  どちらが友雅にとって好ましいかといえば、それはもちろん、たとえ、手ずからから

 めて己の元へととどめおくことができないとしても、風のような天女にふさわしい軽や

 かなあかねの髪を美しく思う。

 「──くらべこし振分髪も肩過ぎぬ……というところかな。神子殿の筒井筒の君は、私

 ではないけれど、あなたの返事は、私だけに聞かせてほしいよ」

 「どういう意味ですか? 筒井筒?」

 「伊勢物語に、こんな歌がある。──筒井筒ゐづつにかけしまろがたけ生ひにけらしな

 あひ見ざるまに──。幼い頃に筒井戸と背比べをした私の背たけも、井戸の高さを越え

 て、大人になってしまいました。あなたに久しく逢わないうちに、という男の歌がね。

 それに返す女の歌が先ほどのものだよ。──くらべこし振分髪も肩過ぎぬ君ならずして

 誰かあぐべき──。長くのびた髪をあなた以外の誰のために結いあげましょうか、とい

 う返事だね。髪上げというのは……裳着とともに行うからね。ちょうど君の歌のようだ。

 そう……このあたりの歌をよみかけられたら、これを覚えていてちょっと返してやると

 気が利いているかもしれないな」

 「風流ですね……。私にはとっても難しいです。そんなとっさに歌なんて出てこないで

 すもん」

 「無理をせずともいいんだよ」

 「ううん、そういう風に、歌を覚えていって、口ずさんだり歌うのは好きです。友雅さ

 んに、ちょっとでも近づけるかなって思うし」

 「可愛いことを言ってくれる。では、時折、私が試してさし上げよう。間違いを恐れる

 ことはないよ。いくらでもくり返して覚えていったらいいんだ。うまく歌を返せたら、

 ごほうびをあげるよ」

 「友雅さんのごほうび……?」

 「ふふ、怖がらなくていいよ。でもその前に、まずは先生に教授料をいただこうか」

 「きゃ」

  髪を撫でていた手を肩にまわして引き寄せると、あかねは驚いて、小さく声をあげた。

 友雅は引き寄せた肩をさらに抱き込んで、かきくどく。

 「君に夢中な哀れな男に、どうか情けをかけてやっておくれ。一夜までもとは言わない。

 せめて、今この一時だけでも、ね。あなたの髪上げを待ちきれずに、私がどうにかなっ

 てしまわないように…………」

  ゆっくりと唇が近づいて、重なった。

  何度もついばむ唇の甘さとともに、裳着を迎える姫としては、まだそれほど長いとは

 言えないが、あわく軽い極上の絹糸のようなあかねの髪の感触を思うさま味わって、友

 雅は、待つ身のうずきを紛らわせ、そのもどかしさすらも楽しんだ。





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