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君ならずして
仲秋 憬 


                   < 壱 >


 「さて、これをどうしたものでしょうか」

  左大臣家の娘で、龍神の神子に仕える星の一族の最後のひとりである藤姫が、文箱に

 入りきらずにあふれるばかりの、色とりどりの料紙の山を前につぶやいた。

  この文は、すべて、龍神の神子である元宮あかねに宛てて届いた文である。

  しかし、彼女は今ここにいない。これらの文は、みな、あかねの目に触れる前に開か

 れたものだ。

 「お優しい神子様は、京の世事には、まだまだ通じてはおられないお方。これをお見せ

 して、いたずらにお悩みの種を作るわけには、まいりませんわ」

 「………………」

  文の山を前にした藤姫のいる座から御簾を隔てた向こう側で、ため息が聞こえた。

  藤姫は、さして気にする様子もなく、文の山から、美しい薄様をひとつ手に取る。

 「まあ! このお文は、式部卿の宮様のお手跡(て)ではないでしょうか。あの方まで

 が、神子様に……。これはうち捨てておくわけにもいかないでしょうね。この文を父に

 見せたら……」

 「姫、どうか、そのくらいでご容赦いただけませんか? 貴女(あなた)のお考えは、

 ようくわかりました。神子殿を連れてはいきませんよ。私がここへ通います」

  御簾の向こうで降参の声が上がった。

 「……わかってくださればよろしいのです。橘の少将殿」

  藤姫は御簾に映る人影をにらみつけるようにして言った。

  こと、あかね大事の姿勢に関しては、星の一族の藤姫と、龍神の神子を守る役目の八

 葉である橘友雅は、同格と言ってもかまわないのだが、鬼との戦いが終わって、一段落

 ついた今、彼女の身をどこへ置くかということについては、はっきりと敵対していた。



  この前の春に、京を鬼の脅威から救う存在として異世界から召還された龍神の神子、

 元宮あかねは、あっという間に、藤姫や、橘友雅を始めとする八葉の面々を、その優し

 く一途な心映えで魅了した。

  そうして鬼を退け、京を救ったその後に、あかねが元の世界に帰らなかったのは、ひ

 とえに、戦いの最中で心を通わせ、恋を育んだ橘友雅が「私の元に残りなさい」と引き

 止めたゆえである(と、友雅は信じている)。


  左近衛府少将である橘友雅は、彼女が京に残ると答えた時から、はっきりと正式に、

 文を送って、妻問いをし続けてきた。あかねは、日々の倦怠に身をひたして、よどみ朽

 ちようとしていた友雅に、生まれて初めて情熱を抱かせた、ただひとりの人だ。

  とは言え、今の友雅は、表向きには、まだ、あくまでもあかねの求婚者であり、夫婦

 の契りを結んだわけではない。友雅の本音は明確だ。あかねを誰にも見せずに、自分だ

 けのものにしたい。常識はずれと人にそしられようが、かまうことはない、さっさと自

 分の屋敷に落ち着かせてしまいたい。

  しかし、そこは大人の余裕で十歩ほど譲り、あかねの心が、少しでも友雅に追いつく

 のを、彼は待っていた。

  何と言っても、友雅を選んだことで、あかねがあきらめた物は多すぎる。 

  さびしい思いをさせるのだけは避けたい、と、この地に呼ばれた時からの住まいであ

 る左大臣家で暮らす斎姫としてのあかねを尊重してきた。

  権勢を誇る天下の左大臣家で、京を救った神子姫が、あだやおろそかにされないのは、

 もちろんのことだし、あかねの京での知り合いといえば、この左大臣家の藤姫と周囲の

 者、それに八葉たちと、その縁者くらいなものである。

  いきなりこの環境から引き離して独り占めしようというのは、年も離れた大人の恋人

 として、あまりに狭量というものだ。


  だが、じきに新しい年を迎えようという今、そろそろ、あかねも京の生活になじんで

 きている。

  熱心な手習いの成果も見えてきて、藤姫に読んでもらわずとも、友雅の文が読めるよ

 うになり、友雅が毎日のように送る文にも、たどたどしいながら、素直で可愛い歌を返

 してくれるようになった。

  あかねが元の世界から身につけてきた衣は、唐櫃の中に大事にしまわれて、代わりに

 こちらの世界の色とりどりの衣を身につけるようになった。動きを制限する装束に、最

 初はとまどい不便に思っていたようだが、今では袴の裾を踏んで転ぶということもなく

 なり、友雅の贈った美しい衣の数々を身にまとう姿は、彼の目をこよなく楽しませた。


  もちろん、だからといって、あかねのひたむきで風のような本質は、何ら変わりはな

 く、友雅の予想もつかないような行動を取ってくれることは、ままあったが、彼女のそ

 んなところが、彼の倦怠を吹き払い夢中にさせたのだから、それに不満などあるわけが

 ない。

  時には、狩衣などを身につけ、まるで随身の少年のようなこしらえで、こっそり市や、

 寺、神社などに、八葉のいずれかと示し合わせて、遊びにでかけるというようなことも

 ある。友雅としては、そのすべてに自分がつきあえないのが、もどかしかったが、帰っ

 てきた後に、楽しそうに話すあかねを見ては、何も言えない。

 「とっても楽しかったんです。今度は友雅さんと行きたいな」

  輝くばかりの笑顔で、そんなことを言われたら、もうそれだけで溶けてしまうという

 ものだ。


  こんな宝物を、どうして放っておけるだろう。

  もう、待つのは終いだとばかり、それとなく藤姫に打診した、それがまずかった。友

 雅は、あかねを自分の屋敷へ移すつもりがあることなど、藤姫に言ってはいけなかった。

  あかねの了解さえ取れれば、よかったのだ。あかねさえ、その気になってくれたら、

 手だては、いくらでもあったのに。

  数々の浮き名を流した恋の手練れ、橘友雅といえども、本気の恋の前には判断もにぶ

 るものなのか。

  神子様一途の藤姫は、友雅の話を聞いた途端、態度を硬化させて、精一杯の攻撃をし

 てきたというわけだ。左大臣家に縁ある姫は、どうしたって京の人々の関心を引かずに

 はいられないもの。彼女に心寄せる者は、何も八葉だけではないのだと、暗に藤姫は脅

 しをかけてくる。返す返すもしくじった。


  けれど、友雅は他を先んずる一歩を何としても確保するつもりだ。このまま引くのは

 我慢がならない。藤姫の気持ちもわからないではないが、どうしたってあかねを譲るわ

 けにはいかなかった。大人の本気を、あなどってもらっては困る。


 「時に藤姫、神子殿が育った世界では、神子殿は、まだ大人としては認められないてい

 ない……ということでしたが」

 「ええ、そのように伺っておりますわ。神子様のお国では、二十歳の年に成人のお式を

 なさるのだとか」

 「そうでしたか。そういえば、貴女は、この土御門に引き取られた時に裳着(もぎ)を

 されたのでしたか? 初めてお会いした頃は、すでに、裳を身につけられていたご様子

 でしたね。姫のお年で、それも異例なことですが、貴女は唯一の星の一族の末裔として、

 大人と同じに認められているからなのでしょうね」

 「…………ええ、そうです」

  藤姫は、友雅が、なぜそんな質問をするのかと思ったのだろう、いぶかしげに答える。

 「しかし神子殿も、次の正月でもう十七におなりだ。貴女が裳着をすまされているのに、

 神子殿が、まだというのは、どうも……」

  友雅がほんの少し手落ちをほのめかすと、藤姫は見事なまでに反応した。

 「神子様の御裳着!! わたくし、ちっとも気がつきませんでしたわ! なんというこ

 とでしょう! そうですわね。裳着のお式は大事なことですわ。わたくしも、父に腰結

 (こしゆい)をしてもらって、とても嬉しかったのを覚えています」

 「神子殿も、この京に残られるのですから、きちんと裳着をされるべきではありません

 か? 神子殿は、こういったことを万事気遣う親御から離れておられるのですから、私

 たちが、その代わりに、出来る限りのことをしてさしあげたいと思うのですよ」

 「友雅殿……、そこまで神子様のことを大事に想われているなんて、わたくし少し見直

 しましたわ。わたくしとしたことが、裳着のお式のことに思い至らないなんて!! こ

 うしてはいられませんわ。父に話をしてまいります。きょうは、もう内裏から戻られて

 いるはず!」

 「神子殿の裳着には、もちろん私も後押しさせていただきますよ。八葉みんなで祝って

 差し上げたいものですね」

 「ええ、もちろんですわ。ああ、神子様の腰結を、どなたにお頼みするべきかしら。友

 雅殿、では、これで」

 「ごきげんよう、藤姫」

 「神子様にお会いになる時は、几帳越しにお願いいたしますね」

 「……はやく行かれたほうがよろしいですよ」

  藤姫は、それでも友雅にしっかりひとつ釘を刺して、その場からいなくなった。



 「やれやれ、藤姫もいいかげんに、神子殿を解放していただきたいものだね」

 「友雅さん、裳着ってなんのこと?」

  すぐ近くに控えて二人のやりとりを聞いていた詩紋が、友雅に尋ねた。あかねととも

 にこの京にやってきて、八葉の一人、地の朱雀となった彼も、結局もとの世界には戻ら

 ず、左大臣家で何やかやと内向きの仕事を手伝っている。利発で、気のつく詩紋は、こ

 の大きな屋敷でいろいろと出入りする人や物をさばく家司見習いのような立場にいた。

 金髪碧眼の容姿のせいで、そうそう表に出るわけにもいかないという事情もある。

 「姫君の成人の儀式と言えばいいのかな」

 「成人の……」

 「ああ」

  詩紋は少し考えてからおもむろに言った。

 「藤姫は、あんな小さいのに、もう成人の儀式が済んでいるの? それで、あかねちゃ

 んも、するべきだって?」

 「藤姫は特別な事情で早くに裳着をされただけだろうがね。普通は十二か十三くらいで

 するものだから」

 「友雅さん、あかねちゃんを連れていくのはあきらめたって、さっき言ってたけど……、

 もしかして」

 「しーっ」

  友雅は右手の人差し指をたてて、詩紋の言葉を遮った。

 「君は勘のいい子だからね、私も無駄に隠し事はしないけれど、ここでそんな話はいけ

 ないよ。詩紋、君がどう思っているかわからないが、私はこれでもずいぶん辛抱したん

 だからね。君のことだから、私が神子殿に会うまで、どんな風だったかなんて、とうの

 昔に調べ済みだろう? 君の大事な筒井筒(幼なじみ)の君をさらっていく男が目障り

 かな」

 「えっ……ボク、そんなんじゃ」

 「ふふ、すまないね。心配させて。でも、もうこれでおしまいだ。今の私が、本当の私

 だよ。神子殿に会ってからの私がね。神子殿の裳着が決まれば、きっと君も準備の手伝

 いで忙しくなるかな。よろしく頼むよ」

 「友雅さん……?」

 「さあ、神子殿にお目にかかってこようか。ではまたね」

  けげんそうな詩紋をその場に残して、友雅はあかねのいる間へと立ち去った。




  さて、裳着の儀式は吉日吉時を卜して行われる。

  この占いに藤姫は精進潔斎までして臨み、年の明けた春の吉日に、あかねの裳着が、

 めでたく執り行われることになった。

  あかねの裳の腰結役を決めるまでが、また一騒ぎであった。腰結は近親の徳のある人、

 敬われる高貴な人に頼むとか、父親が務めることなども多い、裳着の中で最も重要な役

 である。藤姫はあかねの裳着の準備に、詩紋を参謀にして、ああでもない、こうでもな

 いと、大わらわだった。


 「女御様にお願いするのはどうかという話も出たのですが……」

  藤姫が言葉を濁す。几帳も立てずに目の前の詩紋に藤姫が相談ごとを持ちかけている

 様子は、忍び会う二人というよりは、どう見ても、童ふたりが遊戯の相談をしているか

 のような微笑ましい印象しか与えず、周囲の女房たちも警戒はしていなかった。相手の

 詩紋が、元々この世界の人間ではないこともあって、当たり前の約束事には、まだうと
 
く、純粋にあかねのためのお目出たい会の準備をする藤姫を手伝う、という意識しかな

 かったからかもしれない。

  しかし、藤姫が話している内容といえば、女主人がするような宴の段取りの話である

 のだから、これは、なかなかに異様な光景だった。

 「女御様っていうと、藤姫のお姉さんにあたる方だよね?」

  詩紋が藤姫に確認する。

 「ええ。でなければ、神子様はこの土御門の姫として御裳着をされるのですから、父が

 そのお役目を務めるというのも、それほど不自然ではないですわね」

 「左大臣様だね」

 「でも神子様はお式を八葉の皆様や私たち内々でしめやかにと、お望みですから、女御

 様や父を引き出すと、周りが何かと……」

 「そうかぁ。ねえ、藤姫、ボク、よくわからないんだけどさ、あかねちゃんの保護者で

 年長の身分の高い人っていったら、やっぱり友雅さんとかになるんじゃないの?」

 「友雅殿は、いけませんわ!!」

  普段、落ち着いて大人びている藤姫が突然大きな声を出したので詩紋は驚いた。

 「……ふ、藤姫…………」

 「あ、大変失礼を、はしたないまねをいたしました」

  藤姫は恥じ入ってぱっと頬を染めたが、すぐに気を取り直して、真剣な様子で話を続

 けた。

 「友雅殿が腰結役だなんて、お式の間、神子様に何をなさるかわかりませんわ」

  いくら友雅でも、そんな大事な式の最中に、あかねに何かするとは詩紋は思えなかっ

 たが、藤姫は大まじめなので、詩紋もそれ以上、異を唱えることはしなかった。

 「じゃあさ、歳はともかく、八葉の中で一番高貴な人って……永泉さん?」

 「そうですわね……。法親王であられる永泉様なら、腰結役には少しお年若ではありま

 すけれど、これ以上はない方かもしれませんわね……。詩紋殿、ありがとうございます。

 そのように計らいましょう」


  あかねの裳着……成人の儀式に、縁者の中でも一番年若の二人である藤姫と詩紋が段

 取りを決めていくのは、端から見れば、それはそれは実に奇妙なことなのだが、藤姫は

 自分があかねの肉親として不足なく式を進めるのだという使命に燃えていたので、この

 奇妙な状態に気がついていなかった。

  実際に式を進めるとなれば、この土御門の主である左大臣、女主人である北の方など

 の指図でもって、周囲の女房の働きで執り行われることになるのだが、何分、異世界か

 らこの京に降臨した龍神の神子の裳着である。

  これは裳着というより、すでに神事のようなものとして、藤姫はとらえていた。

  そして何より決定的なことに、藤姫はすでに裳着をすませている。だから実際の年齢

 はともかく、裳着をしていないあかねよりも自分は大人として振る舞えるのだと彼女は

 思っていた。

  しかし、幼い藤姫の裳着は多分に変則的なものであった。裳着をするということが、

 本当はどういうことなのか、藤姫はわかっていない。

  それこそが、友雅の思うところだったのである。




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