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花 形 見
仲秋 憬 





  気がつけば月が出ていた。白い道を照らす、月あかり、花あかり。

  心地よい沈黙を守ったまま、ふたりは山荘へと帰る道を進んだ。月が出ているとはい

 え夜道の足下はあやうい。友雅はあかねの手を引いて、ゆっくりと歩いた。

  金峯神社と、ふもとの里に向かって下る別れ道を前にして、ひときわ見事な桜の大樹

 のささやきが、ふたりを引き止めた。

  遙かな時を隔てても変わらずに散る花の下で物思う。

  ふたり並んで立ち止まり、花を見上げたまま、友雅が口を開いた。

 「──雪と見えて風に桜の乱るれば花の笠きる春の夜の月──」

  あかねは陶然として、歌をつぶやく友雅の声に耳を傾けながら、花を見ていた。

 「私じゃ、あんまり美しくて言葉にできないって思うものでも、友雅さんが歌にすると、

 その通りだなって思えるの。歌って心を伝えるものですね」

 「そうだね。君はのみこみが早い。難しく考えなくていいんだよ」

 「私、まだできません……別れを歌にすることも、花を歌にすることも」

 「いいと言ったよ。君に歌を詠んでほしくて求婚したわけじゃない。ここにいておくれ」

  友雅はあかねを引き寄せた。

  花はひらひらと落ちてきて、友雅の髪にも、あかねの髪にも、白い花弁が散りかかる。

 それをはらうようなまねをせずに、白い闇の中でお互いの瞳をのぞきこんだ。

 「龍神の神子は、いったいどんな姫君だろうと思っていたよ」

 「え?」

 「去年の桜の季節の頃は、まだ私たちは出会ったばかりだった。君を追わずにはいられ

 ない自分に気付いた時、私は思ったよ。神代の頃から龍神の神子とは、すべて、こうし

 た姫なのだろうか、とね。でも違うな、それは」

 「そうかもしれません。八葉のみんなが、それぞれ違うのと一緒でしょう、たぶん」

 「……そうか。そうだね。では、私はとびきり恵まれていたということだ」

 「何がですか?」

 「君が龍神の神子として私の前に現れてくれたということが、だよ。君がいなければ」

  友雅はあかねを抱く腕に力をこめた。残りの言葉は口に出さず、別のことを訊いた。

 「天真の妹御と別れて……さびしい?」

 「……少し」

 「正直だね。いい子だ」

 「不思議なんです。私の中に龍神様がいて、ランもいたの。感じることができていたの

 は私たちが龍神の神子だから……なんですよね」

 「おそらくはね」

 「今はもう、よくわからないです。本当にお別れしたんですね。でもいいの。いつでも

 思うことはできるし、そんな時、心があたたかくなるような思い出になったから、うれ

 しい。……友雅さん、ありがとう」

 「なぜ?」

 「吉野へ連れてきてくれて、ランに会わせてくれて……、こうして側にいてくれて」

 「君にお礼を言われるようなことは、していないよ」

 「ううん!」

 「本当だ。私はずるい大人だからね。自分のことしか考えていない。思いがけず私の側

 に留まってくれた天女を、どうすればつなぎとめておくことができるか、たくらむこと

 しかしていないよ。この吉野に君を連れてきたのは、本当は鬼の追捕も、天真の妹御も、

 口実でしかない。この花の山に、いつか埋もれてしまいたいと思っていた私はね、君に

 ここを見せておきたかった」

  音もなく降りしきる雪のごとき花。霞か雲かとみまごう花の波。どんなに心を騒がせ、

 狂おしくさせる花だったろう。どんなに、この一時の季節を愛しただろう。

  そんな思いを分かち合いたい相手を、ついに見出してしまった自分達は、どんなに幸

 せ者だろうか。同じ想いを抱いて花の下にたたずむ幸せ。

 「友雅さん……」

  あかねが小さな白い手を友雅の頬にさしのべて、友雅の名を呼ぶ。

  友雅はその手を自分の頬に押し当てて、どこへもやらないように頬ずりし、指先に唇

 をはわせた。

  その拍子にあかねの体が官能のかけらをひろいあげて、ぴくんと震えた。

  友雅はあかねが無意識に返した合図を見逃してはくれない。有無を言わせずあかねを

 抱きしめて、今度は深く唇を重ね合わせた。いくども向きをかえくり返される口づけに

 あかねも答え、求め合う。

  抱き合ったままじりじりと動いて、友雅は木の幹にあかねを押しつけるように体勢を

 整えると、さらに深く少女を確かめようとした。

 「あ……」

  あかねが小さく声を上げた。

 「だめ……?」

  ほとんど唇を離さない位置で、許しを得るつぶやきが友雅からもれる。いやと言えな

 いように尋ねる術は、あかねがかなうところではなかった。

  あかねが首をふるだけで、唇がまたふれ合い、それが答えになった。



  寝床を抜けだしてきたふたりの身につけていた衣は、いつもよりたやすくゆるめられ

 て、花の下の褥になる。友雅の手が衣の合わせ目をあばいていき、ようやくのぞいた白

 い肌を唇がたどり、舌がはわされて、あかねはあやしく乱されていく。

  ここまでは、三日夜の餅を食べる前から、何度も夜毎の寝床で確かめ合っていた。肌

 を合わせてさぐりあい、高められ、まるで何もわからないようになって。 



  ただ、最後の一線を超えることが、友雅を自分の内に迎え入れることだけが、できな

 いでいた。

  あかねは、それがいやだったわけではない。自分では、どうすることもできなかった。

  感じていて、感じたくて、ひとつになろうとする、その一瞬が近づいた途端、あかね

 は、いつも意識を失い、体は硬直して、友雅は行為を進めることがかなわなくなる。

  こんなに好きなのにどうして、とあかねは泣いた。

 「泣かなくていい。天女の君を穢す男を許さないのかと思ったけれど、そうじゃないね。

 だって私のすることに、こんなに感じているだろう? 大丈夫、優しい君を、まだ龍神

 が守っているんだろう。神に嫉妬されるというのも、男冥利に尽きるというものだよ」

  友雅は笑った。

  夜毎の優しい愛撫はやむことがなく、交わるのは唇だけであっても、ぬくもりを重ね

 れば心は満たされて、幸せで、だからなお気がかりなのは、行方の知れない、もうひと

 りの龍神の神子のことだった。

  それこそがあかねの体を開く最後の鍵だったことに、たぶん友雅は気づいていた。



 「ここは……いい? 感じているね」

 「……あ……っ……ん」

  あちらこちらを熱い唇についばまれ、そこから燃え出してしまうのではないかと思う

 と、次には唇のたどった跡がひんやりと夜風を感じて震えた。

 「怖がらないで。君は、もう知っているはずだから……」

 「と、友雅さん……っ」

  震えたそこを、次になめらかな暖かい手でなでられると、また熱をはらんで溶けだし、

 互いの境を消していく。

  目に映るのは花でも月でもなく愛しい人の姿だけで、耳を打つのは信じられないほど

 甘く響く自分を求める声だけだ。熱く濡れた躯のあちこちで、固くはりつめたところと、

 やわらかく溶けたところが交わっていくのを、夢中になって確かめあう。

 「……すべて私のものだ。……あかね……」

  今はもう何も隔てるものはない。

  身の内を痺れるような高まりが駆け抜けて、あかねは声を上げた。きっとあるだろう

 と思っていた痛みは感じなかった。

  熱い躯にしがみつき、互いがずっと求めていたことを、うながしてみる。やわらかな

 髪の一筋までもからみあい、ひとつの律動を刻んで揺れた。

  あかねの身体はたやすく解けていき、友雅は行為を止めない。今までかなわずにいた

 分も激しく、それは舞い散る花の狂おしさに重ね合わせて、幾度もくり返された。



  契りかなう夜、花の下にて見る、春の宵夢。

  夢ではないよと言って、友雅は、あかねの名をくり返し呼び、求め続けた。






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