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花 霞  ─八人のいとこ─




  イノリと呼ばれていた赤毛の少年は、結局、あかねを連れて屋敷へ逆戻りするは

 めになった。

  初顔合わせを抜け出そうとしたところ、その当の本人が迷子になっている現場に

 出くわしてしまったのだから、彼の機嫌が悪くても無理はない。

  会話らしい会話もなく、少年少女は先を急ぐ。

  門をくぐってから、屋敷までが、これまた遠い。入ってみれば、まさにちょっと

 した森林公園の中のようで、案内なしでは、たどりつけそうにない。

  あかねは、早足のイノリに小走りでついていくのが、やっとである。

「ったく、トロいよなー。おい、こっちだ、こっち!」

「ご、ごめんなさい」

「……別に、あやまることねぇよ」

 口はぶっきらぼうでも、困っている少女を前にして、放って行ってしまうような

少年ではないようだ。案外、面倒見の良い、まっすぐな気性が感じられる。

 しかし、あかねは今まで、同じ年頃の男の子にはまったく縁のない生活をしてい

た箱入り娘だったので、怖がっているつもりはないが、どうしても構えてしまう。

 出会いが出会いであったし、いかにも気まずいのは致し方なかった。

 何か口を聞くきっかけを探そうとしていたあかねに、イノリが唐突に尋ねた。

「お前、なんで、この家に来たんだ?」

「え……父が亡くなって……母は物心つく前にいなかったし……私、他に身寄りが

ない……から……」

「……そうか……悪ぃ。でも、こんな家、でかいばっかで、ろくなことねーぞ。オ

レはさっさと自活できるようになって、出て行くって決めてんだ」

 同じ年頃の少年の、穏やかならぬ発言にあかねは絶句する。

「お前も、叔父貴の気まぐれや、勝手な奴らに、振り回されねー方が利口だぞ」

 振り返らずに一方的に告げると、イノリはどんどん足を速めて先を行く。あかね

は今の言葉の意味を問いただす間も、考えてみる余裕もなく、ただイノリの後を追

いかけた。



 庭というより林と呼ぶのにふさわしい木々の中を通って、石畳の小道を抜けた向

こうに瀟洒な洋館の全容が、ようやく見えた。

 玄関の大きさに身がすくむ。写真で見たどこぞの迎賓館とか、美術館になってい

る旧なんとか邸のような屋敷だ。

 靴を脱がない玄関を通ると、きっちりと三つ揃いの地味なスーツに身を固めた初

老というにはまだ早い壮年の男が、イノリに声をかけてきた。

「イノリ坊ちゃま、いつお出かけになられたのですか。四神の間で、お待ち下さる

よう申し上げていたはずですが」

「神宮司(じんぐうじ)、その坊ちゃまってのやめろ」

 イノリが、嫌そうに顔をしかめた。

「オレなんかより、お待ちかねは、こっちだろ。迷子になってたぞ」

 いきなり押し出されて、あかねはうろたえる。

 知らない大人の男性に頭のてっぺんからつま先までを見られ、赤面するあかねが

自己紹介の口を開く前に、男は言った。

「元宮あかねお嬢様ですね。よくお出で下さいました。どうぞ、こちらへ」

「あ……あのっ」

「橘家の執事で神宮司と申します」

「ええっと」

「皆様、お待ちかねでございました」

「皆様?」

「こちらに住まう、あかね様のいとこにあたる方々です」

「いとこ……」

「あいにく当主の友雅様は、本日お仕事のご都合で、直接にお迎えに上がれません

でしたが、若の留守中に、お嬢様をお迎えするにあたり、くれぐれもご不自由の無

いようにと、この神宮司、しっかりと申しつけられております」

「叔父様……が?」

「はい」

 名前しか知らない叔父に心配りをされていたというのは、あかねとしてはありが

たいことだ。

「け! 調子いいからな、あいつは。口先ばっかだ」

「……イノリ様」

「はいはい。オレは単なる居候です。そいつ紹介すんだろ?」

「はい、は一度でよろしいのです」

 神宮司という人は、まるで教師のようだと、ぼんやりと思ったあかねは、気がつ

くと手にしていたバックを使用人らしい女性に預けて、奥の一間へ伴われていた。




 四神の間、と呼ばれたその部屋は応接室のようで、高い天井にアイボリーの壁、

焦げ茶の柱や床板が華美でなく、テラスに続く大きく張り出した一面のガラス窓の

おかげでサンルームのように明るい居心地のよさそうな広い部屋だった。

 ただし据えられた調度は、どう見ても高価そうな革張りのソファや、表面を傷ひ

とつなく磨かれ美しく細工の施されたテーブルであり、そこらの家では、まずお目

にかかれない暖炉、さりげなく置かれたスタンドや花器までもが趣味の良い本物で

あることを主張していて、素人目にも、ここが普通の家ではないことがわかる。


 しかし、その部屋の見事さよりも目を奪うのは、そこに勢揃いしている顔ぶれだ。

「坊ちゃま方、お待たせいたしましたね。元宮あかね様が、いらっしゃいました」

 神宮司が告げると、坊ちゃま、と呼ぶには、ためらうような年頃の者も含めて、

そこにいた者から一斉に視線を向けられ、あかねは思わず固まってしまった。

 彼女の視界に入ったのは、何人いるのか、目で見てとっさに数えられない人数の

見知らぬ男性ばかりだ。

 さっき外で見かけた金髪碧眼の美少年が、あかねに向かって笑いかけてくれてい

たけれど、あかねに笑顔を返す余裕はない。


「遠いところ、ようこそ。いとこ殿」

 ソファから立ち上がって最初に挨拶してきたのは眼鏡をかけた、理知的な雰囲気

を持つ若者だった。

「私たちに女の子のいとこがいるとは知りませんでした。あなたも驚かれたかもし

れませんが、これからどうぞよろしくお願いいたします」

「当家から藤原家に嫁がれた藤乃様のご長男、鷹通様です。T大学の工学部に在籍

しておられます」

「よ……よろしくお願いします……」

 青年に丁寧にお辞儀をされて、あかねもぎこちなく挨拶をした。


「あかねさんは歌はお好きですか?」

 鷹通の隣にいた線の細い少年が、微笑みを浮かべて優しげに話しかけてきた。

男としては長めの肩につくほどの黒髪が、不自然でなく雅に見える。繊細に整った

少女と見まごう日本的な感じの美少年だ。

「ええ……っと、音楽は、はい、好きな方だと……」

「ああ、音楽もですけれど……ごめんなさい。音楽だったら私は笛をたしなみます

ので、そのうちにご一緒させてくださいね」

「は……い。ええと……」

「私は今ご挨拶した鷹通の弟で、敦仁といいます」

「敦仁ってより、永泉だろ。お前の呼び名は」

 イノリが口を挟むと、彼はゆったりと答えた。

「永泉は号ですから」

「敦仁様は、十七というお若さながら歌人としてご活躍されておられまして。そち

らでのお名前が永泉と申されます」

 神宮司が説明する。

「歌人って……和歌ですか……あの、五・七・五・七・七の?」

「はい。まだまだ若輩もので勉強中ですけれど」

 永泉という少年は、おとなしやかで上品な感じで、女の子みたいに綺麗だとあか

ねは思った。


「藤原家のお二人は、橘の本邸ではなく、同じ敷地の西向うの別邸で、ご家族で、

お住まいです。これから本邸で、あかね様とご一緒に暮らされるのは……」

「ボクは、さっきイノリ君と一緒に会ったよね。ここに住んでいる流山詩紋ってい

います。あなたのこと、あかねちゃんって呼んでいいかな? 仲良くしようよね」

 金髪の天使が、あかねの前へ出てきて、すっと握手の右手を差し出したので、少

女も、おずおずと手を出してやんわりと握手をした。

 さっきの永泉が日本人形なら、詩紋はフランス人形みたいな美少年だ。

「当家のお嬢様である房子様の三男の詩紋様は八葉学園の中等部三年生でいらして、

いとこの皆様の中では最年少ということになりますか」

 にこにこ笑っている男の子につられて、あかねも笑顔を見せたが、その表情は、

まだまだ自然な笑顔とは、ほど遠かった。


「房子様のご長男がこちらにお出での源頼久様。居合の師範をされておいでです」

 部屋の片隅の椅子に座っていた、きりっとした鋭い印象の男が立ち上がって黙礼

する。一際、高い身長と隙のない姿勢の良さが、張りつめた印象を与える青年だ。

「居合って何ですか?」

「剣術の一種ですよ」

 神宮司に、そう言われてもぴんとこないあかねだったが、目の前の美丈夫は、確

かに、いかにも武道などに秀でていそうな感じではある。寡黙らしい古風な風情の

ある青年は、ごく真面目な顔つきのまま口を開かず、あかねにその先を尋ねられる

雰囲気ではない。会話は成立しなかった。


「それから次男の安倍泰明様。泰明様は、大学院での天文学と、それからご趣味の

占星術の方でもご活躍で、お忙しく、本邸でお過ごしになる時間は少ないのですが」

 今度はソファの後ろ、窓辺に立っていた男が軽く頭を下げた。

 腰あたりまであるまっすぐな長い髪。黒づくめの服を着て端正ですらりとした若

い男がじろりとあかねを見た。あかねは、びくんと身をすくめた。

 光の加減なのか、泰明の左右の目の色が違って見えた。血統書付きの外国の猫を

思わせる宝石のような瞳だ。

「お前が元宮の娘か。……神気があるな。巫女に向いている」

「は? ……えっと、あの」

「いきなり普通のヤツにわかんないこと言うなよ。あんたと違って、オレらには霊

だのオーラだの見えないんだからさ。困ってるだろ」

 イノリがうんざりした様子で口を挟む。


「あの、詩紋くんと、頼久さんと、泰明さん……は……房子伯母様の息子さん達な

んです……よね?」

 あかねは半ば混乱しつつ、素朴な疑問を口にした。今の三人は兄弟と紹介された

と思ったが、聞き間違いだったろうか。

「ああ、苗字違うから驚いちゃうよね。おまけに、あまり似ていないでしょう? 

ボクたち、父親がみんな違うから」

 あっさりと詩紋が答えた。

「お母様は恋多き人なんだ。でもちゃんと結婚したのはボクたち三人の父親だけな

んですって。今は別れちゃってるんだけどね。結局、ボクら兄弟は、ここで暮らし

てるけど、お母様本人は、ずっとあちこち飛び回ってるから、ほとんど帰ってこら

れないんだ」

 想像を絶する話に、あかねはめまいがしてきた。

 さっきから次々と紹介されるいとこ達は、あかねの対人情報処理能力を超越して

いる。


「育ちが違うよなぁ」

 イノリが大きくのびをして、改めてあかねに向き直った。

「今さらだけど、オレは、橘イノリ。母ちゃんがここの娘だった。もう病気で死ん

じまって、とっくにいねぇけど。それでここに居候だ。お前と似たようなもんだな」

「イノリ様」

 神宮司がたしなめるように声をかけた。

「何だよ、ホントのことだろ?」


「身も蓋もない言い方するなってことだろ」

 背の高い少年が後ろからイノリの髪をくしゃっとかき回した。明るく快活な印象

で、いかにもスポーツなどが得意に見える少年だ。

 彼はイノリから、あかねに視線を戻すと、半ば面白がっているような口調で話し

かけてきた。

「俺は森村天真。母親がイノリの母親と双子だったから、俺もいとこってわけだ。

ここは母の実家で、両親は海外赴任してるけど、俺は日本に残りたかったんで、こ

こで、やっかいになってる。そうそう、お前が入学するのは、うちの高等部だろ。

同級生になるな」

「同級生……同級生って……ええ? あの、き、共学なんですか……? 男の子も

一緒の学校に……私、通うんですか?」


 あかねは、幼稚舎から今まで、ずっとミッション系の一貫教育を誇る女子校育ち

だ。学校の教師もほとんどシスターで男性教師は、ごくわずか。日々、関わり合う

男と言えば父親だけという暮らしを十五年間してきたのだ。


「八葉学院は良家の子女が通われるよい学校でございます。あかね様も、きっと充

実した学園生活を過ごせましょう」

 平然とした神宮司の言葉に、あかねは蒼白になる。

「新学期までは、まだ十日ほどございます。おいおいこちらにお慣れになれば、よ

ろしいかと存じます」

「高等部では学年は上になりますが私もご一緒ですし、中等部にはイノリさんと詩

紋さんもおりますから、困った時はいつでも頼ってくださってよろしいのですよ」

 永泉がフォローのつもりか慰めるようにして話しかけたが、あかねは、すでに混

乱の極みにあった。


 父ひとり娘ひとりの物静かな生活から、いきなり豪邸での大家族暮らし。しかも

その血縁はすべて男性。彼等の共通点と言えば、タイプは違うが、揃いも揃って美

形ばかりということくらいだ。


「一族のいとこ八人がこれで勢揃いされたのです。なかなか希有なことですよ。将

来のためにも、どうぞ皆様、お力を合わせて、仲良くなさっていただきたいもので

すね」

 神宮司の言葉は、すでに耳に入っていない。

 気を失わないように立っているのが、やっとの、あかねであった。  





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