憬文堂
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望月の贄




 「永泉さん、友雅さん! いらしてくれて嬉しいです」

  京に残った龍神の神子、元宮あかねは、今も変わらず龍神の力を宿し、神子に仕える

 星の一族であり左大臣家の末娘である藤姫に仕えられ、土御門殿の西の対の片隅で暮ら

 している。

  京へ召還された頃、まるで屈託なく、歳よりずっと幼げだったあかねも、近頃は時折

 はっとするほど美しく艶めいた表情をのぞかせて、周囲の目を見張らせることも多い。

  その艶は、恋人たる友雅の力なのか、はたまた彼女が京になじみ大人びてきたからな

 のかは、人により意見の分かれるところであろう。

  とはいえ今でも深窓の姫とは違い、几帳も隔てもろくに置かず、開け放たれた部屋で

 直接対面し、喜びもあらわにするあかねを、永泉は眩しくながめた。

  あかねの座する畳の前に、二人の八葉は円座を敷いて腰を下ろす。あかねと二人の間

 に几帳はなかった。

  友雅は何やら少し機嫌が悪いのか、笑顔を作ってはいても目が笑っていないようだが、

 そんなことは、神子の心からの笑顔の前には些末なことだ。

  このくもりなき明るさ、やさしさ、すべての救いの具現のような存在が、永泉にとっ

 ての神子だった。

 「二人一緒にいらっしゃるなんて珍しいですね。何かあったんですか?」

  あかねは並んでやってきた二人を見て、ただならぬものを感じたのか、いきなり本題

 につながる問いを投げかけてきた。

  永泉は意を決して、帝の御意をあかねに伝えた。



 「帝って、永泉さんのお兄さんなんですよね」

 「ええ、そうです」

 「天皇陛下がお兄さんってことかぁ」

 「神子、いかがでしょう。ひとつ祭り見物のつもりで、石清水八幡宮まで、帯同をお願

 いできませんか? 難しいことを強いるようなことは決してないはずです。私も友雅殿

 も参りますし」

 「神子殿、どうしても気が進まなければ、断ってもいいのだよ。神子殿が引き受けなけ

 ればならない言われはないのだし」

 「引き受けられないようなお役目なんですか? 私が失敗しそうな?」

 「いや、そのようなことはないだろうが……」

  ことあかねに関することだと、友雅は時折こんな風に常の余裕が剥がれ落ちる。めっ

 たに見られぬものを見た永泉は小さく笑うと、あらためてあかねに願った。

 「神子、石清水放生会への帯同、お引き受けいただけますか?」

  あかねは、ためらわずに、まっすぐ永泉を見て答えた。

 「私ができることなら、ぜひ」

 「神子殿……しばらく考えて返事をした方がよくはないかい」

 「友雅さんは反対ですか。何が心配なの?」

  答えに窮する友雅に、あかねがやわらかく微笑む。

 「私は心配してないですよ。帝の勅命って言われても、私にはよくわからないけど、永

 泉さんのお兄さんのお願いって思えばいいし。それに友雅さんも一緒なんでしょう? 

 だったら私が心配することなんてないです」

  永泉の前にも関わらず、あかねのこの言葉に、友雅は一瞬照れた顔を見せた。初めて

 見た左近の少将の表情に、永泉も内心驚いたが、これこそが神子の力だろうと思う。

 「神子のお返事、承りました。放生会の帯同に当たっては、私たちが、しかとお守りす

 ればいいことです。そうではありませんか? 友雅殿」

 「永泉様……変わられましたね」

 「それも神子ゆえです。私も八葉なのですから」

  永泉はゆったりとした笑顔を見せた。神子を手中にした友雅に、せめて一太刀の笑顔

 は、どうやら成功したようだ。

  友雅は少し驚いた目をして、それから覚悟を決めたように笑みを浮かべると、永泉の

 目の前であかねをいきなり抱き寄せた。あかねの体勢が大きく崩れて、畳から友雅の胸

 に倒れ込むような形になった。

 「とっ友雅さん! 何するんですか!」

 「こんなに私の心を騒がせたのだから、これくらい勘弁しておくれ」

 「だってっ、え、永泉さんもいるのに……友雅さん!!」

  あかねが真っ赤になって騒いでも、どこ吹く風と、友雅はますます力をこめてあかね

 を抱き込んだ。これにはさすがに永泉も目のやり場に困った。

 「……友雅殿、わかりました。大丈夫です。もし出仕だの入内だのということになれば、

 その時は私が何を於いても兄上をお止めします」

 「誓って確かに?」

 「御仏と神子に、私の信ずるすべてに誓って」

 「それでは不心得な私も、安堵することにいたしましょうか」

  八葉二人のやりとりは、あかねにはまるで通じていないようだ。友雅の袖に覆われて

 もがきつつ、あかねが声を上げる。

 「友雅さん! 放してくださいっ!」

 「つれない人だね、私の白雪は」

 「な……な……何言って……」

 「でも君の信頼だけは失いたくないからね。私が一緒なら安心だという君のくどきは絶

 妙だったよ。まったくあなたときたら油断のならない姫だな」

 「くどき?」

  あかねは、身に覚えのないことを言われて面食らっている。


  永泉は仲睦まじい友雅とあかねの様子を見て、神子の幸せが京の友雅の元にあるのだ

 と思うことができた。ならば、己のかすかな感傷は、いつか必ず癒されるだろう。

  これから先も、神子が京に幸せに暮らしていることを確かめ、祈りを捧げ続けること

 が叶うなら。






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