憬文堂
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秘  曲
仲秋 憬 


                   < 壱 >


  およそ望むものはすべて手にしているような恵まれた公達に見える左近衛府少将、橘

 友雅に、何かを贈ろうとするのは、ひどく悩ましいことだ。


  去年の春に、京の窮地を救う龍神の神子として、遙かな時を超えて召還された元宮あ

 かねは、鬼との戦いの中で、神子を守る八葉の一人であった橘友雅と恋に落ち、縁を結

 んで、この地に残った。

  友雅は、帝の覚えもめでたい殿上人。京で地位を確立している立派な大人であり、対

 するあかねは、この世界では、尊き斎姫(いつきのひめ)と周囲に持ち上げられてはい

 ても、元を正せば、まだまだ子供。何の力もない普通の女子高生でしかなかった娘だ。


  あかねは京に召還されてからずっと、左大臣家である土御門殿の西の対で、左大臣の

 末娘であり、龍神の神子に仕える星の一族でもある藤姫に仕えられて、何不足なく暮ら

 している。

  鬼との戦いを終え、京を救い、差し迫った役目は終えても、あかねは神子姫として敬

 われ、そんなあかねのところに夜毎、通ってくる友雅は、すっかり左大臣家の婿扱いだ。

 「今さら、政(まつりごと)の表へしゃしゃり出て、どうこうする気はないのだけれど

 ねえ」

  あかねに通うことで、結果的に友雅が権力の集まる摂関家に近しくなったことによる

 宮中でのやっかみは、少なからずあったようだ。

  しかし、友雅は大して苦にもせず、ひょうひょうと過ごしている。

  友雅の受けている数々のいやがらせらしき噂を耳にしたあかねが、自分のせいで友雅

 を望まぬ状況に追いやっているのではと心配した時も、彼は笑って否定した。

 「言いたいものには言わせておけばいい。他人にどう思われようが一向にかまいはしな

 いさ。自分と大事な人がわかっていれば、それでいいんだよ。君を手に入れるためなら

 ば、他のあらゆることは、どれもまったく取るに足りないことだ」

  あかねだけに向けられる友雅の柔らかい笑顔は、それが本心からの言葉だと伝えてい

 た。

  身に過ぎた愛情を与えられていると、あかねは思う。友雅とめぐり会えた運命に感謝

 したい。彼のために何かをしたいと、いつもあかねは思っている。


  あかねが京に残る決心をしてから、もうすぐ一年。友雅の誕生日が近づいていた。

  この京では誕生日祝いなどしないのは、あかねも知っている。皆、一斉に正月を迎え

 た時に歳を取るのだ。

  けれど、あかねは今年の友雅の誕生日には、何か贈り物をしたかった。去年は鬼との

 戦いがようやく終結をみた、その翌日ということもあって、友雅の誕生祝いどころでは

 なかった。しかし今年は、余裕もある。

  あかねは友雅の側にいることを自分で選びとって、京に残ったのだ。思い思われる喜

 びは、いつでもあかねを幸福にしてくれた。友雅がこの世に生を受けたこと、こうして

 出会えた運命を、誰に感謝したらいいだろう。

  その喜びを、感謝を、言葉や形にすることで、伝わる気持ちもあると思うのだ。思っ

 ているだけでは何も伝わらない。何もしないよりも、何かする方が、ずっと気持ちが伝

 わるような気がする。誕生日は、あかねが行動するきっかけのひとつだ。


  友雅はそれこそ、誕生日も何も関係なく、ことあるごとにあかねに色々な物を贈って

 くれていた。美しい花と共に毎日のように届けられる恋文の数々。色とりどりの美しい

 衣装や、見事な細工物、退屈をなぐさめる絵巻物、等々、折々の贈り物は、あかねを驚

 かせ、とまどわせ、幸せにしてくれた。贈り物にこめられた気持ちが素直に嬉しかった。

  それに引き換え、あかねが友雅にあげられるものなど、そうあるものではない。ただ

 でさえ左大臣家の居候だ。あかねひとりの身で友雅にプレゼントできるものなど、たか

 が知れている。

  あふれるほどもらう歌の返しだって、いつも汲々として藤姫や周囲の女房たちに泣き

 つきつつ、なんとかひねり出して返している状態なのだ。そんな歌でも友雅は喜んでく

 れるのだが、これは歌そのものの出来よりも、あかねが必死で返事をしようとしている

 姿勢を喜んでくれているのは、あかね自身、よくわかっていた。



 「本当に友雅さんが喜んでくれる、何か役に立つような、そんな贈り物ってないかなぁ」

 「少将様に、でございますか?」

  さわやかな夏の風を感じる午後だった。

  ああでもないこうでもないと、居心地良くしつらえられた部屋で頭を悩ませていたあ

 かねに、側に控えていた女房のひとりが、聞き返した。

 「うん。でも私があげられるものなんて、たかが知れてるのよね……」

 「神子の上様の、そのお心持ちだけで、少将様は充分お喜びと存じますわ」

 「それじゃ、いつもと同じだもの……。一年に一度のことで、何か特別にお祝いしたい

 なって思ってるの。ちょっとびっくりもさせたいし」

 「お祝い……と申しますと、普通は舞を献上されたりいたしますわね」

 「舞? ……舞だって、友雅さんの得意なものよね……。宮中の宴での舞や楽の演奏っ

 てお仕事の内でもあるんでしょう?」

 「ええ、以前から少将様の舞姿の評判は、ことのほか高いと伺っておりますわ。左近衛

 府でも極めつけでいらっしゃるとか」

  そんな友雅の前で、素人のあかねが踊ってみせるというのも、いただけない。急場し

 のぎで練習したところで、袴の裾でも踏んで醜態をさらしそうだ。とても友雅へのお祝

 いになどならないだろう。

 「友雅さんが欲しい物って何だろう。友雅さんが自分から何か探したり求めたりしてい

 るものって、ないのかな。得意なものだったら、やっぱり歌や楽器になるんだろうけど」

  あかねはため息をついた。友雅はかつて、どうしてそんなに何でもできるのかと聞い

 た時、歌も楽器も自然に覚えたからわからない、と答えたものだ。

 「楽といえば、少将様は琵琶の名手でもございましたわね」

 「うん、素敵だよね。私の育ったところでは聞いたことない音楽なんだけど、本当に夢

 みたいにきれいな曲で……」

  時折、友雅が聴かせてくれる琵琶の演奏を思い出して、あかねは脇息にもたれたまま、

 うっとりと目を閉じた。

 「そういえば、少将様は、お若い頃から琵琶の演奏にはひとかたならず興味を抱かれて

 いたご様子ですわね」

 「そうなの? そんな話したことあるの?!」

  あかねは思わず身を乗り出して、声を上げた。

 「いえ、私のような者が直接伺ったことなどあるはずもございませんが、なんでも昔、

 少しの間、通われていた方にも、琵琶の名手であることから縁ができたという方がおら

 れたとかで、少将様に心寄せていた女房どもの間で、琵琶を習うのが流行ったことがご

 ざいまして……」

  思いがけず友雅の昔の交遊ぶりがほの見えて、あかねは目を丸くした。友雅が以前は

 この左大臣家の女房たちの誰かとも恋人付き合いがあったことは、藤姫や女房たちの話

 から承知していたが、具体的にどんな風だったのかは、聞いたことがなかった。

  あかねの表情に、これはまずいことを言ってしまったと思ったのか、女房はあわてて、

 その過去を大したことはないのだとでもいうように、打ち消そうとした。

 「いえ、神子の上様がお気になさるようなことはございませんわ! 昔のほんの一時の

 ことですのよ。こう申しては何ですが、今の少将様と昔のあの方は、まるで別人のよう

 ですわ。神子の上様こそが、少将様の何よりのお望みではございませんか! 琵琶がう

 まいからどうこうなんて全く関係ございません!」

  あかねは、そんな女房の言葉はろくに聞いていなかった。

  つまり友雅は、琵琶の名手だという女性に魅力を感じて通ったくらいには、琵琶にこ

 だわっているということではないか。あまり物事に執着していない友雅には希有なこと

 ではないだろうか。


  あかねがねだれば、友雅は大抵のことはかなえてくれる。琵琶が聞きたいと言えば奏

 でてくれるし、どこかへ出かけたいと言えば連れ出してくれる。それはいつだって同じ

 調子で、つまりどれかを特に友雅自身が楽しんでいるのではなく、あかねが望むことが

 まず第一で、あかねと共に楽しむことが肝要だと思っているようだった。このほとんど

 盲目的な甘やかしにも近い友雅の愛情表現を受け入れていると、自分が、どんどんわが

 ままになってしまいそうで、あかねは恐れを感じていたくらいだ。

  友雅にとって特に琵琶を奏でることが喜びであったとは思わなかった。知らなかった

 友雅の一面を見たようで、新鮮な驚きがある。考えてみれば確かに、奏者に楽を奏でる

 ことへのこだわりと喜びがなければ、あのように人の胸を打つ演奏はできないだろうと、

 あかねも気がついた。


 「琵琶か……。でも今から私が友雅さんに楽しんでもらえるような琵琶の演奏ができる

 わけじゃないしなぁ」

 「神子の上様! 少将様は、そのような!!」

 「琵琶に関係した贈り物ってできるかな。それなら喜んでもらえると思う?」

 「神子の上様、どうかお許しくださって……」

 「やだなぁ、教えてくれてありがとうって思ってるのに。大丈夫。昔のことは気にして

 ないよ。きりがないもの。うーん、音楽のことに詳しい私の知り合いって言ったら……」

  自分の失言から、あかねに余計な心配事を背負わせたのではないかと、おろおろする

 女房を後目に、あかねは必死に心当たりを探っていた。





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