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花の名前
仲秋 憬 





  帝に仕える左近衛府少将、橘友雅は、異世界より来(きた)る佳人、龍神の神子を守

 り支える八葉の一人に選ばれてから、神子が寝起きする左大臣家の土御門殿で、そうそ

 う色めいた一時のなぐさめを求めるわけにはいかなくなった。

  これは、悲しむべきことか喜ぶべきことか、友雅は決めかねている。


  土御門の屋敷には選りすぐりの美しい花たちが仕えているのは確かで、ここへ誘われ

 るのは、そう悪いものではなかった。

  ほんの一時、その場その場の見せかけの恋のあわれが、生きることにすら飽いた友雅

 の退屈を紛らわす。

  しかし、まさか女房ふぜいと、真の恋に落ちるはずもない。情けをかけて通じたあげ

 く、自邸にもらいうけて召人にしたところで、友雅にとって何の意味もない。だから大

 抵はその前に縁が切れる。相手もそんなことは、わかっているのだ。そういうことが、

 わかる相手としか関わらない。それ以上の気持ちや関係は、重くうとましいだけだ。

  友雅は決して本気にならない。それは双方納得ずくの遊興だ。縁という言葉すら当て

 はまらない、うたかたの夢のような遊び事。道の辺の花を手折るような、たやすさだ。

  美しい花に情けひとつかけられなくて何のこの世の楽しみか。


  左大臣家の末娘、幼い藤姫などは、そのあたりを理解できずにいた純なものだ。自分

 のところの女房が、本当に左近少将(さこんのしょうしょう)の恋人たることが可能だ

 とでも思っていたらしい。

  何も知らない背伸びがちの童女も可愛いものである。退屈しのぎに、色を匂わせ、か

 らかって遊ぶのも、また一興。

  例えば、本命の姫がいたら、そこの女房を手なずけるのが一番手っとり早い。ならば、

 この土御門に通い詰め、そこの女房と通じることは、左大臣自慢の藤壺の女御(にょう

 ご)が内裏にいる今、藤姫そのものが目当てと思われる可能性もある。花というには余

 りに幼く固いつぼみではあったが、なに、あと四、五年もすれば、たとえ幼くても左大

 臣家の娘である。大臣(おとど)がそれと認めさえすれば、周囲が放っておかないだろ

 う。その可能性を、藤姫はおぼろげにわかっているのだろうが、気付いていないふりを

 しているようだ。


  そもそも、真の意味で、藤姫は左大臣家の姫ではない。

  藤姫は日々、五つ衣(いつつぎぬ)をつけ、裳(も)をつけ、正装をする。どこの世

 界に自分の屋敷で、裳着(もぎ)でもないのに、裳をつける主家の姫がいるというのか。

 しかも女童(めのわらわ)のような年端もいかない幼い娘が。

  それこそが、真実、彼女は左大臣家の姫ではない、ということの現れに他ならない。

  藤姫はあくまでも土御門に身を寄せる星の一族の者である。彼女はこの屋の主ではな

 い。仕えるべきは龍神の神子。龍神を呼び、京を救うことができる尊き斎姫(いつきの

 ひめ)に仕えるのが藤姫の使命だ。

  京を救う神子に尽くす星の姫。それは、この京に捧げられたひとつの贄(にえ)だ。

 でなければ左大臣が藤姫をこうして土御門に囲っておく理由がない。

  それは藤姫の不幸だろうか? そうではあるまい。実際、友雅はどうでもいいことだ

 と思っている。ひょんなきっかけで知り合った幼い姫の行く末までを、どうこうする気

 などあるわけがない。


  今を盛りと咲きほこる藤の花。その蔓を伸ばし、巻きついてからめとり、松を、岩を

 も、のみ込んでゆく北の藤波。橘ごときが相対できるものでもない。禍々しいほどの美

 しさだ。

  はかない一瞬の夢なら、ただ、その美しさを愛でればいい。友雅にできることなど、

 所詮、それくらいのものだ。

  あさましいことだと思う。友雅にとって、この現世(うつしよ)は、何もかもがあさ

 ましかった。





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