憬文堂
遙の書棚 Fullkissの書棚 いろいろ書庫 憬の書棚 刊行物ご案内 お食事日記ブログ web拍手 メールフォーム


友雅殿あなたに神子の祝福を
仲秋 憬 


                   < 弐 >


  ひとしきり楽しく過ごした彼らがあかねの前を辞した、その日の夕刻。

  何日ぶりかに雨がやみ、しっとりと濡れた庭先から、夏の薫りとともに、本当に久しぶ

 りの訪問者があった。

 「……神子殿、お顔を見せてくださるかい?」

 「友雅さん!!」

  藤姫や女房の先導もなく、いきなり忍び込んできたことをとがめる間もなく、あかねは

 まず歓迎の声を上げた。

 「友雅さん、来てくれたんですね! でも……大丈夫なんですか?」

  後は休むだけだからとすでに女房も遠ざけていたあかねは、自ら妻戸を開けて友雅を自

 室へ招き入れた。物音を立てないようにして畳の上に向き合って座し、燈台の明かりで見

 た友雅の顔が、以前より少しやつれて見えたことに、あかねは顔を曇らせた。

  しかし友雅は、あかねの心配をよそに、実にうれしそうだ。

 「ようやく……ようやくね。雨も上がっていて、内裏で野暮な関わりもない晩に暇を頂け

 た。本当によくもこのひと月近くも……君に会いたくて気が狂いそうだったよ、私は」

  友雅はそう言って、あかねを腕の中にすっぽりと抱きしめた。

 「月の姫が私を忘れてしまったらどうしよう、こうしている間に心が変わってしまったら

 と。文を出すだけでは、とても足りはしない」

 「友雅さんを忘れるわけないです」

 「いやいや、神子殿を慕う数多の男を思えば、私は片時も気が休まらないよ。いっそ急の

 病で倒れて、君のもとへ運び込まれようかとも思ったのだけれど……。なぜだか知らない

 が、八葉の勤めが終わったならこちらを優先せよと、毎日毎日、主上直々に細々と勅命を

 承ってね……左大臣様のところにいる君の手前、そうたやすく振り捨てて来るわけにもい

 かなくて。おまけに雨まで一向にやまないのだから、まいってしまったよ」

 「そんな! お仕事でしょう? 無理ないですよ。友雅さん、きっと、とても忙しいはず

 だって、永泉さんにも聞いていたんです」

 「……永泉様に?」

  友雅が眉をひそめた。

 「ええ、きょうは永泉さんと泰明さんが来ていて午後はずっとお話していたの」

 「……そう……永泉様が…………」

  物思いにふけりそうな友雅の意識を向けるのに、あかねは彼の袍の衿もとを、きゅっと

 引っ張り見上げて言った。

 「あのね、友雅さん、ずっと会えなくて……それで……言えなかったんだけど……聞いて

 くれますか?」

 「ああ、寂しかった恨み言でも、なんでも聞かせておくれ」

 「そんなんじゃありません」

 「おや、姫君は私ほどには想ってくださらないようで、それはそれで、何やら寂しいね」

 「もうっ! あのね……友雅さん……先月の六月十一日がお誕生日だったんですってね?」

 「わたしの生まれた日かい? ああ……そうだったかな」

 「私の育ったところでは、お誕生日に毎年お祝いをするんです。もう過ぎちゃったけど、

 でも、友雅さんにね……お祝いを言いたかったんです」

 「神子殿から祝福をいただけるのかい? それは嬉しいね」

 「友雅さんが望むなら……遅くなっちゃって……申し訳ないんですけれど……」

  友雅があかねにだけに見せる溶けそうな笑顔を見せる。その笑顔に後押しされてあかね

 は、上気した顔でゆっくりと告げた。


 「お誕生日おめでとうございます、友雅さん。その日にお祝いできなくて、何もできなく

 て、ごめんなさい。大好きです。これからの友雅さんに幸せが訪れますように」

  そう言って、友雅の頬を両手でやんわりとはさむと、そっと唇を寄せて、口づけた。
 
  あかねがそうっと離れた後、友雅は、あかねの唇がふれた頬に心なしか震えている右手

 を当てて、確かめなでるようにしてから、ゆっくりと破顔した。

 「ああ……ありがとう、神子殿……君は……本当に……なぜ、こんなにも……」

  珍しくも言葉をためらうような友雅に、あかねもとまどう。

 「えっと、ごめんなさい。き、緊張しちゃって……あと恥ずかしいけど、でも……いやで

 なかったらいいな……って……。し、詩紋くんがね! こうしたらいいよって。それで永

 泉さんもね、喜んでくれたみたいだったから……だからね……」

 「永泉様? 永泉様にも……こんなことを?」

  友雅の声が思わずとがる。

 「あ、あのね、偶然なんだけど、永泉さん、きょうお誕生日だったんです! でね……」

  再び永泉の名前が出たところで、ぴたりと黙ってしまった友雅に、あかねはとてつもな

 く不安をかき立てられる。

 「……友雅さん? あの……」


  少しの間黙っていた友雅はあかねが泣き出しそうになる寸前に、ようやく口を開いた。

 「なるほどね。それでわけがわかったよ」 

 「……はい?」

  友雅は不思議そうに首を傾げたあかねの頭を引き寄せて、今度は声を上げて笑った。

 「まったく上つ方々というのも困ったものだ。主上は永泉様にとびきり甘くていらっしゃ

 るから。でも、たとえ天に背こうとも私が神子殿をあきらめることなどないのにねえ」

 「はぁ……」

 「私が、ようやくきょう内裏を抜け出せたのは、きっと永泉様のお力添えがあったのだろ

 うなと思い当たってね」

 「どういうことですか?」

 「いや、わからないならいいんだ」

  くすくすと友雅は笑った。


 「ところで神子殿」

  友雅はあらためてあかねに向き直ると、顔を近づけて耳元でささやくように告げる。

 「私に祝福をくださるのだったね」

 「ええ。今のでは……やっぱりお祝いになりませんか……?」

 「……あれだけ?」

 「え?」

 「困ったな……私は君に恋する男になってから、ずいぶんと欲深になってしまったようだ」

 「友雅さんが欲深ですか?」

 「君が惜しみなく与えてくれるから、もっと欲しくなる。他の誰かと同じだけでは足りな

 く思う不埒者だよ」

 「もっとって」

 「ここだけじゃなくて……ね」

  友雅があかねの頬を撫でる。

 「こっここ、ここここだけ……って……じゃあ……」

 「もっと大事なところに」

 「……っ!!」

  あかねは首筋まで真っ赤になって絶句した。友雅はそれはそれは優雅に微笑み、あかね

 の手を取った。

 「神子殿の祝福を……私が一番感じるところにいただきたいのだよ。……そう、できるこ

 となら、私のすべてに、あますところ無く……ああ、なんて強欲なのだろうね」

  耳元でささやかれて、あかねはまともに物が考えられなくなり、ただただ羞恥に染まる。

 「な、何を言ってるか……わ、わわわかりません!」

 「そう? ……本当に?」

  あかねは無言で、こくこくとうなずいた。

 「じゃあ仕方ないね」

  その言葉に一瞬ほっと肩の力を抜いた少女に、男は容赦がなかった。

 「では、わかるようにして差し上げよう。神子殿は私のすることをなぞって返してくれた

 らいい」

 「なっ!?」

 「祝福をくださるのだろう?」


  そうだ。確かにあかねは、そう言った。彼が望むなら祝福する、と。

  でも、それはおそらく、今、彼が望んでいるものとは遠く隔たっていたはずだ。

  その祝福は──。


 「約束したね? 神子殿」

 「いっいいい痛いこととか、私できませんっ」

 「痛くはないよ」

 「…………」

 「誓うよ。君の祝福は痛いことじゃないだろう?」

 「当たり前です!」

 「なら大丈夫。一緒だ」

 「ででででも」

 「神子殿の祝福だもの。気持ちいいに決まっているよ」

  友雅はだめ押しのように、ささやいた。

 「私はきっと桃源郷に遊ぶ夢見心地を味わうだろうね。先程のあれだけでも、すっかり夢

 中になってしまったのだから……行ったきり帰ってこられないような、二度と無しでは過

 ごせないような、そんな気分になるよ」

 「友雅さ……ん……」

 「おいで、姫君。月ではなく私のところへ。私を祝福してほしい」

  友雅は本気だ。あかねに、どうして否と言えるだろう。

  ぼんやりと二人を照らしていた燈台の明かりがゆらりとゆれて、そしてふいに吹き消さ

 れた。





  さて、龍神の神子の祝福が、地の白虎に望むまま与えられたのかどうか。

  神子を取り巻く縁者の誰もが気をもんだが、多くは語られず、天の玄武たる永泉は、自

 分が二人にどんな働きをしたか知らぬままで過ごした。

  あの晩、あかねは土御門の自分の屋敷をいつのまにか抜け出していて、朝になっても帰

 らずに、藤姫を嘆かせた。

  内裏では七夕の夕べに左近衛府少将が参内しないので騒ぎになったが、それまで散々彼

 を呼びつけていた帝はどういうわけかその件を不問にし、宴では法親王の永泉が請われて

 見事な笛を披露した。



  結局、七夕から数日の間、縁者の内で、友雅とあかねの姿を見かけた者はなかったとい

 うことである。



                   【 終 】





戻る 戻る


遙の書棚 Fullkissの書棚 いろいろ書庫 憬の書棚 刊行物ご案内 お食事日記ブログ web拍手 メールフォーム
憬文堂