憬文堂
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友雅殿あなたに神子の祝福を
仲秋 憬 


                   < 壱 >


  京を鬼の脅威から救うため異界より降臨した龍神の神子。

  神子を守る八葉たちと力を合わせ、京を救ったその後も、神子は京に留まった。

  鬼の呪詛により干からびていた大地に、恵みの雨が降り、季節は、ようやくめぐり出す。

  水無月が過ぎ、文月を迎えた頃、京はまだ長雨が続いていた。

  これは、本来、皐月の長雨がずれ込んだせいで、鬼の呪詛のせいで乾いていた京が、ま

 だ天の恵みを欲していたことによる。特に嘆く必要はなかった。


  しかし、雨によってさえぎられるものが、京にはある。

  男女の逢瀬だ。



 「友雅さんに、もうずいぶん会ってないんです」

  龍神の神子であった元宮あかねは、いまだ神子姫として、京へ来た時と同じように、

 左大臣家である土御門殿の片隅で、神子に仕える星の一族の姫である藤姫にかしづかれて

 暮らしていた。

  そんな神子のもとに、すでに京のために神子を守るという使命から解放された八葉たち

 も、いまだに神子を慕い、時折、訪ねて来ては、つれづれを慰めていた。


  雨の中、本日、あかねのもとに来ていたのは、天地の玄武。法親王の永泉と、陰陽師の

 安倍泰明である。

  家司見習いとして内向きの仕事をしながら、別棟とはいえ同じ土御門で寝起きしている

 元あかねの後輩、地の朱雀である詩紋も、同座しておしゃべりをする中で、ふと見せた神

 子の憂い顔に、八葉である彼らは三人は胸を突かれた。


  彼女が口にする名前、橘友雅は、八葉の内の地の白虎。神子を元の世界に帰さず、この

 京に留める直接の原因となった左近衛府少将である。


 「内裏のお仕事が、ずいぶん忙しいみたいです。あと……雨だからって」

  あかねが、ぼうっとした視線を雨に濡れた庭の前栽に向けた。

 「雨の外出だと、お付きの人も大変ですものね。少し寂しいけど、わがまま言わずに待っ

 ていなくちゃ」


  現代日本で育ったあかねには、雨障み(あまつつみ)のなんたるかが、よくわかってい

 ない。あかねが龍神の神子として京を駆けまわっていた頃、友雅が雨だから来ないなどと

 いうことはなかったのに、と、不思議には思っても、あくまで素直に受け止めている。


  そうではない。

  雨が降ると、友雅は恋人として夜、通うことができないから来ないのだ。

  彼は、もう神子を守る八葉ではなく、あかねの恋人なのだった。


  もちろん友雅は雨を嘆く歌を文として、毎日のように届けている。

  だが、あかねに、その歌の意味をわかれというのは無謀であった。美しく流れるように

 書かれたかな文字を、あかねは読むことすらできないのだ。お付き女房や藤姫に読んでも

 らうのにも限度はある。恥ずかしがりのあかねは、どうしても友雅の恋文(と思われる歌)

 を気軽に毎日解読してもらうことができないでいた。

  それに、本当に雨のせいだけなら、友雅もここまで顔を見せないはずがなかった。

  雨が降ろうが、槍が降ろうが、来るときは周囲をたばかってでも友雅は来るだろう。

  雨障みを厳密に守るほど、禁忌を恐れる男でもない。

  それを知っている八葉たちは、あかねに何と言ったものか、迷っていた。


 「あれも、内裏で浮き草のようにしているかと思えば、それなりに必要とされてもいるの

 だろう。神子が気に病むことはない」

  泰明の言い様はずいぶんだったが、彼に悪気がないことを、あかねはよくわかっていた

 ので、こんな物言いに機嫌を損ねることはない。

 「内裏も鬼の討伐で何かと延期されていた行事をこなすことが多いようですから、友雅殿

 も、かなりお忙しいはずですよ」

  永泉がふわっと柔らかく微笑んで言った。

 「六月の祓えも、今年は念入りにということで大がかりだったようですし、そう……明日

 は、もう七夕ですね。こちらの準備もさぞやと思われます。まして友雅殿は、内裏の行事

 に華を添えるに二人とない方ですから」

 「大変なんですねぇ」

  あかねが感心してうなずいた。


 「お前はいいのか?」

  泰明が永泉に尋ねた。

 「私は出家の身ですし、内裏の華やかな場に臨席することもないのです。こうして神子を

 お訪ねするのに、はばかるものは幸いにしてございません」

  きっぱりと言う永泉に、泰明は「そうか」とそっけなく一言返した。

 「私などよりも、泰明殿の方はいかがなのですか? この大祓えでは、陰陽寮でなくとも、

 京中が一斉に祓いを求めて、さぞやお忙しいことと思っていました」


  稀代の陰陽師である安倍晴明の弟子である泰明が、八葉とは言え、そうそう神子のもと

 ばかりに入り浸っている暇は、さすがになかったはずである。

  しかし、泰明は八葉の任がほぼ終わってからも、足繁く土御門に通ってきては、周囲の

 結界の補強だのなんだのと、あかね一途にまめまめしく働いていた。

  忙しいはずの水無月はおろか、こうして文月になっても平然と来ている様は、もしや陰

 陽寮をクビにでもなったかと周囲が感じるほどだった。


 「問題ない」

  泰明に言わせれば、これで終わりだ。永泉は、それ以上尋ねることはしなかった。



  そんな天地の玄武の横で、見えない火花を感じ取り、詩紋は肩をすくめた。

 (どっちもどっちだよね──。ボクもだけどさ)

  この世には、あきらめ切れない恋もあるのだ。

  いっそ、あかねが新たな恋に目覚めてくれたら……。

  それは、玄武だけでなく、八葉全員の想いであり、祈りであった。

  ただひとり、恋の勝者である地の白虎、橘友雅をのぞいては。


  しかし当のあかねは、彼らの恋心に、とことん疎かった。

  まさか自分がそんなに愛されているなど露ほども思っていない。 



 「忙しくて……体こわしたりしないといいけど……永泉さんや泰明さんも気をつけてくだ

 さいね。雨なのに無理をして来てくれて、熱でも出したら大変です。私は大丈夫ですから」

 「そのような心配は無用だ」

  泰明が憮然とした態度で答える。

 「……それとも神子は私が来ると迷惑か?」

 「そんなことあるわけないじゃないですか! 嬉しいです」

 「そうか。ならばよい」

  あかねの言葉に泰明が綺麗に微笑んで、その場にいた全員が一斉に息を呑む。

  普段、無愛想な男のこんな顔を無防備に見せられたら、たいていの人間は釘付けだ。

  ──泰明、恐るべし。

  詩紋と永泉が一瞬凍りついたように泰明を見つめていたのを、笑顔に見とれていたあか

 ねは、もちろん気付かなかった。


 「本当はね、八葉のみんなに色々お礼も言いたいの。神子としてすることがなくなってか

 ら、そんなことばっかり考えちゃう。でも招待する理由もないし」

 「宴を開かれることをお考えですか? それは楽しみですね」

 「永泉さん、そう思う? 失礼とかじゃありませんか?」

 「そのようなことはございませんよ。なにか簡単な……そう月見の宴でもされて皆で集ま

 るのもよろしいかと思います」

 「月見かぁ……。私こちらの行事はよくわかってなくて。迷惑でないなら、一度、藤姫に

 相談してみようかな。私の育ったところだったら、誰かのお誕生日とか、そんなことで、

 集まってお祝いしたりしたんですけど。ね、詩紋くん」

 「そうだね。でも季節の行事がいろいろある京っていいなとボク思うよ」

 「神子の世界では、人が生まれたその日を、毎年祝うのか?」

  泰明が尋ねる。

 「ああ、こちらでは誕生日祝いってしないんですね。お祝い事でも違うんだ」

  詩紋が納得したようにうなずく。

 「誕生日のお祝いしたいから来てくださいって言うのは、理由になるんだけどな」

  あかねのつぶやきに、泰明がふと顔を上げた。

 「……友雅の生まれた日は、つい先月、過ぎたばかりと思うが」

 「えええーっ! そうなんですか? 泰明さん、なんで知ってるの?」

  あかねが大きな声を出す。

 「暦と照らして神子と八葉の気を見るために藤姫より聞いてある。友雅は六月十一日だ」

 「ろくがつじゅういちにち……」

  それは、神子と八葉が鬼と最後の対決をした翌日である。

  誕生日祝いの準備どころではなかったし、あかねは、疲労で、ほとんど一日中、倒れ込

 んでいた。

 「それじゃ、たとえ知っていても、どうしようもなかったですね。私なりにお祝いできた

 らよかったな……」

  見るからにしおれてしまったあかねに、永泉が声をかけた。

 「神子、こちらにその習慣はないのですから、どうぞ気を落とされないでください。長寿

 を祝う算賀の祝いは、その年のほどよき頃に祝えばいいのです。今からでも神子に祝福を

 いただけるなら何より喜ばしいと存じますよ」

 「祝福……ですか……。私、今なにも贈り物もできない居候だし……」

 「賀の祝いでしたら、まずは御仏に感謝をこめて写経した経文を寺に納めたりいたします。

 神子がお望みなら法会を取り仕切ることもできましょう。それならば私もお力になれるこ

 ともあるかもしれません」

 「ちょ、ちょっと待って! お祝いにお経を上げるの?」

 「ええ、そうです。そして後日、別にまた祝宴を開くのですが」

 「それは、ずいぶん私の世界のお祝いとかけ離れてるかなぁ……ははは」

  永泉の話に、あかねはつけたしのように笑った。

  あかねの様子を気にしたのか、泰明は抑揚のない声で、口を挟んだ。

 「友雅も、最初に算賀を祝う四十の歳には、まだ早いのではないか。そのようにせずとも、

 神子が言祝げば、それが至上の祝福であろう」

 「おめでとうございます……って言うだけ、ですか」
 
「そうだ」

  あかねは、それじゃあんまり簡単過ぎると言いたげな、とまどった表情をした。

 「お祝いの気持ちが大事なんだよね。だったらおめでとうって言ってもらえて、言葉だけ

 じゃ気が済まないなら、祝福のキスなんてもらえれば、ボクなら、すごくうれしいな」

  詩紋がニコニコと笑って言う。

 「し、詩紋くんは、お家でも外国式で、きっキスとか慣れてるかもしれないけどっ! 私

 には無理だよ〜」

  あかねが真っ赤になってうろたえる。

 「“きす”とは何だ? 祝いのしきたりの一種か?」

  すかさず質問する泰明に、あかねは更に赤くなるだけで答えない。

 「軽く考えられないなら、なおさら特別の祝福になるんじゃない?」

 「そ、そうかな……うーん……」

  詩紋が言うと、あかねは少し心が動いたようだった。



  友雅が知れば、このあかねの様子だけだって、嬉しくないわけがない。彼の幸福に思わ

 ず嫉妬心を抱く八葉たちだったが、あかねの気持ちを思い、そこはかしこく黙っていた。



 「友雅殿はお誕生日に、神子から祝福がいただけるのですね……」

  永泉がしんみりと言った。

 「正直に申し上げると、大変うらやましく思います。このような心を抱くのは御仏に仕え

 る身として情けないことかもしれませんが……」

 「永泉さんのお誕生日だってお祝いしますよ! 八葉のみんなや、藤姫ちゃんや! お友

 達のお誕生日は誰だってお祝いしたいです」

 「本当ですか?」

 「はい! もちろんですよ!」

  あかねが力強くうなづくと、永泉は少し恥ずかしげで、けれど心の底から嬉しそうな顔

 をした。

 「では……過ぎた願いでなければ、今ここで私にも祝福をいただけますか?」

 「え? 今? 今ここでって……」

 「私の生まれた日は、本日、七月六日に相違ございません」

 「ええぇっ!?」

 「そういえば、今日であったか」

  あかねと詩紋が驚く横で、泰明がぽつりと言った。

 「祝福を……いただけますでしょうか……」

  恐る恐る願う永泉に、あかねは請け負った手前、いやだとは言えなかった。

  それに、頬にキスすることで感謝と祝福が伝えられるなら、それは、どんなに恥ずかし

 くても価値がある。

  今のあかねには、心を伝えることくらいしか形にできるものがないのだ。



 「えっと……じゃあ、恥ずかしいけど、でも、私にできる精一杯だから」

  あかねは畳を降りて永泉のすぐ前に膝立ちでかがみこむと、かわいらしい照れ顔のまま、

 小さく告げた。

 「永泉さん、お誕生日おめでとうございます」

  そう言ってから、素早く永泉の頬に、ごく軽く口づけた。

  あかねから祝福を受けた永泉は、忘我の表情で、あかねを見つめていた。

「あの……ごめんなさい。いや……じゃなかったですか?」

 あかねが困惑した声で尋ねると、永泉は大きく頭を振った。

 「とんでもありません! いえ……あまりに夢のような心地で……。神子、ありがとうご

 ざいます……こんな祝福をいただけるなんて……わたくし……は……もう……このまま命

 を失っても惜しくはありません」

 「なっ何、言ってるんですかっ? ダメですよ。そんなの!」

  あかねが更に赤くなってうろたえる。

 「ほら喜んでくれるじゃない。友雅さんにもしてあげたらいいよ。絶対喜ぶよ」

  詩紋が笑った。

 「し、詩紋くん〜っ」

 「神子、私の生まれた日は九月十四日だ」

  泰明がきっちり主張する。

  あかねは、ひたすら恥じらい身の置き所が無くなって、両手で顔を覆うと几帳の影に駆

 け込んだ。






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