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  天つ袖ふる 六  




  あくる朝、あかねの叙位もつつがなく済み、左大臣は龍神の神子であったあかねに、入
 内の意向を確かめなければならなかった。
  藤壺に出向いた左大臣に、星の一族の血をやどした末娘の悲鳴にも似た訴えが、浴びせ
 かけられた。
 「お父様、大変です! 神子様がどこにもいらっしゃらないんです。いったいどちらに? 
 いくらなんでも御所から、お一人で退出なさったなんて思えませんわ! 昨夜は宴のあと、
 わたくし先に休んでしまって……、もうどうしたらいいのか……。女御様にも何もお知ら
 せせずに、いなくなられるなんて。もしや、もしや、この宮中に入った夜盗にでも襲われ
 てっ!」
  そんな馬鹿な、と思いはしても、うろたえる娘を前に、左大臣は、まず事実を確認しよ
 うとした。
 「少し落ち着きなさい。神子の君が、何か後に残しているものはないのか。吉日を確かめ
 て、お前と一緒に今日か明日にでも退出する予定だったのだろう」
 「そんな、神子様は何もお持ちではなかったし、周囲の者も何も知らなくて……こんなこ
 となら、もっとしっかりとお側についているのでしたわ」
  藤姫は、泣き出さんばかりになって、震えていた。
 「そうだわ、頼久……、お父様、頼久はこちらに来ているのでしょう? 頼久に申しつけ
 て神子様のお行方を早くお探ししてくださいな!」
 「……そういえば、左近の少将はどうしたね。昨夜はこちらに来たのだろうか」
 「え……友雅殿ですか? 友雅殿は、こちらには…………」
  はた、と藤姫の動きが止まった。一番の危険人物のことを忘れていたことに、今、気が
 付いたのだ。あかねがいるこの藤壺に友雅が現れない不自然さにどうして気が付かなかっ
 たのか。
  こんな、あからさまな事実はなかった。
 「……友雅殿……友雅殿が……友雅殿が……。ゆ、許せませんわ。こんな風になし崩しに
 神子様を連れて行かれるなんて! あれほどわたくしが申し上げていたのに、あの方は! 
 神子様、神子様ぁ〜っ!」


  友雅は夜が明け切らぬ内に、許しも得ずにあかねを連れて御所を退出し、自分の四条の
 私邸へあかねを迎え取ってしまっていたのだ。
  元から左大臣は神子の婿として友雅を認めるつもりだったし、あかねの入内を望んでも
 いなかった。友雅の強引なやり方も、彼一人のやむにやまれずとった恋ゆえの行動とすれ
 ば、政治的な波風を立てずにすむので、左大臣にとって、これはかえって好都合な結果で
 あった。

  天女を盗んだ友雅は、蟄居(ちっきょ)と称してそれからひと月近くものあいだ参内せ
 ず、屋敷に籠もりきりになった。

  後日、左大臣の取りなしとともに、弟宮の永泉に、龍神の神子と、八葉だった左近の少
 将の恋物語を聞かされた主上は、苦笑して、それを許したという。

 「私の前に下りてくる前に、すでに少将が袖をとられた天女を奪うような真似はしないか
 ら、安心するように伝えておくれ。ああ、でも少将が参内しないのは、私の勘気を恐れて
 のことではないと思うがどうか。思えばこの夏ごろから、あの人の艶聞をまったく聞かな
 くなっていたね。天女を妻にした男の話を一度聞かせてもらわねばならないが、どうした
 ら出てくるものか、あやしいね」

  明るい笑い声が内裏の清涼殿に響き、誰の胸にも、ほのぼのとした歓びがあふれ、満た
 されていく。
  龍神の神子が救った京は、まばゆいばかりに輝く光に包まれて、新たな年を迎えるのだ。




                  【 終 】




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