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  天つ袖ふる 一  




  残菊もすっかり枯れて日毎に寒さがつのりつつあったある日、いつものように恋しい人
 に会うために、左近衛府少将の橘友雅は、左大臣邸である土御門殿へやってきていた。
  求婚中の恋人に目通りを願うその折に、幼い妹分の姫から聞かされた話は、友雅を驚か
 せるのに充分な、突然の話だった。

 「神子殿を五節の舞姫に?」
 「ええ、そうなのです。今年は当家より舞姫を出すのですわ。新嘗祭(にいなめまつり)
 では、普通、五節の舞姫への叙位はなされませんが、帝におかせられては、京を救われた
 龍神の神子に一日も早くそれにふさわしい位をと、お考えくださったようですの。この機
 会に、神子様を舞姫として特別に叙位を、とのお申し出がありました。この間、我が家に
 お里帰りされた女御様から、父に内々に内意ありとお言葉をいただいたんです。素晴らし
 いことですわ」
 「…………」
 「父も、それはありがたき仰せ、神子様にとってもめでたきお話だと、今から準備で張り
 切っておりますの。ああ、友雅殿は内裏で神子様の晴姿をご覧になれますのね。なんて、
 うらやましい! できることならわたくしも内裏に参ってお美しい神子様を一目なりとも
 拝見したいですわ。いっそ女御様付きの女房に紛れて、こっそり参内してしまいたいくら
 いです!」

  龍神の神子に仕える星の一族である左大臣家の娘、藤姫は、十歳という年齢らしからぬ
 大人びたいつもの彼女らしくなく、すっかり興奮しきった様子でしゃべりたてていた。

  いったい帝はいつの間にそんな事を思いつかれたのか。仮にも帝の側近く仕えることも
 ある左近少将の友雅は、正直に言って、この話を藤姫から初めて聞かされたことが、面白
 くなかった。


  藤姫が神子様と呼ぶところの元宮あかね。彼女が、いかなる運命の悪戯によってか、鬼、
 怨霊が跋扈する京の都に、異世界より龍神の神子として召還されたのは、この前の春だっ
 た。
  神子を支え守る八葉たちと藤姫を、その真摯さで見事に統べ、夏の終わりには、怨霊を
 封印し、四神を解放し、遂に鬼を退けてみせた。
  そうして京を救った神子姫は、その気になれば、元いた世界に帰れたはずなのに、八葉
 のひとりである友雅の求めに応じて、この地に留まった。
  友雅は、このことを、今でも夢のように感じることがある。
  それまで何ひとつ本気になったことはなく、ただ漫然と、花から花へ、その場限りの恋
 を語ってきた少将が、たったひとつの情熱として、生まれて初めて心から請い求めたのが、
 あかねだ。

  彼女が京に残ると決心し、結局、左大臣家にそのまま腰を落ち着けることが決まってか
 らというもの、友雅は、浴びせるように求婚の文を送り続け、ことあるごとに贈り物をし、
 毎日のようにご機嫌伺いと称して左大臣家へ通い詰めて、あかねに妻問いをした。
  尊い龍神の神子といえども無位無冠のよるべきなき娘であったが、形としては左大臣に
 縁ある姫という立場のままだったので、友雅は左大臣にも、きちんと筋を通したのである。

  左大臣は神子の求婚者としての友雅を、ことさらとがめ立てもせず許していたので、秋
 が終わりを告げる今となっては、吉日を占い、あとは正式に結婚する日を待つばかり、と
 いう状態だった。

  名うての色好みと噂されてきた友雅としては、本当に辛抱強く待ったものである。
  それもこれも、背伸びはしても、まだまだ心は大人になりきれずにいた最愛の神子姫ゆ
 えだった。


  それにしても、五節の舞姫としてあかねが立つというのは、友雅にとって心穏やかに聞
 ける話ではない。
  神女の舞である五節の舞は、なるほど神子であった娘が舞うのにふさわしいかもしれな
 いが、もうすぐ友雅の妻になろうという彼女を、古くは、舞の後、帝の寝所に侍り、後宮
 に入っていた時代もあった役目につけることに、抵抗を感じるのは当然だろう。
  おまけに豊明節会(とよあかりのせちえ)で舞う舞姫は、参内しているすべての公達の
 注目の的になるのである。かなうものなら自分だけの掌中の珠として風にも当てず秘蔵し
 ておきたい姫君なのに、ただでさえ愛らしい姿をことさら飾り立てて、多くの男達の目に
 さらすというのは、決して歓迎できるものではない。
  特別に叙位までしようという主上の御言葉も、ますます不安をかき立てる。

  しかし、以前のように、外出することもままならず、姫君然とおさまっているのが少々
 苦痛らしいあかねが、この役目を思いの外、喜んでいるのを見てしまっては、友雅も強い
 て反対の意をとなえることはできなかった。どちらにせよ友雅ひとりが反対したところで、
 主上のお声掛かりでは、どうすることもかなわないのだ。



 「御所中が華やぐ素敵なお祭りなんだそうですね。四人の舞姫の内に選ばれるのはとても
 名誉なことだって聞きました。本当は私につとまるか心配なんですけど……」
  あかねの部屋で相対すれば自然とそんな話題になる。
  照れながらも楽しげに話すあかねは、友雅にとって、まぶしいほどに美しく、愛らしい。
 「もしかして毎日、舞の特訓中といったところかな?」
  友雅の言葉に、あかねはさっと顔を赤らめた。
 「もう……お見通しですね。ええ、そうなんですけど、でも、楽しいですよ。こういう踊
 りを習うのは初めてですもん。舞のある日は、友雅さんも内裏に来るんでしょう? 私、
 恥ずかしくないように頑張りますから!」
 「そんなに一生懸命な可愛い君が、私の自慢にこそなれ、恥になどなるわけがないよ。最
 も、私が本当に考えていることを話したら、君に軽蔑されてしまうかもしれないけれどね。
 私としては、そちらの方が心配だ」
 「友雅さんが本当に考えてること?」
 「知りたいかい?」
  友雅があかねだけに向ける笑顔で、そう問うと、さすがにその手には乗らないと、あか
 ねはあわてて否定する。
 「いえ! 友雅さんが何も言わないってことは、きっと私には過ぎたことなんでしょ? 
 遠慮しておきますっ!」
 「おや、淋しいね」
 「すぐ、そうやってからかって……いじわる」
 「そんなふくれっつらをしないで。姫君を独り占めしたい男心というやつさ。笑ってくれ
 てかまわないよ」
 「とっ友雅さん!」
  友雅はふいにあかねの頬に手をあてて近い距離で視線を交わすと、彼女は頬をさらに朱
 に染める。そんな彼女を有無を言わせず抱き寄せて、軽く唇を合わせると、あとはもう、
 甘いだけの逢瀬に終始してしまう。

  多少の心配事があったとしても、互いに想い想われる幸福感を損なうほどのものではな
 い。すでに季節は冬だというのに、友雅はこの世の春を思う存分味わっていた。





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