憬文堂
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  甘 い 秘 密 二  





  しかし当然ながら、漠然と内裏にやってきたところで詩紋とあかねに確かなあてなど

 あるわけがない。広い大内裏の中を、あたりを見回しつつ、そぞろ歩くばかりだ

 「ねえ詩紋くん、内裏のどこらへんかなぁ。牛がいるところって……」

 「内裏で直接牛を飼って、乳しぼりをしてるんじゃないかもしれないよ」

 「そうか……そうだよね。帝に差し上げてたってことは、お食事作るところをたずねる

 のがいいのかな?」

 「ど、どうやって? 警備とかしてるだろうし……」

 「うーん、でも結構、人は少ないよね。誰かに声をかけて……」

  本当は、例えば友雅とか、でなくてもせめて、八葉のうちでも宮仕えをしている鷹通

 か泰明あたりに事情を説明して案内を求めた方が早道なのは明かなのだが、秘密ごとと

 後ろめたい郷愁がないまぜになっているので、それがやりにくい。

 「堂々としてたら、案外平気で入れるもんだよね」

 「あかねちゃん……」

  この恐いもの知らずのあかねの大胆さが、詩紋にとっては、憧れでもあるのだが、こ

 こは内裏だ。大丈夫なのかと、はらはらせずにはいられない。

 「あ、今、門に人がいないよ。入っちゃえば、裏口とか台所に近いところが探せるかも」

 「あかねちゃん!」

  内裏の正面にあたる承明門(じょうめいもん)を避け、北側の玄輝門(げんきもん)を、

 あっさりと通って、二人はまんまと後宮のあたりへ入ってしまった。人っこ一人見かけ

 ないというわけではないが、あかねは、さも誰かの文使いでやってきましたという風に、

 背筋を伸ばして迷いもなさそうに内裏の建物をぬって歩いていく。詩紋もさすがに覚悟

 を決めて、彼女と肩を並べて歩いた。あかねは全く躊躇しない。

 「やっぱり、こそこそしない方がいいね」

 「そうかもしれないけど……、こうやって歩いてても、見つからないし」

 「うん。あ、女の人だ。聞いてみようか。すいませーん、帝にさしあげるお食事作ると

 ころってどのあたりですか?」

  こざっぱりはしていても、特に美しい衣を身につけてもいない、明らかに雑仕の女ら

 しい年輩の女性に、あかねは声をかけた。

 「なんです? 膳司(かしわでのつかさ)に、ご用ですか?」

 「あー、そうそう。そうなんです」

 「あそこに身分高い方のお使いがありますか……?」

  いぶかしげに二人を見る女に、詩紋はにっこり笑ってみせた。

 「主人から、ぜひにと申しつけられまして」

 「台盤所は、清涼殿の西南あたりだから、ここからなら、ほら、その先の後涼殿の西に

 まわって馬道(めどう)を通れば……でも簡単に入れませんよ。……あ、これ!」

 「ありがとうございました! 行ってみます!」

  あかねは一方的に礼を言うと、詩紋の腕を取って、指し示された後涼殿目指して、足

 を速めた。


  さすがに帝の住まう清涼殿の付近となると、簡単に中に入るというわけにはいかない。

 蔵人(くろうど)や近衛の警備の者も、あたりを守っている。

 「馬道ってどっちだろう?」

 「ねえ、あかねちゃん、やばくないかなぁ。もうちょっと調べてから出直した方がよく

 ない? 友雅さんや藤姫には内緒にしておきたいならさ、帝に関係することは、永泉さ

 んに聞いたらわかるかもしれないよ。永泉さんは出家していたって、帝の弟さんだもの」

  目立つ金髪を隠すように深くかぶった萎烏帽子(なええぼし)の耳脇の縁を両手できゅ

 っと引っ張りつつ詩紋が言った。

 「うん、でも折角ここまで来たんだし。あ、あのあたりかな?」

  あかねは未練たっぷりだ。久しぶりの冒険で気分が高揚しているらしい。

  ちょうど人が出てきたあたりを見て、あかねは小走りになる。後涼殿を取り巻く廂が

 途切れているところへ詩紋を引っ張りつつやって来て、さらに中へ入ろうとした、正に

 その時。

  前方に夢中になっていた二人の背後から大きな手がかけられたと思うと、まとめてぐ

 いっと引き寄せられて、誰何の声がかけられた。


 「さて、ここにいる子猫は、帝に仇なすものか。それともうかつに迷いこんだだけなの

 か。返答如何によっては、ただでは済まさないよ。覚悟はいいだろうね?」


  低くなめらかで艶のある、顔を見ずとも聞き間違いようのない声だった。

 「とっ……とっ……ともまさ……さ……」

  詩紋は確実に一瞬息が止まり、次の瞬間、どっと冷汗が吹き出るのを感じた。

  橘友雅は左近衛府少将。昇殿を許された身分の、帝を守る近衛の少将だ。清涼殿近く

 で騒ぎを起こして、彼に見つかるのは当然のことだったのだ。

 「さぁて、どうしようか」

  静かな口調が、かえって恐ろしくてならない。詩紋もあかねも後を振り向くことがで

 きずにいると、友雅はゆっくりと命令した。

 「こちらを向きなさい。二人とも」

  言われた通りに動いたのは、言うまでもない。




 「で、いったいどうしてこんなところに?」

  内裏で見る友雅は、さすがに近衛の武官らしい威厳があった。後ろめたいところのあ

 る詩紋とあかねは、ただひたすらにかしこまる。

 「えっ? えーと」

 「詩紋、説明してほしいものだね」

 「あのっ、実は、えっと、天真先輩にちょっと聞いて、それで」

 「天真? 天真が何を?」

 「内裏に行けば牛乳が手に入るかもって……」

 「ぎゅうにゅう?」

 「あ、牛の乳です」

 「ああ、なんだ、そんなものが欲しいのかい? しかし、だからといって、内裏にやっ

 て来ても、手に入りはしないだろう。ここは市(いち)でも荘園でもないよ」

 「そ、そうですよね……」

  詩紋が汗をふきつつ相づちを打つ。

 「どうして、そんなものが欲しいの? 体の具合でも悪いのかい?」

「 いや、えっと、その……」

 「神子殿に? そうなんだね」

  観念するより他はなかった。

 「ごめんなさい、ごめんなさい、私のせいなの!」

 「神子殿」

  あかねは勢い込んで、友雅に話そうとする。

 「あのね、私たちの世界のお菓子を作ってみたかったの。それを作るのにどうしても牛

 乳が欲しくって……。友雅さんや藤姫や、みんなにごちそうしたかったから、内緒で勝

 手に探そうとしたの。詩紋くんは止めたんだけど、私が先走っちゃって……ごめんなさ

 い」

 「ううん、ボクも興味あったから……騒ぎを起こして迷惑かけて、すみません」

  二人の謝罪を聞いても友雅が黙ったままなので、あかねは不安がつのったようだ。友

 雅の表情は怒るでもなく、ごく真面目な様子で、彼の内心をうかがい知ることはできな

 い。あかねがおそるおそる小声でたずねる。

 「友雅さん………、怒ってる?」

 「さあ……どうだろう」

  返事はそっけなく曖昧だ。

 「ごめんなさい、心配かけたくなかったの。元の世界を懐かしんで帰りたがってると思

 われるんじゃないかって。そうじゃない。そうじゃないのに!」

  おろおろと狼狽しているあかねを、何とか助けたいと詩紋も必死になのだが、どうす

 れば友雅に取りなせるのか焦るばかりで、うまい言葉が思いつけない。そもそも、あか

 ね以上に友雅の心を動かせる人間など、いないのだ。

 「友雅さん……あの……」

  それでも何とか口にしようとした時、友雅がそれをさえぎった。

 「で、君たちが作りたかったお菓子というのは、牛の乳が必要で? それが内裏にある

 と聞いてやってきた、というわけなんだね。誰にも相談せずに」

 「……はい」

 「どんなものを作ろうとしたの? 牛の乳だけで作るのかい? 味はどんなものかな? 

 甘いの?」

 「ええっと、小麦の粉や蜜なんかと混ぜて、火を通して作るんですけど……。甘くてや

 わらかいふわっとしたお菓子を作ろうかな……って……」

 「どんなものか私には想像がつかないねぇ」

 「友雅さんに、ごちそうできたらよかったんですけど」

  突然、お菓子談義になってきたので、詩紋は混乱した。あかねは、隣で、もう半泣き

 になる寸前の顔をしている。

 「友雅さんっ!」

  あかねがたまらず声を上げた途端に、友雅は笑い出した。

 「ああ、薬が効きすぎたようだね。そんな顔をしなくていいよ。だいたい事情はわかっ

 たけれどね、神子殿」

  ようやく、いつもの優しげな、あかねにだけに向ける柔和な表情を友雅が見せて、詩

 紋も一気に力が抜けた。

 「でもね、できればそういう相談事は、まず最初に私に話して欲しかったな。すべてを

 何でも打ち明けろとは言わないけれど……、恋には秘密も必要だから」

 『恋』と友雅に言われて、あかねが赤面する。詩紋には、まぶしいばかりだ。

 「内裏はこれでも何かと物騒だからね。みだりに足を踏み入れて、何かが起こるとやっ

 かいだ。……まぁ、いい。無事だったのだから。でもこれからは私の言うことも少しは

 聞くようにね。約束できるかい?」

 「ええ! 本当に、ごめんなさいっ!」

  あかねが力いっぱい頷くと、友雅はにっこり笑った。

 「それでは、ご褒美に、いいところへ連れていってあげよう」





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