憬文堂
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  甘 い 秘 密 一  





 「あー、向こうだったら、もうすぐクリスマスだよね……。ケーキ食べたくない? ふ

 わふわにホイップした生クリームのいちごショートとか、こってりチーズケーキとか、

 食べたいなぁ」


  二十一世紀を迎えた現代社会から、どういうわけか、遙かな時を越えて召還されてし

 まったいにしえの京の都。

  左大臣家である土御門殿の西の対の一郭で、龍神の神子として暮らしている元宮あか

 ねは、神子を守る八葉の内、地の朱雀である流山詩紋を前に、どうにもならない望みを

 口にしていた。

  詩紋はそんなあかねを、まぶしく見つめた。話している内容に色気はなかったが、そ

 れでも、あかねは、このごろ本当にきれいになったなと思う。


  あかねの後輩だった詩紋は、彼女と、やはり同じく先輩であった森村天真とともに、

 三人でこの京へやってきて、八葉の一人となった。どんな力が働いていたのかはわから

 ないが、これも運命だったのだろう。

  龍神の神子は、京の危機を救うべく、龍神の力をその身に宿し、選ばれた存在で、八

 葉とは、神子を守り戦う者だという。

  春にやってきた彼らは、夏を迎えた頃に、見事に鬼を退け、京を守ることに成功した。

  この時、龍神の神子としての務めをひとまず終えたあかねは、自分の世界に帰らずに、

 時を隔てた異世界での恋の成就を選んだ。

 「詩紋くんは、どうする? 詩紋くんは私に巻き込まれて、ここへ来ちゃったようなも

 のでしょう? 私は残るって決めたし、天真くんも、まだ京で行方不明の妹さんを探す

 ために残るって言ってるけど、詩紋くんは帰れるよ。龍神様に力を授けてもらった今の

 私には、それができるから」

  あかねの言葉に詩紋は答えた。

 「ボク帰らないよ。京でやらなきゃいけないことがあると思うんだ。ボク、残りたいん

 だよ、あかねちゃん」

  詩紋の金髪碧眼は、昔から異質な存在としてある種の迫害を受け続け、遂には京を支

 配しようと災厄をもたらすに至った鬼の一族の容姿と同じだった。それ故に、京を鬼の

 手から救うという大仕事を神子と八葉で成し遂げた後、詩紋は、この京で、自分だけが

 できること、なすべきことが、あるような気がしていた。

  それは、詩紋にとって、現代の日本に帰り、何事もなく、当たり前の中学生としての

 生活に戻ることより、有意義であるように思えてならなかったのだ。


  こうして、詩紋は京に残り、結局は、京に来た当初からのまま、神子を守る星の一族

 を擁する左大臣家で、暮らしていくこととなった。

  あかねは土御門で住まう神子姫であり、星の一族である藤姫のもと、あかね自身の意

 に反して、姫君然と扱われている。詩紋の方は、際だった容姿のせいで、あまり外に出

 られない分、左大臣家での内向きの仕事を手伝いながら、あかねとともに、この世界の

 勉強などもして、日々を送っていた。

  同じ八葉の天真も、左大臣家の武士団に居候という形だったから、その距離は京に来

 た時から、ほとんど変わることはない。

  あかねは、いまだ龍神の神子であり続け、八葉たちも八葉のままではあったけれど、

 まずは平穏な暮らしが、そこにはあった。


  あかねのすべてを賭けた恋の相手は、八葉の一人で地の白虎、内裏で知らぬ者はない

 というほどの恋多き伊達男であった左近衛府少将、橘友雅だ。

  友雅は、詩紋やあかねに比べれば倍以上の時間をすでに生きてきている立派な大人で

 あり、あかねに本気になるなどと、周囲は誰も信じていないふしがあった。

  しかし、詩紋には、二人が惹かれ合っていくのが容易にわかった。あまりにもあから

 さまなので、最初は自分の目を疑ったほどだ。

  鬼との戦いの最中、神子と八葉という絆で、行動をともにする時も、しない時も、最

 後には、いつでも視線が互いを探しているような二人だった。

  詩紋はあかねに幸せになってほしいから、その恋の成就は喜ぶべきだと思ったし、友

 雅という男は、めったに他人に心の内を気付かせるような人間ではないが、詩紋には、

 時々、彼の気持ちが手に取るように感じられてもいたのだ。それは世代や立場を越えて、

 同じ相手に心惹かれる男としての理解なのかもしれなかった。

  本気の恋はしないと言われていた友雅を、遂に本気にさせ、周囲を驚かせたほど、求

 められ愛されているあかねは、この上なく幸せそうに、詩紋には見える。京に残ったこ

 とを、あかねは決して後悔していないだろう。


  けれど、生理的な欲求というものは、それとは別に、確かにあるのだ。

  幼い頃に確立された味覚の嗜好や、生活習慣というものは、そう簡単に変わるもので

 はない。

  そもそも、この京の左大臣家の姫として、部屋から動かず、通ってくる恋人の友雅を、

 ただ待つだけの生活というのは、いくらなんでも、あかねには退屈すぎるはずだ。自分

 たちの世界と京での暮らしは、あまりにも違いすぎる。

  そんな時、あかねが頼るのは、どうしたって同郷の詩紋か天真ということになるのだ。

 そして、妹を捜したり、アルバイトよろしく武士団について何やら外出の多い天真は左

 大臣家に留まっていることが少ない。あかねの相談相手は、自然に詩紋に決まってしま

 うのだ。この立場は、詩紋にとって、おいそれと人に譲れない位置だった。



 「詩紋くんは、お菓子作るのが上手だよね。向こうでも何度もごちそうになったっけ。

 ダージリンのクッキーや、いちごのシュークリームや、くるみ入りチョコレート・ブラ

 ウニー、おいしかったぁ。そういえば、こっちに来てからも、前に、おはぎ作ったって

 言ってたじゃない? 和菓子も作れちゃうんだからすごいなぁ! でも得意なのはケー

 キとか洋菓子だったよね」

 「あかねちゃん……」

 「……考えてると、どんどん食べたくなっちゃう。私、もう、限界! ねえ、詩紋くん

 は、そんなこと思わない?」

 「そりゃボクだって思うよ。時々」

 「うん、そうだよね。でも、こんなの私のわがままだし、藤姫や友雅さんには言えない

 じゃない? 元いた世界で食べてたみたいなお菓子が食べたいなんて……。きっと心配

 させちゃうよね。ただでさえ迷惑ばっかりかけてるのに」

  あかねは、少し困ったような表情で、うつむいた。


  確かに心配するかもしれないが、あかねが言う「お菓子が食べたい」などという望み

 は、実際には、藤姫や友雅などに素直に訴えてしまった方が、きっと早く解決するとい

 うことを、詩紋はおぼろげにわかっていた。なんといっても、お菓子のような嗜好品は、

 一部の上流階層の者の口にしか入らない時代だ。

  権力者である左大臣には、あらゆるものがぜいたくに寄進されていたし、内裏勤めの

 貴族である友雅なども、そういったものを入手する機会が多いはず。


  けれど詩紋は、他に誰にも告げずに、あかねが自分を頼ってくれたことが嬉しかった。

  ならば、できるだけあかねの意に添うように、望みをかなえたいと思う。

 「ボク作ってみたいなって思うけど、でも、ここってお砂糖ないんだよね。水飴みたい

 なのはあるから、工夫すれば作れると思うんだけどさ。果物とか自然の甘さだけだと、

 洋菓子って難しいから。運良くはちみつが手に入ったりしたら、はちみつドーナツ風の

 お菓子なら作れるかもしれないけど……」

 「ほんと?!」

 「でも、それってめったにないことみたいだよ。薬として使うみたいだし」

 「詩紋くんがそう言うんじゃ、間違いないね」

  あかねは少し残念そうな顔をした。詩紋も途方にくれそうになる。

 「牛乳が、あったらなあ。だいぶ簡単に洋菓子っぽいもの作れるのにな」

 「牛乳かぁ……。市で売ってるものじゃないよね」

 「ボクも市は何回かイノリくんに連れていってもらっただけだから、そんなに詳しくな

 いけど、見たことないよね」

 「牛車を引く牛からお乳をしぼってるなんてことないだろうし、藤姫が牛乳飲んでるな

 んて、聞いたことないもんね。牛乳って西洋から来たものだよね、確か」

 「うーん」

  どのみち、一年足らずの生活で、まだまだ京の事情に明るくなったとは言えない二人

 が、どんなに額をつき合わせて考えてみても、独力で食材探しのあてが出てくるわけは

 なかった。


  そんなところへ、ひょいと御簾をくぐって顔を見せたのは天真だった。

 「よぉ、何、二人して難しい顔してるんだ?」

 「天真くん!」

 「天真先輩!」

  同じ屋敷にの敷地内に住まう昔なじみの気安さで、天真は頻繁にあかねの様子を確か

 めに顔を出す。身分ある年頃の男女が気軽に同席しておしゃべりするなど、京の常識か

 らすると、かなり異質な行動なのだが、あかねも天真もそんなことは気にしていないよ

 うだ。

 「あのね、こっちで牛乳って手に入るものじゃないのかなぁって……」

 「牛乳?」

  あかねの唐突な話に天真は面食らった顔をしたが、あかねは構わず話を続けた。

 「うん、牛車の牛ならいるけどねーって話してたの」

 「牛乳かよ。よく知らねえけど、内裏ならあるんじゃねえの?」

 「ええっ! それ、ほんと?」

 「天真先輩……!」

  あかねと詩紋は意外な話に驚きを隠せない。

 「乳牛院ってのがあるって聞いたことあるぜ」

 「…………乳牛院…………」

  それは名前からして、いかにも牛乳がありそうなところではないか。少なくとも牛車

 の牛とは別物のようだ。

 「前に一度、頼久が、乳牛院から帝にまわるはずの、なんだかを、左大臣が賜ったんで

 受け取りにいくとか言ってさ。使いに出たことあったぜ。何をもらったんだか、興味も

 ないから聞かなかったし覚えてねえけど、乳牛院ってのは、何だそれって思ったから、

 間違いない」

  左大臣家に仕えている武士であり、同じ八葉として、地の青龍の天真の対で、天の青

 龍である源頼久が受けていた仕事に関わりがあるというなら、脈はありそうだ。

 「内裏……内裏かぁ」

  あかねは考え深げに視線を泳がせた。

 「でも、なんでいきなり牛乳なんだ?」

  天真がたずねると、あかねは少し顔を赤らめて答えた。

 「え、ないしょ。うまくいったら、天真くんには真っ先に報告するよ」

  いたずらっぽく笑うあかねに、天真は仕方ねーなという顔を見せて、無茶はするなよ

 と一声かけると、何事か用事をこなすために、その場を離れて行ってしまった。

  結局、詩紋とあかねが、その場に二人残される。


 「あかねちゃん、何を考えてるの?」

 「……うーん、ねえ、詩紋くん、試しに行ってみない?」

 「行くってどこへ? まさか内裏に?」

 「そう。それで牛乳が手に入ったら、一緒にお菓子作りしてみない? それで天真くん

 や藤姫や友雅さんや……そうだよ、八葉のみんなを呼んでさ、久しぶりに集まってごち

 そうできたら、ちょっとクリスマス会みたいだよね!」

 「それは楽しそうだけど、でも内裏に行って、簡単に牛乳が見つかるかなぁ。乳牛院が

 本当はどんなところかも知らないのに……」

 「行ってみなきゃ、わからないって!」

  あかねのこの行動力と明るさが、京を救ったのは間違いなく、詩紋も強いて反対でき

 ない。そういえば最近はあかねも外出もろくにできずに、少しばかり退屈していたのか

 もしれなかった。

 「そうと決まったら、支度、支度!」

  あかねは歩きやすい短い切り袴に、龍神の神子として京中を飛び回っていた時と同じ

 ように短めの丈に仕立てた水干を着て、夏からずっと伸ばしている髪も飾り紐でまとめ

 て背にたらした、身軽な姿になった。

  あかねがこういう格好をして詩紋と並ぶと、ちょっと見には、綺麗な顔立ちの従者の

 少年が二人並んでいるように見えないこともない。参内している貴族のお供の少年と言

 い張ることも、おそらく可能だ。少なくとも神聖な神子姫と思う者はいないだろう。

 「さあ、行こう! 牛乳見つけて、ケーキ作って食べよう! ね?」

  二人は、まんまと藤姫や女房の目をかいくぐり、土御門殿を抜けだして、意気揚々と

 内裏へと向かうのだった。





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