憬文堂
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 妻帯推進計画 

仲秋 憬




                  <2月14日>



「すまないが、個人的な贈答品は受け取れない。気持ちだけいただいておく。ありがとう」

「え……でも、御堂様……去年は……」

「昨年とは状況が変わった。理解してもらいたい。……失敬」

 朝から何人目だろうか。両手両足の指を全部使っても数え切れない人数を、同じ返答で

断り続ける御堂一哉に、送り主の思い入れを表す美しいラッピングのプレゼントを抱えた

まま、彼に憧れる女生徒たちが絶望する。

 一哉は早足で彼女たちの前から去り、生徒会室へ向かう。


 祥慶学園高等部の前生徒会長、御堂一哉は最終学年のSenior(三年)だから二月に入っ

たこの時期は、もうほとんど授業はない。卒業するための出席日数も充分足りているし、

欠席してもかまわなかった。

 それでも時間が許す限り登校している建前上の理由は、まだ代替わりしておぼつかない

生徒会執行部の引継ぎやら、卒業準備のあれこれがあるからだ。それらを気にかけないな

らば、今年のバレンタインデーは、ずっと家にいてもよかった。学校生活がある時はでき

なかった仕事をしてもいい。

 一哉はすでに御堂グループの会社を六つも動かす身で、常に多忙だ。本来、学生の片手

間でできるはずのない量の仕事をこなしている姿は、どう見ても未成年のものではない。


 しかし、現実に一哉は、まだ十七。

 二月十八日で、ようやく十八になるところだ。

 十八になれば、かねてから念願の車の免許も取得できる。

 そして何より──。



「うわー、何にもないね。今年はホントにチョコもプレゼントも全部、断ってるんだ? 

意外〜」

 一哉の他に誰もいない生徒会室にひょいと入ってきたのは、同居人の一宮瀬伊である。

 なりゆきで同居はしていても、女生徒の人気投票で選ばれたラ・プリンス同士であるの

が共通点なくらいで、学年も違えば、元々特に親しい友人関係でもない彼らが、学園で顔

付き合わせて会話することは珍しい。

 まして瀬伊が一人で生徒会室に足を運ぶなど、今までにないことだ。

「何が意外だ」

 他に役員がいない生徒会室で、目の前に置いたノートパソコンの液晶画面から視線を離

さないまま一哉が言った。

「……いや、だって受け取るのを断るのにもエネルギーっているからさ。一哉って、いつ

も無駄をはぶいて効率的に動くのをよしとするタイプじゃない?」

「受け取ったところで、不特定多数からもらった食物を口にしたりはしない。何が入って

いるか知れたものじゃないからな。間違いが起こってからでは遅い」

「ふーん。ま、去年までのチョコの山だって食べてたわけじゃないもんね。いちいち断る

より、もらっても絶対食べないし捨てるだけだって言っちゃえば早いのに」

「捨ててはいない。それに今年断っている理由は、食べられないからじゃない」

「へぇ〜」

 表情は変わらずとも抑揚のない冷たい声に不機嫌さを隠さない一哉に、瀬伊は微笑んで

知らぬ顔だ。

「一宮、何しに来た。用がないなら、さっさと出て行け」

「僕にそんなこと言う? じゃあ、例の件、パスしてもいい?」

「お前は断らないさ。あいつのためだからな」

「……つまんないの。それはともかく、一哉いつまで学校にいるの? むぎちゃん、とっ

くに帰ったよ」

 それを聞いた途端、一哉はガタンと大きな音をたてて立ち上がった。彼らしくない不作

法さだ。

「破談になったら、彼女は僕が引き受けるから心配しないで」

 満面の笑みで瀬伊が言う。

「そんな事態になる前に、家からお前を追い出すさ」

「学内の人前で、むぎちゃんのチョコだけ受け取れば、嫌でも騒ぎになって、うまくすれ

ば公認になれたのにね。あてが外れて残念だよね〜」

「勝手に言ってろ」

 一哉はノートパソコンを閉じると、ラ・プリンスを探している女生徒たちの声がする廊

下へ瀬伊を追いやってから、生徒会室を後にした。




 田園調布にある御堂邸は祥慶学園から徒歩10分ほどの距離にある。

 しかし校門を出るまでが、またチョコレートお断りの連続で一苦労だ。押し寄せる女子

に徹底して事務的に対応し、どうにかバレンタイン攻勢をかわしきった一哉が帰宅するな

りキッチンへ行くと、案の定、彼女はいた。

 昼は女子高生、夜は家政婦、一哉の最愛の婚約者、鈴原むぎ。

「あ、一哉くん、お帰り!」

 キッチンで甘い香りに包まれて少女がけろっと笑顔を見せる様子が、かわいさ余って何

とやらで、妙に凶暴な気分になるのを一哉は理性で押し隠す。

「どうして断りもなく先に下校した」

「だってね、学校じゃ渡せないし……一哉くん、チョコもプレゼントも受け取らないで通

してたでしょ?」

「馬鹿。お前は別だ」

「……それじゃ大騒ぎになってバレちゃうよ」

「俺は、かまわないぜ」

「あたしは、かまうよ。一哉くんは、もうすぐ卒業だから……みんなチョコ渡したいのに

ね。その気持ち、良くわかるの。でも、それ全部、断ってくれて、一哉くんを好きな子達

がみんながっかりしてるでしょ。見てて切ないのに、どっか嬉しかったりもして……さ。

複雑なんだもん。だったら家に帰ってきちゃえばプライベート独り占めかな〜と思って」

「なら独り占めさせてやるから来いよ」

 ピンクの割烹着姿のむぎの腕をつかんで引き寄せる。よろけて飛び込んでくる彼女を抱

きとめる。

「きゃっ、何すんの! 危ないじゃない!!」

「俺に渡すものがあるだろう」

 抱きしめてうながすと、腕の中の彼女は、ほんのり頬を染めて視線を外した。

「えーと……」

「気が変わるぞ」

「じ……じゃあ、コーヒー淹れるから。ね。それと一緒で」

 この期に及んで出し惜しみするのは逆効果かもしれないことを、むぎはわかっていない。

しかし一哉は抱き心地のいいやわらかい体をゆっくり離してやった。

「着替えるから10分後にコーヒー。いいな?」

「はーい」

 むぎの返事を聞いてから、ようやく一哉は二階の自室に向かった。

 ラ・プリンス特別仕様の装飾過剰な制服は、早く脱ぎたいところだった。この制服とも、

あと少しで、ようやくおさらばと思うと、ほっとする。



 階段を上がったところで、ちょうど自分の部屋から出てきた同居人の松川依織が声をか

けてきた。

「一哉、帰ってきたんだね」

「松川さん、家にいたのか」

「ああ。君のように律儀に登校する必要もないから」

 いくら最終学年で登校しなくていい立場でも、バレンタインデーに外出しない松川依織

がどんなに珍しいか考察すると、あまり面白くない事実が導かれて、一哉はため息をつく。

しかし穏便にことを進めるためには、依織のような人物を敵に回すのは得策ではない。

「君に依頼されていた例の証人だけれど……本当に僕でいいのかい?」

 常に物腰のやわらかい態度を崩さない依織にしては、いつになく固く真面目なトーンで

問いかけられる。

「適任でしょう」

「そうかな」

「あいつにとっては、ここの同居人が家族同然らしい。この家で成人してるのは松川さん

だけだから、他に選択の余地はない」

「…………わかったよ」

 依織が承知したことで、またひとつ問題点をクリアしたことに一哉は満足した。



 10分たって一哉の部屋のドアがノックされた。

 むぎはコーヒーと一緒に焼きたてらしいケーキをたずさえてきた。

 白い皿にオレンジやベリーを添えられたシンプルなチョコレートケーキは、さっきキッ

チンが甘い香りで満たされていた原因だろう。一哉の机に、あきらかに気合いの入った一

皿が置かれた。

「えーと、渡すなら同居してないと食べてもらえないようなチョコがいいなって思って」

「ほう」

「フォンダンショコラ……なんだけど。とびっきりビターにしたから一哉くんの口にも合

うかな……」

 珍しく緊張しているらしいむぎが見守る中、一哉が温かいケーキにスプーンを入れると、

溶けたチョコレートがとろりとあふれ出てきた。

 そのまますくって口に入れる様子を、むぎが凝視している。

「ど……どう?」

「結構いける」

「けっこう……」

 むぎが眉を寄せるのを見て、一哉は笑ってスプーンを持っていない左手で彼女の額をこ

づいた。

「馬鹿。うまいぜ。オレンジピールが利いてる。ありがとな」

「どういたしましてっ!」

 花がほころぶような笑顔を見せられて、自然と一哉もむぎにだけ見せるやわらかい表情

になっていた。


 きれいにたいらげられた後の皿を、彼女が下げようとした時、一哉はおもむろに尋ねた。

「お前、これ、他の連中にも作ってないだろうな?」

「え? ああ、うん。もちろん。一哉くんと一緒にはできないし。みんなチョコたくさん

もらうだろうから、家政婦のあたしに今更、義理チョコもらってもね〜。気は心だから今

日のお食後はチョコレートムースにしたけど」

「……それも手作りには違いないだろう」

「えー、だってデザートだよ? 一哉くんも一緒にまた食べるんだし義理にも入らないく

らいでしょ?」

「………………」

 黙りこむ一哉に、むぎが怪訝そうな顔をする。不機嫌な彼氏に、はっと気が付く。

「もしかして……妬いてたり……する?」

「鈍い。お前は、もう少し観察力と危機感を持て」

「えぇっ? ……んんっ」

 椅子に座っていた一哉をのぞき込むようにして声をかけたのが彼女の運の尽き。

 哀れな家政婦は横暴な主人に首を引き寄せられ、膝上に抱かれて彼の気が済むまで蹂躙

されるはめになる。

「家政婦中はダメって……あっ」

「チョコをくれたのは恋人としてじゃないのか。ん? 婚約者殿」

 そう言って首筋に触れ、普段、学園生活や家政婦として過ごすのに指輪を外さずにはい

られないと主張するむぎの胸元から、銀鎖を通して服の下で常に身につけさせているエン

ゲージリングを引っ張り出す。

 指輪を渡して三ヶ月と少し。少女は、まだ自覚が足りない。

「そうだけどっ……ほら、もうすぐ夕飯のしたく……」

「食事より、今はこっちの方が優先事項だ。いいかげん覚えるんだな」

 ケーキを持ってくる時に割烹着を脱いできたことは褒めてやる。家政婦気分で持ってき

たら、ひとしきりお仕置きしてやるところだった。

 一哉はプラチナの指輪に軽くキスしてから、オフホワイトのカーディガンとピンクのブ

ラウスのボタンを順に外していく。

「最後までは勘弁してやるよ」

「バカぁ……」



 瀬伊にでもけしかけられたのだろう、同居人の中で貧乏くじを引きやすい麻生が無用意

に一哉の部屋のドアを開けるまで恋人の時間は続き、二月十四日の御堂家の夕食はいつも

より一時間半も遅くなったのである。








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