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シーラーズに来た観光客が必ず行く所、それは郊外の遺跡だ。シーラーズ観光は市内よりむしろ遺跡巡りの方がメインになっている。
世界遺産に登録されたペルセポリス、ダリウス大王の墓所があるナグシェ・ロスタム、アケメネス朝最初の首都パサルガダエ等がシーラーズの北に点在している。私たちはそれらを二日に分けて見て回った。
・ペルセポリス
シーラーズに着いた翌朝、さっそくペルセポリスへ向かった。町の北側の山を越えると、岩山の連なる荒地に出る。極端に歪曲した地層を見せる岩肌は荒々しく、形も奇怪な削れ方をしている。やがて麦畑の広がる平地に出た。平地といってもこの辺りは1500mぐらいの高地でザグロス山脈の中なのだ。1時間ほど走ると、道の突き当たりに山を背後にした巨大な基壇が現れた。それがペルセポリスだ。
ペルセポリスは紀元前6世紀頃から栄えたアケメネス朝ペルシアの宗教的な都として築かれ、公式行事や宗教的儀式が行われた所だ。前330年アレクサンダー大王に侵略され焼失、廃墟となったのだが、遺跡の保存状態は他の遺跡に比べるとすこぶる良好である。
基壇の上に上がると、残った石柱や石の門柱があちらこちらに立っていて壮観だ。入口のクセルクセス門に残っている巨大な人面有翼獣の像はメソポタミアの影響を受けたものだろうか。地面にさりげなく置かれているのはグリフィンや牡牛の柱頭飾り、残っている壁面はびっしりとレリーフ(浮き彫り)で飾られている。
レリーフのモチーフは王宮そのものだ。居並ぶ兵たち、28の属州を表す28人の臣民に支えられた玉座、玉座に座る王の上にはゾロアスター教*1の主神、アフラ・マズダの日輪神像が翼を広げている。王が怪獣を倒す巨大なレリーフや牡牛に噛みつくライオンの図は王の権威を象徴している。
もっとも目を惹くのはアパダーナ(謁見の間)の階段部に彫られた属国朝貢の図だ。各国の使者はそれぞれの民族の服をまとい、その地方の特産物である貢ぎ物を持っている。遊牧民族は頭巾をかぶり、短衣にズボン、ブーツ姿でラクダや馬を引いている。インド人は上半身裸でスパイスの入った籠を担ぎ、スーサの者はなんとライオンの親子を連れている。その描写の細かいこと!
同じ馬でも地方によって大きさが違い、たてがみやしっぽの飾りが違う。ラクダだってちゃんとアラビアのはひとこぶだし、バクトリア*2のはふたこぶなのだ。民俗学的なものが大好きな私は、このレリーフを一つ一つ細かく調べたらさぞ面白いだろうなあとため息をついた。いつまでも見ていたかったが、ツアーだからそうもいかない。
他にも私的宮殿の方には王宮に食べ物を運ぶ侍従の姿、アパダーナの裏側には談笑する兵士の姿など、まさしく宮殿の裏側の様子までもリアルに微細に描かれている。一体、アケメネス王朝ってどんな人たちだったのだろう。何を考えて、こんなリアルな日常のリアルな彫刻を残したのだろう。
遺跡の中程にある博物館は宮殿を再現したもので、白い柱は赤く塗られ柱礎は黒、床や壁はくすんだ赤だ。天井は板張りで、当時はレバノン杉で造られていて、燃やされた時いい匂いがしたのだそうだ。今、宮殿跡を覆うのは青い空ばかり(アパダーナの階段だけには無粋な雨よけの覆い屋根がかけてあるが)。そこに巨大な屋根や壁があったなんて全く想像できない。
・ナグシェ・ラジャブ
ペルセポリスからナグシェ・ロスタムへ向かう途中の岩陰に、サーサーン朝時代のレリーフが残っている。ナグシェ・ラジャブ(ラジャブの絵)という遺跡の名前は、以前この岩陰でラジャブという人が茶店を開いていたから付いたのだそうだ。
神から王権を授与されている帝王叙任式の図や戦勝記念騎馬図など、3mぐらいの大きなレリーフが3枚彫られている。サーサーン朝のレリーフは肉厚で堂々とした作風だが、アケメネス朝の繊細で豊かな表現力に比べると、動きに乏しく様式化されている感じだ。しかしそれはそれで様式美みたいなものが感じられ、決してつまらないものではない。
王権を授与している神は王と同じ大きさの人間体で、王と同列に配置されている。王の上に神を置いていたアケメネス朝より王の権威が強くなったことを意味している。ナグシェ・ロスタムやケルマーンシャーのターゲ・ボスターンのレリーフには、アフラ・マズダ神の他にアナーヒター女神*3やミスラ神*4なども現れていて、ゾロアスター教の方も変化している。
それにしてもラジャブじいさん、こんなところで茶店なんてずいぶん贅沢だな。茶店の装飾としてはこのレリーフは豪華すぎるよ。
・ナグシェ・ロスタム
岩山の崖の途中にアケメネス朝の王の墓が4基彫られている。巨大な十字形に彫られた入口部が異様だ。とにかく大きい!
十字形の下の部分には何も飾りがなく、真ん中から両翼にかけては宮殿の正面部が浮き彫りで表現され、真ん中に墓の入口がある。上部は臣民に担がれた玉座の図で王が立ち、その上にアフラ・マズダの像がある。
入口の十字形はキリスト教を思わせるものだが、それとは関係なく、ゾロアスター教の教義の四要素を象徴しているらしい。ダリウス大王*5とその子孫4代の墓なのだが、それ以前のキュロス大王の墓とは全く形が異なる。
崖の下部にはサーサーン朝の帝王叙任式図や戦勝記念騎馬図などのレリーフが残っている。サーサーン朝のレリーフはどこで見てもほとんどこのパターンだ。しかしここにはシャープール1世*6がローマ帝国に勝ったときのレリーフがあり、ローマ皇帝が馬の足下に平伏している図なのが面白い。そのシャープール1世の姿をペルシア伝説の英雄ロスタムになぞらえて、ナグシェ・ロスタムと名付けられたのだ。
周辺にはゾロアスター教の神殿と伝えられる四角い建造物や、火を奉るための拝火壇もある。ペルセポリスに付随した宗教的な場所だったのだろう。
・パサルガダエ
ペルセポリスを観光した翌日、ヤズドへ向かう途中に寄った。アケメネス朝のキュロス大王*7の墓と王宮跡が残る遺跡である。
さあ出発、という時になってバスが故障し、別のバスを回してもらうのに手間取って、4時間近くホテルで待たされた。うう…、旅行中必ず1回はトラブルに遭遇するなあ。でもまあ、これくらいのトラブルなら厄落としだ、と思って大人しく我慢する。
もうお昼になってしまったので、仕方なく先に昼食を取ってから炎天下の中遺跡を見学した。短い草の生えるなだらかな丘に囲まれて、遺跡、というよりその残骸が点在している。周りの風景はパキスタンのタキシラ*8にちょっと似ている感じだった。
まず最初に平地にの真ん中にドカンと置かれたキュロス大王の墓を見た。キュロス大王はアケメネス朝の創始者で、ここの宮殿は彼が最初に造った都なのだ。墓は資料によると10mの高さで、巨大な6段の石積みの基壇の上に切妻屋根の石の墓室がのっかっている。
同じアケメネス朝の王でもダリウス以降の墓とは全く違うのが不思議だ。階段状に基壇を積み上げていることで、エジプトのピラミッドやメソポタミアのジッグラトとの関係を説く意見もあるみたいだけど、どうなのだろう。
巨大な墓を見上げた後地面に目を移すと、草っぱらに花がいっぱい咲いている。小さい菜の花みたいな黄色い花に青紫の矢車草。すでに気温は30℃を超しているようだが、草原は春の盛りだ。墓の裏にできた日陰で昼寝をしていた墓守のおじさんが、黄色い花を摘んで私にくれた。これを受け取ったらこのおじさんと結婚しなきゃならないかしらん、と冗談半分ためらったが、せっかくの好意なので喜んで受け取る。小さな花はちょっとスパイシーな不思議な匂いがした。
宮殿の方は柱や門柱がわずかに残るだけで、ペルセポリスと比べると見る影もないが、レリーフにはエジプト風の王冠をかぶった4枚羽の有翼人像や片足魚片足人間の下半身像(上半身は残ってない)等、面白いものが残っている。この時代、アッシリアやメソポタミア、エジプト等とペルシアは文化的に密接につながっているらしく、これもまたちゃんと調べたら面白いだろうなあと思った。
● イランで「食べる」 ●● |
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イランの食べ物はインドに似ているのかなとなんとなく思っていたが、辛いものは全くなかった。素材を活かした程々の味付けで日本人の口に合う。なぜか酸味のあるものが好まれるようだ。だが皆が試しにドライバーのホセインさんに梅干しを食べさせたら、なんとも困った顔をしてこっそり皿に出していたので(ホセインさんは優しい大男だ。それに比べていぢわるなツアーメンバー)、酸っぱければいいというものでもないらしい。
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