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2.文明の行き交う国−イラン


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地図 : ルートマップ  詳細   西アジア(古代)

◇ 風採り塔の町・ヤズド

シーラーズを出発したのが約4時間遅れ、お昼過ぎにパサルガダエの見学を終え、一目散にバスを駆りヤズドへ向かった。

夕方に着くはずだったのにこれでは8時を回ってしまう。ガイドのバザーズさんも添乗員の石川さんも気が気ではない様子。しかしツアーメンバーは、沙漠の一本道に入り人家もなくなった所で被り物を取り、のんびり昼寝だ。

この辺り、まだザグロス山脈の中のなのだが、幅の広い山脈だから一つ支脈を越えると平原が広がり、平原を突っ切ってまた支脈を越える、という感じだ。平原でも標高は2000mくらいあり、大体は草地だが、最も乾いた所は土漠状態で塩が噴き出している所もあった。

時折、土を掘り返してできた小山が点々と並んでいる所を横切る。ガナート*1と呼ばれる地下水路の縦穴の列だ。山の水源から地下水路で村や町まで水を引くイラン人の知恵なのだ。水路の向こうには日干しレンガや泥の家の集落が見えたりして、典型的なイランの田舎風景の中をバスは進んだ。

夕方になって大きな支脈を登り始めた。ここからヤズドまではしばらく山の中を行く。この辺りの山は標高も高そうで、所々頂上辺りに雪が残っている。風が強くなってきて、あっという間に霧のような砂に覆われ、周りの山々がぼんやり霞んでしまった。黄昏時、砂に霞んだ奇怪な岩山たちの眺めは、何とも幻想的で物語心(?)をくすぐるものだった。

ずっと風景を飽かず眺めていたのだが、この辺で我慢できなくなり寝てしまった。目が覚めた時はもう外は真っ暗で、遠くにキラキラと灯りの輝く夜景が広がっていた。それがヤズドの町だった。

なかなかハードな一日だったが、エスファハーンでゆっくりするためにもう一日頑張って早起きし、ヤズド観光をする。

ヤズドの目玉はなんといってもゾロアスター教の施設だ。イスラム以前のペルシアの宗教だったゾロアスター教の信徒はまだほんの少しだけイランに残っている。そのゾロアスター教徒の大半がこのヤズドに集まっている。そしてこの町には、かつてゾロアスター教徒が死者を鳥葬にしていた塔が残っている。

町の郊外に並び立つ二つの丘のてっぺんに、それぞれレンガ積みの屋根のない円塔がある。それが沈黙の塔と呼ばれる鳥葬の塔である。ゾロアスター教徒は火も土も水も神聖なものとして、死者がそれを汚すことを避け、遺体を塔の中に放置し鳥に食わせて骨にしていたのだ。今はもう使われてなく、丘に登り塔の中に入っても何も残っていない。風は乾いているし、死にまつわるおどろおどろしい空気など全く感じられない。

丘の上からはヤズドの町が一望に見渡せ、反対側にはザグロス山脈の険しい岩山が望め、とてもよい景色の所だ。丘の麓に遺族の待機場所として使われていた建物が半ば崩れて残っている。レンガと泥のドーム天井の建物は中央アジアの古くからある建物と同じ構造で、遙かなシルクロードに想いを馳せるにはピッタリの場所だ。

側にはゾロアスター教徒の墓場もあり、今でもそこに埋葬されているという。ちなみに今は土葬だそうだ。

ゾロアスター教の寺院も町の中にある。屋根の軒にペルセポリスで見たのと同じアフラ・マズダの像を掲げた寺院の中に、1500年燃え続けている聖火が安置されている。私たちもガラス越しにその聖火を見せてもらった。遺跡にも拝火神殿と呼ばれる建物や拝火壇と呼ばれる構造物があって、昔から儀式に火が使われていたことがわかっている。しかし厳密に言えば、彼らは火を拝んでいるのではなく、神と人間をつなぐものとして置かれるものなのだそうだ。密教の護摩火みたいなものかしら。もしかしたら中央アジア経由で影響があったのかもしれない。

ヤズドという町はまた、イランの典型的なオアシス都市の風情をよく残している町だ。創建はセルジューク朝期にまでさかのぼれるジャーメ・モスク(金曜モスク)の周りには、旧市街が広がり日干しレンガと泥の家が建ち並ぶ。

ヤズド旧市街小路は曲がりくねり、家々の壁を支えるアーチが所々に懸かっている。壁に窓はほとんどなく、固く閉ざされたドアが並んでいるだけ。両開きドアの両方に付いているノッカーの形が違うのは男の訪問者と女の訪問者をノックの音で聞き分けるためだとか。屋根の所々には上部に通風口の開けられた風採り塔が立っている。閉ざされた家の中に風を採り入れる古くからの知恵だが、民家の低い屋根屋根にアクセントをつけ、独特の景観を作っている。

なんというエキゾチックな街並みだろう。あの土色の家からアリババやモルディアナが出てきてもまったく不思議じゃない。もう何十年もひょっとすると何百年も変わらない風景だろう。感激しつつ土色の迷路の角を曲がると、黒いチャドルの女性が裾を翻して足早に歩いていく。彼女が家の中へ消えてしまう前に、急いでその光景をカメラに収めた。

ヤズドは少ししか居られなかったけど、一番イランらしくてとても好きになった町だった。まだ田舎でのんびりしたところがあるし、ゆっくり滞在してみたい町だった。けれど次のこのツアー最大の見所、エスファハーンが控えている。また遅れてしまわないように、添乗員の石川さんにせかされながら、私たちはバスに乗った。


*1 ガナート
トルファンのカレーズと同じもの。詳細は「私の西遊記」中国(2)トルファンの項参照。イランのガナートの方が本家本元で、カレーズはそれが東に伝わったもの。


● ヤズドのロバおじさん ●●

ヤズド、沈黙の塔の名物じーさん。観光客が塔にやって来るとロバを連れたじーさんが現れる。じーさんとロバは回りの風景と相まってとても絵になるので、観光客は喜んで写真を撮る。ロバにも乗せてもらう。そしてなにがしかのチップをじーさんに渡す。
じーさんにしてみればこれが結構な稼ぎになる。もう10年ぐらいこうやって小金を稼いでいるそうだ。じーさんもロバも年老いてヨレヨレだが、気前のよい観光客のおかげで金持ちになれたらしく、家も2軒持っていると自慢していた。まあなにしろ、元手はロバだけなんだからねー。なんとも気楽な商売だ。
ロバおじさんじーさん、自慢ついでに添乗員の石川さんに嫁に来ないかと誘ってたらしいが、日本で路頭に迷ったらこんなお気楽成金のじーさんの嫁になるのも悪くないかも、とマジに思った。(^^;)

追記・・・
嫁で思い出したが、イランでは日本女性って結構人気があるらしい。イラン女性の方が美人なのになぜ?と思ってたら、イランでは鼻が低くておちょぼ口のおへちゃ顔が美人なのですって。それなら確かに日本女性は美人てことになる。そういえばミニアチュールに描かれているお姫様も皆東洋顔をしている。
女の子みんなが鼻筋すっきりおめめぱっちりのメリハリ顔だから、それが当たり前と思って美を感じないのかなあ。でもどう見てもイランの女の子の方がずっと美人に見えるんだけど…。

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