第2場 終・賢者の約束 - 第3場 第4場

ウィレムにとって、その時はその日の朝、突然にやって来た。前日は手紙を受け取ってからちょうど一週間目で、とても期待して待っていたが賢者は現われなかった。期待が大きいと落胆も大きい。ウィレムはきっと何か不都合なことがあって、もうしばらく来れないのだから、あまり期待して待たない方がいいと思い込むことにした。けれどそうやって、約束のことなどそっちのけで黙々と仕事をやっている時に、突然その時は来たのだ。

ウィレムは表の騒ぎに全く気づかず、裏の納屋の掃除をしていた。そして、親方が大声で、しかも性急に呼びつけるのを聞いて、ウィレムは急いで表の仕事場へ出ていった。すると、驚きうろたえる親方の背後に、見覚えのある青灰色のマントを身につけた男が立っていた。

「賢者さま……」ウィレムは突然のことに呆然と立ちすくんだ。

「遅くなって済まなかった。デューカを引き取りに来たよ」

賢者は見覚えのある笑顔でウィレムに話しかけた。

「掃除はいいから、早く馬をお返ししろ」

親方にうながされて、ウィレムははじけたように2階に駆け上がって、預り証をとってきた。

「あの、表通りで待ってて下さい。今、連れてきますから」

大急ぎで賢者に言い、表に飛び出した。表には、東の森の賢者が一体何でトマスの工房にやって来たのかと、物見高い人々がいっぱい来ていた。横丁中の人の視線を浴びながら、ウィレムは路地を走っていった。胸は期待と興奮で高鳴っている。

(落ち着け、落ち着け……)

ウィレムは心に言い聞かせながら、裏道を抜けて馬屋へ向かった。

馬屋でデューカを引き出し、横丁の入り口まで戻ってくると、賢者は栗色の髪の女性と一緒にいた。胸にクリスタルが光っていたので、その人が賢者の奥方とすぐにわかった。奥方はウィレムとデューカに気がつくと、自分から近づいてきてウィレムに微笑みかけた。

「あなたがウィレムね。デューカを預ってくれて、ほんとにありがとう」

優しい微笑みに一瞬戸惑ってから、ウィレムは少し頬を染めて手綱を差し出した。

「あの……、どうぞ」

奥方はもう一度ニッコリと微笑み、「ありがとう」と言って、手綱を受け取った。そしてデューカの側に寄り、「デューカ、会いたかったわ!」と叫んで、馬の首筋に抱きついた。

デューカがご主人の髪に鼻を寄せ、奥方が嬉しそうにたてがみを撫でているのを、ホッとした気持ちでウィレムが見ていると、背後からユリウスが声をかけた。

「長い間、世話になったな。ありがとう、ウィレム」

ウィレムはドキドキしながら、勇気を出して賢者に尋ねた。

「あの、賢者さま、約束は?」

賢者の答えは、ウィレムの予想とまったく異なるものだった。

「もう、果たしたよ。わたしの大切なものはおまえの目の前にいる」

ウィレムは目をパチクリさせた。彼の目の前にいるのは、馬を撫でている賢者の奥方だ。ウィレムは拍子抜けして、肩を落とした。そしてがっかりした声でつぶやいた。

「賢者さまの大切なものって、奥方さまのことだったんですか……」

ユリウスはイタズラっぽい笑みを浮かべてウィレムに言った。

「そうだよ、ウィレム。優しいものだと言っただろう?おまえはなんだと思ってたんだい?」

「いえ、その……」

ウィレムは赤くなってうつむいた。ユリウスはクスクスと笑い出した。

「わたしはそんな秘密めいたものを持ってやしないよ。持ってたとしても、それが本当に大切なものとは限らない」

その時、笑っているユリウスと赤くなっているウィレムに気づいて、ティアーナが声をかけた。

「どうしたの?」

「なんでもないよ。さあ、行こうか」

「ええ」

ユリウスの言葉を合図に、ティアーナはデューカへの愛撫をやめ、「さあ、森に帰ろうね」と声をかけ、荷物をデューカの背に載せ始めた。ユリウスもそれを手伝い、最後にティアーナが馬の背に乗り、ユリウスが手綱を引いた。

「それじゃ、ウィレム、親方とうまくやるんだぞ」

「はい、賢者さまもお元気で」

「さようなら」ティアーナが馬上から声をかけた。

「さようなら」

手を振り去って行く二人を見えなくなるまで見送って、ウィレムは仕事場に戻った。

夜になって、ウィレムは今日のことを思い返した。約束は果たされはしたが、なんだか当てが外れて、賢者にだまされたような気がしていた。しかし、それは全く見当違いな考えであることはわかっていた。

(賢者さまはただ優しいものとだけしか言ってなかった。おれが勝手にすごいものだと思い込んでただけなんだ……)

ウィレムは賢者に出会った夜のこと、その時語られた賢者の言葉を一つ一つ思い出した。

(賢者さまの信頼を得たい人って、奥方さまのことだったんだろうか……。本当に大切なもの……、それが宝石でもなく書物でもなく、奥方さまだったなんて、賢者さまもあまりおれたちと変わらないんだな)

そう考えると、ウィレムは今まで以上に賢者に親近感が湧き、嬉しかった。

(おれ、今日のことは忘れない。あの夜のことも、一緒に旅したことも……)

いつの日か、自分が1人前になったら、このことを題材に何か作品を作ろうとウィレムは思った。たぶんそれは、ずっと先のことだろうけれど……。


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