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「先生、大丈夫ですか?」
マチアスは立ち上がって、ティアーナを抱きかかえて戻ってきたユリウスを迎えた。
「ああ、なんとかね」
ユリウスはチラッとだけマチアスを見て答えると、今までマチアスの座っていた木の根元にそっとティアーナを降ろし、自分のマントを外して彼女を包んだ。
「ティア、右手見せて」
ユリウスは素早くティアーナの右手を調べた。彼女の右手首には、蔓の巻きついた跡があざのように残っていた。
「痛むかい?」彼は両手でそのあざを包み込みながら尋ねた。
「いいえ、痛くないわ」
気が動転したまま、ぼんやりとティアーナが答えた。ユリウスは彼女の手を置くと、今度は彼女の顔を覗き込み、そっと頬に触れた。
「他に怪我はないね?」
「ええ……」
ティアーナが答えると、ユリウスは泣き笑いのような顔になって「よかった……」とつぶやき、彼女をしっかりと抱きしめた。
「よかった……」
もう一度つぶやくと、彼はさらに腕に力を込めた。
(こんなに強く抱きしめられたの、初めてだわ……)
ティアーナはぼんやりとしたまま考えた。彼の体は火のように熱く感じられるのに、ゾッとするような冷気に覆われ、嫌な臭いがした。しかし彼女は目を閉じ、そっと彼の背中に両腕を回し、彼を受け入れた。
ユリウスはティアーナのぬくもりを確かめるように、ほおずりをすると体を離した。
「まだ後始末が残ってるんだ。ここで待っててくれる?」
「ええ」
彼は彼女を後ろの木にもたれかけさせると、ライシャの所へ行った。そして杖の力で結界の中の邪気を払い、ライシャに結界を解かせた。ライシャは疲れきった顔をして、ホウッと大きく肩で息をした。
「よかったな。あんたまで餌食にならなくて済んで」
軽い調子で、ユリウスがライシャに話しかけた。
「済まなかった、おまえに始末をつけさせちまって」彼女はうつむいたまま言った。
「なに、身から出た錆はお互い様だよ。種をまいたのはあんただが、その原因を作ったのはわたしだからな」
ライシャはしばらく沈黙していたが、やがてポツリと言った。
「あたしの完全な負けだ。もはやどうあがいても、おまえには追いつけない」
「そんなことはないさ。あんたとの勝負のときは、たまたま普段以上の力が出てしまっただけだし、妖魔を滅したのはこの杖の力だ」
「いいや、強さだけならば、まだ競えるだろう。だが決定的に違うのは力の質だ。その杖を見ればわかる。その杖の力はそれにふさわしい者にしか使いこなせない。力が強いだけではだめだ。よりよく調和のとれた力でないと……。でもそれを手に入れるのは、力を強めることよりずっと難しい。その杖をあれだけ使いこなせる者は、他に二人といないだろう」
言葉を切って、ライシャは寂しげな笑みを浮かべてユリウスを見た。
「悔しいがおまえにはかなわない。おまえのクルトの血には……」
「クルトの血が力に調和をもたらすのではないよ。それはわたしの回りの力なきものたちが、わたしに与えてくれるものだ。力だけを見つめていたのでは手に入らない。あんただって考え方を変えれば、力も質を変えるはずだ」
邪気にあたって枯れ果てた目の前の木を見ながら、ユリウスは言った。ライシャも顔を上げ、木を見つめた。
「ユリウス、クルトの血がもたらすのは度量の大きさだろう。わかってるくせに……。あたしたち、バドゥには足りないものだ。調和を求めれば力は伸びない。力を求めればそれは歪められる。入れ物が違うんだよ……。あたしはおまえがうらやましい。あたしがおまえなら、この世のすべての知恵と術を手に入れられるのに」
ユリウスの顔が深い憂愁に覆われた。
「あんたも狂王ガルヴァナスのようにそれを求めるのか?力があったって、すべてが手に入るわけじゃないだろう。力のために、背負わねばならないものの重さを考えたら、力なんてない方がましだ」
「おまえにそんなこと、言ってほしくないね。おまえだって力の恩恵は受けてるじゃないか、当たり前のように」
「確かにそれはあんたの言う通りだ。でも、たとえ力がなくなって、恩恵を受けられなくなったとしても、それほど困ることじゃないよ。それはそれでまた別の人生があり、別の恩恵があるんだ。ようは気の持ちようひとつさ……。あんたがわたしと代わりたいなら、わたしだってそうしてほしいぐらいだ。代われるものならね……」
憂いに沈んだ声で言うと、ユリウスは立ち枯れた木の側へ近寄った。結界の中にあった木はすべて枯れ、草は茶色に縮んでいた。邪気は払われたが、乱された気はまだ完全に元には戻っていないようだった。
「この森には、しばらく監視が必要だな……」
ユリウスは木を見上げながらつぶやき、振り向いてライシャに尋ねた。
「あんたら、ガイルの魔女はこういうことをしても、咎めは受けないのか?」
「ガイルのおやま=魔女の館は大学のように、ごたいそうな誓いなんて要求しないよ。自分たちのしわざはすべて、自分たちの裁量に任されてるのさ。ただ自分で始末をつけられないしわざは、魔女にとって悪業に他ならない。まして、同じ魔女に助けられるならまだしも、大学の者に始末をつけてもらったんじゃ、おやまも黙っちゃいないだろう」
「どうなる?」
「おやまに召還されて、修行のやり直しだ。10年、あるいはそれ以上か……」
ライシャはつまらなそうに笑うと、ふいと向こうを向き、ティアーナの方へ歩いていった。ティアーナは近づいてくるライシャを、信じられないものを見るような目で見ていた。ティアーナの前で立ち止まったライシャは、ニコリともせずに彼女を見下ろした。
「あなたは西の森の魔女なの?わたしをだましたの?」
信じたくない――そんな顔をしてティアーナは言った。しかしライシャは冷たく答えた。
「だましちゃいないさ。あたしは嘘なんか言ってない」
「どうして?どうしてあんなものにわたしを捕まえさせたの?」
「あんた、あたしがタダで人生相談してやったと思ってるのかい?」
ティアーナはギクッとして顔を伏せた。
「報酬代わりに協力してもらったまでさ。もっとも、あんたがあの男を本当に堕落させていたんだったら、あたしは容赦しなかった」
こちらに歩いてくるユリウスをあごで示しながら、ライシャは険しい顔で言った。
「あんたがユリウスの力を強くしている、それは認めてやるよ。だが、ユリウスはあんたのために力をなくした。これも事実さ。あんたはユリウスにとって、危険なアクネシスの花だ。かわいい花だが、さじ加減一つで薬にも毒にもなるんだからな。そのことは自覚しといた方がいい。でないと、足手まといどころか命取りになるよ」
「………」
うつむいて押し黙っているティアーナを、ライシャはにらみつけた。
「今度あんたが、ユリウスをおとしめるようなことをしたら、あたしは決して、あんたを許しはしない」
「ライシャ!」
側に来たユリウスがいさめるように口を挟んだ。だが、ティアーナは負けずに顔を上げ、まなじりをつり上げて、ライシャに言い返した。
「高い報酬払って、勉強させてもらったもの。もう二度と、あなたのような人に、好きには……」
威勢よく、啖呵を切ったつもりだったが、声は自分の思った半分も出てなく、しかも息切れがして、最後まで言えなかった。ティアーナは悔しそうに唇をかみ締めた。
「フン、あんな女々しいこと言ってるあんたに、できるのかね?」
冷たい目でティアーナを見下ろしたまま、ライシャは揶揄するように言い、それからユリウスの方を向いた。
「お迎えが来るまでに、あたしはねぐらを片付けなきゃならない。先に行かせてもらうよ」
「そんなにすぐに来るのか?」
「あたしたち、野で暮らす魔女は、水晶玉でおやまと通じている。この事態ももうすでに、おやまは知ってるだろうよ。沙汰はすぐに下る。そして、それは逃れられない……。じゃあな、ユリウス。せいぜい奥方を大事にするがいい」
ライシャは闇の中へ消えていった。複雑な表情でそれを見送ってから、ユリウスはマチアスを振り返った。
「具合はどうだ、マチアス?」
「はい、もう平気です。ありがとうございました」
マチアスの答えにユリウスはうなずき、それからティアーナの前に来て、ひざをついた。
「ティア、邪気を払うから、目を閉じて」
ユリウスは言われるままに目を閉じるティアーナの額に右手をかざした。
「大きく呼吸して……」
額から注がれるような暖かい流れに、ティアーナは自分の冷え切った体が温められるような気がした。しばらくの後に、ユリウスは手を外した。
「もういいよ、目を開けて」
目を開いたティアーナの目の前に、ユリウスの笑顔があった。
「もう大丈夫だよ、ティア」
ようやく平静を取り戻し、この恐ろしい出来事の真ん中に自分がいたことを理解したティアーナは、いつもと同じユリウスの笑顔を見て、一気に込み上げてきた涙を抑えることができなかった。
「ごめんなさい、ユーリ!!」
泣きながら、彼女はユリウスにすがりついた。もう彼の体には、冷気も嫌な臭いも感じられなかった。
「ごめんなさい!わたしのために、こんな……、こんな……」
悔恨の涙は、後から後からあふれて、止まらなかった。
「ティア、泣かないで。お願いだから」ユリウスは困った顔をして、ティアーナを諭した。
「きみだけのせいじゃない。わたしにも責任はあるんだ。だから泣かなくていいんだよ」
「いいえ!」ティアーナは何度も首を振った。
「ユーリは少しも悪くないわ!悪いのはわたしよ。一人で勝手に悩んだ末に、あんな人につけ込まれて、ユーリを危険に巻き込んで……。それにあの人言ってたわ。わたしのせいで、あなたが力をなくしたって、ほんとなの?」
「もう、力は戻ったよ。そんなこと気にしないで。それに巻き込まれたのはわたしじゃない、きみの方なんだ。わたしがライシャとの問題にきみを巻き込んでしまったんだよ。それからきみの悩み、原因はわたしにあるんだろう?」
「………」
「だったら、きみだけの悩みじゃないじゃないか。きみとわたしの負うべき責めは同じなんだよ。だからわたしのために泣くことはないんだ」
ユリウスはそっと両手でティアーナの両腕をつかんで体を離した。そして顔を覗き込んだ。
「さあ、泣きやんで。わたしのためを思うなら、もう泣かないで。頼むよ」
しきりに涙をぬぐい、ティアーナが鳴咽を止めようとしていると、彼女の顔を覗き込んでいたユリウスががっくりとうなだれた。
「ユーリ!!どうしたの!?」
今度はティアーナが慌ててユリウスを覗き込んだ。しかし彼の答えはなく、さらに上体が傾き、彼はそのまま彼女の胸にもたれかかった。
「ユーリ!しっかりして!ユーリ!!」
泣いている場合ではなくなって、ティアーナは必死に呼びかけた。マチアスも側に駆け寄ってきた。
「眠い……」
ティアーナの胸にもたれかかったまま一言だけ言うと、ユリウスはずるずると地面に倒れ込んだ。
「ユーリ!?」
「先生!」
あっけにとられて見守る二人に、ユリウスは薄目を開けて言った。
「すまん、ほっとしたら急に眠気が来て……。しばらく眠っていいかな?」
「先生、どうぞお休み下さい。もう夕方ですから、今日はここで夜を明かしましょう。今、火を焚きます」
「すまん、マチアス。後は頼む」
言葉の端から吸い込まれるように、ユリウスは眠りに入った。
「もう、寝ちゃった……」
呆然とティアーナはつぶやき、それから気がついて、自分に掛けられていたマントをとって、彼にかぶせた。
「触っても全然起きないわ。いつもは側に近寄っただけで、すぐ起きちゃうのに……」
感心したように言うティアーナに、マチアスが話しかけた。
「お疲れなんです、先生。あれだけ力を使われた後ですから」
「そうね……」
マチアスは立ち上がった。
「冷えてきましたね。急いで火を焚きましょう。薪を集めてきます」
「わたしも手伝うわ」
ティアーナも立ち上がろうとしたが、どうやっても力が入らない。
「やだわ。わたし、腰が抜けちゃったみたい……」
情けない顔をして言うティアーナに、マチアスは微笑んだ。
「奥さまはそこにいて下さい。わたしがやりますから」
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