第4場 5・大切なもののために - 第5場 第6場

ユリウスは少年を連れて、野宿の場所に戻ると、火をおこした。そしてデューカの鞍を外し、鞍袋から水筒を取り出して、たき火の明かりで少年の怪我の手当てをした。

「癒しの術が使えれば、痛みを和らげてやれるのだが……。どうだ、痛むか?」

「はい、少し。でも平気です」ようやく心も落ち着いて、少年は気丈に答えた。

「賢者さま、助けて下さってありがとうございました」

少年は頭を下げた。ユリウスは微笑んで言った。

「おまえ、名前は?」

「ウィレムです」

「では、ウィレム、わたしからも礼を言おう。おまえが先にあのゴロツキどもに捕まってくれたおかげで、追い払うことができたのだからね。あんなやつらに寝込みを襲われでもしたら、ひとたまりもないからな」

「でも、賢者さまならあいつらなんか、すぐにやっつけてしまえるでしょう?」

ユリウスは首を横に振った。

「今のわたしにそんな力はない。さっき見せた光、あれが今のわたしに出せる精一杯の力だ。あれでは何もできないんだよ」

「じゃあ、あいつらに相手をしてやるって言ったのは?」

不思議そうな顔をしてウィレムが聞いた。

「ああ、あれははったりだよ」

「はったり!?」

「そう、あれで退散してくれてよかった。実際、向かってこられたら、どうしようかと思ってたんだ」

ユリウスは笑いながら言った。そんなユリウスをウィレムは呆然と見つめ、つぶやいた。

「信じられない……、賢者さまがそんな……。あなたは本当にあの人食い鬼を退治した、東の森の賢者さまなのですか?」

ユリウスはまっすぐにウィレムを見つめて答えた。

「どう思ってくれてもかまわないよ。おまえがどう思おうと、わたしがわたしであることに変わりはない」

ウィレムは自分の失言を悟り、うつむいた。だが少年の素朴な好奇心は、少年の口を開かせずにはいられなかった。

「どうして力をなくされたのですか?」

ユリウスは黙ってたき火の火をいじっていたが、やがて口を開いた。

「わたしの大切なものを、西の森の魔女に取られてしまったんだ」

「それで力をなくされたのですか?」

「たぶんね」ユリウスは火を見つめたまま言った。

「これから、それを返してもらいに西の森へ行くところなんだ」

「西の森の魔女、ライシャは森に戻ってきていたのですね。もうずっといなかったのに」

ウィレムがつぶやいた。

「ライシャを知っているのかい?」

「ええ、そりゃあもう。西の森の魔女に用のある人間は、皆おれの村を通って行きますから」

「おまえはディンカース村のものなのか?」

「はい、ディンカースはおれの故郷なんです」

「それは奇遇だな。おまえは村に帰るところかい?」

「は、はい」ウィレムは戸惑うようにうつむいて返事をした。

「こんな夜に、たった一人で?」

今度はウィレムが黙り込む番だった。ユリウスは黙っているウィレムを見つめていたが、何も言わず、長い木切れを折る作業を始めた。ウィレムはしばらく居心地が悪そうにもじもじしていたが、意を決して話し出した。

「あの、おれ、バイオンの彫金職人の見習いなんです。明日はおれのたった一人の姉さんの結婚式で、おれ、姉さんに頼まれて、初めて自分でネックレスを作ったんです。まだ見習いだから親方はだめだって言ったんだけど、姉さんがどうしてもおれの作ったネックレスを、婚礼の式でつけたいからって、親方に頼み込んで……」

ウィレムは言葉を切って、おどおどとした目でユリウスの顔色をうかがった。ユリウスは手を止めて、じっとウィレムを見つめ、話を聞いていた。ユリウスが口を挟まないので、ウィレムは話を続けた。

「おれ、両親は子供の頃死んで、姉さんが働いて、おれを養ってくれていました。姉さんはいつもおれの将来のこと考えていて、仕事もおれの手先が器用なのを生かせるようにって、つてを頼って親方のところに弟子入りさせてくれたんです。おれは姉さんに今まで何もできなかったから、やっと姉さんのために、姉さんに今までの恩を返せると思って、張り切って一生懸命作りました。昼間の仕事が終わってから、毎晩遅くまでかかって……。でも何度作っても、親方がこんなのじゃだめだ、作り直せって、どうしてもいいと言ってくれなくて……。それで今日の夕方までかかってやっとできて、親方は何も言わなかったけど、とにかく今から行けば、夜通し歩けば、朝までには村に着くと思って出てきたんです」

ウィレムはそう言うと、自分の作ったネックレスを手に取り眺めた。

「そうか……、そのネックレスにはそんな事情があったのだね」

ユリウスはウィレムが大事そうにネックレスを抱いていたのを思い出し、うなずいた。ふと、ウィレムが泣き出しそうな顔になってつぶやいた。

「どうして、親方はおれに冷たいんだろう。おれ、一生懸命やってるのに……」

「おまえの親方は、おまえに辛くあたるのか?」

ウィレムはうつむいて、首を振った。

「親方は仕事に厳しい人だけど、辛くあたったりはしません。ただ何も言ってくれないんです。おれは子供の頃からこういう仕事がしたくって、弟子入りしてからは早く自分でも何か作りたくて、少しでも仕事覚えて、毎日毎日、地金作りとやすりがけしかさせてもらえなくても、辛抱してがんばってるのに、親方は良いとも悪いとも言ってくれなくて……。他の工房に弟子入りしたおれの友達には、いつも親方に怒鳴られて、殴られてるやつもいるけど、おれには何も言われないよりは、殴られる方がまだマシだと思えるんです。おれ、たまにわざと親方に反発したり、やすりがけサボったりするんだけど、親方は叱りも殴りもしない。ただ冷たい目でやる気がないなら出てけって言うだけなんです。ネックレス作ってるときだって、どうしてだめなのか、ちっとも教えてくれない、自分で考えろって言うばかりで。結局、最後までこれでいいと言ってくれなかった……。きっと親方はおれのことなんか、面倒見たくないんだ。早く出てけばいいと思ってるんだ。だから、おれ……、姉さんの結婚式に出たら、もう帰らないつもりで……」ウィレムは涙を浮かべて声を詰まらせた。

「おまえ、それで行く当てはあるのか?」

ユリウスは静かに尋ねた。ウィレムは涙をこらえて、首を横に振った。

「では、あのゴロツキどもの仲間にでもなるか?」

意地の悪いユリウスの問いに、ウィレムは無言で唇をかみ締めた。

「おまえは親方のことが嫌いか?」

ウィレムは慌てて首を振り、訴えた。

「嫌いなのはおれじゃない、親方の方です。おれは……、おれは親方の作るものは大好きなんです。親方はまだ若いけどほんとに腕がよくって、どんな小さな物でも手を抜かない。繊細で丁寧な仕事なんです。おれは親方のこと尊敬して、親方のようになりたいと思ってるのに……」

「おまえのほかに弟子はいるのか?」

「いえ、おれは親方が独立して、最初の弟子なんです。初め、親方は弟子を取らないって断ったのを、無理を言って置いてもらったから……、だからきっと……」

「おまえは本当に、親方がおまえのことを嫌っていると思っているのか?」

ユリウスはまっすぐにウィレムを見つめた。ウィレムは再び泣きべそ顔になって、頭を抱えた。

「わからない。わからないんです、おれには。親方がおれのこと、どう思ってるのか」

「おまえは言葉で話されたことしか、信じないのか?」

ウィレムはハッとしてユリウスを見た。

「人には言葉にできない想いだってあるだろう。おまえだってそうだ。おまえが仕事をサボったのは、サボりたいからそうしたんじゃない。親方の気を引きたかったからなのだろう?」

「………」

「確かに、語られない想いを知るのは、難しいことだ。だが、それを知ろうとせずに、おまえは逃げ出すのか?それでいいのか?」

ウィレムはうつむき、つぶやいた。

「おれだって、出て行きたくなんかないです。でも、どうすればいいのかわからなくて……」

ユリウスは薪を火にくべてから、おもむろに手を差し出した。

「おまえの作ったものを見せてごらん」

ウィレムが手に持っていた銀のネックレスを渡すと、ユリウスはそれを火にかざして眺めた。

「作られた物は作った者の心を写すね。とても正直に。つたない手だけど、一生懸命作ったことはわかるよ。おまえの姉さんを想う気持ちが表われている」

ユリウスはネックレスをウィレムに返した。

「おまえの親方は腕の良い職人なのだろう?そのネックレスに込められたおまえの気持ちが、わからないと思うかい?」

目にたまった涙をぬぐって、ウィレムはユリウスを見つめた。

「親方はそれを見て、何も言わなかったとおまえは言ったが、もしかしたら、何も言えなかったのかもしれないよ」

「賢者さま……」

「ま、わたしはおまえの親方を知らぬから、本当のところはどうなのか、わからないがね」

ユリウスは微笑んだ。

「賢者さま、おれはどうしたらいいんでしょう?」

ウィレムの問いに、ユリウスはウィレムを優しく見つめて答えた。

「おまえは親方の作る物は好きだと言ったね」

「はい」

「それはおまえの目が、親方の作った物に込められた心を見るからだ。その素直な目で、もっと親方のことを見てごらん。仕事ぶりや態度や行動をね。親方の心がどう表われているのか、本当におまえのことを疎んじているのか……。家出するのはそれからでも遅くはないだろう」

「………」

「もし、少しでもおまえのことを気にかけてると感じられたら、それを信じて信頼することだ」

「信頼?」

「そうだよ。それができれば、おまえにもすべきことが見えてくるだろう」

ウィレムはユリウスの意図が読み取れず、首をかしげた。

「おまえも親方の信頼を得ることだ。どうすればいいのかは、おまえが考えなさい」

「……はい」ウィレムはうつむき、考え込みながら返事をした。

それから、しばらく二人は黙って火を見つめていたが、やがてユリウスがポツリとつぶやいた。

「身近にいる者の心は、かえって見えにくいものだな……」

ウィレムは顔を上げ、怪訝そうにユリウスを見た。

「賢者さまにもそういうこと、あるのですか?」

「ああ。おまえのすべき課題は、わたしのすべき課題でもあるんだ」

「賢者さまも、信頼を得たい人がいるのですか?」

「いるよ。わたしも何をすべきか考えている、ずっとね……。さてと、これからどうするかだが」

ウィレムはハッとして腰を浮かせた。

「大変だ!早く行かなきゃ」

「まあ、待ちなさい。おまえはディンカースまでの近道を知ってるか?」

「はい。街道を行くよりずっと早く行ける道、おれ知ってます」

「よかった。今日はおまえもわたしもツイてるな。どうだ、一緒に馬に乗せてやるから、道案内をしてくれないか?馬で走ればどのくらいで着く?」

「えっと……、4時間もあれば」

「では、夜が明けてから出発しても、結婚式には間に合うな?」

「はい!」

「よし、決まった。おまえは少し休みなさい。疲れているだろう?明るくなる少し前に起こすから」

ウィレムはようやく明るい顔になった。

「賢者さま、ありがとうございます」

ユリウスは微笑を返した。

「おやすみ、ウィレム」


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