第3場 5・大切なもののために - 第4場 第5場

夕日が雲の合間に沈む少し前に、ユリウスはバイオンの町に入った。町の街壁の門は日没の時間に閉まる。そうなってはよほどの事情がない限り、門の出入りはかなわない。閉門前でごった返す大通りをどうにかこうにか通り抜け、広場を駆け抜け、彼はようやく大学の正門に辿り着いた。大学の門は警備のバイオン兵の他に、マスターが交代で詰めている。ユリウスが門の前で馬を降りると、詰め所から、彼が中等科のときの先生であった老マスターが飛び出してきた。

「ユリウスか、どうしたのだ!?」

マスターはユリウスの様子がおかしいのに気づいて叫んだ。

「ダルファン先生!」ユリウスはマスターに走り寄った。

「先生、説明している暇がありません。閉門前に町を出たいので。ザイナス老師に伝言をお願いします。わたしはこれから西の森の魔女の所へ向かいますと」

それだけ言うと、ユリウスは再び馬に乗った。

「西の森?おい、ユリウス!」

なお言いすがるマスターに、ユリウスは馬上から振り返り叫んだ。

「妻がそこにいるんです!先生、伝言頼みましたよ!!」

ユリウスは立ち尽くしているマスターを残して、デューカを大通りの雑踏へと走らせた。相変わらず混雑している大通りを苦労して通り、神殿の鐘を合図に、今にも閉まろうとする西門を抜けた。

「なんとか間に合ったな」

閉ざされた門を見て、彼はほっと胸をなで下ろした。賢者であれば、閉門後でも扉を開けさせることはできるだろう。だがそうなると、その報告が警備隊の上役からバイオン公にまで伝わり、後々面倒なことになるかもしれない。彼はそれを避けたかったのだ。

橋のたもとの船着き場はまだ人々がうごめき、ざわめいている。ユリウスは夕暮れのエルツ河にかかる橋を、賑やかな岸から静かな向こう岸へと渡った。イゼルローンに続くこの街道は2リールほど西へ向かい、それから南下する。橋を渡ってからも、しばらく続いていた町並みはやがて途切れ、街道はひっそりと夕闇の中に伸びるばかりになった。ユリウスは空を見上げた。

「今夜は25夜か。月明かりも期待できないな……」

力さえあれば、彼は闇夜でも平気で歩くことができる。だが力のない今は、闇を見通す目も、外敵から身を守るすべも持たなかった。彼は生まれて初めて夜の闇を恐れた。

「心細いものだな……、力がないと」

彼は独りつぶやいて、馬を降りた。普通の人々と同じように夜の闇を避け、火を焚き、明るくなるのを待つしかなかった。

「ごめんよ、デューカ。無理をさせてしまったね」

ユリウスはデューカの首筋を優しく叩き、いたわると、歩いて野宿の場所を探した。しばらく行くと、街道の両側は林になった。その手前で泊まることにして、デューカをつなぐと、彼は薪を拾いに林に入った。木切れを集めているうち、薄暮は闇に変わっていき、やがてあたりは真っ暗になってしまった。ところが、林の奥にちらちらと明かりが揺れているのが見え、人の怒号が聞こえた。ユリウスは集めた木切れを野宿の場所へ置きに行き、それから引き返して、明かりの方へ歩いていった。

林の中の小さな空き地に、人が集まっていた。明かりはそこから漏れていたのだ。少し離れた所から様子をうかがうと、15,6歳の少年が4,5人の若い人相の悪い男たちに囲まれ、さらにたいまつを持った男が4人ほどその回りを囲んでいた。少年は木を背にして座り込み、しかし顔を上げて、返してくれと男たちにしきりに訴えていた。

「こいつはおまえみたいなガキが持つもんじゃねえよ。どうせおまえも、どこかでチョロまかしてきたんだろう?ちょうどいい、おれが返してきてやるよ」

男たちの頭とおぼしき大柄な男が少年をあざけった。男の手の中に明かりにきらめくものがあった。回りの男たちの野卑な笑いが響く中、少年は必死に叫んだ。

「それは大事な届け物なんだ!金はやるから、それだけは返して!」

「うるせえ!!」別の男が少年の顔を殴りつけ、少年はうずくまった。

ユリウスはマントを肩にはね上げると、彼らに近づいて行った。背後から近づく人の足音に、男たちは一斉に振り向いた。

「なんだ、てめえは!?」

頭の男が、何も持たず無表情に近づいてきたユリウスをねめつけた。

「そなたたち、そこで何をしている?」

ユリウスの声には静かな威厳があった。その声と、何の表情も見せない目に、男は一瞬ひるんだが、すぐに虚勢を張った。

「てめえにゃ、関係ねえだろう。失せろ!!」

しかし、ユリウスはさらに彼らの輪に近づいた。

「その者から奪った物をその者に返し、即刻立ち去れ。さすれば、そなたらの咎は問わずにおこう」

「なんだと!!」

男は声を荒げたが、回りの男たちはユリウスの常人には持ち得ない雰囲気に圧倒されて、完全に気後れしていた。一人だけ勇気のあるその頭の男が、意気の下がった手下どもを鼓舞するように声を張り上げた。

「おまえら、ひるむんじゃねえ!こいつは丸腰なんだぞ!おい、てめえ、偉そうなこと言ってるヒマがあるんだったら、とっとと失せやがれ!それともてめえも怪我したいのか?」

男は短剣を抜いて、ユリウスににじり寄った。ユリウスは薄笑いを浮かべ、男をじっと見た。

「そなた、このわたしを“東の森の賢者”と知って、刃を向けるのか?」

「なに!?」

「知らぬのなら、わたしをよく見るがよい。それでも刃を向けるのなら、面白い、相手をしてやろう」

男たちは改めてたいまつを掲げてユリウスを見た。闇に沈む黒い髪、黒い服、黒曜石のようにきらめく黒い瞳、そして胸に輝くクリスタル――それはバイオンに住む者なら、誰でも知っている賢者の姿だった。

「東の森の賢者、あの人食い鬼を退治した……」

男たちの間に動揺とひそひそ声が走った。ユリウスはゆっくりと胸の前で両手を向かい合わせた。怪しい白いほのかな光が手の中に灯った。それを見て、男たちは悲鳴を上げて後ろに下がった。

「どうした、かかってこないのか?ならば奪った物をその者に返し、ここを立ち去れ」

もはや、頭の男もユリウスに立ち向かう気力をなくし、震える手で奪った物を投げ捨てると、それを合図にするかのように、皆一斉に林の奥へと逃げていった。林の中に静寂と暗闇が戻った。ユリウスの手の中の光も幻のように消え失せていた。

「やれやれ、これが精一杯か」

ため息と共につぶやき、ユリウスは少年に近づいた。少年はその場にへたり込み、震えていた。

「怖がらなくていい。今のわたしには何もできやしないから」

ユリウスは少年の肩に手を掛けた。少年はおびえた目でユリウスを見つめた。

「東の森の賢者さま?」

「そうだ」

「なぜ、ここに?」

ユリウスは少年の問いに答えず、少年を助け起こした。

「怪我をしているな。向こうで手当てしてやろう。おっと、その前におまえの大事な物を拾わなくては」

ユリウスはもう一度、手の中に光を作った。少年は目を丸くして後ずさった。

「大丈夫だ、ただの光だよ。これ以上は強くならないが、これで何とか探してみてくれ」

ユリウスはさっき男が投げ捨てたあたりに、両手を近づけ光で照らした。少年は恐る恐る近づくと、その辺を這い回って、自分の財布と銀のネックレスを見つけ出した。大事そうにネックレスを抱きしめる少年を見て、ユリウスは微笑んだ。

「よかった。これっぽっちの力でも、役に立つのだな。では行こう、一人で歩けるか?」

「はい」少年は素直に返事をし、ユリウスに従った。


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