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ティアーナは考えていた。ユリウスに言ったように、一人で自分のことを考えていた。ウェルタと名乗る魔女が突きつけた言葉によって、自分の偽らざる気持ちと対面せざるを得なくなったのだ。答えは容易に出ず、辛くなって物語の中に逃げ込もうとしても、肝心のノートが手元になかった。ノートはウェルタが持ち去っていた。
(でもきっと返してくれるわ。きっとまた会いに来てくれる)
彼女は不思議とウェルタの再訪に確信を持っていた。そして、その時を待ちながら日々を過ごした。
ウェルタと会ってから、2週間ほどした頃、ティアーナは人気のない樫の木の祠の前で、彼女と再会した。二人はまた森の泉のほとりに来て座った。
「こないだは済まなかったね。すっかりあんたを怒らしちまった」
ウェルタは決まり悪そうな表情でティアーナに謝った。
「いいのよ、あなたの言ったこと、みんな本当のことなんだもの。わたしの方こそ図星を指されて、逃げ出すなんてみっともなかったわ」
ティアーナも決まり悪そうな表情をし、それからお互い顔を見合わせて笑った。
「よかったよ、あんたが怒ってなくて。そして、思ったほど落ち込んでなくて」
ウェルタはいたわりの目でティアーナを見つめた。
「嘘で固めた防御の壁を突き破り、本当の自分へ至る道のりは、時として、とても辛いものさ。あんたはそれを乗り越えたんだね」
ウェルタの言葉がティアーナの胸に染みた。ティアーナは熱いものがこみ上げてくるのを抑えて言った。
「まだ乗り越えたとは言えないわ。わたしはまだ迷いの森の中にいる。そして出口は見つからないの」
「話してごらんよ」ウェルタは優しい微笑でティアーナを包んだ。
「あたしは聞くだけだけど、それでもいいなら。あたしはあんたの気持ちをわかってやれない。あたしはあんたじゃないからね。何も言えないけど、その代わり、誰にも何も言わないよ。あたしは沈黙の壁。あんたは壁に向かって話すんだ。それでも少しは楽になるだろう」
「ええ、そうね。ウェルタさんになら、話してもいいわ」
ウェルタに促されただけで、もう気持ちは楽になっていた。ティアーナは誰にも言えなかった胸のつかえのようなその想いを、従順な子供のようにウェルタに話し始めた。
「わたし、あなたの言う通り、ユーリを愛してるわ。自分でもわかっていなかったの。だって愛って、もっと違うものだと思っていたから。いつもその人のこと想って、見つめて、心がときめくものだった。ユーリにはそういう想いを抱いたことはなかったの。でもいつの間にか、わたしはユーリのこと、気にするようになった。少しでも役に立つように、少しでも迷惑にならないように……。優しくされると辛かったわ、彼に迷惑をかけてる気がして。ユーリは迷惑じゃないって、言ってくれたのよ。事実、彼の目には少しもそういう影はなかった。いつも混じりけのない優しさだけがあったわ。そう、優しさだけ……。わたし、わからなくて。ユーリがわたしのこと、どう思って優しくしてるのか……。聞きたかったけど、恐くてどうしても聞けなかった……。そしてわたしは、ただ優しくされているだけでは寂しいと思うようになって……、ええ、そう、あなたの言う通り、満足できなくなってしまったの。そう、愛してしまったの。だからユーリが愛してないことにあんなにこだわって、愛がないのなら、優しさなんていらないって言ってしまったの。確かにわたし、ユーリの心が欲しいと思っているわ。愛して欲しいと思っている。でも、ユーリはそれをくれないわ、決して」
「決して?」
「ええ。プロポーズの時に言われたの。きみが愛情を必要とするなら、残念だけどそれに答えることはできないって。それから、これから先も愛せるようにはなれないかもしれないって。本当にその通りなの。他の人なら気持ちが変わることもあるけど、ユーリの心は変わらない、ずっと……。それだけはわたしにもわかるの。それにね、ユーリがわたしのことを愛してないってわかる理由がもう一つあるの」
「なんだい?」
ティアーナは言いにくそうにもじもじしていたが、ウェルタの目に促されて言葉を継いだ。
「……ユーリが抱いてくれる時、いつも誘うのはわたしの方なの。もちろん、面と向かってそんなこと言わないわよ。けど、わたしがそうして欲しいって思っているのを察して、抱いてくれるの。最初の夜からそうだったわ。彼の方から求めてきたことは一度もないの……」
ティアーナの顔が悲しく曇った。二人は沈黙し、水の流れる音だけがあたりに響いた。やがてウェルタが深い同情を込めて言った。
「あんたの森は暗くて深いね」
「………」
「それで、あんたはどうするつもりだい?」
ティアーナは自嘲するように微笑んだ。
「どうしようもないわ、ユーリは変わらないもの。わたしはこの気持ちを閉じ込めたまま、生きていくしかないわね。結局、ユーリが変わらないなら、わたしが変わるしかないんだわ。どう変わればいいのか、まだよくわからないけど」
言い疲れたように口を閉ざしたティアーナに、ウェルタは彼女のノートを懐から出し、差し出した。
「ありがとう、持っててくれたのね」
ティアーナはウェルタに笑顔を向けて、ノートを受け取った。
「ティアーナ、物語にはね、癒しの力があるんだよ」ウェルタは微笑んだ。
「癒しの力?」
「そう。子供たちは目を輝かせて、あんたの話を聞くだろう?あんたの物語に胸を躍らせ、夢の世界に遊ぶ。そうして聞き手の心は和らぐのさ」
「ええ、ほんとにそうね」
「そして物語は聞き手だけでなく、語り手の心も和らげる。きっとこの物語はあんたの心も癒してくれるはずだよ。精出して作りなよ」
「そうね、そうするわ」
ウェルタの慰めを嬉しく思いながら、ティアーナはページをめくった。すると中に青い布のしおりが挟まっていた。
「あら、これは?」ティアーナはしおりをつまみ上げて、ウェルタに示した。
「あたしからのプレゼントさ。中身を出して見てごらん」
青い布は封筒状の袋になっていて、ティアーナは青いリボンを引っ張って、中身を取出した。それは青いリボンの結ばれた、透かし彫りの入った銀の薄い板のしおりだった。その模様は文字や記号が複雑に絡み合った、抽象的なものだった。
「それは呪文を組み込んだ魔法のしおりだよ。そのしおりを鏡に写しながら呪文を唱えると、もっと速く正確に絵が描けるようになるよ」
「ほんと?」
「ああ、やってみればわかるよ。ただね、ユリウスには内緒で使うんだよ、絶対にね。あんたが魔女の魔法を使ったとわかれば、あの男は気を悪くするだろう」
「ええ、内緒にするわ。でもわたしが言わなくても、魔法を使えばユーリにはわかってしまうわ」
「それは大丈夫。その青い袋が魔法の痕跡を消してくれる。その袋にしまっておけば、決してわかりゃしないよ」
ティアーナは夢見るような目つきで、銀の輝きを見つめた後、しおりを大事そうに袋にしまった。
「ありがとう、ウェルタさん。物語が完成したら、あなたに見せたいわ。また来てくれる?」
「ああ、そのうちね」
「わたし、もう行くわ。話を聞いてくれてありがとう。また会いましょう」
明るく言って、ティアーナは去って行った。彼女を見送ったウェルタは満足げにニヤリと笑った。
「さてと、準備はこれでよし。次はいつここに来ようかね。ククク、楽しみだこと」
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