2・賢者の結婚 3・誓いの日 - 第1場 第2場

3・誓いの日

七の月の満月の夜、夏の宵の薄明がゆっくりと夜の帳の向こう側へ去り、月の輝きが増す頃、ユリウスは神殿に入った。エイロス神殿の塔にある籠所で、まず祭司から、これから始まる式についての説明や注意を受け、それから身を清め、渡された何の色にも染められてない白い絹の衣を身につけた。

(黒以外のものを着るのは久し振りだな……)

フードも被り、全身すっぽりとその白い衣に覆われると、ユリウスはいつもと違う自分に落ち着かなさを感じた。賢者になってから、黒以外の上衣を着たことはなかった。

月が中天に達する1時間ほど前になると、祭司が儀式の始まりを告げた。ユリウスは祭司に従い塔を出て、エイロス神殿とルディア神殿の外側を囲んでいる回廊を進んだ。ちょうどルディア神殿の方からも進んでくる人影があった。両者は両神殿の間にあるホールで向かい合った。シスターに従っているティアーナの顔はフードに隠れてよく見えなかった。祭司とシスターは少しの間言葉を交わし、後は黙って式の始まる合図の鐘を待った。ユリウスは隣に並んだティアーナに声をかけた。

「緊張してる?」

「ええ」ティアーナは前を向いたまま答え、少し間を置いて「あなたは?」と聞き返した。

「少しね」

ユリウスが答えると、ティアーナは顔を上げ彼を見た。ろうそくの明かりが、彼女の硬い表情に深い陰影を作っていた。

「緊張してるようには見えないけど」

そう言って、彼女はまた前を向いた。そしてひとり言のようにつぶやいた。

「今日はあなたも白なのね」

その時、合図の鐘が真夜中の神殿に鳴り響いた。ユリウスとティアーナは4人のろうそくを持ったシスターに付き添われて、ルディア神殿へ進んだ。回廊の扉を開けると、ルディア神殿の礼拝堂の一番後ろ側だった。そのままろうそくのともされた真ん中の通路を通り、一番前の数段の階段を上り、内陣へと入っていった。壇上の内陣は普段は格子戸で閉ざされ、一般の人々は入ることを許されていない。人々は並び立つエイロス神殿とルディア神殿の間にある入り口から礼拝堂に入り、格子戸越しに内陣にある祭壇を拝むのだった。ティアーナももちろん内陣に入ったことなどない。内陣だけでなく、礼拝堂の背後にある回廊も、回廊の端にある塔も入ったのはこの日が初めてだった。

内陣は半円状のドームの大きな天窓から射し込む満月の光に照らされていた。ティアーナは初めて祭壇を間近に見た。二つの幹がねじり合いながら、一つの幹となって伸びている樹を模した石の彫刻――それが祭壇だった。その樹は上に5本の枝を、下に5本の根を伸ばし、そこだけ低くなっている天井と床を支えていた。枝の中には白い石の球が、根の中には黒い石の球がはめ込まれている。格子戸越しからはよく見ることのできなかった、その精霊のを表わす球を、ティアーナは今はっきりと見ることができた。樹の祭壇の上にあるのは、天窓のだった。内陣の中に入ってみると、天のルディアと、樹によって天とつながっている地と、その間にある精霊とが一体となって、礼拝の対象になっているのがよくわかった。

祭壇の両脇にシスターが8人ずつ並び、詩篇の詠唱を始めた。そのゆるやかな抑揚と、ろうそくのゆれる炎が夢幻の境地を誘うかのようだった。二人は祭壇の前にひざまずき、手を合わせ詠唱を聞いた。ティアーナは知っている詩が詠まれている時は、小声でその詠唱に会わせ和した。130篇から成るルディアの詩篇から選ばれた30篇ほどの詩が詠まれると、今度はエイロス、ルディア両神を称える頌歌が歌われ、声はやんだ。月はちょうど中天にさしかかった。静かになった祭壇の前に、神殿の司である老シスターが進み出て、婚姻の儀を執り行った。

「……汝ら、聖なるルディアの御前にて、真に夫婦たる契りを結ばんとするならば、誓いの言葉をルディアに捧げよ」

「ルディアよ、我はこの者、ティアーナ・アリアハルを我が妻とし……」

ユリウスの静かな声が内陣に流れた。その声を聞きながら、ティアーナはもう後戻りはできないという思いを、胸に刻みつけていた。ユリウスの誓いの言葉が終わると、ティアーナも同じように誓いの言葉を口にした。彼女の声もまた静かなものだった。

誓いの後には、その印にリフと呼ばれる細長い帯状の布を、二人して祭壇に捧げるのが習わしだった。リフとは“蔓”という意味で、それを祭壇の樹に捧げることで、天と地のつながりの中に、自らの生命の“蔓”もつなぎとめる意図が込められていた。リフを捧げる行為は一般の参拝の時も普通に行われていて、人々は礼拝堂で祈祷した後、お金持ちは豪華な絹の綾織の、庶民は様々な色の亜麻のリフを、祭壇に置く代わりに格子戸の格子に掛けていくのだった。そのため格子戸にはいつも色とりどりのリフがたくさん下がっていた。

結婚式に用いられるリフは白い絹のものだった。二人はシスターから渡されたリフを祭壇の樹の根本に置いた。そして既婚の印の銀の細い鎖でできた腕輪が彼らに授けられ、祝福を与える詩篇の詠唱が続き、それが終わるとようやく儀式の終了が告げられた。

二人は格子戸ではなく、脇の扉から退出し、回廊を通ってティアーナはルディア神殿の塔に、ユリウスはエイロス神殿の塔に戻った。エイロス神殿での式が始まるまで、二人は塔の籠所で過ごす決まりとなっていた。


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