1・出会い 2・賢者の結婚 - 第1場 第2場

2・賢者の結婚

ティアーナが去ったその夜、ユリウスは表の戸口の前に腰を降ろし、久し振りに彼の父の形見である小さな横笛を吹いていた。その笛は彼の父が旅先のつれづれに自ら作ったもので、よく古い恋歌やクルトの歌を吹いていたのをユリウスは覚えていた。父の遺したものは、様々な観測器具や計測器具、珍しい植物の標本、たくさんの書物などいろいろあったが、ほとんどは大学に置いてあり、森に持ってきたものは必要最低限の書物とこの笛だけだった。

笛の音色は高く澄んで、柔らかな光を放つ春の月へと吸い込まれていった。ふと、ユリウスは吹くのをやめ、手の中の笛を眺めた。自然と両親のことが思い出された。

父も母も、どうしてあんなに愛し合えたのだろう……

両親が一緒にいた頃の記憶は彼にはない。しかし、父の死に際し、二人がその最期の時まで何も言わず見つめ合っていたのを見て、ユリウスは子供心に両親の間にある強い絆を感じたものだった。それがとても深い愛の絆であると知ったのは、17才になって、初めて父の仕事部屋に入り、初めて父の霊と対話した時だった。ユリウスの父は病の床に臥した時、全ての治療を拒否していた。なぜ自らの命を長らえようと思わなかったのか、ユリウスは父に問うた。すると父の霊は、時空を越え、生と死の境さえも越えて、母を愛したかったと語った。

その後、ユリウスが旅に出た時、タムダルの森で彼は母の霊と出会った。ユリウスの母は、ユリウスと別れて更に2年の後に、自分の氏族を一人離れ森で暮らし、7年後に亡くなった。彼女が独りきりで生き、死んでいった場所は、愛する夫と暮らし、息子を産んだ場所だった。ユリウスはクルトにそのことを教えられ、その場所に行った。そして母と再会したのだった。

――母さんと父さんを許してね、ユリウス。わたしたちはもっと自由に、もっと深いところで愛したかった。でも決してあなたを見捨てたのではないのよ。今はこうして、いつでもあなたに会えるもの。いつでも、どこでも、あなたを見守っているわ。ごらん、これがわたしたちの想い――

母と別れた時、母の心は深い悲しみに覆われていた。しかしこの時、母の霊が語る言葉にもはや悲しみはなく、ただ深い愛だけが感じられた。そして、ユリウスは自分が、いや自分だけでなく、森全体が愛と慈しみに満ちた気で包まれていることに気がついた。それは深い泉から水が湧き出し、とめどなくあふれて周囲に広がり、染み渡っていくような感じの気だった。その気の中で、彼は世界中の全てのものが愛し、愛され、互いに育み合いながら、生死を繰り返しているということを知った。

あの時のことは、いつだって忘れてはいない……。でも、わたしにはわからない。どうすれば一人の人をそこまで、他のものまで包み込んでしまえるほど愛することができるのか……

かつて、ユリウスも激しい恋をしたことがあった。ベラジアの港町で一人の女性と出会い、その女性によって、彼の心の奥底に石のように凝り固まっていた寂しさが初めて癒されたのだった。彼はその女性を求めた。それまで外に出ないように封じ込めていた彼の感情が、堰を切ったように噴き出し、彼女に向かい、求めずにはいられなかった。しかし、彼の想いはその女性に苦しい選択を強いただけだった。結局、彼女は彼のためを思って身を引き、町を去り、ユリウスも苦い思いを残して、その町を後にしたのだった。

あのへの想いは違う。あれはただ激しいだけのもの。あまりに幼い恋……。母さん、父さん、わたしはあなたたちがあの森で教えてくれた慈愛を知ってから、ただ一人の人を想う必要がなくなってしまった。世界の全てがわたしを愛してくれるし、わたしも世界を愛しているから……。だからたぶん、これからも母さんと父さんのように、人を愛することはわたしにはできないと思う。でも、それを彼女はわかってくれるだろうか……

ユリウスは彼女、ティアーナを好きになったわけではなかった。それでも彼女との結婚を受け入れようと考えていた。ティアーナには、どこかユリウスに似て、孤独を愛しているようなところがあった。しかし、彼女は孤独という日陰にいるべきではない、とユリウスは思った。日なたへ出て、よりきれいな花を咲かせたほうがいい――彼はティアーナの明るい笑顔を思い出した。

彼女にとってそのほうがいいのなら、わたしはわたしにできることをしよう

迷いはなかった。彼女を受け入れることで、何か問題が起きるとしても、それは自分にとって些細なことにすぎないだろうとユリウスは思った。できることをする、それはいつも彼がしてきたことだった。そうやって、人々の役に立ったり、命を救ったことも多々あった。それは人々にとって称賛に値する行為であったが、ユリウスはそんな人々の声には無関心だった。彼にしてみれば、ただ自分にできることをしたに過ぎなかったからだ。

二人で暮らすことについては、不思議なくらい不安はなかった。その点では、ティアーナはとても好ましい存在だった。彼女はユリウスを恐れていなかったし、二人が話したり、畑にしゃがみこんでいたり、森を歩いたことに、彼はずっと昔からそうしていたような自然さを感じていた。それに、彼が人に術を見せることなど普段では考えられないことだったが、ティアーナにはためらいなく、ごく自然に見せていたのだ。彼女の方も、驚きながらもごく自然にそれを受け止めていた。ユリウスにとって、ティアーナが好ましい存在と思えた一番の原因はそこにあった。

きっとわたしたちはドーラの託宣どおり、うまくやっていけるだろう。だが、きみがわたしの気持ちを知ったら……

それでも結婚したいと彼女は思うだろうか――ユリウスはその先を考えるのをやめた。どちらにしろ、それは彼女の決めることだった。彼は立ち上がり、空を見上げた。

ティアーナ、きみの言うとおり、わたしたちは出会ってしまったんだね。わたしはもう決心したよ。後はきみ次第だ……


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