第7場 1・出会い - 第8場 第9場

賢者とのデートも3回目、4回目ともなると、もう話すこともなくなって、ティアーナは森の中を案内してもらった。春の森は明るい。ぶなの新緑は明るく萌え、松や樅の緑も冬のそれより生き生きと見えた。下草の中に様々な花が咲き、小川の清冽な流れが岩を洗っていた。ユリウスは森の中のことをよく知っていて、今一番美しく花が咲いている所やきれいな泉が湧いている所、薮の中に野苺がたくさん実をつけている所、彼女の父の病に効く薬草が生えている所などにティアーナを連れて行き、彼女を喜ばせた。野苺を摘んだり、薬草を採りながら、彼女は森を歩くことの楽しさを知った。

ユリウスは木や草、空を飛ぶ小鳥やひょっこり現れたリスやウサギによく話しかけた。彼らはユリウスの言葉がわかるかのように、木は親しげに枝を揺すり、草はなびき、鳥やリスは差し出された手にためらうことなく乗った。

(心が通じ合えばと賢者さまは言ってたけど……)

ティアーナは彼が馬のデューカに話しかけた時のことを思い出した。

(木や草とも心を通じ合わせることができるの?それも術なのかしら……)

彼女はユリウスと会うようになって、彼の不思議な力を度々目にしていたが、それが魔法の術とどう結びついているのかよくわからなかった。彼は呪文など唱えたことはなかったし、今まで見たものは術によって何かをどうにかするという類のものではなかった。ティアーナは術がどんなものであるか知りたくなった。

「あの、賢者さま、草や木や鳥と話したりするのも魔法の術なんですか?」

賢者の家への帰り道で、ティアーナはユリウスに尋ねた。

「そうだよ、どうして?」

「だって、呪文とか使ってらっしゃらないから。婆さまは術を使われる時、必ず呪文を唱えていらっしゃるもの」

「このくらいの術なら、頭の中で考えるだけで使えるからね。ドーラの呪文は“精霊の力ある言葉”だけど、大学で教えている呪文はクルトの言葉なんだ。わたしは他の人よりはクルト語に慣れているから、クルト語で考えればそれが呪文になるんだよ。もっと大きな術をかける時は言葉に出すよ。より大きな力を得るために」

「そうなんですか……。わたしは婆さまが父の病を治すために術を使っていたのを見ましたけど……、でも術ってもっと他にもいろんなことができるのでしょう?」

「うん……、そう、いろいろね。きみが考えているような術らしい術もあるよ。風を呼んだり、雲を集めたり、幻を作ったり、重力に逆らって空中に浮かぶこともできるし、そう、こんなこともできる……」

そう言ったきり、ユリウスはティアーナがエプロンを窪ませてその中に入れていた、摘んだばかりの野苺を見つめたまま動かなくなった。するとエプロンの中の野苺が一粒浮き上がり、ふわふわと空中を飛んでユリウスの前で止った。彼はそれを手に取ると口に運んだ。

「ん、なかなかいけるよ、この野苺」あっけにとられて見つめているティアーナにユリウスはそう言って微笑みかけた。

「すごい……」ようやくティアーナはかすれたような声を発した。

「でもね、こんなことは訓練すれば、誰にでもできることなんだよ」

ユリウスは歩きながらこともなげに言った。

「えっ!誰にでも、ですか?」

「そう、訓練次第でね。問題なのは使い方じゃない、使われ方なんだ」

「使われ方って……?」

「気の力を使って術をかけるということは、言わば、見えない世界から見える世界への干渉なんだ。そして目に見えるものと、その内に巡り、外を取り巻く気とは切っても切れない関係にある。つまり、下手に干渉すると、気のバランスを崩してしまうことになりかねない。小さな力でできる術はいいけど、大掛かりな術を使う時は注意が必要だ。そっちの勉強のほうが大変なんだよ」

「はあ……」ティアーナはわかったようなわからないような返事をした。

「それにしても、きみは術を恐れないんだね」

「恐れる……ですか。ええ、不思議だし、びっくりするけど、怖いという感じはしませんもの。木と話すのも、野苺が飛んでいくのも、賢者さまがなさると、なんていうか自然に見えてしまうようで……」

他の村人ならその程度の術でも恐ろしいものを見たような顔をするだろう。だがティアーナはどういうわけか平気だった。彼女はいったいどの程度なら、術は恐ろしいものと感じるのだろう――ユリウスの目が久し振りにイタズラっ子のように光った。

「そうそう、一番よく使う術を見せようか」

ユリウスは立ち止まり、右手を前にかざした。すぐに、その手の向こうに真っ黒な闇がみるみる広がった。それは光を吸い込んだような暗黒の穴となって彼の前で口を開けていた。

「これは“闇の道”と呼ばれるものだ。この闇の向こうは森の出口になってる。きみを一瞬のうちに森の出口まで送ることができるよ。どう?行ってみる?」

イタズラっぽい笑みを浮かべてユリウスはティアーナに言った。しかし、ティアーナはその月も星もない闇夜よりなお暗い闇に恐れをなし、青ざめた顔をして、手を震わせていた。抱え持っていた野苺がパラパラとこぼれ落ちた。

「い、いいえ、わたしはいいです……、デューカもいますし……」

身をすくませ、震える声でティアーナは答えた。ユリウスはティアーナが自分の予想した以上の反応を見せたので、意外な顔をしてその闇を消した。

「ごめん、怖かった?ちょっと見せてみたかっただけなんだ。もう閉じたから大丈夫」

「わたしを、試したんですか?」茫然と立ち尽くしたまま、ティアーナは言った。

「そう。きみがあんまり怖がらないから、これならどうかと思って。でも、そんなに怖がるとは思ってなかった」

悪びれる様子もないユリウスに、ティアーナは急に腹立たしさを覚え、その感情は彼女を恐怖から解放した。彼女はひざをつき、片手でこぼした野苺を拾いながら、怒ったように言った。

「怖いですよ!あんな闇、見たことないですもの。あんな、吸い込まれたら二度と戻れないような真っ暗な闇!」ティアーナはそれを思い出し、またブルっと身を震わせた。

「賢者さまはよく平気ですね」

「慣れてるからね」ユリウスもかがんで野苺を拾うのを手伝った。

「それにあの闇は薄い膜のようなもので、通り抜けるのは一瞬なんだよ。片足を闇の中に入れて、その足が着いた所はもう向こう側だ。怖いと思う暇もないよ」

「たとえ一瞬でも、わたしはあんな闇の中に入りたいとは思いません」

ティアーナがむきになって言ったので、ユリウスは思わず笑い出した。

「賢者さま、思い通りになって満足ですか?」ティアーナは恨めしそうにユリウスを見た。

「そうだね。でも、やっぱりきみは恐れてないんだよな」

ユリウスは先に立ち上がり、歩き出した。

「何をですか?」

そう言って後を追うティアーナにユリウスは振り返り、口の端に笑みを浮かべて言った。

わたしを

「?!」

ティアーナは何か言い返そうと思ったが、ユリウスはそのまま先に行ってしまったので、何も言わずについて行った。確かにどんな術を見せられても、ティアーナにユリウス自身を恐れる気持ちは湧かなかった。だが、なぜそうなのかは彼女にはうまく言い表すことができなかった。


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