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「今日は何を話してくれるの?」
家に戻り、ティアーナにパンとワインを勧め、自分も食べながらユリウスがそう言って切り出した。
「今日は賢者さまがお話しして下さい」ティアーナはためらいがちに答えた。
「わたしが?でも話すことなどないよ」
「何でもいいんです。わたし、人には絶対話しませんから。大体ここに来てること自体、他の人には内緒ですし……」
「うーん……」ユリウスは困った顔をした。
「では、妖魔を退治したお話をして下さいな。遠いセムの大陸のこと……」
ティアーナは思いついて言った。彼女が賢者について知っていることといったら、そのくらいしかなかった。
「この村にも吟遊詩人が来たの?」
「ええ、わたしも子供たちを連れて聞きに行きましたわ。男の子なんて目を輝かせて大喜びで……」
「そう……」ユリウスは困った顔のままつぶやいた。
彼の名を人々が知ることとなった食人鬼退治の話は、南から来た商人の噂話にしろ、吟遊詩人の語り種にしろ、様々な誤りや尾ひれや脚色があった。しかし人々はそれが絵空事ではなく、現実にあったことと思っていた。人々にしてみれば、ありそうにない話も遠い国のことなら、あってもおかしくないと感じるし、現にその主人公は今確かに生きてこの国にいるのだから、現実のことなのだと思うのも無理はなかったが、ユリウスはそのことに困惑していた。
「ティアーナ、あの話は吟遊詩人の作り話だよ」
「えっ、そうなんですか!!」驚いてティアーナは叫んだ。
「確かに、セムの大陸には人を食らう妖魔がいたし、わたしはその妖魔と闘った。その場にいた者は、妖魔を滅したのはわたしの力だったと証言したけど、わたしは最後にどう決着をつけたのか覚えていないんだ。だから自分で語ることはできない。どちらにしろ、吟遊詩人が語るような、格好の良いものじゃなかったよ。たくさんの人が死んで、血にまみれて、悲惨な恐ろしい出来事だった。きみに話せるようなことではない」
「そうだったんですか。ごめんなさい……」
気軽に話をねだったことをティアーナは後悔した。二人の間に沈黙が流れた。しばらくして、ユリウスは気分を変えるようにティアーナに尋ねた。
「わたしがどうしてアルクルトと呼ばれているか知ってるかい?」
「はい、賢者さまのお父さまかお母さまがクルト族の方なのでしょう?」
ユリウスがようやく口を開いたので、ティアーナはほっとしてすぐに答えた。
「母がね。父は賢者だった。父がベオアルデス山脈東部の調査に行った時、事故に遭い、クルト族に助けられた。そして母と出会ったそうだ。二人は愛し合う仲となったが、クルト族にはバドゥと、つまりクルト以外の人間と暮らしてはならないという掟があった。父と母は掟を破り、駆け落ちしてわたしが生まれた」
「まぁ、ロマンチック」
ティアーナが思わず素直な感想を口に出し、それからしまったというように手を口に当てた。ユリウスはそれを見てクスリと笑い、話を続けた。
「けれど、わたしが2才になると、母は迎えに来たクルト族の元へ戻り、父はわたしを連れて大学に戻った。父は、母と駆け落ちする情熱がどこにあったのかと思うほど、物静かで優しい人だったよ。親子3人だけの森の暮らしから、見慣れぬたくさんの人の中で暮らすことになって、神経質になっていたわたしのために、できる限り側にいようとしてくれた。忙しい身なのにね……。結局、わたしが5才の時、病気で亡くなってしまった。そう、亡くなる時、母がたった一人で突然やって来て、父を看取った」
「でも、どうして?」不思議そうにティアーナは尋ねた。
「母にはわかったんだよ。クルト族にはそういう力があるんだ。父はもう一度母に会えてうれしかったんだろう。幸せな顔をして逝った。わたしはもう母の顔を覚えてなかったけど、すぐにわかったよ。同じ黒い目に黒い髪、きれいな人だった。母は一人で帰っていった。わたしは連れて行ってくれるよう泣いて頼んだよ。父と母を同時に失いたくはなかった。だけど母は泣きながらわたしを抱きしめて、おまえはクルトの子だがバドゥの子でもあるのだと、だからクルトだけの世界にいることはできない、もっと広い世界で生きていきなさいと言って去って行った。わたしはマスターになって旅に出た時、母の氏族と出会ったが、その時もう母は亡くなっていたから、母に会ったのはそれが最後だった」
ユリウスは遠い目をして語った。そして、ティアーナが同情にあふれた顔で聞いているのに気づき、言葉の調子を変えた。
「わたしは子供の頃、手に負えない悪ガキだったんだよ」
「まあ」目を見張ったティアーナにユリウスは笑いながら続けた。
「母に捨てられたという思いが強くてね。母は父のいまわのきわに、たった一人ででもわざわざ会いに来るほど父を愛していたし、わたしのことも痛いほど強く抱きしめてくれて、愛してくれているとわかっていた。でもそれなら、なぜ連れて行ってくれないのかとね。子供だったから、詳しい事情などわからなかったし……。わたしには母から受け継いだクルトの血のおかげで、子供の頃から気の力が使えた。その力を使ってイタズラばかりしていたよ」
ユリウスは自分の手のひらを眺めた。気の淡い光が手のひらの上で揺れた。彼はそれを子供の頃から見てきたのだ。
「回りの者は皆、わたしをアルクルトと呼んだ。アルクルト――バドゥでない者――その言葉の裏にある、驚き、戸惑い、恐れ……、それがまた気に入らなくてね。ザイナス老師にむやみに力を使ってはいけないと何度も叱られていたな」
「ザイナス老師?」
「わたしの後見人になってくれた方だよ。父はザイナス老師の愛弟子だった。老師は父のことを息子のようにかわいがっていたそうだ。だから、父が亡くなって独りになったわたしの祖父代わりになって、よく面倒を見ていただいた。わたしはそれから勉強が面白くなって、イタズラはしなくなったけど、勉強に夢中になりすぎて、8年分の授業を6年で終わらせてしまった。11才で2年上のクラスに進んだんだ。またしてもアルクルトだからとさんざん言われてね。回りの目が煩わしかった。それからはおとなしくしていたよ。何か目立ったことをすれば、そういう目で見られるから。友人もいなかったし、独りで孤立してた」
「お友達、一人もいなかったんですか?」
「うーん、友人と呼べるのは一人だけかな。同級生はわたしの力を恐れて近寄ろうとしなかったが、そいつだけは違った。興味津々でわたしを見ていて、そのうちちょっかい出してきた。わたしは関わり合いになりたくなかったから無視していたがね。高等科に進んで専科の魔法術の授業が始まるとわたしはまた荒れだした」
「荒れた?」
「最初の授業の時に、まずこうやって手のひらを向かい合わせにして、その中に気を集める練習をしたんだ。一人ずつクリスタルを渡されて、それを身につけてね。みんなは初めてだから、一生懸命集中して、ようやく小さな光を作るのが精一杯だった」
ユリウスの向かい合わせた手のひらの中に淡い白い光が生まれ、その光は次第に強さを増していった。手のひらを上に向けると、光はほとばしる流れとなって舞い上がり、あたりに舞い散って消えた。ティアーナは声も出ず、目を丸くしたままそれを見つめていた。
「わたしもね、言われた通りにやったよ。でもそれがいけなかった。身につけたクリスタルのために自分の気が急激に活性化されて手のひらからあふれ出した。自分でも止められなくてね。慌てているうちにうっかり窓に向けてその力を放ってしまった。貴重な窓ガラスが何枚も割れて、その日は授業にならなかった……」
「あの、マスターの持つクリスタルってそういうものなんですか?」
ティアーナがおずおずと尋ねた。
「そう、ただマスターの印として身につけているんじゃない。これは手っ取り早く、気の力を増幅させる道具なんだよ。マスターになるとその称号と共に授与される。だから学生の時は借り物だ」
「そういえば、賢者さまのクリスタルは変わった形をしてますね」
確かにユリウスのクリスタルは他のマスターの身につけているものとは違っていた。首にかけている美しい模様の絹の組み紐は同じようなものだが、クリスタルの形は他のマスターのものがただの卵型か涙型なのに対し、彼のものは真ん中の膨らんだ卵型で、両端に穴があいていて、しかもその穴を巡るように斜めにねじれた溝がつけられていた。紐は上の穴に通してあった。
「わたしのはね、特別なんだ。これはクルトのクリスタルといってね、母の唯一の形見だ。この形はクルトの聖なる形だよ……。そう、それで、それからも授業中に力のコントロールがうまくできなくて、よく暴発させてた。先生にも手に負えなくてね。生徒だけでなく先生でさえ、気の力をより多く引き出そうと努力しているのに、その力を抑える方法なんて誰にも教えられなかった。みんな戦々恐々としていたよ。あいつだけが面白がってた。いつだったか頭にきて、やつを気の力で吹っ飛ばしてやったことがあった。でも顔色ひとつ変えず、ニヤニヤ笑ってた」
「す、すごいんですね」驚くティアーナにユリウスは愉快そうに笑った。
「なんてやつと思ったよ。その後、そいつのことを改めて観察すると、取り巻き連中に囲まれてるのにやつも孤独だということがわかった。それで孤独な者同士くっついたというわけだ。わたしは魔法術の授業をサボるようになった。他の課目もやる気をなくして成績はガタ落ちだった。試験をサボって落第しそうになったりして、ザイナス老師をずいぶん心配させたよ」
「信じられない。賢者さまがそんなだったなんて」
「今から思えば、その友人が心の支えになってくれてたんだな。あの頃は自分の力が恐ろしかったし、その力をもたらすクルトの血が憎かった。彼だけがそんなわたしを普通に受け入れてくれた。誰でも人より秀でたものを持っていれば、それは誇るべきもので疎むものじゃないと言ってね。まあ、そう言われてもうれしくはなかったが……。荒れてたのは3年くらいだったかな、その後は世話になっている老師に迷惑かけちゃいけないと思ってまたおとなしくしてたよ。授業も落第しない程度に出るようになった……」
ティアーナはじっとユリウスを見ていた。今の落ち着いた静かな目をした賢者から、その若い頃を想像するのは難しかった。
「高等専科の後に、修習科で3年間マスターになる修業をして、大学の全課程を修了し、わたしはマスターになった。マスターとなってすぐザイナス老師の勧めで旅に出た。西ユーレシアの都オーセルの大学で1年間過ごし、それから北海沿岸のデンフォアレガの諸国を回り、北の国ベラジアへも行った。そしてタムダル大森林を放浪していた時、母のいたクルトの氏族と出会った。偶然ではなかった。向こうから来てくれたんだ。彼らはわたしをクルトの子として迎えてくれ、わたしは彼らと共に暮らした。わたしはそこでようやく気の力をコントロールする方法を覚えたんだよ……。彼らと一緒にいたのは1年ぐらいだった。フォンディア高原で更に東へ行くという彼らと別れ、エルボラーズ地方からルム・デイリア大王国を経て帰国しようと思っていたが、ちょうどルム・デイリアがエルボラーズに攻め込んできた時でね、国境は通れなかった」
「………」
「それで仕方なくセム大陸に渡り、西へ進んでイスカードからルム・デイリアへ向かう船に乗った。ルム・デイリアからベオアルデス山脈を越えて、やっとのことでバイオンに帰り着いた。国を出てから5年が経っていたよ……」
「なんだか、気の遠くなるようなお話ですね」
ティアーナにとって、ユリウスの語った国々の名は聞いたことのある国もない国もあったが、全ては夢のように遠い存在でしかなかった。
「わたしにとっても、もう遠い出来事のようだよ。帰国してから2年は大学にいたけど、賢者の称号を得たのを機に大学を出て東の森に来た。大学は研究するにはいい環境だけど、面倒なこともたくさんあるからね。わたしには森の暮らしが合ってるんだ」
「それは賢者さまがクルト族の血を引いていらっしゃるからですか?」
「そうかもしれない」
ユリウスの話はそれで終った。めったに聞けないような話を聞いてしまったと思うとティアーナは心の興奮を抑えることができなかった。彼女は上気した顔で言った。
「賢者さま、わたし、賢者さまのお話を伺うことができて、とても光栄ですわ。本当にありがとうございました」
「どういたしまして。きみがこの前話してくれたお返しだよ」
それからユリウスは思い出したようにふと笑って言った。
「自分のこと、こんなふうに人に話すのは初めてだな。わたしのたった一人の友人にだって自分から話したことはなかった。まあ、彼はたいていのことは知っているけどね」
ティアーナはその日は明るいうちに家に帰れるよう賢者の家を出て、一人で帰った。
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