[INDEX] 映画の感想 1月分  

 

ファイナル・デスティネーション

ダンサー・イン・ザ・ダーク

レッド・プラネット

バトル・ロワイアル

バーティカル・リミット
(WMC市川妙典探訪記)

郡上一揆


印・・・秀逸

ファイナル・デスティネーション -1/23
 人の死というのは死神によって予め決まっているのだそうだ。たとえそれを予知できても、結果的には予定された順番で死ななくてはならないらしい。この映画を作った人は運命論者だ。ちょっとしらける部分もあるけど、そういう謎解きは面白い。死神対人間という構図をより鮮明にすれば、もっと楽しめた。

 重苦しい設定と対照的に、死に方がおかしい。ちょっとしたきっかけが、冗談のようにテンポ良く死につながる。みんな、ドリフのコントのように死んでゆく。ラストシーンなんて、「8時だヨ!全員集合」の盆回りが聞こえてきても、ちっともおかしくない。

 かと思うと、「死は予測できない。すぐそばに迫っているかもしれない」と、真面目な説教をされたりする。いつか法事のお坊さんの説教で、同じ内容の法話を聞いた。なるほど、と思う。

 要は、中途半端なのだ。貫かれているのは、やっぱり運命論。それと、「飛行機は怖い」という大衆感覚。わかるけど、同距離を移動する場合、自動車で移動するほうが何百倍も死亡率は高い。なんだか、説得力に欠ける。おすぎも、飛行機が嫌いなのだろう。

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ダンサー・イン・ザ・ダーク -1/18
 この映画は、お客さんの感涙率ダントツトップである。みんな、どこで泣くのだろう。僕は、観ているうちにセルマの間抜け加減にイライラしてしまった。それに、司法判断でオチを付けようという手法にも非常にがっかりした。

 そりゃぁ、セルマはかわいそうだと思う。なんとも理不尽な展開だ。でも、同じ涙を誘うストーリーなら、もっと感動的な映画を観たい。せっかく、映画なのだから。この作品は、どん底まで突き落とされる人の運命を追うだけで、ただただ、サディスティックである。寄ってたかって痴人を追い詰める、彼女も彼女で法廷でトボケる。そういう話なら漫画の『ナニワ金融道』を読むか、ワイドショーでも見ていたほうが、身をつまされる感じでよろしい。セルマの純情を際立たせるために、ちょっと彼女を馬鹿に描きすぎてはいないか。おそらく涙の主要因である、子を想う母の愛よりも、嗜虐趣味を強く感じてしまった。観終わって、なんとも嫌な気分になる。

 作品中に突然、歌と踊りが始まるのは、彼女の心境を的確に表していて、意外と新鮮だった。ただ、それが心境をあらわす映像表現なのか、彼女の妄想なのかがはっきりしない使われ方だ。彼女は愛にあふれた正直者、まさに義の人だが、就業中に過大な空想を抱いてうつつ抜かすなど、社会生活上、精神的に未発達で、心神耗弱と思う。精神鑑定を受けるべきだった。

 と、書いていて気づいたのだが、セルマに感情移入していたからこそ、もっと利己的になれ、とエールを送っていたのかも知れない。

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レッド・プラネット -1/16
 とにかく、人類は近い将来、火星に行くようである。しかし、火星がどんな所であるかは、まだよくわかっていないようだ。犠牲を払って火星に行ったが帰れない、火星には恐るべき生命体が・・・というストーリーは、7月に見たミッション・トゥ・マーズにそっくり。

 ミッション・トゥ・マーズでは、大風呂敷なSF作品ということで面白く鑑賞したが、二番煎じではちょっと評価が下がる。特に心動かされることはなかった。火星にはいろんな未知の出来事があるんだなぁ、などと興味深く鑑賞する。火星、行ってみたいと思う。でも、金払ってその上、生命の重大な危険を冒してまで行きたいとは思わない。出張とか、法事なんかで行けたらいい。

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バトル・ロワイアル -1/16 
 珍しく、世間一般で大変な前評判が立った作品。劇場でも、チケットを販売する際には厳重に年齢を確認している。そこまで規制された映画って、いったいどんな作品なのだろうか。

 ふたを開けてみれば、それほど、残酷な映像が挿入されているわけではない。もっと凄惨な映像は、ほかにもたくさんあろう。では、友達同士で殺しあうことが問題にされたのか。いや、映画からは、そんな悲壮な印象は受けなかった。作品そのものは無人島のゲリラ戦を描いたものであって、そういう見方をすれば楽しく(?)観ることができる。むしろ、くどいノロケに辟易するくらいである。まずいのは、この殺し合いが教育や政治の一部として法制化されているという設定だろう。大人は脆弱で政治家はバカ揃いってことを誇張しすぎているのが問題なのだと思う。僕には、それくらいしか問題点は見出せなかった。この映画を見て、友達を殺しちゃうような奴は、この映画の有無に関わらず早晩、殺しちゃうに違いない。 

 面白かったのは、ビートたけしの役柄。ここにも、大人の現代的ダメさ加減を絵に描いたような姿がある。たけしのラストは意外だった。

 僕は、R−15規制の必要性を感じなかったが、逆に映画各誌が言うほどの作品感も得られなかった。感動しない。あんまり、得るものがないとでも言おうか。エンターテイメントの域を出ていないのである。エンターテイメントとしては、非常に楽しい映画だ。現実味があるからね。でも、あまりに現実味を帯びすぎているから危険だ、という思潮がこの映画を規制せしめたのであれば、そのほうがアブナイ。どうも、そういった過保護思想が蔓延している気がする。まったく、この国はすっかりダメになってしまいました。

 蛇足だが、エヴァンゲリオンを思い出した。クラシック音楽にのって、血まみれめった刺し、なんてエヴァの専売特許。宮村優子出てるし。

 ・・・価値のある大人になりましょう。

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バーティカル・リミット -1/11 (WMC市川妙典)
 話としては、お決まりのパターン。自然を甘く見てはいかんよ、という教訓である。雪山は怖いんだということを、改めて認識させられる。冒頭のシーンから危険度いっぱいで、終始ドキドキし通し。主だった危険シーンは、予告映像ですべて承知なのだが、それでもドキドキする。愛憎渦巻く人間ドラマも盛り込まれているが、雪山そのものの危険のほうがメインテーマのようだ。

WMC市川妙典探訪記
 遠いです。快速電車を使っても、九段下から30分かかります。立地が悪いことを言いたいんじゃなくて、地下鉄東西線がべらぼうに長いのです。

 WMC市川妙典は、新百合ヶ丘と同じく駅前にあり、便利です。とはいっても、新設駅で快速も通過、ということもあって、帰宅ラッシュの時間でしたが、新百合ヶ丘ほどの賑わいはありませんでした。

 建物はサティとは別の棟で、WMCのほかにもアミューズメント施設が入っています。3階以上が映画館、2階が閑古鳥の鳴くゲーセン、1階はビデオ店と書店、それになんと、パチンコ屋でした。マイカルはいつからパチンコ屋を始めたのでしょう。人が大勢いるのは1階だけでした。こういう構成なので、新百合ヶ丘のように、子供だけで映画、奥さんが買い物ついでに映画、という雰囲気ではないようです。

 映画館は複数階に分かれています。扁平であけすけな新百合ヶ丘と違い、階段やエスカレーターが複雑に入り組んでいて、秘密基地のようでわくわくします。スタッフは親切で、改札の際には「そこのエスカレーターを上がって何階の何番です」と、丁寧に案内してくれました。階ごとにもぎり場所が異なるようで、複雑なパーテーション・ポールの配置もあって、不正入場対策はバッチリです。ただ、どこまでがラッチ内で、どこからがラッチ外なのかが、はっきりしません。映画を観終わって帰るときにも、変なルートから出てしまったのか、ごみを回収するスタッフに遭遇できませんでした。

 館内は大変きれいです。じゅうたんも壁も、まだ汚れが染み付いていませんし、座席も座り心地、指定席の表記方法、カップホルダーの大きさなど、新型です。至るところ経年劣化が目立つ新百合ヶ丘の設備が、どうしてもくたびれて見えてしまいました。

 帰りの西行きの東西線は、快速も終わっていてがらがらでした。東陽町から突然混んできて、ようやく地下鉄らしくなりました。

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郡上一揆(ぐじょういっき) -1/10 (新宿東映パラス2)
 WMC以外で映画を観るのは久しぶりである。前回は『地雷を踏んだらサヨウナラ』だったか『パッション・フィッシュ』だったか。今回は、我が郷土、岐阜県が総力を挙げて製作した映画ということで、新宿まで足を運んだ。

 マイナーな作品なので概要を説明すると、江戸時代の農民一揆を克明に描いた映画である。この一揆は数少ない成功例で、犠牲を払いながらも、なんと藩主を改易に追い込んでいる。主演は、駕籠訴に踏み切る百姓衆の一人、定次郎こと緒方直人、その父親役には加藤剛、定次郎の嫁役に岩崎ひろみ、郡代と百姓の板ばさみに遭う、ちょっとヤな庄屋に前田吟など、キャストは豪華である。そして、何千名もの岐阜県民がエキストラ出演しているという、異色の映画である。

 映画は、はっきり言って地味だ。全体的にモノトーンがかった色調や、WMCと違って旧来の映画館で観たということもあって、序盤はNHKスペシャルでも始まるかのような調子で、はらはらする。ところが、しばらくして展開される強訴のシーンで、押し寄せる群衆の映像に圧倒され、一気に心は江戸時代の郡上農民に引きずり込まれてしまう。だんだんと、はらはら感は「この一揆はどうなるのか。定次郎の運命やいかに」という期待に変わっていった。

 この映画でよかったのは、作品のふるさと観である。故郷のために、命を賭けて江戸で駕籠訴に及ぶ、またそうして罪人となって帰ってきた定次郎らを「駕籠訴さま」として崇める故郷の人々。父親は、多くを語らず、定次郎にいわば上座である仏間を譲る。そしてふたたび死出の旅に赴く彼らは、峠道で故郷を振り返り、合掌するのだ。家族のあたたかさと、ふるさととが渾然一体となった感覚の見事な描写に心を打たれ、場内からはすすり泣きの声が絶えなかった。

 とにかく、地味だがいい映画だ。感動して手が震える。加藤剛の岐阜弁も貴重だし、梶原県知事みずからエキストラで出演しているらしい。(江戸の屋敷で座っていた侍か)。興味のある方、是非ご覧ください。損しません。秀逸。

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