映画の感想 7月分

角川まんが大行進

ミッション・インポッシブル2

クロスファイア

2番目に幸せなこと

ミッション・トゥ・マーズ

ビッグ・ダディ

角川まんが大行進 7/22
 「おじゃる丸 約束の夏」、「不思議のたたりちゃん」、「六門天外モンコレナイト」の自称豪華3本立てです。私は、放送開始当初から好きだったおじゃる丸を目当てに、この映画を観ました。

 まず、おじゃる丸について。この手の多層立て映画の特徴は、まず、その作品に興味のない人たちや父兄への説明口調が見受けられることです。おじゃる丸では、この映画のメイン作品ということもあり、説明口調は淡白でした。しかも、日頃から説明口調の「電ボ」が解説するので、違和感は全くありませんでした。お話は、おなじみのメンバーに加え、ひたすら遊ぶことに邁進する「せみら君」を加え、短い盛夏を満喫するというものです。夏が大嫌いだったおじゃるを、「ちーとだけ」夏を好きにさせたエピソードとは?「せみら」の妖しい表情と、穏やかな哀愁を感じさせられるストーリーが、おじゃる丸らしくて良かったです。テレビシリーズの中で最も優れている話のひとつと思われる、「木下」を想起させます。欲を言えば、おなじみのキャラクターを巻き込んだり、月光町の内情に切り込んだりしてくれると、大人のフリークでも楽しめるのですが。

 たたりちゃんは、不気味な映像が印象的です。もともと、実写の映画ではないと思うのですが、本当に絵を利用して、絵のような世界を具現したのは、面白い。あの石組みからして、アイルランドでしょうか。とにかく、私が見る限り、ファンタジーの第一印象が強すぎて、たたりを名乗るほどの恐怖感は感じられませんでした。

 問題は、モンコレナイトです。さっぱりわかりません。劇中にも、「説明しよう!」という景気のいいナレーションが何度も入るのですが、そればかりです。もともとは、カードゲームからの発展アニメなのでしょうか。テレビ放映されているとはいえ、不勉強な私には理解の度を越えた作品でした。

 早朝上映の回を見たので、私のほかは二組の家族連れがいるだけでした。子供は劇場の中を走り回り、親が大声で叱ります。そのうち、他人だった親同士で、子供映画談議が始まってしまいました。混雑する作品での私語は慎むべきですが、なるほど、こんな環境も悪くないと思えてしまう映画でした。

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ミッション・インポッシブル2 7/18
 好き好きでしょうね。この夏、数少ない大型作品なので、あまり酷評できないのですが、してしまいます。

 今回は、監督がジョン・ウーというアクションを得意とする人なので、アクションが全面に押し出されています。クールながらも、時にアクティブなトム・クルーズは、とても格好いい。自らこなしたという格闘シーンは、見事なものでした。車やバイクのアクションも、スピード感にあふれています。

 と書くと、何もかもいいようですが、確かこの映画はスパイ映画だったはず、と思い起すと、素晴らしいはずの作品感が、急に色褪せてしまいます。あの銃撃戦、この格闘、本当に映画の筋立てに必要なのだろうか、裏組織のからくりってこれだけ?、ハント君、いま、自分からケンカ売らなかった?などと、いらぬ推測を始めると、もう、香港映画を見ているような気分になってしまいます。ハント君の行動も、自らすすんでミッションをインポッシブルにしてアクションシーンに持っていこうという魂胆が見え見えです。私なら、今回の彼は解雇です。

 決してつまらない映画ではないのですから、スパイ映画としてではなく、完全なアクション映画として制作したほうが、良かったのではないでしょうか。そうすれば、わざわざ大まじめにギリシャ神話なんか引いてくる必要もなく、観るだけで痛快な作品になったと思います。でも、そうもいかないのが、この業界なんでしょうね。

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クロスファイア 7/11
 念力で火を起こせる女の物語、と書くと、近頃はやりのオカルト邦画のようですが、違います。なんと言っても、宮部みゆきの原作なのです。冒頭の不知火伝説の語り口からして小説っぽい。それに、視点も終始、社会的な客観性を意識したつくりとなっていて、次々と超能力者が出てくるのに、妙な説得力があります。

 主題は怪奇現象ではありません。炎の使い手、青木淳子の心的変化です。特殊な能力を隠すために、ひたすら他人との接触を避けてきた淳子でしたが、同僚の男性に心を開いた途端、連続殺人事件に巻き込まれ、私的制裁に傾倒してしまいます。その過程において、淳子にはさまざまな新しい出会いがあり、心が揺れ動きます。

 淳子にとっては、能力の鬱積を、初めて公開する好機だったのでしょう。しかし、これまでに培われてきた彼女の控えめな達観が、その能力の適切な開花を拒みます。私的制裁という不法行為へのためらい、自らの手を汚してしまった後ろめたさ、そんな特別な感情とともに、一方では普通の女性として愛されたいという心が、彼女の行動の一貫性を否定し、彼女の存在を中途半端にしてしまいます。どんどん孤立してゆく淳子、いや、自ら孤立の道を選んでもいるのでしょう。

 「私たちの先祖は、憎しみを募らせるあまり、火を操る能力を得てしまった」。淳子の母は、そう言ったそうです。冒頭で語られる、「憎しみの炎は、やがて自らをも焼き尽くす」とは、誰が残した言葉でしょうか。淳子の表情からは、犯罪者への憎しみは、あまり感じられませんでした。諦めにも似た冷徹さからは、むしろ、自分の運命への憎しみを感じました。悲しすぎる運命です。

 もうひとつ、法律的見地から、超能力による私的制裁の是非を問わねばなりませんが、この映画だけでは足りません。別の機会があれば、記したいと思います。秀逸。

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2番目に幸せなこと
 マドンナが出演して話題の映画です。予告やチラシを見ていると、とても楽しそうです。ゲイと、友達の女性とが、深酒でうっかり作ってしまった子供を育てます。理想の結婚生活は望むべくもないけれど、その次善策、つまり「2番目に幸せなこと」として、親友同士が子育てをするという筋書きです。

 二人とも、「2番目」でも幸せだと思い、子育てに励んでいた頃はよかったのです。ところが、ゲイはゲイと、女は男と惹かれあうのは、理屈や理性だけでは御しがたい道理でした。誰にでも経験があることと思いますが、恋をするというのは、まったく、自分の冷静な意思とは別の感情、行動です。恋の経験がない人には、眠たいときの目覚し時計とでも、言いましょうか。起きなければならないのはわかる、仕事がある、講義がある、人と会う約束がある、十分わかっているのに、これまた自分では冷静な判断のつもりで、あと10分と思って寝てしまう。そういう、自分の客観的な意思とはまた別の圧倒的な決定権を持った判断が、このときも、二人の人生を狂わせたのでした。

 女に恋人ができてしまいます。そして、入籍していなかった二人の間から、子供を奪ってその新しい恋人と暮らし始めます。ゲイの男はさまざまな手段で、すでに十分な父子関係を構築していた息子を取り戻そうとします。軽快な映画のイメージとは異なり、それはまさに骨肉の争いでした。結局は、日本でいう家庭裁判所による調停にまでいたるのですが、そこに新たな男が登場し・・・。

 率直な感想は、子供が不憫なことです。大人たちの思惑に振り回され、複数の父親に奪い合いをされるのは、迷惑千万でしょう。ですが、その大人たちの言い分にも、耳を傾けないわけにはゆきません。事実上の父子関係から子供を愛する男、生物学上見地から子供に興味を持たざるを得ない男、愛する女性の実子としての子供に愛されたいと願う男。そして、ただ、自分の子供を愛し、普通に恋をしたい女。どの感情にも、人を愛したいという素直な心があるのに、事態はそれを許しませんでした。大人たちの思惑も、先述のとおり、自らには制御不可能だったのです。

 人間とは、何と不出来な生物なのか、という感慨を、改めて思い知らされる映画でした。ところで、マドンナ扮する女性は、男から見れば、かなりわがままで嫌な女性でした。それだけに、マドンナの演技力を評価したいのですが、「あれは地だ」と言ってはばからない人もいます。実際、どうなのでしょうね。

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ミッション・トゥ・マーズ
 単純に、宇宙における冒険、未知なるものとの遭遇、訪れる危機と人間模様を描ききった度胸に敬意を表します。フィギュアや模型が売れそうなキャラクターもなく、スキャンダラスな出演者もなく、ただ単発の空想科学映画としてのみ勝負を挑む制作者の姿勢を、多くの映画ファンは笑うでしょう。ですが、私は、そういう映画の事前知識なく楽しめる映画が好きです。

 幼少時、私の自宅の本棚には何十巻にもわたる、子供向け百科事典がありました。私は、少なくとも小学校を出るまでは科学少年でしたので、その「宇宙」とか「科学」の巻を、飽きもせず毎日眺めていたものでした。21世紀には、私たちは宇宙での暮らしを始め、水の存在を認められる火星に移民するのだ、ということが、大まじめに論じられていました。無論、それは1970年代の百科事典で、思い返せば一笑に付されるような未来予想図が記されているのですが、この映画はそんな夢みたいな話をスクリーンで実現してくれました。

 宇宙空間は絶対零度で真空で、日が出ていれば太陽光線は強烈、しかも相対的には無重力。火星は昼夜で温度差が摂氏何百度、時おり砂嵐が吹き荒れる。そんな世界を、CGや特殊効果が発達した現在、どのように映像に現すのだろうと、見ているだけでわくわくします。

 ストーリーは、SFらしい突拍子もないものでした。紆余曲折の末たどり着いた火星には、太古の火星人の遺構がありました、というだけです。紆余曲折の中に、感動的な人間ドラマを期待したり、あるいは、かっこいいメカの数々を期待したりすれば、たいへんつまらない、失笑ものの映画です。ですが、それは見方が違うのだと思います。SFは空想科学の世界ですから、いったい、この映画では何が空想されるのだろう、しかも、いかにも実現可能なように技術の粋を集め、なおかつ、いかに非常識な結末に導いてくれるのだろうと、そこに着眼すれば、この作品は、すばらしいと思います。逆にいえば、そこに興味のない人にとっては、これほど阿呆らしい映画はないでしょう。

 つまり、見る人を選ぶ映画だと思います。映画に格別な思い入れのない一般人、科学には興味があるが、学術的な専門知識はない一般人、そうでないと、この作品は揚げ足を取られる要素があまりに多すぎる、悲運なジャンルの映画です。しかし、少なくとも私は、この映画をとても興味深く鑑賞することができました。

 蛇足ながら、火星探査車や測量部材に、川崎重工やソニーの製品が使われる設定だったことは、頼もしい限りです。2020年にも、かくありたいものです。 

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ビッグ・ダディ 
 「2番目に幸せなこと」と同じ、子育てモノです。でも、作風は全然違います。基本はコメディで、笑いあり、涙あり、ちょっとやんちゃでハイカラな松竹映画という感じです。

 だらしなく、無為に生活を送る青年ソニー。ぐうたらした生活リズム。親のすねかじり。時に、妙な理屈家。自分を見ているような情けなさとともに、身近な思いもします。友人の子供を引き受たのが、振られた恋人に見直されたいという動機からであるのも、計算高いのか低いのか、親近感を覚えます。

 彼の子育ては、まことにいい加減で、場当たり的です。何もかも思い付きです。しかし、彼の本来のやさしさと言うか、愛情と言うか、ただ情が移ってしまったでは済まされない何かが、彼の子育てに変化を生じさせ、二人の間には、確実な父子関係が構築されてゆきました。ところが、所詮、客観的に見ればうわべだけの親子。「2番目に幸せなこと」のように、骨肉の争いとまでは言いませんが、彼らは次第に関係を保てなくなります。今までの暮らしを慮れば、ソニーにとって、事態が彼に不利なのは、自明の理でした。しかし、ここでソニーは智を働かせます。いや、単なる智ではないかも知れません。すばらしい論法を以って、彼は宿敵でもあった自身の父親を説き伏せ、父親としての愛情を証明したのです。劇的で印象深く、あたたかい、どんでん返しでした。

 ソニーに勝手な親近感を抱いていたので、彼が変わっていく様子、成長してゆくさまは、見ていて気持ちのよいものでした。何ヶ月も公開を待った甲斐がある作品です。 

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