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過去の日記(平成15年4月〜11月・休止)

 台湾日記



 国内線の飛行とクレジットカードのポイントで貯めに貯めた航空会社のマイルが期限切れになりそうだったので、台湾に行ってきた。
 
11/24
 早朝の京成電車で成田空港に向かう。荷物は通勤に使う肩掛けカバンひとつ。着替えは下着を1日分。泊まり勤務の日の荷物となんら変わりない。ガイドブック・パスポート・航空券・買ったばかりのデジカメを除いて・・・。はじめての海外旅行がこんなんでいいのか。そういえば台湾ドルを持っていない。頼みの成田空港の銀行では、台湾ドル売り切れ。

 預け入れ荷物もなく、出国手続きも簡単に終わった。あっけないものである。エアーニッポンの飛行機は、バスで延々と空港の中を走った先にあった。日本の航空会社なのに、妙なところで冷や飯を食わされている。台湾は遠い。窓際に陣取った僕の隣席に日本人ビジネスマンを乗せ、飛行機は一路台北へ向け、飛び立った。楽しみにしていた機内食は、美味くもまずくもないトレーであったと思う。そばつゆが余って、隣のビジネスマンともども処置に困ったことだけを鮮明に覚えている。短距離の路線なので、映画なんかやってなくてNHKニュースが流れているし、ビールやワインのおかわりをする余裕もない。

 放送に促されるまま時差の調整をしていると、陸地が見えてきた。畑と田んぼ、ため池が見える。見たところ、日本の地方都市のようである。ただし、道路が右側通行であることがわかる。レンガの建物が多い。漢字の広告も見えるが、繁体字。日本のようだがやっぱり違う。SARSの問診表を提出し、成田の出国手続き以上に簡単な入国手続きを終え、台湾の土を踏んだのは昼過ぎであった。両替は空港内でできた。3万円が約9,000元になった。が、銀行の行員も入国手続きの職員も日本語を話せない。

 到着した中正国際空港は台北市街とは離れている。成田と東京ほどではないが離れている。とりあえず台北駅に行けば何とかなると思い、バス乗り場で切符を買った。「あのー、taipei station」。「110円です」。國光客運という民営化されたバス会社のオバサンは多少の日本語ができた。ステンレスの車体がギラギラしたバスの隣席は、「あけぼの」の菓子折りを持った日本人だった。バスは片側5車線もある高速道路を疾走し、1時間ほどで台北駅(のかなり手前)に到着した。日本人たちは、「えっ、ここが終点?」ときょろきょろしながらバスを降りる。あけぼの氏はそのままタクシーに乗ってしまった。ここまでがんばってバスで来たのに。
台北駅舎。後日撮影。
でかい台北車站。手前を走るのが 國光のバス。空港バスはこんな近くまで行かない。

 この日は疲れたので、台北車站の売店で時刻表(25元)を買った後、地下鉄に乗ってホテルに向かってしまった。地下鉄は捷運(MRT)と呼ばれており、どの路線も開通後、日が浅い。コンクリートとステンレスの内装、新築の匂い、やたら広い地下空間、ガラス張りで見通しのいい有人窓口。大江戸線を思い出す。ただし、電車内は狭い大江戸線と違ってだだっ広い。台北の交通機関ではICカードが普及しており、JRのSUICAのように改札機にかざすだけでゲートを通過できる。これは便利。しかも、駅構内のいたるところにある機械にカードを近づけると、バスや電車の利用履歴が詳細にディスプレイに表示される。

ICカードとプリペイドカード。後日撮影。
上のカードが台北のICカード。下のは台鉄の磁気プリペイドカード。

 日本人客が多いというホテル、金星大飯店はガラガラ。クーポンを取っていた1日目以降を相談したら、1日目も含め、2,400元の部屋を1,500元で提供してくれて、あとの2日は朝食もつくという。高いのか安いのかわからないが、なんだか成り行きに任せてお願いしてしまった。フロントのおじさんは日本語ができる。ただし、ガイドブックに載っているほど堪能ではない。食堂で晩ご飯をと思ったが、誰もいないので近所のファミリーマートでサンドイッチやら何やらを買って、NHKの衛星放送を見ながらこの日は寝てしまった。貴重な時間を無駄に使ったように思えるが、コンビニの商品を見るだけで面白い。台湾のコンビニには日本のおでんと同様に煮卵が煮立っていて、その八角の香りが店内に充満している。セブンイレブンでは「関東煮」という名称でおでんが売られている。日本語をデザインに使った商品も多い。日本において視覚的に英語が使われているのと同様、台湾の商品には日本語があふれている。
 

 
11/25
 
 テレビがNHK海外向け放送の「てるてる家族」を放送している。台北だと朝の7時15分である。空模様を見ようと窓を開けたら網戸が外れた。空は曇っていた。だらだら「生活ほっとモーニング」を見ていたら、結構な時間になってしまった。隣の部屋では掃除のおばさんが掃除を始めたようで、顔をあわせるのもばつが悪いのでホテルを出た。

 ラッシュの終わった捷運(MRT)で台北車站に着き、構内を存分にうろうろした。平日のラッシュ後とあって、人気が少ない。朝食を調達したいが、地下街には妙に現代的な店しかなく、吉野家だの持ち帰り寿司だの、そんなのばかりが目に付く。結局、モスバーガーでサンドイッチ(三明治と書く)を注文して食べた。モスのお姉さんは超親切で、お互い、片言の英語で不器用なやりとりをした。こっちが必死だと、相手も必死にコミュニケーションを図ってくれる。4日間滞在したが、台湾の人は等しくそうであった。

 実は、台北車站に来たのは多少の企てがあって、内湾線と平渓線というふたつのローカル線に乗ってみようと思っていたのだ。さらに、台鉄が誇る特急「自強号」の電車バージョン(古い)にも乗ってみたかった。時刻表に車いすマークがついていない自強号が電車という話で、午前の下り台北発は10時24分だけである。とりあえず、内湾線の乗換駅である新竹駅まで電車自強号に乗りたい。窓口で筆談を試みた。

台北駅きっぷ売り場。
台北駅の出札窓口。ずらりと並んだソラリー式の発着案内は空港のようで実に壮観。

 窓口は銀行のように番号札を取るシステムだったが、当日券は取らずに別口に並んで買うようだ。「お願いします」と紙を見せると、窓口の兄ちゃんはチラッと紙を見て「イチマイ?」と。商売人である。無事、指定券は取れた。安心して相変わらず人気の少ない構内をぶらぶらしていると、少女に目をつけられた。「日本人ですか?」と話しかけてくる。なぜわかったのだ。そして熊のプーさんがついたボールペンを取り出し、「かわいい」という単語を繰り返すので、「かわいいですね」などと返事をしつつも困ってしまったので、メモ帳とペンを取り出すと、どうやらそれを4本299元で買えということらしい。ペンを出して筆談を試みる日本人にペンを売ろうというのだ。しかも高い。自強号のチケットは180元である。「不要、いらんなぁ」とつぶやくと、「バイバイ」と笑いながら去っていった。

 台北駅付近の台鉄は地下線になっていて、当然、乗り場も地下にある。乗り場に向かうと改札口があり、そこに自動改札機があったので写真を撮った。

台北車站の自動改札機。

 磁気化された定期券のみ使用可能で、サーマルやパンチ部があるのか不明である。記念すべき海外旅行の第1枚目の写真は、この自動改札機の写真であった。

 改札内外にはテレビがぶら下がっており、漢字と英字で交互に発着案内が表示されている。英字はさっぱり意味不明。英語の部分と地名の英語読み部分を区別する暇がないまま、画面が切り替わってしまう。漢字表記だけが頼りだ。売店で台鉄名物(?)の駅弁を60元で購入した。数は置いてあったけれど、時間帯の悪さもあって売れ行きはいまひとつのようである。ほどなく、自強号が入線してきた。

 自強号は狙ったとおり電車タイプで、しかも最も古いEMU100型という英国製の車両だった。低いホームから車内に入ると割と混んでおり、指定された席にも女性が座っていた。「Excuse me.」と声をかけると、女性は笑いながら他の空席に移っていったが、やはりそこでも移動させられていた。「自願無座」という、指定を取らないきっぷの持ち主である。周りを見ると、そういう人は結構いる。その通路際の席に落ち着くと、ベルが鳴って発車した。静かな発車であるが、小さくモーターのうなる音が聞こえてきた。釣り掛け式のようである。

自強号のデッキから。
ドア開けっ放しで突っ走る自強号。

 地上区間に出ると、やはり空は曇っていた。都心部を過ぎて乗客の入れ替わりが収まると、みなめいめいに好きな席に移動を始めた。隣席は一心不乱に新聞を読んでるオッサン(しかも新聞のページをめくらない)で、一人駅弁を食べるのもはばかられるので、僕も隣のがらがらの車両に移り、そこで駅弁の包みを開いた。ご飯の上に排骨、白身魚、刻み昆布、漬物なんかが載っていて、ボリュームは満点である。うまかった。冷めたらまずいと思う。あと、一緒に買ったペットボトル入りのお茶は、緑茶なのに甘い。近くでは小柄な尼さんが美味そうにちびちびグレープジュースを飲んでいた。車窓は田園の中にぽつぽつと工場が建っていて、なんとなく滋賀や静岡あたりの郊外っぽい。たまに掘り返された土が、はっとするほど鮮やかで違和感を覚える。そうこうしているうちに次第に天気がよくなって、台北から1時間ほどで新竹に着いた。

走り去る自強号。
新竹を出発する自強号と、それを撮る鉄路迷をいぶかる欧巴桑(オバサン)。

 新竹は風の強い町として名高いそうで、この日も駅前を強い風が吹いていた。駅舎前の灰皿が駅らしくなくて上品で、風格のある新竹駅舎を印象づける格好のアイテムになっている。


新竹站灰皿。マイルドセブン大人気。

 台鉄ローカル線3線のひとつである内湾線は、この新竹から出ている。時刻表の見開きに内湾線の一日乗車券の広告が出ていたので、それを指差しながらきっぷを買った。74元。内湾線の日本製ディーゼルカーは、構内の切り欠きホームから出発している。

新竹の切り欠きホームに停車するDR1000型車両。
内湾線の車両。新竹にて。

 昼下がりの平日、4両も連結していて、豪華なリクライニングシートが並ぶ車内はがらがらである。地元客とミニトリップを楽しむ観光客が半々くらい。本線から分岐して新竹の市街地を抜けた列車は、野原の中をのんびりと走ってゆく。背の高いすすきが強風にあおられて激しく揺れている。建設が進む高鐵(台湾版新幹線)の高架橋も見える。新竹一体は精密機器産業の集約地なのだが、ご多分に漏れずそういう発展地区はローカル線と縁がない。さて、近くに座っているのは母子連れ2組である。母親2人はおしゃべりに夢中。小さい男の子2人は窓に張り付き、列車が踏切を通過するたびに「じゃんじゃんじゃんじゃん」言って喜んでいる。大小の駅に停まり、大きな河川敷を持つ川を長い橋で渡ると、だんだんと風景が山がちになってくる。やがて線路は山中に分け入ってゆき、その行き止まりが終点、内湾である。ホームに下りると、台北とはうって変わってさんさんと日が降り注いでいた。11月にもかかわらず、カッと照りつけるような強烈な日差しは、日本のそれとは明らかに異質な南国のものであった。

内湾站ホーム。
緑がまぶしい内湾站ホーム。

 駅前の小さな商店街には、遠足の小学生がうじゃうじゃしていた。先生がハンドマイクで引率しているが、子供は屋台で買い食いしたりおもちゃ屋を冷やかしたりで大騒ぎである。列車の折り返しの時間があるので駅前を一回りした。名物の宣伝文句を見ると、内湾は客家人の町のようである。坂を昇り降りしたら暑くなってきたので、屋台で飲み物を買うことにした。色黒のおばねえちゃんに英語で話しかけると、全くわからないらしい。そのうち、どうしたはずみか日本語が通じるようになり、飲み物を買うことができた。「きょうは仕事は休みか」、「台湾には仕事で来たのか」、「(ストローを)挿していいか」などいろいろ聞かれるので、何を頼んだのか覚えていない。あとで飲んだら、また甘い緑茶だった。そんなことをしているうちに小学生に集合がかかった。

内湾駅舎。
抜けるような青空の下、小学生が駅舎に集合する。満員で入れない。

 小学生は列車で帰るのであった。わざわざ4両もつないでいたのは、そのためと思われる。しかし、大勢の小学生に駅舎を占拠され、一般人は駅に入れない。地元のおっさん達と一緒に、遅れてとぼとぼと乗り込んだ列車に空席はなく、仕方なくドアの横に立った。列車はのんびりと坂道を降りていく。並行する道路を行く乗用車に追い越される。道路の路面には細長い字で「慢」と書かれていて、スピード落とせということらしい。小学生は列車の中でも落ち着きがない。屋台で買った子亀に水を与えようと、男の子がトイレの水を調達しに来る。そして開け放されたトイレのドアを、学級委員風の女の子が怒りながら閉める。それを何回も繰り返し、彼らは途中の竹東駅で降りていった。

 再び風の強い新竹駅に戻ってきた。ここからは普通電車で中歴を目指す。中歴からは後続のオンボロ客車列車に乗り換えるつもりである。できるだけ、いろんな車両を乗り試したいという考えだったが、通勤電車はその後何度もお世話になることになる。希少な客車列車にもっと乗っておくべきだった。グレーと青に塗られた電車はビニール張りのロングシートで、やっぱり空いていた。あまりハイテクを感じる電車ではないのだが、女性の声で自動放送がかかる。走り出すと釣り掛け式のようでもあるが、直角カルダンと言われればそのようにも聞こえる。静かでどっしりとした走りの電車だ。先頭車の車体には、60tもあると書いてある。常に車掌さんがうろちょろしては空調を調節している。うろちょろの最中に電車が駅に着くと、車掌さんは各ドア脇に取り付けられた小箱に鍵を挿して回す。そうすると、そのドアだけが開く。そしておもむろに鍵穴のすぐ近くにあるスイッチを操作して、列車全体のドアを開ける。閉めるときはその逆である。名鉄のローカル電車を思い出した。北上するにつれ、また天気が悪くなってきた。内湾の青空が嘘のようだ。中歴に着くと、町は完全に雨煙に沈んでいた。

 自強号を1本やり過ごし、客車列車(平快)を待つ。平快は冷房がないので、電車より安い運賃で乗れる。ホームからは、駅裏のパチンコ屋が見えた。「東京」と書いてある。機会があれば打ってみたいが、パチンコ屋を見たのは、後にも先にも、この中歴駅裏1店だけであった。ほどなく機関車に牽かれて青い客車を連ねた平快がやってきた。前のほうの車両は座席が取っ払われていて、バイクや荷物が置いてある荷物車である。客車は、先ほどの通勤電車にも増してがらがらで、ところどころ消えた蛍光灯の光がわびしい。開け放たれたままのドアから乗り込むと、転換クロスシートがびっしりと並んでいた。小汚く、薄暗い。ジャーンとベルが鳴り、列車はゆるやかに動き出した。少し昔の日本もこんな感じだったのだろうか。

 なんというか、沈鬱な雰囲気の列車である。走り出すと車軸の発電機からバッテリーに電力が供給されるようで、ひとつふたつと蛍光灯が灯り出す。スピードに乗っているといっぱい蛍光灯が点くが、しばらく駅に止まっていると、少しずつ消えてゆく。延々と、それが続く。日が暮れてくると、車窓の雨も手伝って、ますます車内は薄暗くなってくる。線路際の家々から明かりが漏れている。民家の台所のようなところで陶器を作っている。昼間に自強号から見た風景とは全く違う場所のように思える。台北市街に入る頃には幸いにも雨は止んでいたが、都心の地下線に潜る直前に渡る淡水河の水面はすでに暮色が濃い。

 この日は西門町と公館に繰り出してみた。西門町は日中に行くべき町であった。ソフトな渋谷といった感じ。公館には有名な夜市がある。夜市は、小規模店舗と屋台の集積体とでも言おうか。包子だのクレープだの、買い食いをしながら歩いた。挽き肉や野菜の詰まったクレープには、きな粉のようなものを入れられた。砂糖入りのきな粉。これは美味しくなかった。食べ物以外には、ブティックと洋装店の中間のような店や、女性雑貨店、スポーツ用品店が多い。品揃えを見るに、野球やバスケが盛んなようである。
 
 
11/26
 
 雨。外れた雨樋から、道路に水がたたきつけられている音で眼が覚めた。台湾3日目。苦にはならないが、さすがに雨となると出かけるのが億劫だ。てるてる家族を見たあと地元のニュース番組を見ると、大雨情報なんかがやっていて、しかも土石流に注意なんて字幕に出てくるもんだから、ますます出かけるのが面倒になってくる。ローカル線を探訪するとすれば次は平渓線なのだが、急峻な渓谷をたどる路線と聞いている。土石流に巻き込まれたら嫌だ。

 今日から朝食が付くので食堂に行くと、大柄な姉ちゃんが所在なさげに立っていた。客はいない。姉ちゃんが和食か洋食かお粥を選べるというので、洋食を選んだ。受付の姉ちゃんは注文を聞くと僕が席につくのを見届け、ガラスのコップに熱々のアールグレイを注ぎ、調理場へ消えていった。しばらくすると姉ちゃんはトレーに乗せたトーストとハムエッグを持ってきた。2枚のトーストは薄くて貧相だ。1枚にして、もっと厚めに切ったほうがいいと思う。

 しかし、傘がない。市街地の歩道はアーケードになっているので傘は要らないが、やっぱり持っていないと心細い。何とかなるだろうとホテルを飛び出したものの、コンビニにもなく、ドラッグストアにもなく、とうとう台北車站まで来てしまった。台北市民は急な雨のとき、どこで傘を買うのだろう。頼みの綱は駅前の三越だが、11時にならないと開かない。仕方なく駅をさまよっていたら、駅の出口に傘を積んだ屋台が出ていた。傘まで屋台で買うのか。とにかく、おばばから100元で傘を買った。プラスチックの蛇腹がついていて、傘をたたんだときには傘を覆えるという、スグレモノなのか余計なのか、判断しかねる傘である。使い方がわからなくて困っていると、おばばが手にとって教えてくれた。控え目ながら日本語を話す人であった。

 傘も手に入ったし、、平渓線列車が発車する瑞芳へ向かうことにした。自強号で行ってもいいのだが、途中の八堵までは通勤電車に乗った。台北以東の線路は山沿いでくねくねしている。雨降りで気温が低いのに冷房がかかった車内は、少し肌寒い。小一時間で八堵に到着した。


通勤電車はこういう感じ。写真のようなステンレスの新型車と、グレー塗りの在来車がある。

 八堵は基隆から出発した東部幹線と西部幹線が分岐するターミナル駅で、構内が広いので列車を眺めるには好都合である。


豪雨を衝いてディーゼル自強号が到着。後刻撮影。

 八堵から、自強号で1駅、瑞芳に向かう。もう、面倒くさいから自願無座。空いている席に勝手に座った。この列車に乗ってはじめて、車内改札を経験した。まぁ、日本のそれと同じである。10分くらいで瑞芳に到着した。なんとなく豪気な地名であるが、なんと言うことのない町である。この東部幹線の中間駅から、平渓線の列車は出発している。雨はますます激しくなってくる。

 平渓線も、きのうの内湾線と同じく、日本車輌製の快適なディーゼルカーで運転されていた。休日は観光客で混雑するという列車も、大雨の平日とあってがらがらである。運転士さんは、出発時刻が迫っているというのに、新聞のようなものを運転台に広げて書き込みに余念がない。そのうち、その紙を広げたまま発車してしまった。ときどき、思い出したように加速する。2つ目の駅で幹線と別れ、列車は細道に分け入ってゆく。頼りない線路、急カーブ、急勾配。30km/hくらいで恐る恐る列車は進む。山腹を無理やり掻き取ったところに敷いた線路を行く列車からは、深い谷に茶色い水が暴れながら流れてゆくのが手に取るように見える。前方に落石とかはないのか。旅行者の心配をよそに、運転士さんは駅弁を広げて食べ始めた。例の排骨飯である。あれは冷めたらまずいからな。冷める前に食わねばならぬ。食べながらもトンネルの手前では警笛を鳴らしたりして、なかなか器用だ。それにしても、深い山の中、秘境である。ようやく集落に入っても、人家は傾斜地にへばりつくように建っている。ある駅前の小屋にバスケッボールのゴールが取り付けられていたが、万一シュートをはずしたら、ボールは谷底まで一直線だ。途中でタブレットを交換し、有名な路地を行く区間をのろのろ通過し、終点の青桐に到着した。開店休業の商店を外から眺め、おなじみの筆談できっぷを買い、折り返しの列車で瑞芳に戻った。


青桐站に停車中。奥に見える建物は石炭の積載施設跡か。

→列車進行方向→
絶景も地元の子供にとっては退屈。後ろ向き座席のまま寝る姉弟。

 通勤電車を乗り継いで台北に戻った。さて、この旅の目的は、スガキヤのラーメンを食べることでもある。旅立ちを思い立った当初、台湾での目的地は台北市内のスガキヤだけだった。関東から撤退したラーメンチェーンの中京の雄は、台湾に進出していたのである。インターネットでヒットするを幸い、唯一、ここに行けば必ず食べられる!と確信できた店舗は、最近になってできた巨大モール内にあった。モールの名を京華城という。台北車站の北口からバスが出ている。


雨のそぼ降るバス停。バスに注目して手を振るなどアピールしないと止まってくれない。

 バスを待っていたら軍人さんに声をかけられた。バス路線について尋ねられたようである。英語でたどたどしく中国語を離せない旨を伝えると、彼は困ったようにはにかんで、仲間と相談してタクシーを拾って行ってしまった。バスに乗るのは難しいが、それは東京だろうが大阪だろうが、よそから来た人にとっては同じである。なんとか乗るべきバスを捕まえ、乗り込むことができた。ICカードで乗車できるので、パスケースや財布から、いちいちカードを取り出す必要がない。この日のように雨が降っているときは、特にそのありがたみを感じる。バスは、さらっと座席が埋まっている程度の混み具合だったが、だんだん乗客は降りてゆき、20分くらい走ると僕だけになってしまった。車内放送や電光表示がないので、車内に掲出された路線図と通過するバス停の表記を必死になって追いかけながら、なんとか京華城で降りることができた。京華城の向かいは台鉄の工場で、仕切りに台鉄カラーに塗った車輪を置いてある。


台鉄工場の駐車場入り口。

 モールの地下深くにスガキヤ(壽賀喜屋)はあった。英語も日本語も通じないが、日本と似たようなシステムなので困らなかった。おすすめ商品らしいセットを頼むと、姉ちゃんがラーメンをゆで始め、すべて1人で調理して、トレーを渡してくれた。挽肉餡がかかっている青菜と、ラーメンの青菜が実は同一であるところや、スープがあまり熱くないあたりが、いかにもスガキヤらしい。ご飯の上にはキムチ・厚揚げ煮物・煮卵が載っている。スガキヤの混ぜご飯といえば、混ざっていないのが「お約束」であるが、当初から混ぜることを放棄した台湾方式はある意味で正解といえよう。ラーメンのスープは、日本のそれとほぼ同じで美味であった。久しぶりのスガキヤの味に大満足。


先割れスプーンはなかった。れんげはプラスチックの使い捨て。

 セットは120元で、現地の感覚ではちょっと高い。日本のスガキヤで言うラーメンは60元、特製ラーメンは80元であった。市内のバス運賃は15元、市中の屋台では包子の相場が1個10元である。町中では「日式」(日本風)というのが流行っている。スガキヤも「日式」をウリにしている。現地風にアレンジされたあやしい日式も多い中、スガキヤの正統の味や流儀を「日本の味」として提供していることは、スガキヤファンとしてまことに頼もしく、鼻が高い。

 京華城を一回りして裏通りに出てみると、ひっきりなしにバスが行き交っていた。「京華城行き」でなくても、旧来の路線バスはたくさん走っているのだ。ということで再び京華城に入城し、書店でバス路線図を買った。そのバス路線図を頼りに、その足で夜市で名高い士林に向かった。道路は混んでいて、士林に到着する頃には程よく日が暮れた。

 士林夜市は天気が悪いにもかかわらず、たいへんな人出である。若い人も多いし、家族連れも多いし、日本人観光客も多い。入り口の屋台に行列ができているので並んでみると、それはから揚げの屋台で、40元でB5用紙くらいはあるのではないかという、バカでかいから揚げを渡された。これをかじりながら歩いていると、おなかいっぱいである。失敗した。1時間くらい腹ごなしにぐるぐる夜市を歩いていると、方向感覚が狂ってくる。そんなときには表通りに出て、ここでは高架上を走るMRTが「南勢角」とか「淡水」とか行き先を掲げ、プシプシと独特な音を立てて走るのを見上げて、位置関係を思い出すのであった。


11/-2 12:27
 帰る日がやってきた。天気はいまひとつだが、雨は上がったようだ。ホテルの朝食は日本食にしてみた。てんこ盛りになった非常に塩辛い小魚の煮物を食べ切れなかった。中華粥に付けてくれ、そういうの。

 台北車站では、また見知らぬ女に声をかけられた。300元で、何かの会員カードを買え、ということらしい。話を聞くと、飲食店やら映画館やらを安く利用できるカードらしい。つたない英語とあやしい筆談で知ったところによると、彼女は大学生で、会員募集のアルバイトをしているとのこと。台湾最終日で財布の紐が緩んでいることもあり、そのカードを購入したら、非常に喜ばれた。まったく経済的利点のない300元の出費である。まぁ、使うあてのない記念きっぷを買う心境である。仕事仲間の男までやってきて感謝された。彼も大学生だそうだ。

 國光のバスで空港に向かおうときっぷを買ったそばから、タクシーの運ちゃんが親しげに話しかけてきた。「もうバスのきっぷ買っちゃったよ〜ん」とバスのきっぷを見せると、運ちゃんは情けなさそうに笑ってあっちへ行ってしまった。で、バスの待ち時間に喫煙所でタバコを吸っていると、再びその運ちゃんが現れ、タクシー乗ってってアピールである。どうやら彼は、バス乗り場に張り付いていて、バス客を奪うのが日課らしい。相乗りだがバス運賃の5割増しくらいの運賃を提示された僕は、それもいいかな、と思ってOKしてしまった。バスのきっぷは持っているのにもかかわらず。財布の紐は、もはや失われたも同然である。結果として、下車時に回収されるはずだった國光のバス乗車券が手元に残ったことも、鉄路迷としては重要なのだ。

 タクシーには台湾人の先客夫婦がおり、僕が助手席に乗り込み次第、発車となった。運ちゃんは、しきりに僕のシャツをつまみ、「サムイネ」と連発してくる。確かにこの日の気温は低かったが、東京ほどではない。このときはASローマのレプリカに上着を羽織っていた。今期のローマのスポンサーがMAZDAでなかったら、声をかけられることもなかったかも知れぬ。沿道にはネオンをたたえた檳榔屋が並んでいる。そういえば、夜市の一角にもそういう店がときおりあった。まだまだ、台湾について不勉強な自分である。運ちゃんに尋ねるすべも持たない。運ちゃんは、気を利かせるつもりか、ただ自分が好きなのかどうか、日本風の中国語演歌を延々と車内で流し続けた。「ナガサキ、ナガサキ、筑前長崎」と歌っているように聞こえる。間奏に「さくらさくら」が入る。「長崎は肥前やろ」という心の中の叫びをよそにタクシーは高速道路に乗り、バスよりずいぶん早く、空港に到着した。運賃を払い、台湾人夫婦には「Have a nice trip!」などと声をかけ、お互い手を振って別れた。台湾に来て最も驚くべきことは、河合塾の全統模試で偏差値30台を記録した僕の口から、えー加減な英語が次から次へと飛び出してくることである。惜しむべきは、夫婦に渡された運ちゃんの名刺が、僕には渡されなかったことだ。

 空港では肉パイを肴に台湾ビールを飲んだ。バーのオバハンは台湾の人なのに、出国手続きを済ませた自分にとってここはもう台湾ではない。不思議な気がした。気取ったパイなんかじゃなくて、駅で売ってる水餃子をもう一回食べたい。飛行機は台湾資本のエバーグリーンであった。機内食は詳しく覚えていない。カレー味だった気がする。成田に着くと脱力した。最寄駅の新百合ヶ丘に直行するバスが、もうそこに待っている。






11/-2 12:27

 海外話続報。航空券が手元に届いておる。タダの客にも郵便で届けてくれるからありがたい話であるが、チケットはぜんぶ、英語で困ったな。これとパスポートを持って、当日成田空港に行けばいいのか?いま、成田空港の敷居を非常に高く感じる。毎日、空港への行き方を客に教えることで浸っていた、確証のないグローバルな余裕が、実は砂上の楼閣であったことを認めざるを得ない。はじめての海外旅行が、タダの航空券・ひとり旅というのは、間違いではなかったか。(なお、行き先は台湾であります。3日間ほど電車に乗り、おしまいと思います。食事はスガキヤで済ませるような気がします。)



9/26 16:20
 パスポートができたんで取りに行ってきたけど、だんだん海外に行くってのが面倒になってきた。そもそも、国内線で溜まった航空マイルが期限切れになるという旅行動機が消極的。国内旅行でもよかったかも知れん。しかし、「カネと手間をかけてパスポートを取った」という消極的動機が上乗せされてしまった。たぶん、どこかに行くだろう。



8/31 15:56
 胃を心配して、しおらしくミネラルウォーターなんぞを買って飲んでいた。これまでは「水道水でじゅうぶん!」と高をくくっていたが、やっぱり高いカネ払って飲む水はうまい。でも、ガソリンよりも高いというのはばかばかしい。そこで「ブリタ」の浄水器を買って使ってみたところ、うまいので驚いたところである。蛇口の水道水圧に頼らないでチンタラ浄水するのがいいらしい。



8/15 11:28
 宝くじがはずれ、気がつけばお盆。お盆休みで通勤電車がすいていていい。通勤電車が空いているということは、通勤が楽なだけでなく、仕事も楽なのである。

 長いこと使っていなかったAOLを解約した。いま思えば、なぜAOLを選択したのか理由がよくわからない。強いて言えばユー・ガット・メールという映画の影響か。メグ・ライアンが出てた。



7/21 23:34
 ここ一週間ほど胃の調子が悪くて、出勤してもごろごろしたりしていたが、痛みで居ても立ってもいられなくなり、しぶしぶ病院に行ったところ、血液を採取し、エコーをとり、なんと、26歳にして胃カメラデビューを果たしてしまったのであった。

 胃カメラというのは高い。3割負担で1回1万が相場か。注射を打ったり、のどを麻酔したりして横になり、恐怖におののきながら親指ほどもあろうかという太いケーブルを突っ込まれて、グヘーグヘーと胃の収縮を繰り返していたら、「げっぷは我慢してね」。げっぷというより、空嘔吐なのだ。で、3分もせずに終わった。終わってみればあっけないもので、もう1回飲めと言われても、もう抵抗はない。1万かかるんだから、もっと丁寧に診てもらえばよかったと思う。診断結果はまだだが、コーヒーの飲みすぎによる胃炎である可能性が高い。



6/13 20:26
 
 朝の9時過ぎに仕事が終わる。新宿に着く頃にはラッシュは終わっていて、混んでいる小田急も、急行を1台見送らなくても、なんとか座れる。うたた寝をして新百合に着き、坂道を登って部屋の扉の前に立って、玄関の鍵を職場に忘れたことに気づいた。ああ、こういう気持ちを絶望というのか。



6/10 21:17
 きょうで、まる1ヶ月日記を更新していないので、何か書こうかな、と思うんだけど、間が開いているだけに、面白いこととか、ためになることとかを書かねば、というプレッシャーに負けてしまう。1回すっぽかすと行きづらくなる歯医者のようなもの。僕の場合、大学の講義もそうであった。

 先回に書いたテレビ代、徴収していない。



5/-9 21:12
 「き子」だが、常にいきいき富山館にあるわけではないらしい。この間はうずまきのかまぼこと黒作りを買った。

 関係ないが、テレビを買った。駅の休憩室に置いて、視聴料を徴収するつもり。プレステ2を持ってくると息巻くスタッフもいるんで、償却前に黒字転換できる見込み。



4/18 21:33
あれほど入手困難と思われた「き子」を手に入れた。有楽町の交通会館の地下に富山県のアンテナショップがあったのだ。仕事の帰りに寄ってみたところ、昆布のうずまきのかまぼこや黒作りと並んで小瓶のき子は鎮座していたのであった。高かったけど。ますの寿司は人気があって売り切れていた。

 スタンプカードを作ってもらった。スタンプは、丸の中に明朝体で「いきいき」の縦書き。また行くね、これは。

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