シネマ道楽の目次へ   ホームヘもどる
カエル 特集マルチェロ・マストロヤンニ@
『マストロヤンニ…陽気さの陰に男の悲哀』


現在、『マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶』というドキュメンタリー映画が公開中である。 フェリーニの一連の作品、『ひまわり』『昨日、今日、明日』『特別な一日』『黒い瞳』『あゝ結婚』ヴィスコンティの『白夜』 『マカロニ』などなど数え切れないほどの名作を残したイタリアの名優マルチェロ・マストロ・ヤンニが亡くなって、はや10年の年月 が流れてしまった。

今でも決して色あせることのないこの名優の人となりを娘や友人、監督たちの貴重な証言を元に浮かび上がらせたのが本作だ。一見怠け者でいい加減に生きているような見かけとは別の彼の一面。繊細で意外に脆く、また陰で努力を重ね、人には苦労しているところなど絶対に見せなかった一面など。誰からも愛され、付き合い、別れた女性には誰からも恨まれることがなかった、彼の不思議な個性。その実像が見えてくる。彼の実人生もさることながら、私には、映画にも実は彼のそんな個性、人柄が現れているような気がしていた。ここに掲載する文章は、以前同人誌『映画と私』のほうに書いていたものを若干手直ししたものである。


『マストロヤンニ…陽気さの陰に男の悲哀』

スナポラツことマルチェロ・マストロヤンニ・・・女好きで、わがまま、二枚舌で軽口をたたき、繊細で優柔不断。彼が演じてきたキャラクターの典型ってこんなところだろうか。あるいは『8 1/2』のグイド。マルチェロはフェリーニの分身といったことがよく言われるけれど、このグイドという名前にフェリーニの思いが感じられる。フェリーニの故郷でもあるリミニの国、14世紀の頃にこの地を治めていた領主はその名もフェデリコ。そしてその後継者である息子の名前こそグイトバルド。映画監督グイドはフェリーニ自身というよりは、彼の性質を受け継いだ息子といったところか。「また、マルチェロなの?」(『女の都』)彼は終生、監督の血を分けた息子であり続けた。

いずれにしろ。マルチェロはダメ男である・・・。そのダメ男ぶりにはいつも哀しみが漂う。ナポリ男の陽気さの陰に隠された男の悲哀、そこにどこかホッとするような人間臭さもある。ウディ・アレン、ジャン・ピエール・レオー彼らダメ男たちとは違う何かがある。

人情はあるが、優柔不断、いつも誰かに振り回されながらもただ笑い続けている。哀しみを奥に秘めながら、いい加減な人間を演じ続けている。それが胸を打つ。

マルチェロは常に女を求め、翻弄されつづける。『昨日・今日・明日』では、常に妻を妊娠させつづけなければならない夫の悲哀(税金の免除を受ける目的だけのために)。そしてついに『女の都』で、彼は女たちからの復讐を受ける。されど、「マンマミーア!」イタリア男はくじけない。それが自分の本能であり、義務でもあるかのように・・・。

「女性こそ我が人生の使命」その姿勢は自分自身にだけではなく、身内に対しても徹底している。『甘い生活』では、田舎から出てきた父親をローマの売春宿に連れて行く。それが息子のできる唯一の親孝行でもあるかのように。

その30年後、『BARに灯ともる頃』で今度は逆に兵役中の息子に会うために、ローマから小さな港町を訪ねる。仕事人間で、家族を顧みることなどなかった父親ゆえ、せっかくの訪問も、気持ちの行き違いばかり。そして息子の恋人の家に案内され、彼女とふたりきりになって尋ねたことは、「息子のあっちのほうはどうだい?」と下半身の心配とはまったく妙な父親である。しかし、これも『甘い生活』以来の性(サガ)のなせることと思えば、納得させられてしまう。

『黒い瞳』のマルチェロは、大学で出会った銀行家のひとり娘と結婚し、豊かな生活におぼれ浸る日々。温泉療養所でもしっかりと色情狂の女を掴まえお楽しみだ。そんないい加減な彼が、療養所で出会ったロシア人女性に本気で恋してしまう。しかし、彼女を追ってはるばるロシアまで行き、いっしょになる約束まで交わしてはみたものの、イタリアへ帰れば妻は破産している。「離婚してロシア人の女性といっしょになるんだ」というつもりが、逆に妻から「ロシアに女性がいるのではないか」という問いかけをされ、本当のことが言えなくなってしまうマルチェロ。妻の窮地という思いがけない事態にさらなる追い討ちをかけることができなかったのだ。この優しさ、優柔不断が、逆に他の誰かを不幸にする。

一見デタラメに動いているようにしか見えないマルチェロ。しかし、彼には現実が痛いほどわかっているのだ。そんなとき、彼はその場からそうそうに立ち去ろうとする。そう、『甘い生活』のラスト・シーンのように。何かを訴えようとしている少女に出会うマルチェロ。立ち止まり聴こうとするが、波の音にかき消されて声が聞こえない。彼女はむなしい生活から彼を解き放つ天使だったのだろうか。けれども彼は、わかっていてもそちら側にはいけないんだとでも言うように、それ以上耳を傾けることなく背中を向け、去っていく。

そんな時マルチェロは 、きっとその場の雰囲気に身をまかせ、明るくお調子者風情で軽口をたたくことだろう。「ハハハハッ、とっておきの面白い話があるんだ。軍隊にいたときのことだ・・・」しかし、彼の背中がかすかに震えているのに、我々観客は気づくはずだ。

彼を現実に立ち向かわせるのには、「奇跡の力」が必要なのかもしれない。『あゝ結婚』もう病気で余命いくばくもない内縁の妻ソフィア・ローレン 。貧しく薄幸な女にせめてもの最期の幸せをと病室で結婚式を挙げた途端、彼女は奇跡の回復を遂げてしまう。(実は策略なのだが)弱い男はいつもどこかでこんな奇跡を待つほかない。

そんなマルチェロのダメ男ぶりを見ていると、「男ってなんて哀しい生き物なのだろう」とつぶやいてしまう。彼が男の悲哀をひとり体現しているかのようところに共感し、なぜだかホッとしてしまうのである。

メイルちょうだいケロッ

トップに戻る   ホームヘもどる