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カエル ハリウッド映画は本当につまらなくなったのか!?



「今年のアメリカ映画何があったっけ?」

ベスト・テンの季節になり、去年のアメリカ映画は何があったかなぁと考えていた。
『ロード・トゥ・パーディション』『モンスターズ・インク』『バーバー』『チョコレート』『イン・ザ・ベッド・ルーム』 『アザーズ』『シッピング・ニュース』『ゴスフォード・パーク』(あっ、これは半分は英国か…)なんて具合に。 『スター・ウォーズ』『ロード・オブ・ザ・リング』はそこそこ面白かったけれど、『オーシャンズ11』『マジェステック』『ジョン・ Q最後の決断』『サイン』『タイムマシン』『チェンジング・レーン』『セレンディピティ』『ニューヨークの恋人』ああ、どれも大した ことないなぁ。アメリカ映画ってこんなものだったかなぁという思いが募ってしまう。私のベスト10ではついにアメリカ映画が1本しか 入らなくなってしまった。

「20年前を振返る」

じゃ、20年前私が映画を観始めた頃のアメリカ映画ってどうだったんだろう。1982年に目を転じてみた。『E.T』『黄昏』 『レッズ』『ミッシング』『白いドレスの女』『愛と青春の旅立ち』『ブレード・ランナー』『スクープ悪意の不在』『ポルターガイ スト』『サマー・ナイト』『ランボー』『告白』『カリフォルニア・ドールス』『狼男アメリカン』『プリンス・オブ・シティ』まあ 『ロッキー3』『マッド・マックス2』なんていうのもあるけれど、今より個性はないだろうか。 当時の私のベスト10を振り返ってみると、 1位『黄昏』2位『炎のランナー』3位『1900年』4位『終電車』5位『ブレード・ランナー』6位『E.T』7位『ミッシング』 8位『父パードレ・パドローネ』9位『白いドレスの女』10位『Uボート』やっぱり半分はアメリカ映画が占めていた。

そもそも昔からハリウッドはビジネスだった。ヨーロッパ映画が、低予算でその工夫の中から創り出しているのに対して、アメリカ映画は 豊富な予算でもって、華やかな世界を創り出していた。『白いドレスの女』『愛と青春の旅立ち』『ブレード・ランナー』『狼男アメリカン』 『遊星からの物体X』『E.T』ここにはヨーロッパ映画にはないファンタジーがある。ヨーロッパ映画の深さ『炎のランナー』『1900年』 とアメリカ映画の楽しさ。この両輪があればこそ映画の世界は楽しい。

「ハリウッド映画は昔からビジネス至上主義だった…」

ここにハリウッド映画が、いかに厳しいビジネスの社会か示すエピソードがある。
独立プロデューサーとなったリチャード・ザナックとデイヴィッド・ブラウンは『ジョーズ』の大成功によって、その地位を確固たるもの としたのだが、続いて『ジョーズ2』の企画を進めることとなる。MCA会長のシド・シーンバーグ2匹目のどじょうの企画だったのだが、 それならばと彼らは、あまりにも魅力的だった『ジョーズ』の船長クイント(ロバート・ショウ)の若き日を描きたいと考えた。

大戦中に船を沈められ漂流したいわば彼の回想録。『ジョーズ』がサスペンスドラマなら、こちらは海の男のドラマとなるはずだった。 しかし、彼らのこの考えはシド・シーンバーグのひとこと「それはわれわれが着たいシャツとは違うようだ。」「私が着たいのはアミティ 印のシャツだよ」これで、ボツとなる。この後はお決まりの度重なる監督の交替劇、二転三転する脚本でもって、映画の出来は散々となっ てしまった。とはいえ、幸いなことに興行的には成功を収め、MCAには大金が転がりこんだのである。「これがハリウッド!」なのだ。

映画はビジネス…一本の映画の成功によっても決して自分の自由な映画作りを勝ち取ることには成り得ず、一本の映画の失敗はさらに悪い ことに自分の居場所をなくしてしまう世界。興行の成功がすべて…非情な世界である。しかし、彼らはその後も良質な映画を作りつづけて いる。『評決』『コクーン』『ドライビング・MISS・デイジー』

「ハリウッドはシリーズ映画が花盛り」

そんな彼らのようなプロデューサーたちの奮闘によって、さまざまな制約の中でも常に上質な映画を創り出していたハリウッド。しかし最近、特にここ数年何かが変わ ってしまったような気がする。続編、シリーズもののラッシュを見よ!『ターミネーター3』『マトリックス2』『ロード・オブ・ザ・リ ング』『ハリー・ポッター』『レッド・ドラゴン』(シリーズものでもあり、再映画化でもある)『X−MEN2』『チャーリーズ・エン ジェル2』『トゥーム・レーダー2』『ピーター・パン2』挙げているとキリがないので止めるけれど、それにしても過去に例がないほど 異常な多さである。

2003年に公開される続編、シリーズものは、27本と、ますます増える傾向にあるという。そしてそのどれもが、 メジャー会社が力を入れている作品ばかり。シリーズものの魅力っていうのも確かにあるけれど、メジャー作品がみんなこれでは、驚きや 新鮮さがなさ過ぎなのではないかと思う。

なぜこんなにも続編が多いのか。製作会社のリスクをなるたけ避けたいという傾向がこれを生んでいるものと思われる。かつての『ジョー ズ2』の2匹目のどじょうというのとは、力の入り方がまるで違う。当時の続編の多くは、あわよくば一作目のヒットにあやかりたいという 消極的なものが多かった。現代では、知名度の高い原作小説を買いつけ最初からシリーズ化すれば、安定した興行の可能性が開けるという こと、これが製作者を魅了する。もちろん金融機関からの融資も取りつけ易いという利点もある。

ただしそれまでは大ヒット映画の続編を作ろうとすると、ギャラは跳ね上がり、制作費の高騰は避けられないという問題があった。旧作 『羊たちの沈黙』の続編を作るにあたり、キャスト監督と共に何度もの紆余曲折があったのは、記憶に新しいところだ。

最近ではその問題ほ解決するために、スタッフ、キャストには2,3本分まとめて最初から契約をしておくという方法が一般的になってき た。それでギャラの高騰化も避けられるという一石二丁の法則である。そしてこれこそシリーズものの増加にさらに拍車をかけているよう に思う。

また、リメイク作品の数も目だってきている。『ソラリス』(『惑星ソラリス』)、 『シャレード』(製作中)、『ミニミニ大作戦』(製作中)、『オペラ・ハット』 (『Mr.ディーズ』)。それなりに良くは出来ているだろうけれど、 オリジナルの魅力にはとてもかなわないシロモノばかりなのも困ったものである。

例えば『オーシャンズ11』私はむしろオリジナルよりもリメイク作品のほうがむしろきちんとまとまった映画という気はしている。オリ ジナルはその場の思いつきで撮ったりとかなりいい加減なところが見え隠れしているのだ。

それにも関わらず、オリジナル作品のほうが何倍も楽しくなってしまう。なぜか。映画に遊び心や冒険心があるからではないだろうか。 確かに『オーシャンと11人の仲間』はいい加減と言えばいい加減かもしれない。しかし、撮影現場にシャーリー・マクレーンが訪ねて きたから、彼女のためにシーンを追加してみようとか、ラスベガスのディーン・マーティンのショウを映画にそのまま利用しちゃおうと か、洒落っ気の部分がある。作り手の楽しさまで伝わってくるようで微笑ましくさえある。

『オーシャンズ11』のようにそれなりに良くは出来ているけれども楽しくないハリウッド映画、どれを観ても同じように見えてしまうハ リウッド映画、冒険をしないハリウッド映画…これが今のアメリカ映画界を象徴しているように思う。

「制作費の高騰がハリウッドにもたらしたもの」

『タイタニック』の映画プロデューサー、ビル・メカニックがこんなことを雑誌のインタビューで言っているのを読んだ。 「映画産業が不調なときでも、製作のシステムは安定してほしい。しかしハリウッドでは短期的な視野で行われるため、経営陣は冒険を しなくなってきている。」

彼は、『タイタニック』のようなヒットを飛ばしながらも、意欲作『シン・レッドライン』は興行的には失敗。さらに『アンナとシャム王』 『ファイト・クラブ』の失敗によって更迭されてしまっている。これではプロデューサーとしても安全パイを狙おうという傾向が強くなる のも無理がない。

では、なぜ一回の失敗が、彼らの命取りとなってしまうのか。 彼は「今日の映画産業では、製作コストが上がり過ぎたため作品が均質化してしまっている」と言う。 実際1980年に映画一本の平均が940万ドルだったのに、2000年には5480万ドルにまで跳ね上がっている。なんと6倍近い上 昇率である。

制作費高騰の原因にはさまざまなことが考えられる。例えば原作権の取得、脚本代、スターのギャラなど。制作費が上がればそれを回収す るためにスタジオの幹部たちは、少しでもリスクを避けようと、有名なスターのネーム・バリューで勝負しようとする。すると、その結果 スターのギャラはさらに跳ね上がるという悪循環。この繰り返しによって制作費は高騰していったのだ。

「その映画に出るスターを最初につかまないと、企画がお蔵入りになってしまう。」そのため、脚本も出来あがらないうちに企画は進み、 「最終的な製作のゴー・サインが出る前に2,500万ドルを使い果たしてしまうことになる。」 例えシナリオの出来が悪くても、ここまで来るともう後戻りはできない。次々とシナリオ・ライターが雇われ手直され、平均的な作品には なるものの結果、個性は失われ、映画は平凡でつまらないものになってしまう。(逆に言えば、シナリオ・ライターが何人もいる映画には 失敗作が多いということでもある)

「ハリウッドのプロデューサー、管理される側に成り下がる」

ハリウッドには、外部からも圧力がかかっている。製作会社が金融機関から制作費の融資を受ける際必ず要求される「完成保証ボンド」 というものがある。平たく言うと「映画が納期までに完成することを目的とする一種の保険」だ。 保証会社は1「映画が予算を超え、資金難に陥った場合、完成するまでの不足分を負担してくれる」2「あるいは製作会社から撮影中の映 画を引き取り、自ら完成させる。さらに最悪な場合には金融機関に融資額を返済し、映画そのものをボツにする」権限がある。 完成保証ボンド会社は、撮影3〜10週間前から製作に関与する。撮影日程、予算の使い過ぎがないよう逐一チェックし、製作者を管理す る。時には必要な人材をロケ地に送りこむことさえあるという。

以前、ハリウッド製の映画『Brother』を作った北野武監督は、こう嘆いていた。
「映画の"え"の字も知らない銀行の奴ラが一日中監視していて、 早く撮れ、金がかかりすぎる、とうるさくてマトモに映画が撮れねぇんだよ。 参ったよ」

冒険心旺盛だったザナック、ルイス・B・メイヤー、サミュエル・ゴールドウィンの時代。それらに反発し意欲的に個性的な作品を作った 独立プロデューサーの70年代を経て、今ハリウッドはその制作費の高騰と反比例するかのように冒険心を失い、ますます保守的になって いくような気がする。制作費の高騰は金融機関、保険会社を巻き込んでのリスクを抑えようというシステムを確立するに到り、ますますハ リウッドはがんじがらめになっていっている。

「ビリー・ワイルダーのような監督はいらない!」

映画製作が映画会社以外の第三者に管理されるということは何を意味するのだろうか。 ワイルダーが今の状況で『アパートの鍵貸します』を作れますか?という質問に対し、ビル・メカニックはこう答えている。 「ノー!話しが暗いからだ。そしてワイルダーのような大物監督を起用した映画となると、制作費がかかり過ぎる。さらに有名スターが 数人出れば、6000万ドルくらいすぐにかかってしまう。そのような大金をかけるにはリスクのある映画だ。投資に見合った収益を 上げるには、一般受けする作品にしなければならない。それが今日の映画製作者が抱えるジレンマだ。評価が定まった監督や俳優を起用 すると巨額の費用がかかるため、リスクのあるプロジェクトは資金をなかなか得られないのだ」

こんな中で、個性的な映画を作ることは不可能なのではないかと絶望的になってきてしまう。一般受けするというのは、悪く言えば毒にも ならず薬にもならないということである。今のプロデューサーたちが『ブレード・ランナー』を作れるだろうか。『ワイルド・バンチ』や 『明日に向かって撃て!』を作れるだろうか。『ウエストサイド物語』のような手間隙のかかった映画を作れるだろうか。ビリー・ワイル ダーやヒッチコックのような個性ある監督たちの後継者は、今のハリウッドには本当に無用なのだろうか…

みなさんは、このようなアメリカ映画の状況はどう思われますか。それともこの現状を憂いているのは私だけなのでしょうか。

メイルちょうだいケロッ

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