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カエル 英国貴公子ブーム…光と陰のバラード

<かつて「英国貴公子ブーム」ありき>
1985年の『マイ・ビューティフル・ランドレッド』『アナザー・カントリー』から 静かに始まり、87年『眺めのいい部屋』88年『モーリス』辺りをブームの頂点として、 90年代前半には急速に凋んでしまう。
「英国貴公子ブーム」とは一体何だったのか…今の英国映画の好調さと、この時代を繋ぐものはあるのか… 『眺めのいい部屋』がリバイバルされた今だからこそ思いをめぐらせてみたい。

<タイムマシンに乗って>
貴公子・ルパート・エベレット まずは、今の10代、20代の若い映画ファンの方には、当時の熱がいったいどんなものだったのかは、 想像がつかないと思うので、当時のCINE VISION(同人誌)の投稿から、その熱狂ぶりを再現してみようと思う。
(同時代を生きた方は思いっきり懐かしんでください)
ルパート・エベレット主演『ライト・ハンドマン』の舞台挨拶付き試写会体験記です。
最近のルパート・エベレットは、マドンナと共演したコメディ『2番目に幸せなこと』 などに出演しておりますね。当時は、写真ような美しい貴公子だったのです。

(以下、『CINE VISION』より抜粋)
「会場は98%は女の子、でもそれだけに何か異様にギラギラしたものが根底に流れているような感じよ! 舞台に小森のおばちゃまが進行係として出てきて、何か色々しゃべっている。でも皆、ほとんど聞いていない。 早くルパート出してよ!って感じです。」

やっと登場…「ルパートの3Dよっっ。美しくて言葉では表現できません!最近後発のダニエル・デイ・ルイスに完全に抜かされちゃった けれど、でもやっぱりキレイなの!28歳の男がキレイというのは違和感あるのだけれど、他の言葉では似合わない。やっぱりスターと呼 ばれる人種ってのは、一般人と完璧に区別されて生まれてきているんです。ああ、神様のいぢわる!私は確信したね。うん。」

ああ距離がわずか3m…「映画が始まって数分後、何とルパートが後のドアから入ってきて、私の隣の関係者席に座ったのだ。距離わずか 3m!なんというラッキー!彼は長い足を通路に投げ出し、ほおずえをついて映画を観ていた。その物憂げな横顔…正直言って私は彼の横 顔はあんまり好きではないのだが、この際、そんなこたぁよろしい。とにかく、私は1時間以上ルパート・エベレットの傍にいたのだ! どおだ!それで試写後、ルパートの座った席をしっかり右手でなでて帰った私であった。」
(Text By ロココ市原)

まあ、すごかったでしょう(さすがの私もついて行けない)…。
この「キレイ」という感覚、20代後半の男たちを、カッコいいとか、素敵とか、 男らしいとかいうのでなくて「キレイ」というのは、ファンの素直な気持ちだと思う。 そしてそれこそがブームの本質なのだ。

<貴公子ブームとその時代>
〜日本では〜
ジェームス・ウィルビー ルパート・グレイブス 女性に最も人気のあった映画を3本挙げるとすると、『モーリス』(主演ヒュー・グラント、ルパート・グレイブス <写真右>、ジェームズ・ウィルビー) <写真左>、 『アナザー・カントリー』(ルパート・エベレット、ケアリー・エルウェス、 コリン・ファース、)『マイ・ビューティフル・ランドレッド』(主演ダニエル・デイ・ルイス)となるだろう。 彼らに『眺めのいい部屋』のジュリアン・サンズを加えて、当時の雑誌は「英国の貴公子たち」と称していた。 (スクリーン特別編集)

ジュリアン・サンズは取り敢えず置いといて、これら3本の映画に共通するテーマは、「同性愛」である。 かつて同性愛の映画がこんなにも人気を呼んだことはない。彼女たちがこの映画に素直に入っていけたのは、 先ほどのロココ市原女史によれば、「設定が『風と木の詩』に代表される少女マンガであるので、 抵抗なく入ってきた」という。
パプリック・スクールという閉ざされた特殊な世界、1910年代のトラッド・ファションの魅力、 これらの設定が少女マンガの延長線上にあるのだ。そして彼らがマンガの世界の住人と比較しても充分に 「キレイ」であったことも大きい。たった3本の映画に主演したそれぞれの俳優たちは、 たちまちのうちにスターになってしまった。

ただ、少女マンガファンに素直に受け入れられたというにしてはブームは大きく、説明できない部分がある。 そこで年代を確認すると、この英国貴公子ブームは、見事にバブル経済とその崩壊の時期とダブっていることに気付く。
当時創刊された映画雑誌を見ると、お洒落でまるで高級なファッション誌のようである。 広告は「シャネル」「クリスチャン・ディオール」の香水などが見開きになっている。こうした高級嗜好と、 英国の上流階級の物語のテイストは、見事に一致しているではないか。英国映画を観ることが、シャネルの洋服を着ることと 同様ある種の人たちには一種のステイタスになっていた。それがファン層を確実に広げている。

〜その頃、イギリスでは〜
しかし、皮肉なことに、当時の英国は逆にサッチャーの改革の嵐が吹き荒れていた。 テーマは「英国病の克服」…インフレを潰す。組合を潰す。公営企業の民営化など。失業者が一時的に増大する。
ちなみに、今公開されている『リトル・ダンサー』をはじめとする、一連の労働者ムービーの時代設定は、 まさにこの時代だ。一方、70年代の英国映画界もまさにこの英国病に冒され、不振を極めていたのだが、 この時期、世の中同様大きな変化がおとずれた。1982年のチャンネル4の設立である。

<チャンネル4の設立…英国病を克服するために>
マイ・ビューティフル・ランドレッド チャンネル4では、テレビ放映と共に劇場公開の機会を与えるという方針で、「フィルム・オン・フォー」という番組をスタートさせ、 革新的な映像を志す若手映画作家に広く門戸を開いた。
ここからピーター・グリーナウェイ『英国式庭園殺人事件』(82年)、 <写真左>『マイ・ビューティフルランドレッド』(85年)、 スティーヴン・フリアーズ等が登場する。
1985年には、「英国映画年」の名の下に「映画離れした観客を映画館に呼び戻そう」という 一大キャンペーンも繰り広げられる。そして1986年には、『モナリザ』『眺めのいい部屋』 『マイ・ビューティフル・ランドレッド』がアメリカでロング・ラン、英国映画の復興が世界に知らしめられた。
ここに英国映画のブームが始まる。

アナザー・カントリー この勢いに乗って次々にインディペンデント系のプロダクションも設立される。
ゼニース・プロ『シド・アンド・ナンシー』『マリリンとアインシュタイン』、 ハンドメイド・フィルムズ『未来世紀ブラジル』、ヴァージン『アナザー・カントリー』(左よりルパート・エベット、コリン・ファース) <写真右>『1984』、 それとブリティシュ・フィルム・インスティテュート『カラヴァジオ』など……。
海外では、特に英国のエキゾティズムが大いに人気を呼んだ。
パプリック・スクールを舞台にしたもの、貴族の世界を舞台にしたもの。気品やダンディズムである。 『モーリス』、『ハンドフル・オブ・ダスト』、『サマー・ストーリー』、『白い炎の女』、『ひと月の夏』、 『アナザー・カントリー』など。
ブームの中で同時期に現れた、ケネス・ブラナー、ゲーリー・オールドマン、ティム・ロス、リーアム・ニーソン、 ガブリエル・バーンまで英国貴公子の枠の中にくくられかけていたのは今思えば、失笑ものである。

こんなブームは長く続くはずはない。また、これらの動きは当初のチャンネル4の意図したものとは違っていた。
チャンネル4は1987年に、ブリティッシュ・フィルム・インスティテュートなどと、 新人監督育成プログラム「ニュー・ディレクターズ」を開始する。ちなみに昨年、東国際映画祭で上映された 短編映画の一部は、このプログラムにより製作されたものである。
そしてこの頃現在英国映画界で活躍する監督たちが、短編映画でデビューしてくるのだ。 『秘密と嘘』のマイク・リー、『ブラス!』のマーク・ハーマン、『ウェルカム・トゥ・サラエボ』 のマイケル・ウィンターボトムらだ。
こうして眺めてみると、一見分断されているように見える。
しかし、英国貴公子ブームと今日の映画の流れは実は繋がっていることがわかる。 ただブームの作品群だけが当時は目立っていたに過ぎない。

<英国映画の過去、現在、未来>
過去に目を向けるとそもそも英国映画には、美男俳優の系譜といったものがあるようだ。
1950年代の後半の「フリー・シネマ」の運動を経て、1960年代の英国映画界は世界の注目を集めていた。 この時登場した若手俳優たちは、ピーター・オトゥール、アルバート・フィニー、アラン・ベイツ、 トム・コートニー、エドワード・フォックス、ジェイムズ・フォックス、マイケル・ヨーク、異色のテレンス・ スタンプなどそうそうたる顔ぶれである。(今でこそみんなおじさんになっちゃったけれど…^^;)
パブリック・スクール出、オックスフォード出あり(テレンス・スタンプだけは、貧民街の出身)、 80年代の英国若手俳優たちの出現と重なってくる部分があるような気がする。

例えばアイリッシュの血を持ち、オールド・ヴィック座からロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの公演に参加後映画界に入り、 国際的な俳優になっていった…ダニエル・デイ・ルイスとピーター・オトゥール。
人のいい貴族のお坊ちゃんが十八番…ジェイムズ・ウィルビーとジェイムズ・フォックス。
国際的に活躍するうちに段々と危ない役が増えていく…テレンス・スタンプとジュリアン・サンズ。
甘いマスクでハリウッドでも引っ張りだこになる…ヒュー・グラントとマイケル・ヨーク。
演技派だけれど貫禄がついてただのおやじになっていく…アルバート・フィニーとコリン・ファースという風に。

60年代の英国映画の隆盛は、やがてハリウッドに吸収されて衰退していくのだけれど、俳優たちだけはその確固たる実力を持って、 こんにちまで活躍が続いている。
21世紀に入り、かつての英国貴公子たちは、先人たち同様活動をハリウッドに広げキャリアを築いている。

ただ、このブームが60年代と違うのは、ブームの陰にBBCやチャンネル4などのしっかりとした基盤がある。 インディペント系も健在である。また、「イギリスに基盤を置く」アメリカ資本の映画会社ワーキング・タイトル・フィルムズ(『ノッティング・ヒルの恋人』) などによって世界にも道が開かれている。
かつてデヴィッド・パトナム(『炎のランナー』)が、 英国映画を世界に広げようとして、逆にハリウッドに吸収されてしまった失敗も教訓として生きている。 (彼はコロムビア映画の社長という自分の道を選んでしまった)

そして、次から次へと若手が育っている。ハリウッドに渡った監督たち、スティーヴン・フリアーズ、ニール・ジョーダンらも、決して英 国を捨てたわけではなく、両国を行きつ戻りつ映画を製作している。英国映画は一層多様化しつつあるのだ。
英国貴公子ブームは一時的なものではあったけれども、英国映画のパワーは決して衰えることはない。
これからも注目度は二重丸である!

メイルちょうだいケロッ

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