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カエル SADAガエルの「おいしい映画」Vol.1
『フラワーズ・オブ・シャンハイ』

この映画の遊郭は、「紅燈」に照らし出されたかのような、赤い光に包まれ ていて眩い。部屋のテーブルには、清朝の青色の美しい食器が並び、湯気を たてている。それを美しいランプが照らし出している。壁には、美しい孔雀の絵、 青磁器の壷、部屋の片隅には牡丹の花。画面は中国美術であふれている。
それらを覆うようにたちこめる阿片の煙、線香の煙、お香の香りにむせびそうに なる。豪華な衣装に包まれた女たちが、その中で呼吸をする。さまざまな情念や 欲がこの中を渦巻く。

侯孝賢監督は、今まで現代、近代を舞台に映画を作ってきた監督。このような19 世紀の世界、しかも本国上海を舞台にして映画を作ったのは初めてのことである。 ただ歴史的な舞台を描いていても、侯孝賢監督の視点はあくまでもリアリステ ィックで、決して感傷に流されたりはしない。
遊郭が舞台というと、日本では 溝口健二監督の作品が頭に思い浮かぶが、彼の映画はこのような舞台においても どこか小津的であるのが面白い。ある意味では監督の生真面目さが、とても良く 出ているとさえいえる。ゆえに、阿片がくゆるこの世界を描いているにもかかわらず、 退廃的な匂いはあまりせず、どこか健康的であったりする。その辺である部分不満 を感じる方もきっとおられると思う。

侯孝賢監督の映画では、誠によく食事の場面が出てくるけれど、この映画では始め から終わりまで、食事をする場面がひたすら描かれる。 「この魚は今朝採ってきたばかりで、新鮮だよ。」「スープが冷めちゃうよ。」 彼らは、よく食べ、よく飲み、おしゃべりやゲームに興ずる。
冒頭の宴会の席で、遊郭の女と真剣に恋をしてしまった男の笑い話が語られる。 「彼女が1日でもいないと、彼は大変な騒ぎになっちゃうんだよ。そこいらじゅうを 探し回って見つからなければ、泣き喚いているよ。いつもべったりとくっついて はなれられないんだ。」 宴席は笑い声にあふれ、座は大いにもりあがるが、その中でただひとり、俯いている 男がいる。これがトニー・レオンである。映画はこの場面で、彼がいまどういう立場 にいるか説明をしてしまっている。見事な導入場面。

映画はこの遊郭の中の3つの部屋に焦点を絞って描かれる。色合いや部屋の様子は それほど大きな違いがないにもかかわらず、それぞれの部屋にはまったく異なった 空気が流れている。ピリピリとした空気。活気のある空気。暖かい空気。湿った 空気。それぞれの主の気分や性格を反映して、空気は違った色を見せている。
「正妻」になれると信じて疑わないまだ若い女。男あそびにふける女将、自分より 若い女に嫉妬して、意地悪をする女。欲張りな女、しっかりと自分を見つめた聡明な 女。本能で生きる女。なまけものの女。さまざまな女がここにはいる。貝殻に描かれた 春画をみつけ、おおはしゃぎする、普通の娘たちがここにはいる。

映画は、静かに一定のリズムで流れる。とりたてて大きな事件もおきない。トニー・ レオンが女に嫉妬し怒り狂い、自分が女に与えたものを片っ端から壁に放り投げて 壊すシーン。劇的なシーンはこの位であろうか。
この女の裏切りを目撃するシーンにおいても、演出は控えめである。テーブルに置き忘れた 別の男の帽子、ドアの下から漏れる明かりと、男の微かな影。ここから一気に怒りの シーンへと場面が移るといった具合に。 若い男の純情さと、女のしたたかさが、対照的である。

女の愚かさと賢さ、気まぐれさとしたたかさ。侯孝賢監督は古い時代の映画 にもかかわらず、ここに現代に通じる女を描き出した。原題は「海上花」海に漂う 美しい花びらたち。上海の「海」を引っ掛けた、美しくまた象徴的なタイトルだ。

メイルちょうだいケロッ

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