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カエル たかが映画じゃないか

ことの次第

昨年、『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』を観た時、 今までに観たつもりになっていたのに、そうではなかったことに 初めて気づいた云々、と掲示板に何気なく書いたところ、 「映画に恨みがあるのか、映画に愛情がない」とお叱りを受けてしまった。

私は『スター・ウォーズ』シリーズを辱めたいどころか、むしろ逆で、 生涯のベスト50にも入る映画でもあるので、結構ショックであった。 と同時に、少ない言葉でそんなことを書けば、そこまでの誤解を生んでしまう 可能性があることに気づかなかった自分に猛反省をしている。 文字しか見えぬ、「インターネット」という媒体は、まことに難しい。

私と『スター・ウォーズ』との出会いは、初公開よりだいぶ経ってからになる。 しかもその時の公開は、なぜか日本語に吹き替えられてのリバイバル公開 であった。とはいえ、当時「こんなに面白いものがあるのか」と たちまち熱狂し、初公開時に観られなかったこと、また「帝国の逆襲」を 見逃してしまっていることに、とても悔しさを感じた。
その穴を埋めるため、私は片っ端から『スター・ウォーズ』に関連した 本を読んだ。「キネマ旬報」の特集号を古本屋で探してきたり、 はては中子真治さんの「SFXの世界」「SFXの時代」といったような本まで 買ってしまうほどの熱中ぶりであった。

『スターウォーズ ジェダイの復讐』の公開時には、メイキング・ビデオもTVで 放映されたりしていたので、『帝国の逆襲』の物語を頭の中で、 上映できるほどにまでなっていた。 だから、『ジェダイの復讐』を観た時に、実際は「エピソード6から エピソード7」に飛んでしまっていたけれど、そんなに違和感を感じないで おおいに楽しんだものだった。

それから約10年。実生活でもいろいろなことがあり、自分の中で 「スター・ウォーズ」は、若いころに比べると少し小さな存在、いい思い出の ような存在になった。
そんな折り、昨年『スター・ウォーズ』シリーズがリニューアル一挙公開となり、 私はかつての思いで探しのような感覚で、観に行ったのである。 この時すでに、3本が通しで頭の中にインプットされていて、 『帝国の逆襲』も完全に観たつもりになってしまっていた。
事実、ストーリーも半ばを過ぎて、知らない場面が出てきて初めて、 見逃していたことに気づき、ショックを感じた。それを嘆いている。
これが「ことの次第」なのである。

『スター・ウォーズ』の大ファンの方たちには、不快な思いをさせてしまい、 誠に申し訳ないことをしたと思っている。

たかが映画じゃないか

映画というのは、その時、その人の置かれた状況など、さまざまな要素によって、 かかわり方が違ってくるものだと思う。昔、つまらなかった映画が、 今改めて観てみると、とてもおもしろく感じたり、なんてことは誰しも 経験あるんじゃないだろうか。またその逆も…。
「この映画は子供のころ、両親に連れていってもらって、とても楽しかった。 とてもいい思い出です」なんて話を聞くと、何かこちらまでほのぼのと してきてしまって、「その思い出をたいせつにしてね」などと言いたくなってしまう。 それ以上でもそれ以下でもない。

年上の人から「若いころに」熱中した西部劇の話を聞くのはとても楽しい。 その時、その人の顔はイキイキとしていて、こちらも思わずひき込まれてしまう。 その人に薦められて、昔のビデオを観てみる。そこでまた会話が生れる。 いろいろ西部劇の本にも手をだして、知識も増やしてみる。 むろん、そうしてみたところで、その当時、同世代で観ていた人とは感覚が 同じになるわけではなく、同じ土俵で会話をすることは不可能だ。 その辺はお互いにわかった上で会話を楽しむ。
「『シルバラード』がとてもおもしろかった」と話をすると、 「そう、あれがおもしろかったんだったら、昔のこういう映画を観てごらん。 きっともっと楽しめると思うよ」。その一方で、 「『シルバラード』がおもしろかった」と言ったら、 「あの程度のものでおもしろがってんの?それであんたは、本当に西部劇ファン? 西部劇のなにをわかって、そんなことを言っているんだい?」 などという人もいた。

後者のような人と話をするにつけ、私は思う。
「たかが映画じゃないか」
この言葉は、元々はヒッチコックの言った言葉である。(『ヒッチコック映画術』トリュフォー)

『山羊座のもとに』を撮影中に、演出に「なぜ、なぜ」と繰り返す イングリッド・バーグマンに業を煮やしたヒッチコックが言ったひと言。
生涯を映画に捧げたヒッチコック、その人が言う「たかが映画じゃないか」。 このひと言は重い。彼は続けて言う。 「私はささやかながら、できるだけいい映画を作ろうと思ったわけで、1500万ドル の利益を上げるだろうとか、そんな大それた考えで、映画を作ったことはない」と。

ただ観る立ち場なだけの私にとってはなおさら、「たかが映画じゃないか」と思う。 私は映画を観て楽しみ、同時に作った彼らにただ拍手を送るのみ。 それ以上、それ以下でもない。
映画は私にとって「人生そのもの」ではなく、「日々の生活のうるおい」。
たまたま『十二夜』については、いろいろ知っていることも多かったので、 長々と思ったことを書き綴ってしまったが、あくまでそれがすべてとは思わない。 「私には、セリフが時代がかっておもしろくなかった」。そういう人からメールが 来てもちっとも不思議はない。ここで私が書いていることは、あくまで「自分にとっては」 ということだから。

このホームページは、映画の細かい知識をどうこうほじくるよりは、 「それぞれの人たちの映画への思いや、思い出などの交流の場になればいいな」

そんなことを思いながら、今日もパソコンに向かっている。

メイルちょうだいケロッ

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