9. パソコン (1998/12/2)


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私はパソコンが嫌いであった。最近はそうでもない。ここでいう「パソコン」とは、家庭に入り込むパソコンのことを指す。仕事で使う場合は、目的があるからいい。だが、家庭でパソコンなんかあって何するんだ、みたいに思っていた時期がある。いまは、インターネット端末として使うなどの用途があるので良いが、昔は用途が限られていて、しかもその用途のためになぜ数十万もの金を払う必要があるのか、と思っていた。

昔の用途といえば、年賀状を作るのが一般的なのだろうか。たしかに、住所録を作り、いろいろなデザインで楽に速くきれいな年賀状が作れた。そのためにカラープリンタなどの当時は高価なオプションを買う必要があったが。

いまはいい。パソコンの値段も下がっているし、カラープリンタは 3万以内で買える。あとは年賀状作成ソフトを使う技能が必要なのだが、それさえも最近のソフトは簡単で分かりやすいそうではないか。私は実際に使ったことはないので、パソコン雑誌のレビューを参考にするしかないのであるが。

パソコン雑誌ほど普通の人にとって迷惑なものはない。そんな時期もあった。いまだって嘘はてんこもりであるが、それでも一応一般ユーザーの視点に立った記事作りも行われているようだ。もっとも、私自身はヘビーユーザーなので、私が記事を見て「これは一般の人にもわかりやすい」などと判断することは出来ない。現に、私は母親のために Windows の解説本を買って与えたのだが、これでも彼女にとっては難しかったようだ。うちの母親はこれでも頭は良い方で、Excel やら FileMaker やらワープロソフトの使い方ぐらいは分かるのだが、それでも時々つまらない質問をしてきたときがあった。

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まずうちの母親について話したいと思う。

彼女は中国語のワープロを使いたいがためにパソコンを買った。自分でパートをして貯めた 20万で、私といっしょに秋葉原まで出かけていき、私は設置の便利さを考えて一体型を薦めた。のちのちこの選択は私自身にとってマイナスとなるのだが、それはそれで良かったと思う。なぜマイナスになったかといえば、ディスプレイがパソコン本体と不可分になっているので、パソコン本体だけを新しくすることが出来ないからである。

それはともかくとして、20万出してパソコン本体とプリンタを手に入れた。当時 Canon は高性能で低価格のバブルジェットプリンタを出していて、それは非常に助かった。だが、中国語のワープロソフトは当時あまりなく、5万もした。それはまあいいとしよう。需要が少なければ単価は高くなるのも無理はない。

だが、パソコンを中国語ワープロとしてだけ使用するのは無駄である。そこで、何か別の使い方も出来なければならない。何が出来るだろうか。NIFTY SERVE に入会するという手もあるが、母親はそこで何かしらのやりがいを見出すほどにパソコンに入れ込んでいるわけではない。年賀状の作成もモノクロプリンタではむなしい。この高い箱に何を期待すればよいのだろうか。しかも、彼女は中国語ワープロを使いたいという目的があるから良い。

ちなみに、彼女は最近、通っている中国語教室で知り合った書店主に頼まれて、ある文章を訳したのだが、それがめでたく岩波書店から出る本の序文として出版されることになったらしい。まだその書店主に謝礼がいくら出るのか分からないが、謝礼が出たらおこぼれがもらえるらしい。仕事としてやったわけではない。彼女が中国語ワープロを使おうと思った理由は、カルチャースクールのうたい文句として「中国語ワープロが出来れば翻訳の仕事ができる」ということがあったからだ。しかし、その教室では、そのつてからはついに仕事が来なかった。これははっきりいって詐欺まがいである。パソコンという言葉にだまされて、仕事も少ないくせにこういう教室を作り、いい金もうけの材料にする。当時のパソコン販売も似たようなものである。何がいろいろなことが出来るんだよ、などと宣伝しておいて、実は何も出来ない、あるいは高価なオプションを買っても単一のことしか出来ない。どうも結論を急いでしまったようだが、私の言いたいことはこういうことである。

まあ、その中国語ワープロの教室は、大学の先生なんかも通っていたらしいので、それはそれでいいのかもしれないが。だが、おそらく紹介する仕事は、ごく親しい人間にしか廻っていなかったのであろう。自分の仕事で中国語ワープロを使う人間にとっては有益だが、そうではなく仕事を欲しがっていた人間にとっては、詐欺以外のなんでもない。

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うちの母親の例は、まだ目的があったし、それはそれでまだ良いのかもしれない。

私はパソコンを早くから使っていて、というかパソコンを使うというよりも、パソコンで遊んでいたのである。おそらくマニアと呼ばれる人間は、パソコンを何かに使うというよりも、パソコンそれ自体で遊んでいたのだろう。パソコンに BASIC しか載っていなかった時期のユーザーはおそらくそうである。

私は、友人にも「パソコンを買おう」と言った覚えがある。当時のパソコンは、知的な遊びだったと私は思っている。友人同士で、自分の作ったプログラムを見せ合ったり、パソコンに関するいろいろなことを語り合ったりすることは、当時の私にとって非常に魅力的だった。もっとも、こんな人種は全体としてみればかなり少ない。中学の頃に同じ趣味を持っていた人間は二人しかいなかった。他の人間はおよそパソコンとは縁の遠い生活を送っていたに違いない。高校に入ってから、さらにクラスで二人発見した。うち一人は、プログラミングは出来ないみたいだったが、パソコン自体で遊んでいるようだった。他の一人は、プログラミングをやっている人みたいだったが、いまいち話もしないうちにドロップアウトしていつのまにか学校からいなくなっていた。私は当時一度だけ、そのうちの一人から見せてもらったパソコン雑誌を教室で読んだことがあったが、偶然それを見たクラスの女性が「それうちの父親も読んでいたような…」みたいな風に言ってきたことがあった。そのときは、彼女に何を言っても多分分からないだろうから、うまく「話」に持っていけなかった。特にどちらかというと体育会系のさっぱりした人に対して、パソコンに関して何を言っても無駄である。もし私が違う趣味を持っていてその雑誌を広げていたら、あるいは彼女と親しくなることが可能だったかもしれないが、もとよりこんな文章を書くような内向的な私には無理だったという話もある。

話がそれたが、ある友人に「パソコンを買おう」といって、ほんとに買った奴がいる。彼は結局ゲームしかしなかった。まあいい。私は当時、パソコンでいろいろ出来るなどと吹聴したのがいけなかったのかと一時思ったが、彼は彼でゲームをやるためのパソコンを親に買ってもらうための口実として私の弁をそのまま利用しただけだろう。ともかく、当時の私は、パソコンで色々出来る、という罪ないい方で買わせた覚えがある。だからこそ、当時の自分を反省し、かつ私のように無責任な物言いで自社製品を売り込もうとするメーカー各社の態度に余計に腹がたつのだ。

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それはいいとして、気休めに、パソコン自体で遊ぶというのではなく目的第一で買った友人の話をしよう。だがその友人もやっぱりメーカーの被害者のような気がしないでもないのだが。

事実から言うと、彼はマックを買った。音楽をやりたいために。当時のマックは高かった。Mactintosh IIsi という機種である。彼は、その他に Roland JV-30 という、もっと分かりやすくいうと SC-55 + keyboard みたいな感じの MIDI keyboard を買った。パソコン本体と、それから使いたいと思っていた音楽ソフト EzVision に、合計 100万あまりをつぎ込んだ。考えてみれば、高校生の分際でなぜそこまで金がつぎ込めたのかよくわからないが、親が自営業だったから可能だったのかもしれない。

私は彼の価値観が理解できない。実のところ、パソコン以外の価値観も良く分からないし、性格も良く分かっていない。それはともかくとして、彼は自分の好きなように、適当に気分の赴くままにキーボードを使って、リアルタイムでの作曲を楽しんだ。そのテープを聞かせてもらったことがある。なんとものったりした曲だったが、彼が満足していることは分かった。彼はピアノを習っていないので、ピアノを満足に弾けるわけではないのだが、それでも自分の弾いた曲を、画面で編集したり出来るので、音楽を楽しむにはそれで良かったのだろう。ちなみに彼はバイオリンを習っていた。のちのち他の友人と結託して彼にエレキバイオリンを薦めて買わせてしまったのだが、その方があまり役に立っていないかもしれない。ギターアンプとエフェクタにつないで面白い音になることをやってみせたのだが、彼の感触はキーボードのときよりいまいちだったようだ。ちなみに、私は半年ほど前に同僚Mにキーボードを買わせてしまった。といっても購入はほぼ彼の意志で、私は買い物に付き合っただけだし、私が付き合ったときは結局買わなかった。だが、この彼は買って帰りの電車の中で早くも後悔しだしたらしい。こういう馬鹿は放っておくことにしよう。よくわからないが、あれからギターの方をよく弾くようになったらしい。

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翻って現在の話をすることにしよう。

私は VAIO を買った。VAIO は用途を想定したパソコンらしい。確かに添付ソフトはマルチメディアを想定している。だが、はっきりいうと、私がこのパソコンで最初に VAIO らしい使い方をしたのは、アイコラ作りぐらいである。インターネットで取ってきたポルノ画像とアイドル画像を、添付してある PhotoDeluxe というフォトレタッチソフトで合成するのだ。これは案外面白かった。

その他に、やはり画像関係になるのだが、ハイエンドの VAIO にはノンリニアビデオ編集が出来たりするのはすばらしいとは思う。スタパ斎藤氏の記事を見てみると、少し前の業務用の機械ほどに使えるものらしい。なにしろ、ビデオテープを好き勝手に 1コマ1コマ編集できるのだ。原画さえ自分で作れば、アニメだって作れるだろうし、デジタルビデオカメラとの接続も容易だから、自主制作映画だって作れるに違いない。

だが、それでなんなのだろうか。家庭でそんなことをするだろうか?

私の注文は、趣味で使うならば、せめて Windows 標準ではないそこそこ高機能なペイントソフトとか、簡単な作曲ソフトとか、そういうものを用意して欲しかった。試しにそういうものを使っているうちに、高機能なソフトと器材を買って新しい趣味が出来るかもしれないのに。文章や詩を書くソフトも必要だったと思う。まあそれは、Netscape Communicator やら FrontPage Express で WEB のページを作ればいいのだろうが。それだったら、もっと初心者に簡単にホームページが作れるようなソフトを用意しても良かったと思う。

音楽ソフトなら、たとえばうちの弟が、ライブで録ったテープを CD にしてほしい、と言っていたが、それなら CD-R さえあれば可能に違いない。というか、この話は私の方から彼に「こういうことも出来る」と言って、その後「テープの音質が劣化してきているから CD に焼いて」などと言ってきたというほうが正確だ。にしても、テープや MD を wave ファイルに落として Windows で聞けるようにする簡単なソフトもない。MP3 で圧縮してホームページに置くことも初心者には不可能である。CD-R は高いし、このような周辺機器があるという事実さえ、購入者に対する情報もない。いや、あるかもしれないし、無ければパソコン雑誌を読めばいいのかもしれないが。

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やはり、現在はインターネットの端末としての用途が一般的である。私は四年前ぐらいに WEB に初めて触ったときには、いま現在のように新聞やテレビで URL がポンポン出てくるようになるとは思い付かなかった。インターネットで情報収集や BBS(パソコン通信みたいなもの) で遊んだりするのは、パソコンの使用用途として素晴らしい。メールの交換も一般的になりつつあるような気もしないでもない。ドコモのポケットボードの宣伝どおりになるとはどうしても思えない私であるが、それでも未来は誰も想像できない。全員 CASIO の FIVA のような端末を持つような時代がくるかもしれない。公共料金の明細とかがそういうものに届くようになるかもしれない。いまは、やっとうちの会社では給料明細がイントラネットでメールで来るか来ないか、みたいな話があるぐらいである。

しかし、実際にパソコンというものは必要なものなのだろうか。早くから海の向こうでは、情報格差どうのこうのという話があるが、私にはいまいちピンと来ない。別に情報が来なくてもいいじゃないかという気さえする。パソコンの世界では、ストリーミングメディアが衰退しているという話も聞くが、つまりストリーミングメディアはテレビで十分だ、という消費者の意志を反映しているような気がする。

人間というものはそんなにマメには出来ていないのではないか。などと言い出すとまた別の話になりそうなので、今回はこのあたりで終えることにする。


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