8. ニューロンと意思と神 (1998/11/29)


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今回は、以前とは打って変わって、理科系的な話をしたいと思う。とはいっても、数式を並べたりするわけではないので、理数系の科目が嫌いな人には全然理解できない、といった内容ではない。ただし、数学というものは、数式で数字がだらだら出てくるよりも、文字というか記号が出てくる方が高度で分かりにくいものである。数学は高度になればなるほど哲学的になるものである。

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たとえば、あなたが腹筋を鍛えたとする。すると、当然腹筋が強くなる。私は保健体育の専門的なことには詳しくないのでよく分からないが、腹筋が強くなると、普段使う筋肉の割合として、腹筋をよく使う代わりに、他の筋肉を若干使わなくなるのではないかと思う。たとえば、間違った腹筋運動をすると腹筋ではなく足を使ってしまい、逆に正しい腹筋運動をすると足の筋肉はあまり使わずに腹筋だけを使うことになる。なんの話をしているのかよく分からないと思うが、これからの話を聞いていくと分かってくると思う。

すべての筋肉をまんべんなく鍛えるのは難しいと思う。特に、人工的なトレーニングでは、いかにプログラムを組んで局所局所を全て鍛えようとしても、必ず鍛えられない部分が出てくるはずである。また、水泳は全身の筋肉をまんべんなく鍛えられると言われる。

ニューロンとは日本語では「神経細胞」などと訳されるようである。ちなみに、広辞苑を調べたら、ニューロンではなくノイロンと出ていたが、あまり一般的ではないようなのでここではニューロンということにする。ニューロン同士は、シナプスで結ばれている。シナプスには電気信号が流れる。神経伝達物質も流れるが、ここでは無視する。いや、無視できないぐらい重要なのだが、電気信号と似ているのでこの際無視する。ドラッグが作用するのは、主にこの神経伝達物質の流れをコントロールするためのようである。

シナプスの電気信号は一方向に流れる。いや、私は生物には詳しくないのでよく分からないが、コンピュータサイエンスでの「ニューラルネット(神経回路網)」ではそういうことになっている。そう、この話はコンピュータサイエンスを土台に話しているのである。で、シナプスの特徴としては、電気が流れれば流れるほど、電気が流れやすくなる。電気が流れなければ流れないほど、電気が流れにくくなる。筋肉と同じである。筋肉は、使えば使うほど強くなり、より使うようになる。使わなければ鈍る。

一つ一つのニューロンには、いくつかのシナプスから電気が流れてくる。ニューロンは、それらの電気を合わせて、その電気をシナプスによって他のニューロンに送る。人間の脳にあるニューロンの数はよく分からないが、とにかく沢山あり、それらが非常にでたらめにつながっている。でたらめ、というのは、我々人間が観察した上でそう思うだけで、実際には非常に規則的につながっている。少なくとも私は、すべての人間の個性は、このニューロンのつながりかたによってすべて決まると思っている。

ニューロンには、外界からの信号も、電気信号としてシナプスを介して送られてくる。目で見たものや、嗅いだ匂い、聞いた音、感触、熱さ、寒さ、痛さ。それらが、入り口となるニューロンに送られたあとに、脳の様々な部分のニューロンに電気信号として送られていく。ちなみに、このあたりやこれ以降の話は、だんだん私の憶測が入ってくるので、あまり得意になって友達に話すとあとで恥ずかしい思いをするかもしれないので、その点を注意して聞いて欲しい。

人間には魂がないので、沢山のニューロンが構成するカオスによって人間の意思が生まれる。歳をとるとニューロンの数が減り、シナプスのネットワークが単純になっていく。これは、若い頃には無駄な回路があったのだが、歳をとるに従って自分の信念とか癖が決まってきてしまうので、特定のシナプスを流れる電気はどんどん電気が流れやすくなり、逆に使わない回路はどんどんシナプスが無くなっていくのである。つまり、歳をとればとるほど新しいことをやりたがらなくなり、自分のいままでやってきたことを繰り替えすことを好むようになるのも、結局ニューロンとシナプスのネットワークが「効率化」されて単純になってしまうからである。筋肉も同じで、同じ運動ばかりやっていると、その運動を行うのに最も効率の良い動きを自然に取るようになり、逆に無駄のある動きをすることが出来なくなってしまう。鍛えた後には、鍛える前のように筋肉を動かすことはまず不可能である。

だから、たとえ人間が永遠の生命を得たとしても、歳をとるに従って行動や考え方が同じになってくるだけで、ついには同じことしか考えなくなり、同じ言葉しか言わなくなるようになる。これは、人間が人間でなくなり機械のようになってしまうことを意味する。それと、人間の肉体も同様である。あまりここでは詳しくは言わないが、人間の肉体も脳と似た性質を持っていて、肉体を若いまま維持するには、常に様々な刺激を与えつづけたり、常に刺激を受けつづけるような部分を刺激から遮断しなければならなかったりするだろう。

意識というものは、必ず有限の寿命がある。

では、神の存在はどうなるのだろうか。日本人のほとんどは神を信じていないが、欧米ではよく信じられている。科学者でさえ信じている。神に意識があるとすれば、神は永遠に存在しつづけることは不可能である。常に生まれ変わっていれば可能であるが。生まれ変わったら、また意識を構成しなおさなければならない。また、意識というものは、構成されてみなければ、どういったものになるのか分からない。だから、神を再生産するには、神自身が子に教育を行わなければならないことになる。

神うんぬんについて話しすぎても普通の人には何も面白くないので、ここで話を切ることにする。

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もっと面白いのは、人間の心理、特に深層心理も、結局はニューラルネットワークによって成り立っている、という事実である。心理学は非常にあいまいで、これまで、いままで、あまり科学として認められていなかった。だから私は、心理学をコンピュータサイエンス上で再構成することが必要なのではないかと思う。そして、私はこれまでに深層心理に関する色々な理論を勉強するにつれ、深層心理の様々な理論が十分に数学的に再構成可能であると判断した。

それを説明するには、まずカオスというものについての知識を前提としなければならない。だが、ここから説明するには内容も重いので、また別の項で説明したいと思う。とりあえずここでは、人間の意思というものが有限の寿命を持ち、混沌から秩序から欠落へ、つまり複雑で機能性に乏しい赤ちゃんの頭脳から、そこそこ複雑で機能的で新しいものをどんどん効率よく吸収できる若者の頭脳、そして単純で確実な機能を持って固まった中高年の頭脳へ、そして最終的に単純になりすぎて同じ事ばかり繰り返す老人の頭脳へと進んでいくものだということを頭に置いておいて欲しい。それから、カオスは人間の意思だけでなく、人間の集団、国家、経済、歴史、宇宙、生物、生態系、全てに存在し、その原理として働いていることも付け加えておく。

とりあえず今回は「カオス概論」ということで終える。


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gomi@din.or.jp