10. カオス (1998/12/4)


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カオスとはなんなのか分からない人も多いと思う。そこでまず最初に、カオスというものがなんなのかを簡単に説明したいと思う。だがその前に、カオスではないものについて説明しよう。

まず、ビリヤードの玉二つがぶつかった時の様子である。一つの玉が静止した状態で置かれているとする。そこへ、キュー(棒)で突いたもう一つの玉が来て、静止した玉にぶつかる。もし、どちらの玉にも回転が掛かっていなくて、なおかつ正面衝突をしたとすると、静止してあった玉は、ぶつかってきた玉と同じ方向に動き出す。さらに、二つの玉の質量(重さ)が等しければ、ぶつかってきた玉は静止し、ぶつかられた玉はぶつかってきた玉と同じ速さで移動する。もちろん、実際には床の摩擦の影響もあるし、ぶつかった時に運動量が一部熱などに変わり、速度は落ちる。これらの動きは、十分に計算式で予想できる。これはカオスではない。

これは、玉が二つではない場合にも言える。正面衝突ではない場合にも言える。正面衝突ではない場合、運動の式が大体の挙動を予測できるのである。だからこそ、ビリヤードを扱うゲームは、本物のビリヤードのようにリアルな玉の動きを演出できるのである。

ところが、たとえば実際に本物のビリヤードのゲーム中に、玉の位置をビリヤードシミュレータに正確に入力し、玉の挙動を計算させるとする。たとえば、どのように手玉を打てばどれだけ玉が穴に入るかを、シミュレートして計算し、もっとも効率のいい手を計算させるとする。そして、それを実際に本物のビリヤードでも同じように手玉を打ってみるとする。するとどうだろうか。シミュレートがよほど正確でない限り、一度に玉を三つ四つ入れるような打ち方は、現実には全く不可能であることが分かる。これは、シミュレーションが不正確だということもあるが、現実にはシミュレーションを進めるに従って、現実との誤差が生じるためである。どんなに正確なシミュレーションでも、現実と同じようにはいかない。

だから容易に予想できるように、たとえば玉の数が 10個や 15個とかではなく、100個とか 1000個のビリヤードをシミュレートしたとしたら、まったく予想が出来なくなるのである。シミュレーション上でたとえば最初に 0.001mm の誤差が出たとする。すると、玉同士が衝突したりクッションに当たるたびに、その誤差はどんどん広がっていき、やがて現実とは全く異なってしまうのである。

これと同じようなことは、気象予報に言える。実は、気象予報というものは、計算によって正確な予報が可能である。ただし、正確に計算しようと思えば膨大な量の計算をしなければならなくなる。なぜなら、ある場所のある瞬間の気象予報をするには、その場所の周囲の場所の気象データが必要になるからである。さらに、その周囲の場所の気象も刻刻と変化するので、その場所の気象データも求め続けなければならないので、結果的にその周囲の場所の周囲の場所の気象データも必要になってくる。結果的に、気象予報には並列コンピュータを用いて、細かい場所や細かい時間ごとに膨大な計算をしなければならないのである。

もっと簡単な例を出そう。あなたが机の上から消しゴムを落としたとする。その消しゴムがどのような運動をするかは、物理学者には予想不能である。それから、その消しゴムを同じような軌跡を描かせて落下させることは二度と不可能である。なぜなら、まず最初に落ち始めたときに、初速度はどのくらいか、回転はどのぐらいかかっていたか、まずそれすら分からない。たとえ手で同じように転がしたつもりでも、必ず誤差が出てくる。すると、いくら小さな誤差でも、最初に床に衝突するときに、どの部分が下になって落下するかが変わってくる。すると、そのあとどの方向にどのような回転でどれくらいの速度で跳ね返ってくるかが分からない。また、床の跳ね返りは一回ではない。

これがカオスというものである。最初の微妙な差が、最後に大きな差となってしまうのである。

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もっと人文社会科学的な説明もしてみよう。たとえば、一卵性の双子がいたとする。その双子が仮に生き物として人間として同質のものだとしても、そして親がいかに同じように育てようとしても、必ず何らかの原因で人間の性格というものは大きな違いを見せるものである。また、歴史的な話をしよう。有名な文句「クレオパトラの鼻があと少し低かったら歴史は変わっていただろう」みたいな感じのことが言われているが、この事実は、たった一人の人間がほんの少しでも違えば、全世界の多くの人々と歴史が変化していたことを示している。もし本当にクレオパトラの鼻が少し低かったら、たとえばアメリカは存在していなかったかもしれないわけである。

だから、人間社会も当然カオスである。一人のキーパーソンの存在により世界が変わる可能性があるのである。それから、別にキーパーソンである必要もない。仮にあなたがこの世界に存在しなかったら、10年後ぐらいはなんともないかもしれないが、100年、1000年先の未来は変わってしまうかもしれない。道行くあなたはさまざまなものに何かしらの影響を与えているわけである。たとえば、あなたが近所の子供を突然殴ったとする。すると、その子供は心に傷が出来て、自分の周囲の人間に対してすさんだ気持ちになって影響を与える。すると、そのことで周囲の人間は何らかの反応をし、その反応が、すぐに、あるいはだいぶ時間がたったあとに、また違う人に何かしらの影響を与えるかもしれない。そうしているうちに、1000年後の社会が少し変わるかもしれない。特に、人間の世界は、重要なポストにある人間の恣意によって大きな変化が加わるものである。

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話していて面倒になったので、このあたりで切り上げる。次回のテーマは「創発(emergent)」である。カオスから生き物が、そして人間の意志が生まれることについて話す予定である。


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