71. 市場が最高の発明なら雇用は最低の発明 (2000/8/8)


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これまでの人類の発明の中でもっとも偉大なものはなんだろうか?

経済学者はこう答えるだろう。それは「市場」である、と。

私は経済学者に習う必要はないのだが、興味深いのでここでは市場が最も偉大な発明だとしておこう。では、人類の生み出した最低の発明はなんだろうか? もし最高の発明が市場であるとするならば、最低の発明は「雇用」なのではないだろうか。

なぜ私が、たとえば核などを差し置いてまで「雇用」であると主張するのかというと、雇用という形で人々が養われていることが世界に大きな影響を及ぼしているからだと考えるからである。そして私のこのような考え方は、最近で言えば広瀬隆の言葉から影響を受けている。彼が言うには、CIA などの諜報機関や、軍事産業に関わる死の商人までもが、雇用という名の神の手によって動かされているそうである。

■CIA は自らの存在意義を守る

冷戦体制が崩壊したことで、CIA は主な目的を失った。彼らは、東側諸国の動向について調べることが主要任務の一つだったのである。ところが東側諸国がソビエトの崩壊で無くなってしまった。このままだと会社と同じように CIA の予算が削られ、つまり人員が削減されて雇用が失われてしまう。

そこで、彼らは予算を守るために、彼ら自身が存在意義を探さなければならない。我々はこれこれこういう目的のためにこれだけの予算と人員が必要です、と訴えなければならないのである。そのためには、国民に無用の危機を訴えることも必要だろう。

■軍需産業はもちろん戦争が嬉しい

冷戦体制が崩壊して一番打撃を受けたのは、言うまでもなく軍需産業である。アメリカの軍需産業は確か売上が半分くらいに落ちたらしい。兵器は人を殺すための道具であるが、兵器を作ることで日々の糧を得ている人がいる。彼らはサラリーマンとして兵器製造会社に勤めているのであるから、安定した生活を得られなければならない。つまり、彼らは雇用を守るために兵器を売らなければならないのである。

…ここまで書いてきて思ったのだが、実は雇用よりも市場の方が最低なのではないだろうか。企業にとっては、雇用を守ることよりも、市場から高い評価を受けつづけることこそが重要だからである。株主は当然企業の業績を上げるよう経営者を監視する。経営者は自らの報酬のために武器を沢山売ろうとする。経営者は雇われてはいるが、いわゆる労働者ではないので雇用が長期間守られるわけではない。つまり、雇用よりも市場の方が人類にとって最低の発明なのかもしれない。

■怠惰な役人も雇用のせい

役人は最低限のことしかしないものとされている。それも雇用のせいである。彼らは、努力したところで報酬があまり変わらないので、どうしても仕事に意欲が沸かないのではないのだろうか。失敗さえしなければいつまでも国が雇用していてくれるのである。だから、いわゆる減点主義という、そつのないだけで無能な官僚が高い地位に就いてしまうのである。

そして政府や役所の力が強い今の世の中では、役人がどれだけ働くかによって、世の中の幸福度が大きく変わってくる。特に日本の ODA は世界一であり、発展途上国への援助には日本の役人の度量に大きく影響を受けているはずである。そして現在それは大きな批判の的ともなっている。少なくとも役人が民間企業のように業績によって報酬が上下したり人材の流動性があれば今より良かったと思う。ただ、雇われている人間よりもむしろ、高い目的意識を持った人間に任せた方が良いだろう。たとえその目的が純粋な金儲けであろうとも。

■雇用された人間は匿名で仕事をする

たとえば私は、消費者向けの製品に関わったことがあるのだが、当然私の名前は出てこない。それどころか、私の会社は下請けだったので、私の会社の名前ですら出てこない。まあそれはいいとして、個人個人の努力は会社のネームバリューを上げるだけである。会社側は、自分の関わった製品が人々の手に渡る喜び、というものを訴えるのだが、結局のところ個人の名前は覆い隠されてしまう。だから、製品を作った労働者は、素晴らしい製品を作ったときに賞賛を浴びることがなければ、どうしようもない製品を作ったときに罵倒を受けることもない。

だから、会社員は自分の会社を誇りとするしかないのである。会社人間というと馬鹿にされているようであるが、社会から評価を受けるのは個人ではなく会社なのだから仕方がない。社会から一定の評価を受けている会社に自分は所属している。そのような誇りしか抱くことが出来ないのは当たり前である。

そうなると会社人間たちは、我が事のように会社に奉仕するようになり、過労死するまで働いたり、会社の失敗を隠匿しようとしたりする。会社の汚名は自分の汚名でもあるのだから当然である。雪印のような、失敗が多くの人々に被害を与えることになろうとも、彼らは公共心ではなく私心の延長たる会社のために失敗を隠そうとする。彼らはあくどいのではなく、自我の延長たる会社を自分自身のように守っているのである。

会社が潰れれば当然雇用も失われる。それもこれも雇用の影響である。

*

雇用の悪弊は枚挙に暇がない。旧日本軍の暴走も雇用のせいだと言えなくもない。自民党が政権を維持できているのも建設業の労働者と保証金を受け取る半労働者の農民のお陰である。ヨーロッパでネオナチが台頭するのも、自分たち以外の民族の人々が自分たちの雇用を脅かすからである。いわゆる人々が保身に走るのも雇用のためである。

ではどうすればよいか。

  1. 雇用に付随する利権をなくす。
  2. どれだけ働いたかによって報酬を上下させる。
  3. 十分な雇用を用意する

などなど。ところが上の二つからして既に並立できないのである。労働者がどれだけ働いたかを判断する役目が既に利権であり、その役目の人間がどれだけ働いたかを決めることも出来ないからである。いまのところ、とにかく雇用の流動性を増やすことしかないのではないだろうか。ところが雇用には流動性をなくす性質があって…。

雇用がなくなるとどうなるか。機会の平等は失われ、人々はコネと身内に頼り、生活の安定は失われる。…ん? これは雇用のある今の世の中もそうではないだろうか。


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gomi@din.or.jp