70. 私に金銭感覚を教えた諸事件 (2000/7/30)


戻る前回次回

私はこれまでに、大きな経済のことばかり話してきた。しかし、我々庶民には縁の遠い話である。せいぜい選挙のときに政治家を選ぶ際に参考にするとほんの少しは日本の未来が明るくなる…と良いのだが…。

そこで、今回はもっと身近なテーマで話すことにする。

■パソコンのハードディスク

私は最近、パソコンのパーツを買うことがこの上もなく楽しく思えている。既に現在の自分のパソコンでも十分に性能が高いのだが、新しい製品が出たり、古い製品の値段が落ちてきたりすると、必要もないのにパーツが欲しくなって衝動買いしてしまうことがある。最近はハードディスクを買った。これまでの 20GB のハードディスクを 30GB のものにしたのである。20GB でも十分だったのだが、30GB くらいあれば余裕を持って使える。過去、特にノートパソコンだけを使い倒していた時には、2GB では足りなくて、5.4GB にし、それでも足りないので 10GB にしたのだが、それだけありながらもまだ手狭に思えていた。そこで今年の初めにパソコンをもう一台組み立てたときには、最初からハードディスクを 20GB にした。ノートパソコンの 10GB のハードディスクは当時で 35,800円したのだが、デスクトップの 20GB は大体その半額くらいで買えた。

そこで私が出した結論は、現在の私は単品なら大体 2万円くらいまでの出費なら普通にできるということである。ノートパソコンのハードディスクに 35,800円も使った時には、扱いも恐る恐るであったが、二万円以下の部品ならば普通に扱える。一万円くらいまでなら壊れてもあきらめがつく。ただし、割高とか割安というのもあるので一概には言えない。

■損得をなだめる残業代という物差し

ちなみに、私が最近買った 30GB のハードディスクは、今日店を回ってみたところ、同じ性能で 40GB の容量のものが 30GB の製品より二千円しか違わない値段で売られているのを発見した。これはかなり悔しい。

こういう風に買い物に失敗したときには、私は残業代という物差しで気持ちを紛らわせることにしている。さきほどの例だと、17,800円で 30GB ならば 40GB だと 22,800円くらいが相場だろう。だとしたら 40GB で 19,800円という値段は三千円も安いことになる。つまり自分は三千円の機会損をしたことになる。三千円という額は自分の残業代に換算すると二時間分だ。くそ。二時間もタダ働きするのと同じことだ。でも二時間ならあきらめもつくか…。とまあこんな感じである。

これは同様に、残業の多い月に無駄遣いをする口実にもなる。たとえば、月に十時間くらい残業した場合、一万五千円くらいまでの無駄遣いが私の中で許されることになる。それでもパーッと使うのは気が引けるので、買いたいなと思っていたものを気持ちよく買えるのである。この効果は大きい。

■小さいころのあやまち

いまの私は、ボーナスを計算に入れていないのだが、自分の一時間の労働が千五百円くらいだという基準を持っている。この金額は、高校生の時は小遣いの 1/4 に値するので、当時と比べると私の経済観念は大きく変わっている。それをさらにさかのぼると、私には百円がとてもとても大切な時期があったことが思い出される。そしてその百円が私の人生を左右した事件を思い出してしまう。

私は小学校低学年の頃、水泳教室に通っていた。そのうち私は水泳教室に通うのが面倒になった。そんな時期のある日、その日は夕方から大雨が降っていた。室内プールにも関わらず、幼い私は、かなりの大雨のときに一度水泳教室がなかったことを思い出し、大雨のときは水泳教室がない、と親に言った。行きたくなかったからである。ダダをこねる私に対して母親は、私に百円を渡して言った。水泳教室の帰り道にガチャガチャをやっていい、と。そこで私はガチャガチャの魅力につられて家を出たのであった。しかしどうにも行きたくなかった私は、行き道のガチャガチャの前で立ち止まり、ついにコインを入れて家へと引き返した。帰ったら当然親に怒られた。そんなことなら水泳教室をやめてしまえ、と言われてそのあとすぐにやめることになった。私の当時の小さな手には、100円のガチャガチャで出てきた小さな火薬で音のするピストルが入っていた。いまになっても私は、雨の中に佇む赤いガチャガチャを思い出すことが出来る。恐らくこの事件は私の精神形成に大きな影響を与えた…のだと思うがいろいろ考えてみても何がどう影響を与えたのかよくわからないので、大した影響は与えなかったのかもしれない。

余談になるが、小学校低学年の頃に始めた習い事で、公文式の数学だけは私が散々嫌がったにも関わらず続けさせられた。確か私は、小学校四年生のときに六年生までの教材をクリアすれば辞めてよいという約束を取り付けて辞めることが出来た。しかし公文式の数学をやっていた同世代には、少なくない割合で中学の教材に入る人がいるので、私は別に特別でもなんでもない。しかし、水泳はあっさり辞められたのに対して、数学は嫌々ながらも続けさせたことから、私は徐々にスポーツへの関心を失っていくのに対して、数学はのちに偶然本屋で立ち読みすることになるコンピュータプログラミングの本を読んでしまうことでコンピュータに目覚めることにつながる。

■ラジコンの電池

私の小さい頃は、誕生日とかにプレゼントされるレゴブロックや高額のおもちゃに対しては、あまり金銭感覚が働かなかった。親戚の叔母が毎年毎年レゴブロックを送ってくれていたのだが、振り返ってみて大量のレゴを前にして私の親は「これ全部で 20万円分くらいあるよ」と言った。さすがに親から一万六千円の最高額のセットを買ってもらった時は気が引けたのだが、その頃は既に小学校高学年である程度の分別もついてきたころであった。

そんな私ではあるが、小学校低学年ぐらいのころに一つだけ思い出深いことがあった。私には弟がいるので、クリスマスのプレゼントは一緒に買ってもらうのである。ある年は、ラジコンがいいということで、それぞれにラジコンを買ってもらった。弟は、当時流行っていた西部警察のワイルドな車を買ってもらった。一方私は、それより縮尺で大きなバギーを買ってもらった。家に帰って走らせてみたところ、弟のラジコンは軽快に走るのだが、私のバギーはその形状とは異なり、重量級の鈍重な動きをした。値段は私のラジコンの方が高く、鈍重だがオフロード性能(悪路での走りっぷり)は良さそうだった。

我々兄弟は買ってきてもらってすぐに一緒にラジコンを走らせた。ところが、私のラジコンは、私が夢中になって走らせていると、しばらくして止まってしまった。原因を調べてみると、どうやら電池切れのようであった。まあ無理もない。恐らく一時間近くずっと走らせていたからだろう。ところが私はそれがどうにも悔しくてならなかった。私のラジコンが腹を見せて電池を取り出されている一方で、弟は相変わらず自分のラジコンを走らせて遊んでいる。おおげさだが、当時の私は、どうして自分がこんな目にあっているのか、悔しくてならなかった。

私はそこで、ダダをこねたわけではないのだが、不機嫌さを隠し切れなかったようで、なぜこんなに早く電池が切れるのか仕切りに文句を言った覚えがある。そこで私の父親が、店に持っていって聞いてみようと決め、私と両親でまたおもちゃ屋に行った。いま思い返すと良い父親である。せっかく買ってやったおもちゃに不機嫌になる子供に対して、納得のいくまで付き合っているのだから。

結局、店員さんの話では、私の大きなラジコンは電池切れが早いということだった。このとき私は子供ながらに、電池に掛かるお金のことを考えていた。そこで親に、電池をすぐに交換しなければならないのはもったいない、みたいなことを言った気がする。すると父親は、ラジコンを交換してもらえばいい、と言って結局店で交換してくれることになった。そのとき私は少なからず喜んだ。今度は「失敗」しないように、弟の買った西部警察のラジコンと同じシリーズで、赤いスポーツカータイプのものを選んだ。

ところがどうしようもないことに、今度はそのスポーツカータイプのラジコンが速過ぎるのだった。なにしろ最高時速 27km である。室内で走らせるには速過ぎた。弟のワイルドタイプのラジコンの最高時速は 9km である。しかもオンロードタイプなので、段差があると乗り越えられないのである。それでも私は、電池切れを極度に心配する必要がなくなったので喜んだ。しかしその裏では、やはり弟の買ってもらったラジコンをうらやましく思ったのであった。

余談だが、私が大学生になったとき、大学の生協でアルカリ単三乾電池二本組が百円で売っていた。私はこれを安いと思った。だが、私がラジコンで遊んでいた頃は、マンガン乾電池を普通の電気屋かスーパーで買っていたのだから、高く感じるのも無理は無い。私が最初に買ってもらったラジコンは乾電池を 12本以上使った気がする。最高時速 27km のやつは確かその半分くらいだった。

■子供は金のことを心配する必要は無い

私の父親は、子供がお金の心配をする必要は無いという信念を持っているようであった。ところが私は結局、何か高そうな食べ物が食卓に出ると大抵の場合「いくらだった?」と訊くくせが出来てしまった。私の父親は、子供の頃にお金の心配をして親を気遣った思い出があるのだろうか。だとしたら私は親からその性格を受け継いだことになる。

結果的に私は金のことを気にする子供になったのだが、自分で稼ぐようになってから金銭感覚を身に付けたのでは遅すぎると思う。自分の稼げる額がどのくらいか、どれだけ働いてどれだけ貰えるのか、分かるようになってからではないと本当の金銭感覚は得られないかもしれない。しかし、金の価値が分かれば、金を介して親の愛情というものが伝わってくるだろう。私の母親は、私が高校生ぐらいの頃になってこういった。
「おばさんが一万円送ってくるのは、年金の中から出しているんだよ。月にいくらか知らないけど、月に六万くらいじゃないの」
おばさんとは、毎年誕生日にレゴブロックのセットを贈ってきてくれた叔母のことである。私が大きくなると、お金を現金書留で送ってくれるようになった。おばさんの年金が六万だかどうか知らないが、年金から捻出しているのだ、ということを母親が私に言ったことがあったのだ。

私の父親はサラリーマンである。自営業の親を持つ子供はちょっと金銭感覚が面白いかもしれない。親がパン屋をやっていた友人はゲームソフトとかを多く持っていたが、ゲームソフトが潤沢にあるせいかあまりゲームにこだわらず外で遊ぶことが多かった。親からやっと買ってもらった子供が逆にゲームにハマるのかもしれない。

■後味の悪かったキーボード購入事件

私は親から、お金を大事にしなさいと教えられてきた。親の教育は間違っていなかったとは思う。しかし私には疑問に思えることがあった。

中学生以降の私に対して、叔母は物品ではなく現金を送ってきてくれるようになった。そのお金は、親から無駄遣いするなと言われていたので、最初のうちは全部が貯金に回った。そのうち、時々は半分くらい使うようになった。たとえば、一万円もらったら、五千円くらいで欲しいものがあったりすると買ってしまったこともある。私の記憶にある中では、確か Nゲージの車両を買った覚えがある。以前親から Nゲージの基本セットを買ってもらっていたので、車両を追加するとまた楽しめるというわけである。

しかしほとんどのお金は一旦郵便貯金の口座に入れられるようになった。私の親は私に貯金を強制したわけではなかったが、私は精神的には半ば強制されるように貯金に回したという意識が強い。その貯金は、私の記憶によれば、二回ぐらいしか使われることはなかった。そのうちの一回が、キーボードの購入に当てられた。

私は当時、パソコンで音楽を作ることに熱中していた。私は、高校に入ってから 40万円もするパソコンを買ってもらったのだが、そのパソコンは今で言うマルチメディアの先駆けのようなことが出来るパソコンだったため、標準である程度の音楽を作って鳴らすほどの機能があったのである。そこで私は標準の機能を使って、クラシックの譜面を入力したり、自分で曲を作ってみたりして遊んだのである。遊んでいくにつれて、もっと機能の高いものが欲しくなった私は、パソコンから本物の電子楽器を操作して演奏する MIDI という規格に対応したキーボードが欲しくなった。

そのキーボードは 13万円くらいした。私は、自分の貯金口座から 13万円を自分の意志で出すことが出来なかったので、親に相談した。自分がこれこれこういう理由で 13万円のキーボードが欲しいと思っている、と母親に説明した。母親の賛意が得られないと、当時の私は自分の貯金口座から金を下ろすことが出来なかったのである。ところが私の母親は、自分で決めれば? みたいに言いつつも、態度としてはあまり感心できないというような態度を取っているかに私には見えた。

私はその後も「説得」を続けた。以前母親自身から聞いた話によると、私の母親は小さい頃に、ピアノを習いたくても習えなかったらしい。そこで私は、キーボードを買うとピアノの練習も出来る、と言ってアピールした。しかしいまから思えば母親は、私がちょっとした動機、つまり別段ピアノを真剣にやるとかではなく、ついでにやりたいという理由で 13万円というまとまったお金を自由に下ろせることに対して、何かストレートに賛同できないものがあったのではないかと思えるのである。

結局母親は、自分も使えるのだから援助しても良い、と言った。五万円くらいまでなら援助すると言った。結局私は母親から五万円の援助を受け取ったが、私には後味の悪さが残った。母親はあまり私に金を渡したくないような気がした。表では賛同してくれているのだが、裏では拒否していたのではないかとさえ思える。結局今にいたるまで、私の母親がこのキーボードを弾くことはなかった。

ついでに言えば、私は当時、キーボードかハードディスクか、どちらを買おうか悩んでいた。当時のハードディスクは今と比べると信じられないほど高かった。40MB で五万円以上した時代である。いまなら、40GB つまり一千倍の容量のハードディスクが二万円以下で買えてしまうのである。性能も段違いである。

■子供の頃の貯金の目減り

とここで話がハードディスクに戻ったところできれいにおしまいにしてもよいのだが、もう一つだけ付け加えておいた方が良い話がある。

私は自分で稼いで収入を得るようになった。しかし、収入を得るようになっても貯金は残っていた。ざっと 12万円ほどである。しかしいまどきの大卒の初任給は 20万円くらいであり、税金や社会保険料を取られても 17万円くらいは残る。一ヶ月でそれくらいの金を手に入れられるのである。生活費は掛かるが、それでも 12万円という金額の価値がこの時点で大幅に下がったのは言うまでもない。

子供の頃の 12万円は、なんでも出来る金額だった。新しいパソコンを買うには足りないのだが、他に何か買っていれば、自分の世界が広がったかもしれない。私は親から 40万円のパソコンを買ってもらったことで、大いに世界を広げることができ、こうして今の自分が手に職をつける元ともなっている。40万円は高額だったが、それだけの分を使い倒したという自負はある。

ただし、結局ソフトウェアはあまり買わなかった。40万円はハードウェアの値段である。私はプログラミングにハマったので、プログラミングのソフトウェアが確か四万円くらいで入手できたのだが、結局それは買わなかった。おかげで私は、プログラミング用のソフトウェアを各所からかき集めるハメになった。GNU に早くから出会ったのもそのおかげである。しかし、ちゃんとソフトウェアを買っていたら、私はもっとプログラミングの腕が上がったかもしれない。…いや実は、まともな開発環境がなかったからこそ腕が上がったとも言えるのでなんともいえないのであるが…。

余談だが、私が高校生の頃にインターネットがあったとしたら、いまよりずっとハッカーらしいことが出来ただろうと思う。その点、アメリカに生まれなかったのは不運かもしれない。私は、ソフトウェア単体のプロテクトを解いたりすることは出来るのだが、ネットワークに進入する能力・知識はあまり持ち合わせていない。

私の親は私に、旅行に行くことを勧めていた。旅行に行くのならお金は出すと言っていた。12万円は旅行の小遣いになったかもしれない。弟は、自分の貯金でカメラを買った。オリンパス製のそこそこ値段の張るカメラである。彼はあまりカメラを使い倒したとは言えないと私は思うのであるが、それでもカメラについての知識は一通り身に付けたようである。彼はモデラーでもあるので、自分の作ったジオラマのようなものを自分で写真に撮ってコンテストに応募して、賞金もとったことがある。

私の貯金 12万円はいまも口座に残っている。十年が過ぎる前に一度確認しておかなければならないので、たまに気に掛けている。そのたびに思うのは、この 12万円で馬鹿なおもちゃを買わなくて済んだ安堵と、この 12万円で何かが出来たかもしれない可能性である。

■これからの子供へ

いま老人が、多額の貯金を残したまま死んでしまう、といったことが言われている。貧富の差もあるので、全ての老人にお金があるわけではないが、ある金を使わずに残して死ぬという現実はもったいないと思う。遺産相続税として金に入るよりも、ちゃんと使われて日本経済が活発になるほうが豊かになれるのに、と思う。と同時に、私自身を省みて、社会人になる前に自分の貯金を全て使って自分の世界を広げるべきだ、とこれからの人に提言したい。

いまの日本は、子供にくだらないおもちゃを押し当てることに注力しているように思える。子供の欲を利用して儲けたいのだろう。確かに子供はそのときだけは面白い。しかし、面白いのはそのときだけで、飽きたおもちゃは捨てられるだけである。これからは子供に対して、大人になってからでも十分楽しめる趣味を持たせることの出来るものを売るべきではないだろうか。

私はいまでもゲームが好きだし、実は最近会社近くのラジコン屋に入ったときに、ラジコンがまた欲しくてたまらなくなった。いまやっても面白いだろうと思える。まあラジコンを走らせる場所や仲間がいないので買うのはやめたのだが、いわゆるおもちゃでも、大人まで楽しめる本当のおもちゃもあるのである。ゲームはどうも子供だましのものが多いようで、自分に合ったゲームを探すのだがあまり見つからない。

子供向け雑誌のコロコロコミックで、フィッシングが取り上げられたことがあった。これは良い企画だと思う。釣りなら父親も楽しめるし、子供も本格的な道具を使って子供だましではない遊びに興じることが出来る。遊びなら遊びで、多少大きくなっても楽しむことのできるものにもスポットを当てるべきである。

日本人はリスクを取るのが苦手だと言われている。いっそ、リスクのある遊びを奨励するというのはどうだろうか。そういう意味では、トレーディングカードゲームでカードを取ったり取られたりするのは良い視点かもしれない。本当に子供たちがカードをやりとりしているかどうかは知らないが、昔はメンコをやりとりしていたようである。私の頃は、シールの収集と、友達との交換交渉という遊びがあって、いま思えば人との交渉能力を身につけられたのではないだろうか。

そう考えていくと、日本の遊び文化を作ってきた人々というのは、ひょっとすると教育制度を作った人間よりも、日本に影響を与えてきたのではないかと思う。私が手に入れてきたおもちゃのなかには、本当にくだらない、たとえばスライムなどというべたべたするだけのおもちゃもあった。いや、別にくだらないからダメだと言っているわけではないのだが…。超合金ロボットなんていうものも、男の子の自我の拠り所となったかもしれないし、全くの無意味だとは言えない。金を払う親には同情するが、恐らく全く無駄な出費ではなかったと私は思う。ただ、CM やタイアップなどの戦略が余計だったということだ。広告に弱い人間が生まれるのは非生産的である。

ただ、子供のときだけではなく、大人になってからも楽しめたり役にたったりするものをもっともっと子供たちに売り込むべきである。百科事典を送るだけが能ではない。

*

余談になるが、そういえば私は、たくさんの木とロープを使ってハンモックとかブランコとか橋とか網とかを思い切り作ってみたかった。森の中に秘密基地を作ってみたかった。しかし残念ながら私の住む都会にはそんな場所は無かった。高校生ぐらいの年頃に、パソコンではなく自然があったとしたら、私の今は変わっていただろう。ただ、情報関係の技術者となっている今の自分にはそれなりに満足している。時代が時代なだけに、収入も将来性もあるし、何より面白いからである。


戻る前回次回
gomi@din.or.jp