69. 資本主義の進展と詐欺の横行 (2000/7/18)


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最近詐欺まがいの「商品」を見かけることが多い。

消費者金融の提供する「商品」は、当座の金もない人に助けの手を差し伸べるという商品のはずであるが、言うまでもなく消費者金融業者が得る利益のほとんどは、金をまともに返せないと思われる人間に貸すことによって得られている。

外貨預金がかなり一般的になってきている。説明を読んでみると、短期たとえば三ヶ月くらい預けたときの金利が 5%を超えていたりする。私はあまり調べていないので断定は出来ないのであるが、結局のところ為替手数料と為替差損を差し引くと、とてもではないが 5%の利息など得られないだろう。外貨預金の広告は、おそらく日本人観光客が外国へ旅行に出かけるシーズンの終わったあととかに打たれるのではないかと思う。旅行者が円を売って外貨を買うのであるから、当然円が値下がりする。円が値下がりする前に円を売っておいて、値下がりしてから円を買い戻せば、為替差益が確実に得られるのである。円を買い戻すときに、買戻しすぎたら円が値上がりしてしまうので、うまく外貨預金という商品を売ることで、円の安い時に円売りを誘うのである。

このほか、頭の回らない消費者をだますには、あまり手の込んでいないものでも十分可能である。

このような「詐欺」の横行は、おそらく資本主義が発展しすぎたことによる弊害だと私は思う。

ここで私の言う「資本主義」とは、どちらかというと「商業主義」…「競争絶対主義」と置き換えた方が良いかもしれないが、分かりにくいのでここでは資本主義という言葉で統一することにする。

■現在の資本主義社会でメーカーはあまり儲けていない

資本主義は、市場原理で成り立っている。市場原理は、人々の間のモノの動きを活発にすることで社会をよくする。その市場原理が「健全な競争」と組み合わさることで、世の中の技術革新が促されて、人々の間の平均的な生活水準が向上していく。もちろん環境破壊による害もあって、何も問題がないわけではないが、いわゆる「健全な競争」が行われることに関しては、これまでというかいまも肯定的に受け入れられてきた。

しかし私はこの「健全な競争」にも疑問を感じることがある。

私はいま、秋葉原に勤めている。秋葉原の電気街に限らず、日本はメーカーの健全な競争のおかげで、安くて品質の高い電化製品が手に入る。また、外国製品を買い付けにいく商社の活躍で、まだまだ消費者がボラれているとしか思えないようなモノも中には多いが、日本には沢山の外国製品があふれている。その他、日本の社会をよくしてきた幾多の会社に私は賛美を送る。

しかし実際のところ、日本の社会をよくしてきた会社よりも、逆に日本の社会を荒廃させてきた会社が儲かっていることがあるのである。それが、商工ローンや消費者金融であったり、投機に走る銀行や証券会社や保険会社であったり、射幸心を煽って無為な時間を費やさせるパチンコ業界であったり、小さな例で言えば風俗業界なんかであったりする。

結局のところ、日本の生活水準を上げてきたメーカーは、その努力に値する見返りを与えられていないのではないだろうか。高機能な製品が信じられない価格で店頭に並んでいるのを見ると、最近の私は誇らしく思う気持ちよりもむしろ、世の中の不平等とか荒廃などを考えてしまうのである。

極端な例を言うと、世界一の電機メーカーであるアメリカの General Electronics は、その利益の多くを金融子会社から得ている。私の情報は古いかもしれないので参考程度に聞いてほしいのだが、確かグループの利益の半分かそれ以上を GE Finance から得ているらしい。

■資本主義は業界対消費者の競争にもなる

資本主義は、業界内での競争が盛んになることで消費者に利益をもたらすと考えられてきた。しかし実態をよく見ると、企業は業界内の熾烈な競争よりも、むしろ消費者に戦いを挑んでいる傾向がよく見られるようになったと私は考える。

たとえば、いまあらゆる製品は、広告なしにはほとんど売れなくなってきている。そこで企業は、あらゆる手段を使って、消費者の目に見えるところに自らの製品の広告を氾濫させている。競争が熾烈になったことによって、テレビ局もスポンサー収入を入れなくては視聴率を取れなくなり利益が得られなくなってきている。まあテレビ局の場合は免許制の利権事業なので色合いは異なるようである。テレビ番組のスポンサー量は高騰し、その儲けを狙ってテレビ局は CM を多くしている。テレビ局が CM を多くしているというのは、いわばテレビ局が消費者に対して戦いを挑んでいるということにはならないだろうか。

そして、メーカーは製品の良し悪しよりも、広告によって消費者に強引に売り込む方がよく売れるというので、製品の質を二の次にしている。これもメーカーが消費者への戦いを挑んでいると言えないだろうか。メーカーにとって消費者とは、お客様というよりは、いかに買わせるかという競争相手になっているのではないだろうか。

業界内に競争相手のいない企業もまた、消費者に戦いを挑む。競争相手がいないということは、自社の製品を消費者にいかに高く売りつけるか、という戦いが出来ることを意味するのである。この点ではどうやら日本の企業はまだ甘いらしくて、たとえば半導体のウェハーを切る技術だか機械だかのシェアを 100%占めているディスコとかいう企業は、競争相手がいないにも関わらず普通の値段で売っているという。

なぜこのようなことが起こるのかというと、資本主義社会でこれまで生き残ってきた企業よりも、銅考えても消費者の方がずっと弱いからである。

商品を企業に高く売りつけるよりも、一般消費者に高く売りつける方がはるかに簡単である。グレーゾーンにまでくると、企業は顧問弁護士を簡単に雇えるが、一般消費者は団結しない限りはなかなか弁護士を雇って訴訟することが出来ない。

■モノを作るよりも間を取り持つ方が儲かる

それと忘れてはいけないのは、モノを作るよりも、間を取り持つ方が儲かるのはかなり常識的なことである。モノを作る側の競争があれば、モノを仕入れて卸す側の競争もあり、モノを店頭で売る側の競争もある。この中で一つ、社会に良い影響だけでなく悪い影響を与える競争が一つある。それが、モノを仕入れて卸す側の競争である。

モノを作る側の競争であれば、とにかく質の良い製品を作ることにおける競争が各メーカーで行われる。モノを店頭で売る側の競争であれば、とにかく一般消費者に安く売る競争が行われる。では、モノを仕入れて卸す側の競争とはどんなものなのだろうか。これはいわゆる流通業界の競争である。彼らは、モノをいかに活発に流通させるかの競争を行う。しかし、彼らの競争には欠陥がある。一旦広範な流通ルートを抑えてしまえば、他に向上のしようがないのである。確かに彼らの活躍で日本が豊かになったと言うことも出来るだろう。しかし、メーカーや店の競争よりもはるかに楽な競争しか存在しないのである。

そもそも流通業とは、新規参入しにくいものである。デジキューブというゲームソフト卸し会社が出来たが、この会社もソフトウェアハウスつまりソフトウェアのメーカーであるスクウェアの後押しがなかったら定着しなかっただろう。本の卸し会社は日本にたった二社しかなく、二社が独占して利益をあげている。恐らく大幅な規制緩和が行われても、単独での新規参入を行うことは不可能だろうし、どこかと組んで新規参入しようと思ってもほぼ無理だろう。組むとしたら、店舗チェーンは最大手の文教堂でも市場シェアは知れているので(全国にどれだけ書店があるか!)、ありうるとしたら出版会社が卸し子会社を作ることになるだろう。しかし、出版会社が卸し子会社の事業に失敗したら、最悪の場合自分たちの本を独占二社の卸し会社で流通させることが出来なくか、他の出版社よりも不利な条件を飲ませられることもあり、企業の存続にとっては致命的なことになる可能性も考えられる。

流通業の業界内での競争がゆるくなると、彼らは結果的にメーカーと店舗に戦いを挑む。つまり、メーカーからいかに製品を安く買い叩き、いかに店舗に高く売りつけるか、ということに腐心しだすのである。

私の勤める業界でも、コンピュータ製造会社からコンピュータを買ってきて、コンピュータに乗せるシステム作りを他社にやらせている会社が一番儲かっている。総合商社の子会社のC社である。最近のインターネットバブルで、親会社の時価総額を抜いたとかで話題になったあの会社のことである。システムを作る会社が直接コンピュータ製造会社からコンピュータを買ってくれば良いと思われるかもしれないが、コンピュータ製造会社というのはまとまった量のコンピュータを買ってくれる企業に安く売るのである。C社は、コンピュータ製造会社からコンピュータを安く買えなかったら、他のコンピュータ製造会社からまとまってコンピュータを買うぞ、と言えば良いのである。こうして流通を抑えた会社が、コンピュータ製造会社・システムを作る会社・顧客企業それぞれから儲けを得るのである。

■ブランドは消費者に信頼を高く売りつける

ブランドの人気は、製品の品質だけで成り立つものではない。広告による巧みな宣伝戦略によってでっちあげることも出来る。ブランドを効率よく上げるためには、製品の品質を上げることよりも、むしろ巧妙な宣伝戦略を組み立てる方が良い。結局企業は消費者に対して、広告によっていかに消費者を騙すか、という戦いを仕掛けているのである。

■過度の競争は隠蔽をもたらす

競争が激しくなると、各企業間の競争は、ちょっとしたイメージダウンに左右されることが多くなっていく。そうなると各企業は、イメージダウンを恐れる余り、自社の製品の欠陥を隠すのは当然である。メーカーは、欠陥を隠すと罰則を受けたりするのだろうが、些細な欠陥については罰則が適用されない。いま旬の雪印は、自社のミスを隠蔽したようであるが、これは恐らく自社の牛乳で体調が悪くなったということが証明されにくいと判断したからではないだろうか。

ところで、雪印が潰れると多分日本社会の損失となるだろう。ところがマスコミは無責任に雪印に対するネガティブな報道を行う。これもまた競争による弊害である。この競争は、人々が過激な報道を好むせいで悪影響をもたらしているのではあるが、マスコミが自らの使命を忘れて競争することが何よりおかしい。

*

世の中は基本的に弱肉強食である。騙された側は、最終的には自分で責任をとらなければならない。詐欺師に金を取られた場合、もしその詐欺師が捕まったとしても、その詐欺師が騙し取った金を既に使っていたとしたら、騙された側には返ってこない。たとえその詐欺師が自らの罪に対する責任を、拘留という形でとらされたとしても、現代の社会ではそれ以上の責任をとる必要はない。

しかし現代の我々は、詐欺師から騙されるわけではない。詐欺師は、結婚詐欺なら一人一人を篭絡していく。金を集めるタイプの詐欺師は、会員を募って何人もの人々を同時に騙す。しかし、もっともっとスケールの大きい詐欺は、詐欺師が一人一人を騙していくぐらいではとても出来ない。

普段我々が何気なく見ているテレビには、巨大な詐欺がひそんでいる。我々は、民放の放送をタダで見ていると錯覚しているかもしれない。しかし我々は、テレビを見ているお陰で、うわっつらだけの商品を買わされているかもしれないし、宣伝だけに力を入れているメーカーの製品を買うことで、本当に良い物を作るメーカーを倒産させてきたかもしれないのである。

だから我々は最低限、消費者としての素養を持ち、本当に良いものだけを買うことを心がけなければならない。賢い消費者になればよいのである。しかし、賢い消費者になるためのきっかけすら与えようとしないのが、いまの世の中なのである。


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