38. 戦争論・戦争学 (1999/5/13)


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戦争に関する本を二冊読んだ.一冊は小林よしのり「戦争論」で、もう一つは文春新書の「戦争学」である。

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「戦争論」の方は、もう読んでからだいぶたつので内容を忘れかけているが、私にとっては多少なりとも衝撃を与えるものとなった。この本は、ある種の批評家からは非常に危険視されており、右翼思想だとか言われているようである。

この本のどのあたりが右翼思想かというと、もう全体が右翼的である。なにしろ、日本は第二次世界大戦で侵略などしていない、といっているのである。我々戦後世代からすれば、この主張は学校で習ってきたこととは異なっている。私は学校では、日本は侵略をしたので悪いのだと習った。これまで、日本の政治家が「日本は侵略をしていない」と言うたびにその政治家が失脚していったのも見てきた。

この「戦争論」では、日本が侵略していないということを、さらには我々が「日本は侵略した」と植え付けられているということを、客観的な資料により次々と裏付けていく。そのたびに私は、これまでの私の史観が塗り替えられていくことに晴れ晴れとした気持ちになっていったのである。

この本の中で私がもっとも衝撃を受けたのは、アメリカが日本国民に対して洗脳プログラムを組んでいたことを示す資料が存在するということである。これは「ウォー・ギルト・プログラム」と呼ばれているらしい。直訳すると「戦争の罪の洗脳」である。つまりアメリカは日本に対する占領政策としてはっきりと、日本が戦争において罪を犯したのだという思想を日本国民に植え付けようとしていたのである。そしてその洗脳は成功し、いまも解けていないのである。

考えてみればそうである。事実だけを見ても、アメリカは日本に原爆を二発も落とした。しかも、状況を考えてみれば、必要のない大量殺戮であったことが明らかである。アメリカの論理からすれば、原爆を落としたのは戦争を終わらせるためであったらしい。だがこの論理はすでに知識人の大多数の人間からは信じられていない。原爆は、ソ連参戦により日本がソ連に占領されることを防ぐために、また終戦時にアメリカが終戦処理で主導権を握るためであったと言われている。

東京大空襲は、1平方メートルに数発の焼夷弾が降り注いだという。これも客観的なデータである。ここまでする必要があっただろうか。しかも、アメリカは本格的な爆撃の前に、爆撃対象となる住民が逃げられないように予め周囲に爆弾を落とすかなにかしたらしい。つまり、東京大空襲ははっきりと、アメリカが日本の非戦闘員を殺すために行ったのである。一回の空襲で 10万人が死んだと言われているが、この数値は第二次世界大戦中に行われたどの空襲よりも飛びぬけて多いらしい。

日本が侵略をしたというが、どこに侵略したのだろうか? 中国や朝鮮や東南アジアに攻めていったのは事実である。いや、朝鮮は併合したので攻めていったわけではない。併合は合意であったとこの本は主張しているが、この点に関しては私は判断できない。だが、少なくとも中国や東南アジアは既に欧米各国によって占領されていた。そこへ日本軍が来たときには、歓迎された場合すらあったという話もある。このことについては、この戦いに実際に従軍した人が書いた本でも同じ記述があったので、私自身は正しいと思っている。

そもそもアジアは、第二次世界大戦前には、欧米各国に良いように占領されていた。日本も占領されそうになった時があったが、いち早く欧米化を行ったので助かった。日本が強くなっていなかったら、アジアは例えば「フランス領九州」「オランダ領四国」なんてことになったかもしれない。いまでも、日本以外でそういう国がある。アジア人は当時、欧米人から人間扱いされなかった。奴隷や家畜も同然であったらしい。欧米人の女性は、アジア人に対して裸をさらしても恥ずかしいとは思わなかったらしい。これは、我々が動物に裸を見せてもまったく恥ずかしくないのと同じである。

この本のもっとも大胆な主張はこうである。日本はアジアを代表して欧米と戦った。いや、アメリカに圧迫されたのでやむなく戦わざるをえなかった。日本がアジア人として欧米に立ち向かったのを見て、世界各国の植民地が立ちあがって欧米から独立を勝ち取った。有色人種で後進国でも欧米人と肩を並べることができるのだという認識が世界に広まった。

話が大きくなったので、今度は「日本は侵略をした」と主張する人に対する反証を紹介することにする。まず有名なのは「南京大虐殺」である。これは、既に学者の間ではでっちあげられた事件だという見方が占めているらしい。しかも、欧米側のマスコミや大使館などが偽の情報を作り出したという証拠すら見つかっているらしい。

この本ではさらに、日本の軍隊の国民性が、他国の兵隊や軍隊と比べてずっとおとなしいということをそれぞれの国ごとに比較している。中国の軍隊は、自分たちが都市から撤退する際に、自分の国の民衆から略奪を働くだとか、その他いろいろなショッキングな事実が語られる。

それに対して日本は、併合した朝鮮を例にとると、朝鮮の産業を育てるために金と技術を投資し、トータルでは赤字だったのではないかと言われている。欧米各国の植民地政策と比べると天地の差である。欧米の植民地となった国は、単一食物を作るためにプランテーションだらけにされ、逆に他の産業を欧米からの輸出品によって破壊された。いまでもこの時代の影響から発展が阻害されている国が多い。

神風特攻隊は日本の狂気だった、という常識への反論もある。神風特攻隊に参加して死んでいった人々の遺書がそれなりに残っているようなのであるが、これが実に芯のしっかりしたものらしい。天皇のために死ぬといったような言葉だらけではなく、愛する家族のために戦いに行く穏やかな意思や、自分のこれまでの生涯を振り返りつつすがすがしい気持ちで書かれたものなどである。一方、神風特攻を受けたアメリカ側は、この自殺的な攻撃を受けて精神的に不安定になる兵士もいたという。ただ、これらの特攻がまったくの狂信から行われたものではないことが遺書により裏付けられている。また、特攻隊の司令官は戦後すぐに詫び状のような遺書を残して自殺している。

敗戦後、東條英機は自殺を試みたが果たせず、連合国側の裁判に出廷して、少しでも日本にとって不利とならない方向へもっていこうと努力している。日本の軍部が戦争を推し進めたのは事実ではあるが、どうせ死刑になる特A級の戦争犯罪者が、日本全体のことを考えてこのような努力をしたことを思えば、そんなに軍部が狂っていたとは思えない。

あと、日本軍の汚点とされている主なものに真珠湾への奇襲があるが、これに関しては日本側はちゃんと宣戦布告を出している。暗号解読に手間取ったことにより、確かにアメリカ側への通達が遅れたのは事実であるが、これは明らかに事故である。さらに最近では、日本側の通達が遅れたのは KGB の陰謀だったという説が有力になっているとの話も聞く。

この本によれば、従軍慰安婦も存在しなかったらしい。

そんなわけで、良識ある人間ならば、周りから押しつけられた知識だけで「日本は侵略をして各国に迷惑をかけた」などという思い込みをしないようにしたい。ペコペコと中国や朝鮮に頭を下げて、昔の日本人を辱めることはないのである。中国は外交手段として日本に謝罪を迫っているばかりでなく、広い国土を持つ中国という一つの国を統合するために反日政策をとっているらしい。

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「戦争学」の方は、つい最近読み終わったので内容をよく覚えているのだが、著者の名前をすっかり忘れてしまった。著者の素性ならよく覚えている。自衛隊の元将校らしい。

この本も非常に面白かった。まずこの本での戦争の定義から入っている。戦争とは、外交の延長線上である、という有名な言葉があるらしい。我々は大戦後の、特に日本という特殊な国で教育を受けているから、これから言うことはひょっとするとまったくの悪のように思われるかもしれないが、戦争とは昔は外交の強力な切り札であった。国同士のやりとりで、片方の国がもう片方の国に徹底的に勝利するには戦争は不可欠であった。今日では、経済戦争の名のとおり、経済力によって他国を支配することが可能である。まあそもそも、支配なんてしなければいい、みんなが平和に暮らしていければいいじゃないか、と思う人もいるかもしれないが、考え方の異なる民族や人間がいれば、おのずから争いは起こるものである。そしてそういった争いを純粋な外交だけで処理できるものではない。

この本の特徴は、戦争が絶対悪ではないということをまず第一に挙げている。いま戦争がよくないと言われているのは、二度にわたる世界大戦によって人が死にすぎたからであり、その結果人権思想が生まれたからである。私自身は戦争は嫌いであるし、戦争が好きなのは戦争によって得をする人間だけだと思うが、人間が生き物である限り争いとは無縁ではいられないのだと考えることこそ謙虚な姿勢ではないだろうか。

戦争の勝敗を決める要因はいくつもある。というか、実際に起きた戦争を研究した結果、戦争の勝敗を決定付ける要因らしきものが浮かび上がってきたようである。近代の大戦においては、国家をいかに総動員させて戦争を継続させることが出来るかが決め手になったが、過去においては戦闘教義が重要な決め手となった。この本の多くの部分は、この戦闘教義の遷移についての記述に割かれている。

たとえば日本で言えば、織田信長が大量の鉄砲隊を使った戦術を編み出した。これが戦闘教義である。信長が鉄砲を自分の戦術に取り入れようとしはじめた当初は、誰もがまったくばかげたことだと思っていた。なぜなら、当時鉄砲は非常に高価であり、なおかつ精度も悪かった。事実武田信玄はあくまで騎馬にこだわった。信玄は騎馬を中心とした戦術を用いて武田の騎馬軍団と恐れられたが、これも信玄の戦闘教義である。ところが、長篠の戦いにおいて信長の戦闘教義である鉄砲隊の三段重ねの軍団が、武田の騎馬軍団を蹴散らした。ちなみに、信長が編み出したこの三段重ねの鉄砲による戦術は、すでにスペインが似たような戦闘教義を編み出していたらしい(スペイン方陣)。

戦争に勝つには、まず強力な戦闘教義を編み出し、その戦闘教義を徹底的に用いることが必要であるらしい。中途半端ではいけない。信長の例で言えば、彼は常識外れなほどの鉄砲を用意した。

戦闘教義のもっとも原始的なものは、戦闘における陣形である。原始的な戦闘は常に乱戦であったが、あるとき優秀な指揮官が部隊を引きつれ、自分の部隊を陣形としてきっちりと配したところ、その部隊の戦闘力が強力になった。これが戦闘教義の原始的なものである。

戦闘教義の存在は、歴史上の事実からもうかがえる。古代ローマが戦争に強かったのは、レギオンと呼ばれる特殊な陣形の存在があると言われている。その前のギリシアの都市国家では、国民全てが重歩兵として隊列を組んで戦う戦術(ファランクス)が必勝であった。だが、一つの戦闘教義には必ず寿命がある。ローマはマケドニアのアレキサンダー大王の編み出した戦闘教義に敗れた。まあ、それ以前にローマ帝国にはさまざまな敗因があるのだが、この話は専門の学者もいるほど大きいテーマなのでここでは突っ込まない。

戦闘の主役は何度も入れ替わった.。まず歩兵、次に騎兵、砲兵が主役となった。時に騎兵が廃れて歩兵が主役に返り咲いたりすることがあった。そのポイントが、それぞれの兵種の特性を生かした戦闘教義である。たとえば、モンゴルのフビライ・ハンの戦闘教義はひたすら騎兵であった。騎兵を有効に利用するための戦術や兵站も強力だった。兵站とは、戦闘を維持するための機構であり、たとえば食料や予備の武器・馬を用意したり運んだりする機構を指し、これはかなり大きく勝敗を左右する。モンゴルは遊牧民族だったため、騎馬による戦闘はもっとも効率が良かった。このように、戦闘教義とは自分たちの民族の特性などを考えた上で練られたものであればずっと強力なものとなる。

この戦闘教義というものは、戦争以外に当てはめることも出来る。戦争の本は下手な経営の本よりもずっと経営者のためになるものだと言われている。たとえば、いまの優秀な企業の条件の一つとして、自分の得意な分野に特化していることが挙げられる。これもいわば戦闘教義である。企業は、自分の企業体質をよく知った上で、自分の企業にとってもっとも得意な分野を磨いて市場にアタックするほうが良いのだろう。

教育にもいえる。なんでもそつなくこなす人間よりも、一人一人の個性を考えて個性を伸ばした方が豊かな人生を送れるのだという考えが広まっている。それまでの管理教育では、結局どの分野でも中途半端な人間ばかりが育ってしまう。ジェネラリスト(万能人)よりもスペシャリスト(専門家)の方が役に立つと言われて久しい。

つまり、世の中うまく渡っていくには、何かしらいまの自分(自分たち)が出来そうなことを探し、これだと思うものを見つけたらひたすらそれに賭けて研磨する。もちろん、それが全く役に立たなかった、なんてこともあるだろう。たとえば、大戦中の海軍は巨砲主義に陥り、戦闘艦はとにかく大砲を大きくしていけば戦闘に勝てるのだという思想があったが、これはまったくの検討違いであった。その誤りにいち早く気づいたアメリカは空母と艦載機を使った戦闘教義を取り入れてミッドウェーで勝利した.一方、空母と艦載機を使って一番最初に戦闘に大勝したのは実は日本海軍であったが、この戦い方を戦闘教義に取り入れずに戦艦大和や武蔵などを作ったためにアメリカに破れた。

この本には、具体的にこういった過去の戦史をなぞりながら、戦争の勝敗を決める要因についてさまざまに語られている。このようなものは外国では学問として広く認められており、有力な大学には戦争学部なるものまで存在するようである。

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我々はこれからひょっとすると戦争とは無縁かもしれないが、たとえ戦争がなくても、戦争に関する造詣を深めておくことは非常にためになるだろう。それから、日本が全面的に戦争に関わらなくなってから数十年たつが、いつ日本が戦争に巻き込まれるかわからない。現に北朝鮮が攻めてくるという危機が叫ばれている。たとえ北朝鮮との戦争が起きても日本は少なくとも負けることはないとは思うが、負けなかったとしても、いまの日本の自衛意識からすると多大な被害を蒙る可能性が高いように思える。

我々はアメリカによって、第二次大戦の戦争責任どうこうといった不当な罪の意識を植え付けられてしまったが、早くこの状態から脱しなければ、いつまでも不安定な意識のまま自分たちの身も守れない国家でありつづけるだろう。自衛隊は強力な軍隊なのだが、その自衛隊を本格的に動かすための法律が全く役に立たないことが分かっている。


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gomi@din.or.jp